第百十六話 開場前の会場
まだ開場まで二時間ほどかかります。私達の後ろにも行列は続き、呆れる程に長かった列はその長さを増しています。
「行列、長くなってるわねぇ。最後尾を見に行ったら一時間位かかるんじゃないの?」
私達の場所からは、最後尾を見る事が出来ません。だから軽い冗談のつもりで言ったのですが・・・
「お姉ちゃん、一時間じゃ無理よ」
「この時間だと、最後尾まで二時間はかかるわね」
予想外のお答えを頂きました。一体、何人の人が並んでいるのでしょう。
「日本には暇人が多いのねぇ」
この炎天下の中、端が見えない行列に並ぶなんて。明日の下見って理由が無ければ、絶対に並ぼうと思いません。
「参加者は日本人だけじゃないわよ?」
「このコミカルマーケットは、世界中から人が集まりますよ。日本のマンガ・アニメは偉大ですから」
欧米では日本のマンガは「マンガ」、他のマンガは「コミック」と呼び方も変えて、売るコーナーも別にする程らしいわね。
「それは否定しないけど、素人が作った本の販売会なんでしょ?」
プロの漫画家が書いたのならともかく、普通の素人が書いたマンガを買いにというのが理解出来ません。お金を出して買うのならば、プロの人が書いたちゃんとした本を買う方が良いのではないでしょうか。
「素人でも、プロ顔負けって人もいるのよ」
「実際、うちだってかなりの収益をあげてますよ?」
エヘンと擬音がしそうな程胸を張って言う二人。確かにキャンピングカーの費用とか、駐車場の費用を賄っているという事実がそれを証明しています。
「今は本屋さんでも同人誌を扱ってたり、手にいれる手段は多いけどね」
「ここに来ないと味わえない醍醐味もあるのですよ」
隣に並んでいた、見知らぬ人達も加わってコミケ談義が始まりました。私はついていけないので、再び地蔵になっています。
暫し地蔵となって白衣観音経を心中で唱えていると、辺りが騒がしくなってきました。
「お、そろそろ開場の時間か」
「注意事項を連絡します。開場の時間が迫りました…」
隣に立つ男性の呟きに答えるように放送が入りました。幾つかの注意事項を言っていますが、ざわめく人達は聞いていないように見えます。
「では、第○○○回コミカルマーケットを開催します!」
その言葉と同時に、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。次の瞬間、異様な地鳴りが聞こえ地震のような振動を感じました。
「毎回恒例ねぇ」
「気持ちは分かるけど、負傷者も出てるのに懲りないわぇ。」
この地鳴りの原因を、二人は知っているようです。毎回こうなっているのでしょうか。
「この地鳴り、何なの?」
「これは、先頭の人達が走る音よ」
「お目当てのサークルの新刊を買うために皆全力で駆けるのよ」
私達が並んでいる場所は、先頭からかなり離れた駐車場です。かなりの人数が走らないとこんな状態にはならないはずなのですが。
「毎年、一番を競うお寺があるけど、あれより迫力あるわよね」
「先頭グループの人には、戦闘のセンスも求められるらしいわよ」
「先頭だけに戦闘って、しょうもない・・・」
ついツッコミを入れてしまいましたが、二人は至極真面目な顔をしています。
「お姉ちゃん。ダジャレじゃなく、それほど厳しい戦いなのよ」
「先頭グループの知り合いは、毎回その戦闘で眼鏡を買い換えるって言ってたわ」
私は頭を抱えて座り込んでしまいました。ただイベント会場に入るだけなのに、何故に戦闘をしなければならないのでしょう。
「そこまで・・・そこまでする物なのね」
私には、間近に由紀や友子というオタクがいます。クラスの皆も殆どが漫画やアニメ、声優好きな人達です。だからそういう人達の事は知ってるつもりでしたが、まだまだ甘いと強烈に思い知らされました。
「さて、開場待ちの体験もしたし、そろそろ入ろっか」
「そうね、次はお姉さんに会場内を案内しないと」
そう言ってさも当たり前のように列から離れる二人。列から離れて、この列を最後尾から並び直しと言われたら私は問答無用で帰ります。
「えっ?並ばないと入れないんじゃないの?」
並ばずに入れるのなら、今ここで並んでる人達は何故並んでいるのでしょう。
「参加してるサークルには、入場パスが渡されるのよ。だから関係者用の入り口から入れるの」
ドヤ顔で説明する由紀。それならば、到着してすぐに会場に入れたという事よね。
「なら、何で始めからそれを使わなかったのよ?こんな長い時間並ぶ必要あったの?」
炎天下の中、長々と並ばされた意味が判りません。問う口調がきつくなるのも当然です。
「これ(行列)はコミケの名物よ。話に聞くのと体験するのでは違うでしょ?」
変わらずドヤ顔の由紀。確かに話で聞いても、この雰囲気は判らないでしょう。思わずうなずいた私に、由紀は満足したみたいです。
「さ、こっちよ。お姉ちゃん、早く!」
由紀は私の腕を引っ張り、関係者用のゲートに向かいます。それを見た周囲の人達がぼやきました。
「何だよ、パス持ってんなら並ぶなよ!」
「持ってない俺らへの当て付けか?」
すぐに入れるにも関わらず並んでいた私達へ非難が集中しました。そんな声を無視してスタスタと歩く二人。私はそれに付いていくしかありません。
並んでいた人達と少し離れた場所にあるゲートに到着しました。沢山の人が走り込んでいる大きなゲートとは違い、こちらのゲートには全然人が居ません。




