第百三十三話 浮かれる由紀
由紀ちゃん目線です。
「ねえ、あれはどういう事よ?」
「昨日は抽選に漏れて、かなり落ち込んでいたわよね」
クラスの皆が私を見てヒソヒソと言っていますが、私には構っている時間などありません。スマホの画面を見るので忙しいのです。
「由紀の機嫌が良くなるのは、アニメ関連よね。まさか、ユウリちゃんの握手会に落ちていなかったとか?」
「まさか。補欠抽選なんて聞いたことない。そんな物があれぱ、絶対に騒ぎになっているはずだ!」
女子も男子も煩いです。静かに画面に集中させて欲しい。昨日はユウリさんと話して、ユウリさんと握手して、ユウリさんにサインを貰って、ユウリさんに抱きついて・・・
顔がにやけるのを止める事が出来ません。それを見たクラスメートか更に煩くなったけれど、そんな些細な事は無視します。
「ちょっと、北本さんずっとこの調子だったの?」
「そうなんですよ先輩。気味が悪くて、誰も近付けなくて理由も分からず仕舞いなんです」
放課後になり、部活に出ています。本当は帰ってお姉ちゃんとの蜜月を楽しみたかったのですが、自他共に認めるエースとしては練習をサボる訳にはいきません。
なので、休憩時間にこうやってスマホの画面を見る事で我慢しているのです。
「部長、どうにかしてください。他の部員が気味悪がって練習になりません!」
「どうして私がっ・・・部長だからよね」
部長がこちらに近付いて来ます。その後ろには数人の先輩や同輩が様子を伺っていました。
「北本さん、一体どうしたの?昨日のように落ち込んで練習にならないよりはマシだけど、ちょっと・・・いえ、かなり不気味だわ」
「部長、知りたいですか?そんなに知りたいですか?部長だから特別ですよ?」
色々と自慢したお気分を抑えて、影響が少ないと思われるユウリさん直筆サインを画面に出します。もちろん、北本由紀ちゃんへと名前も書いてもらいました。
「こっ、これはユウリさんのサイン?!しかも名前入りなんて贅沢な!これ、どこでどうやって入手したのよ!」
部長の叫びを聞いた他のテニス部員が集まり、私は完全に包囲されてしまいました。これは、もう少し情報を出さなければ収集がつきそうにありません。
決して、決して自慢したいからではありません。そこは間違いないようにお願いします。
「昨日、ユウリさんの会う機会があって目の前で直接書いて渡して貰いました。ユウリさんの手、柔らかくてスベスベでした!」
「なっ、サインだけではなく、握手までしたというの?北本さん、私と握手して!」
血相を変えて手を差し出す部長。間接的にユウリさんと握手しようというのでしょうけれど、そうは問屋が卸しません。そこに二年生の先輩が口を挟みました。
「部長、そんな非現実的な話を鵜呑みにするのですか?どうにかサインだけ手に入れたというのが妥当な線でしょう」
仕事以外に目撃情報が少ないユウリさんのサインは貴重ですし、会って握手してもらうなどイベント以外ではほぼありえません。
なので否定する気持ちは分からなくもないのですが、現実は小説よりも奇なりといいます。実際、憧れの声優さんが実の姉だなんて、今でも夢かと思ってしまいます。
「先輩、残念ながら証拠となる写真があるのです。今だけ特別にお見せしましょう」
スマホの画面を、サインの写真からユウリさんに抱きついた写真に変えました。一瞬の静寂の後、練習場は悲鳴と怒号に包まれたのです。
「あ、あ、握手を通り越して抱きついている、だと!」
「ユウリさんに頬擦りとか、羨ましすぎる!」
「ちょっと、その場所私と代わりなさいよ!」
写真なので無理なのですが、そう言ってしまう気持ちは痛いほどわかります。私が同じ立場でも、同じセリフを叫んだことでしょう。
「はっ、北本さんのご両親の職業は・・・」
「まさか、その縁で!」
クラスメートの部員が、両親の職業を思い出したようです。その縁ではなく、もっととんでもない事なのですが、そこは勘違いしていてもらいましょう。
「お願い、私達にもユウリさんを紹介して!」
「会うのが無理なら、せめてサインだけでも!」
身勝手なお願いを全て断りますが、引き下がらないので切りがありません。
「ならば、部長が私にテニスで勝てたら仲介します。負けたなら潔く諦めてください」
「「「「乗った!」」」」
という流れで練習試合をすることになったのですが、ネットの向こうでラケットを構えているのは男子テニス部の部長でした。
「部長としか言わなかったんだ。文句はないよな?」
「そこまでやりますか。ならば、私も全力全開で殺らせて貰います」
昔、テニスに手を出したお姉ちゃんに「お姉ちゃんならこれ出来る?」と見せたテニスの漫画。冗談で見せたのに、アッサリと再現されたショットに魅せられて私はテニスにのめり込んだ。
「今の私ならば、再現出来る。今の私に出来ない事など在りはしない!」
海から飛び出すクジラのように大きく跳ねるショットや、イルカのように斜め上に跳び跳ねるショット。氷の上を滑るペンギンのように低空を滑るように跳ねるショットや獲物に食らいつくオルカのようなショットを情け容赦なく連発しました。
「ちょっ、ラブゲームって嘘だろ?」
「では、私は用事があるのて帰りますね」
コートで崩れ落ちる男子テニス部長と、試合結果に呆然とする男女テニス部員を尻目に帰宅するべく更衣室へと向かいます。
「今日はどのシーンを再現してもらおうかしら。早く休みにならないかなぁ」
お姉ちゃん、今夜も寝かすつもりはありませんよ!
男女テニス部員も、由紀ちゃんの布教によりユウリファンです。




