第百七十話 土呂さんの交渉
「最近の顔だけ声優と違って、朝霞さんは本物の声優よ。あの声のバリエーションに加え、豊かな表現力。今世紀最高の声優さんと断言して間違いないわ」
恍惚とした表情で持論を展開する土呂さん。朝霞さん限定ですが、友子や由紀のお仲間に間違いありません。
「土呂さん、朝霞さんは別格として、遊も中々のものよ?」
「はっ!そういえば、遊さんの声とユウリちゃんの声が違う!」
友子の指摘に、土呂さんは私が声を変えてる事に漸く気が付いたようです。勢いよくこちらを向いたので、少し押されながらも説明をします。
「姿を変えても、声を変えないとバレますから。『ユウリの時はこの声ですよ』」
「見事ねぇ。言われなかったら分からなかったわよ。ユウリさん、精進すれば朝霞さんの域に辿り着けるかもね」
土呂さんはあくまで朝霞さんが中心のようです。あの人が別格だと私も思っていますし、その気持ちもわかるので誉め言葉だと素直に受け取っておきます。
朝霞さんは伊達に「千の声帯を持つ男」とか「困った時の朝霞頼み」と呼ばれている訳ではありません。声優ファンにも関係者にも、実力最高峰の声優だと認められているのです。
「こんな事情がありまして、出来ればバラしたくないんです」
「それなら協力しないとね。遊ちゃん、署長室に行くわよ!」
私の手を引いて会議室から出ようとする土呂さん。このまま連れ出されては堪らないので引き留めます。
「ちょっと待って、髪を戻さないと。ユウリの正体を吹聴して回る事になってしまうわ」
掴まれた腕を振り払い、髪を戻し眼鏡を装着します。あのまま連れて行かれたら、ユウリの正体をバラして歩く羽目になる所でした。
「もう良いわね?行くわよ!」
怒濤の如く走り出す土呂さん。すれ違う警官は何事かと目を丸くしますが、走っているのが土呂さんだと認識するとどこか諦めたような顔になりました。
「署長!お話があります!」
ノックもせずに勢いよく扉を開ける土呂さん。開いた扉が傾いていますが、大丈夫でしょうか。
「な、な、何事だ!」
「先ほどの脱走犯の事件について報告があります!」
土呂さんは強く机を叩いて叫びます。腕を解放されたので、扉を直しておきましょう。壊れたままってのも気になりますし、話の内容が廊下に筒抜けです。
土呂さんは脱走犯が拳銃を所持していた事、彼が暴力団と繋がりがあること、被害者の遊がまた襲われる可能性もあることを説明しました。
「・・・と言うわけです。で、この音は何なの?」
説明を終えた土呂さんが振り返ります。その視線の先には、大工道具を手にした私の姿がありました。
「遊ちゃん、何でいきなり日曜大工なんてやってるのかしら?」
連れてきた被害者が、いきなりトンカチ持って大工仕事していれば不審に思うのは分かります。しかし、これ壊したのは土呂さんですから。
「土呂さんが壊した扉を修理してますが、余計でしたか?」
「スイマセン・・・ヨロシクオネガイイタシマス」
土呂さんは汗を流しながら署長の方に向き直りました。自分が扉を破壊した事を、今になって理解したようです。
「護衛をつけるにあたって、私を専任にして欲しいのです!」
「普通に交代ではいかんのかね?」
署長の当然の疑問に土呂さんは声を荒らげて答えました。朝霞さんと会う機会が懸かっているせいか、必死の形相です。
「年頃の女の子ですよ、むさいオッサンなんて駄目に決まってます!」
「確かにそれは一理ある。しかし、他にも女性警官はいる。君だけに護衛を任せる理由としては薄い」
食い下がる土呂さんに、抵抗する署長さん。双方の言い分は共に正論ですが、どちらかというと署長さんの方が優勢に感じられます。
「拳銃弾をかわす猛者に、半端な者は足手まといとなります、決断を」
「わかった、わかった!まったく、それなら誰だって足手まといじゃないか・・・」
ぶつくさぼやきながらも署長さんは書類を用意し出しました。強い勢いの土呂さんに押しきられたようです。
「ふっ、今日も勝ったわ!」
土呂さんはドヤ顔で勝ち誇ります。深いため息をつく署長さんが不憫に感じてしまいます。
「土呂さん、しょっちゅうこんな我が儘通してるんですか?」
「いつもじゃないわよ。たまに、本当にたまにね」
絶対に嘘です。あの署長さんと土呂さんの様子では、頻繁にあったに違いありません。
「ほれ。命令書だ。強引に通したからには、キッチリその子を守るんだぞ!」
投げやりになって文字通り書類を投げる署長さん。顔をよく見ると、額が不自然に広くなっています。恐らくストレスが原因による脱毛でしょう。
こんな部下を持ってしまっては無理もありません。しかし、私にはどうしようもないので署長さんと彼の毛根には強く生きてほしいと願います。
大工道具の出所は、突っ込まない方向でお願いします。




