ねぇ、私とあなたどちらが不幸?
本作品は、私が人生で初めて書いた物語であり、それ故に、読みづらい点や至らないところがあると思いますが、温かい目で見ていただければ幸いです。
少し、重たい話となってしまっているかもしれないので、苦手な方はご遠慮ください。
また、全てノンフィクションです。
”可哀そうに”世間から向けられている目は、今日も痛いほど冷たい空気のように私に突き刺さる。
あぁ、今日のニュースではお天気キャスターがまだ薄暗い空の中、「冬目前だというのを体感する気温になるでしょう。出勤の際は暖かくしてお出かけください。」などと言いそうだな、と今が仕事終わりの私はほんの少し自己嫌悪に陥りそうになる。白くか細く吐き出た息は、私の容姿を比喩しているではないだろうか、というつまらないことを、アルコールのせいで上手く回らない頭の中、ボーっと考えてみる。
昼間は中高生も多く通るこの一本道も今はすっかり夜の顔をしている。もし、うっかりというような感じで昼間のように足を踏み入れれば、歩くだけで、スーツ姿のチャラそうという言葉が第一印象に当てはまりそうな男性たちに声を掛けられるだろう。もし、そんな若者がいたら助けるだろうか、と自問自答する。いや、早く帰らせてくれ。面倒ごとには巻き込まれたくない。
帰ったら、床に寝転んでも変わらないだろうが気持ちだけでも、と通販で頼んだ布団に倒れこみたい気持ちを我慢して、化粧だけ落として眠りにつく。シャワーなど浴びる気力がない。”普通”の人が何気なくやっている風呂に入る、シャワーを浴びるという行為がどれだけ難易度の高いものなのかは”普通じゃない”側の人間にしかわからないだろう。
ろくに使わなくても、水道代、電気代、家賃…支払わなくてはいけないものが多すぎる。今月も削れるところは削らないとなぁ。ただでさえガンガンしている頭に追い打ちをかけてしまった。脳みその主導権を誰かに握られていて、いつこの脳を握ってもいいんだからなと脅されているような、控えめなのに確かに存在する痛みだ。
大丈夫。今日まで払えてきている私は、社会や家族に迷惑かけるような自分の一番嫌いな大人にはなってないぞ、と気合を入れた。
考え事をしながらも、早足で歩けるのは、もはや特技といってもいい。
ふと、道端で酔ったサラリーマンの嗚咽音に現実に戻された。今、寝ていたとしたら最悪の目覚めだ。そういえば、レム睡眠時に起きると目覚めが良いと聞いたことがあるのに未だに意識したことはないので、いつか実践しようと決めた。
水商売をしていると終電を逃すため、駅から大分歩くけれども一応都内にアパートを借りている。どこから伸びているのか気にしたことはないが、外壁にツタが伸びていて、心霊テレビの恐怖体験談のコーナーにありそうだなと思う。
家のドアを開ければ、不気味なほどに真っ暗な部屋がある。今でこそ慣れたものの、初めのころは、心細くて防犯のためにも電気をつけたまま家を出ようかと考えたこともあるが、お金がかかるので、安全と金銭面を天秤にかけた結果真っ暗な部屋を選んだ。
光輝の声が聞きたいなと思うが、話す気力もなければ、こんな夜中に電話など迷惑だろう、と酔っていてもまだ私の頭は機能するんだなと感心した。彼は、IT系の中小企業に勤めているからなかなか生活時間が合わない。
化粧を落としながら、明日は休みだから私も早く寝て、ご飯でも作りに行こうか、と計画を立てた。鏡の中に移る私の顔は、疲れのせいもあるが普段よりいっそう私の気に入らない顔になっていた。
昼の十一時くらいに目が覚めて、カーテンを開ける。私の部屋のカーテンは、朝遅くに開かれるため、他の部屋のカーテンより役目を果たせていなくて、可哀そう、だと思ったところで、思わず鼻で笑ってしまった。一番嫌いな言葉なのに、無意識のうちにすぐ”可哀そう”という言葉が出てきてしまうものだ。
よく、学生の頃は「背中を伸ばしなさい、シャキッとした気持ちになるでしょ」と言われ、気持ちの問題だろと思ったものだが、気持ちの問題は大切だ。最近は、エナジードリンクにはまっている。
そんなことを思いながら、2倍はおいしく感じられる休日の空気を存分に堪能し、充分な時間をかけて伸びをした後、光輝に、帰宅時間とリクエストメニューを聞く内容のメールをした。
合鍵を使って入った光輝の部屋は、モノトーンの家具が落ち着いた雰囲気を醸し出している。高校三年生のころから付き合い始めた彼とは、三か月後に結婚も決まっていて、一緒にいるのは6年になるのに、いつ来てもきれいに片付いている。彼の部屋に、一人で来るたびに、本当に私でいいのかなと不安になってしまう。
*
私は、家族というものがよくわからない。父は、自営業を営んでいたが、私が物心ついた時には、風向きが悪く、団地に引っ越していたため、私は、自営業ならではの厳しい生活しか経験したことがない。両親が交際していた期間や、結婚して間もないころは、これまた自営業ならではの平均よりも余裕のある生活をしていたらしい。
父は、プライドが高く、トップに立つ自分が誇らしかったのだろう。団地に越してから間もなく会社をたたむことになった後、家で酒ばかり呑むようになった。
社会において、酒が強いに越したことはないと思う。人付き合いにおいて、酒は、なくてはならないコミュニケーションの一つだなと感じる。大人になればなどと言わず、成長し、人から好かれたい、良好な交友関係を築きたいと思ってからは、会話のなかに、謙遜、建前、社交辞令、いろいろな試行錯誤の上で発言をするようになる。
女の場合は、”可愛い”が代表的な例だろう。廊下ですれ違うたびに「可愛い」「え~、そんなことないよ。あなたの方が可愛いよ」などと終わりがないやり取りをしたり、時代とともに、キモかわいい、夢かわいい、というような可愛いの種類まで増えている。
私は、いつからこんなにも捻くれてしまったのか分からないが、とりあえず、可愛いと言っておけばその場はやり過ごせるので有難い。
酒は、頭の回転を鈍くするため、その場しのぎの、言葉が出にくい上に、判断力も鈍っている。接待などで、酒が強ければ、相手を酔わせて、契約を取り付けやすくすることや、親密な関係になることもできるのだと、お得意様をおもてなしする舞台に選ばれることもある私たちのような世界で働いていると気付かされる。
父親の酒の強さは、現役のころは役に立っただろう。しかし、家で酒を呑むようになってからは、ただでさえ収入がないのに酒の金は消えていく。それに腹を立てる母親と、酔った父親は、怒鳴り合いの喧嘩を毎日繰り返していた記憶がある。
母は、働くように父を責めた。父はプライドの高さに加え、昔からある亭主関白的な考え方をする人間だったので母から怒鳴られることに逆切れする。だんだん話はそれていき、私のことになる。「今は、あの子もいるのよ」「あの子の面倒は誰かが見なければいけんないだから、どちらかは働けない」「あの子の将来は…」というような居心地の悪さを感じるないようになる。
幼いながらも、私はその場から逃げだしたい衝動に駆られ、団地の階段の陰に座り込み、時間がたつのを待っていた。
毎日繰り返される喧嘩の中、そこを尽きてきたお金をのために、母は夜の仕事を始めるようになった。この時のお店のママが、今の私を雇ってくれたのだ。昼間は子育て、日に日にやつれていく母と、酒におぼれていく父。このころから、父は外に出ては、他人様に迷惑をかけ、母が頭を下げて家に連れて帰り、また喧嘩をすることが多くなった。
そんな暮らしを繰り返し、小学校に入学したが、当然のように友達ができない。両親に構ってもらえないまま過ごした私は、ようやく遊び相手ができると楽しみにしていたのだが、私と関わってはいけないと周りの子が言われていたらしく、無視され、からかわれるようになった。
正直、周りの子たちはバカバカしいと思った。母もだ。子供ではない限り、誰かに自分の人生を委ねて良いことがあるのかと。親が、子どもの人生に関わるのは必然だ。構ってもらえなくても、母がいなければ私は、食べるものも、住む場所も、着るものもなくなってしまうのだ。この時に、感じた恐怖は、金縛りのようで、自分でわかっていても体が動かせず、自分の運命は相手に決める権利があるのだ、と悟ったものだ。だから母には捨てられてはいけない、と子供ながらに思った。しかし、母以外の人を私の人生に組み込む必要性は今のところないと思った。だから、周りの子供と友達になれないことは好都合なのではないか、と。母も、父を人生に組み込むことさえなければ私も生まれないし、上手くいったかもしれないのに、と考えていた。
私の一匹狼の人生は、父の死によって変わった。父が自殺をしたのだ。アルコールに酔った勢いで、ベランダから落ちたそうだ。大量のアルコールの空き瓶があったことなどから、事故死と判断されたが、自殺だろう。男は働き、女は家を守る。父の男としてのプライドや、父としてのプライドは、働くことにあったはずだ。そのプライドを傷つけられ生き方を忘れたのだろう。
母は、疲れ切った表情で、涙を流していた。私は、実感が湧かなかった。家に帰ってリビングで呑んでる父と話をするどころか、顔を合わせることもほとんどなかった。それは生活時間帯の合わない母とも同じで、亡くなった父にどのような感情を抱けばいいのかも、涙を流す母にどのような言葉をかければいいのかも分からなかった。
次の日からも、私の生活リズムに変化はなく、母も普段通りに働きに出た。
ただ一つ変わったのは、私に目が向けられるようになったことだ。無視されていたのかが、嘘のように、みんなの目が私を追うようになった。からかってきていた友達がいつも通りからかおうとすると「可哀そうだからやめなよ」という声が聞こえてくる。この時に、”可哀そう”という言葉は、私がからかわれることに対してではなく、私の身に起こってきた出来事、今現在起こっている出来事が”可哀そう”なのだと察した。
それから、ことあるごとに私は、”社会の負け組だから関わらない方がいい対象”から、”可哀そうな子だから壊れ物のように扱わなくてはいけないので、関わりたくない対象”へと変わった。
この現象は中学校を卒業するまで続き、結局必要以上に人と関わらない人生を歩んだ。私自身の変化といえば、母に好かれたいとまではいかなくとも、嫌われてはならないという思いが潜在意識の恐怖心へとなって、半ば安心感を得るための強迫行為として家事をこなせるようになった。
しかし、中学の卒業を控えた秋から冬に差し掛かるあたりで、母が急死した。アルコール性肝炎の自覚がないまま、肝硬変になり、食道静脈瘤が破裂したことによる突然死だと説明を受けた。営業終了後の出来事で救急車をママが呼んでくれたみたいだが間に合わなかった。病院で初めてママと出会った。歳は、母より全然年上で50歳くらいだと思う。やせ細った母とは違い、少しふっくらしていて、どこか、安心する空気感を持ち合わせた人なのだなと、こんな状況にも関わらず、眠さのピークを越えると目が覚めてくるように思考のための神経が研ぎ澄まされている気がした。
涙を流すママとは対照的に私は冷静だった。
「元々、お酒が強くなくて、吐き気や、腹痛、発熱もお酒の飲みすぎだと思って、そこまで注意してあげられなかったの。私が、もっと体調を気にかけてあげれば良かったのよ。大切な家族を奪ってしまってごめんなさい。」
「正直、何が起こったのか整理ができていないんです。最後に、母と話したのもいつだか覚えていませんし、内容なんかもっと覚えていません。生活時間帯が合わなくて、父が死んでからはいつも一人で暮らしているような生活でしたから。」
「この後、少し時間あるかしら?渡したいものがあるの。今日は整理もできていないと思うし、スナックの上に私の部屋があって、帰れないときはよくかおりんも使ってたからそこの部屋を貸すわ。」
「ありがとうございます。」
ママについていきながら、そういえば母のお店の場所も、かおりという名前で働いてたのも何も知らなかったな、と思った。この15年間私たち家族の人生は何だったのか、考えを巡らせているうちに、お店の付近に着き、あの店の前に立っているスーツのお兄さんは、「ちょっと、一杯どうですか」とずっと繰り返しているけれど、言葉のゲシュタルト崩壊は起きないのかなと心配してしまうほどに、今までの人生を考えてもどうしようもないことなのだと分かった。だが、考えずにはいられなかった。
店に入ると、カウンターとテーブル席が何席か、照明は少し暗めの店内のカウンター席に案内された。出してくれたウーロン茶を流し込むと、今起きていることが現実であることを示すかのように冷たい感覚がのどを通った。
両親は、優等生であったため、会社をたたんだことも、夫婦仲が上手くいっていないことも、自分たちの親、私からすると祖父、祖母には相談できなかったようだ。父が死んだときに今までのことを知り、両親のそれぞれの親からの信頼をなくした母は、父が亡くなってから身内に頼れる人がいなかったのは察していた。
そんな母にとって、雇ってくれたママはとても心強かったに違いない。母は強しというけれど、親だって、所詮人間で、起こっていくことすべてが初めてで不安だろう。母の気持ちを、考えると、痛くはないけれど見たら気にせずにはいられない指に刺さった棘のようなものが、心に刺さっている気がした。
ママは、ほとんどというか、私以上に家の事情をよく知っていた。
「ちょっと、待ってて。」
そう言ったママは、店の売り上げが入っていると思われる金庫の中から、通帳を取り出した。
「これは、かおりんがあなたのために貯めたものよ。高校に行くためのお金の他に、あなたに何も母親らしいことをしてあげられなかった分、将来困らないようにお金を貯めていたのよ。万が一でも、あなたを一人にしている家に泥棒が入らないように、通帳は店に預けていたの。まさかこんなことになるとは、本人が一番思っていなかったことだと思うわ。酔うと、愛花には家族というものを教えてあげられなかったから、将来家族を作ることに抵抗を覚えないかしら。成人したらお酒でも一緒に呑んで、許してくれなくてもいいから謝って、孫の顔は一瞬でもいいから見せてほしいかな、っていつも言ってたわ。かおりんもいっぱいいっぱいで小さいころから、一緒にいられなくて話したりもできなかった分、大きくなってからは今更どんな風に接すればいいのか戸惑ってたのよ。でも、かおりんは愛花ちゃんのためにいつだって頑張っていたわ。どうか、責めないであげてほしい。これからのことは、また明日話しましょ。」
見せてもらった通帳には、月ごとに、最初は少しの額なのに、だんだん増えていき、私が受験生になってからとここ最近は特に貯金額が多くなっていた。お母さん、無理しすぎだよ。身体壊したら、命がなくなったら、私の高校生の制服姿も見れないじゃん。馬鹿じゃないの。
「もう寝ようか。ついてきて。 今日はここで寝てね。隣の部屋にいるから寝れなかったらいつでもいらっしゃい。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
私は、震えた声で返事するのが精一杯だった。
その夜、隣の部屋にママがいるのにも関わらず、今までで一番大きな声を上げて、生まれたばかりの赤ちゃんのように泣き叫んだ。
ママが、そっと抱きしめてくれていた。
ねぇ、お母さん。私は、あなたの何を見てきたんだろう。お母さんも、私の何を見ていたの。私は、一人で平気なふりして、他の子から何言われても、私は愛されてないからって言い聞かせてた。違うね。きっと、愛されてると知るのが怖くて、逃げ続けてたんだ。デザートの美味しさは、知らなきゃなくても大丈夫だけれど、知ってしまったら食後に食べたくなってしまう。もっと、って欲が出てしまう。だから、知らなければ傷つくこともないと、お互いに遠回りしちゃったね。もう手遅れになっちゃったよ。私は、例え、会話の内容がなくても、沈黙が多くても、喧嘩しちゃっても、お母さんともっと話してみたかったよ。お父さんとも喧嘩でもいいからしてみたかったよ。私たち家族は、他の家庭よりみんな少しだけ不器用で弱虫なだけなんだね。お父さんもお母さんもお疲れ様。ゆっくり休んでね。私は、心配しないでね。幸せになるよ。逃げないで、色んなことと向き合って、もう少し、器用に強くなるからね。
あれから、数日間ママの家に泊めてもらって、家事などをやっていたら、そのまま住まわせてもらえることになった。
学校での、私に対する印象は、さらなる変化を遂げた。父親のせいで母親は働き詰めになり、私は一人で家で生活し、父親が自殺して解放されたかと思ったら、身内から縁を切られ、受験期に母親まで今までのツケが回って急死してしまった、完全に”可哀そうな子”であり、気を遣うべき対象であった。今まで以上に同乗の視線が向けられ、先生も「何かあったら、言ってね。力になるから。」と頻繁に声をかけてきた。
そういう環境の変化に伴っても、私は友達を作ろうという気分にはならなかった。見えない子、だったのが、腫れ物にさわるような扱いをするべき子、になっただけだ。大概の場合、声をかけてくるのは、「大丈夫?」だった。大丈夫じゃないと言ったら助けてくれるのだろうか。先生といい、無視されてた時は、私が訴えるつもりなどなく、親に話すような子でもないと知った途端、私へのみんなの態度に気づいていないふりをした。今更、何かあったときに頼る選択肢になど入るわけがない。母親も社会や世間からの孤独の中で耐えていたに違いない。ママが信じられる対象になってくれたのは、唯一の救いだったと思う。
それにしても、先生も友達もここまで急に態度を変えることに何の抵抗もないのだなと思った。私は、自分は周りに心配してもらえているんだ、と前向きに捉えられるほど大人じゃない。ここまで生きてきて、少なくともここにいる人たちとの関りがなくても問題ないということが分かっていた。差し伸べられた手を掴めずに振り払ってしまうことしか出来なかった。私が一番辛いときに、あなたたちは追い打ちをかけた癖に。そう叫びたかった。
ママしか信じられる人がいないなんて、母も私も血が繋がっているのだな、とこんな時に実感して、少し泣いた。
受験も終わり、私は偏差値が低い、公立高校に入学した。勉強は出来ない訳じゃなかった。むしろ、上から数えた方が早かった。でも、あえてこの高校にしたのは、同じ小学校、中学校の出身者がいないからだ。私だって、友達が欲しかった。あのような連中なら、いらないと思っただけだ。誰かを人生に組み込むことの怖さも、一人で生きていくことの怖さも、私は同年代の子たちに比べたら知っているだろう。
この高校ははっきり言って荒れていたが、いじめなどはなかった。派手な見た目の集団は、人をいじめるよりもクラブやカラオケで合コンを開くという遊びの方が興味があるらしい。別にどうでもいいなと思った。あの人たちのせいで、高校の評判が悪くて、通っている私も同じ目線で見られようと、警察が事情を聞きに学校にやって来て、授業が中断されることも。おそらく先生たちもどうでもいいと思っていたと思う。自分の仕事に影響しなければ、目の前の彼らが捕まったとしても何とも思わないだろう。大人になれば、どうでもいいことにも頭を下げなければいけないのか。いや、どうでもいいから、頭を下げられるんだろうな。
当然、派手な見た目の人は同じような人とグループを作るため、地味な見た目は地味な見た目で固まる。その中で、私も3人グループに入っていた。美希ちゃんと明日香ちゃんと私。私は、顔も髪型もいじらない。私に至っては、メークなどしたことがないし、ポニーテールというよりは一本にまとめただけという言葉が似あうような髪型をして過ごしていた。
父がまだ生きているころ、よれた洋服を着た私は、ブスだとからかわれていたから、自分の容姿には24歳になった今も自信を持てない。後に、私の顔は、地味ではあるものの、清楚で落ち着いているという印象を与えるだけで、5段階評価をするとしたら、Bよりもすこし良いけれどAにはならないのだと知る。当時のブスという言葉は、私の身なりのことに向けて言われたらしいが、私の自己肯定感を低くするには十分のダメージだった。神様とは皮肉なものだなと思う。顔が良いと言われる部類には入れていただけたものの、顔でお金を得るには足りない顔だった。Aにしてくれたら、職業にできたかもしれないが、Bからほんの一歩踏み出したような顔は、顔で売る世界の中では埋もれる。
高校でも、可愛くなることよりも目立たないでいたいことの方が大きく、清潔感はあるものの、暗い印象の見た目をしていた。常に俯き加減で過ごしていた。
私の高校生活は、特に目立ったこともなく、行事もただ義務的にこなしていたという感じだがそれなりに楽しかった。親が見に来る、小学校、中学校時代は、他の親からの視線も痛いため保健室で過ごした。高校でも自分たちのグループが競技をしているとき、派手な子たちは写真撮影に夢中だ。私も、高校から携帯を持ち始めたものの使いこなせないので、SNSは何もやっていない。
学校以外では、美希ちゃんと明日香ちゃんは大学は良いところに行きたい、と塾に通っていたし、私は放課後寄り道することなく家に帰る日々。いくら地味でも、高校生なので、お店の2階に住まわせてもらっている以上、夜は危ない。帰宅したら、発注の品を確かめる。ママがアルバイトとして雇ってくれた。高校を卒業するまでは危ないことは避けるため、お客さんと顔を合わせることは無く、発注や料理の提供をしていた。
このまま何事もなく卒業できそうだと思っていた、夜風が少し肌寒く感じ始めたころ、美希ちゃんが学校を休んだ。普段、欠席するような子じゃなかったため心配していたが、成績のことで親と喧嘩をして家出をしたという噂を聞いた。結局、一週間学校には来なかったが、私と明日香ちゃんは、美希ちゃんの分もノートをとって待っていた。月曜日、学校に行くと、美希ちゃんは来ていたのだが、一度も染めたことのない黒い髪は、笑った時に見えた歯の変色で一目でヘビースモーカーだと分かるような、不自然な色をしていた。既に、派手な子たちと話をしていて、ノートなど渡せる雰囲気はなかった。美希ちゃんにとって私たちのような地味な二人と過ごしていた過去はまるでなかったかのように、話しかけられることも、視線を向けられることもなかった。
数日後、自分の席に着いた途端、美希ちゃんたちから急に話しかけられた。
「大丈夫?」と。嫌な記憶がよみがえってきた。
「私たち、昨日の放課後遊びに行ったら店に愛花ちゃんが入るところ見ちゃったんだよねぇ。それだけなら、私たちも遊んでることばれたくないし、黙っとくんだけど、愛花ちゃんと同じ小学校と中学校の子から聞いちゃった。」
そう話し始めたのは、学校で一番の人気者の美麗ちゃんだ。名前負けしない、整った顔に加えて、運動もできる。勉強はできないが、彼女は「教えて」と意欲を見せるので、向上心があって愛らしいバカというようにプラスに取られるタイプだ。
私は、取り乱す気力も、取り繕う気力もなかった。自分が修羅場に強い人間なのだなと自覚したのが可笑しくなって鼻で笑ってしまった。
別に隠していたわけじゃない、私は後ろめたいことは一つも無いし、中学校の子なら私が働いているのではなく、ママのところに住んでいることも知っている。じゃあ、なぜ言わなかったのだろう。
どうでもよかったんだな。人間は自分が不利になるような状況の人とは付き合いたくないのだということはわかっていたし、言ったところで向けられる視線は居心地の悪いものだ。何しろ、注目を浴びたくない。話して周りから気を遣われるのが嫌だし、それを話すに値しない関係と割り切っていたのかもしれない。
冷たい人間だな。他人への興味の持ち方がわからない。何もしなければ、他人から興味を持たれることもないし、わざわざ自分から人のことを知りたいなど思わない。相手のことを勝手に高評価して、もっと知りたいと思った時に、調べて現実と違って失望するのは自分なのだ。相手もいい迷惑だと思う。勝手に期待をされて、違ったら失望される。だとしたら、相手が話すまでは何の詮索もせず、無駄に期待を抱かない。これが、私の見つけ出した、上手く生きていくコツだ。そうしているうちに、相手の過去など、どうでもよくなったし、気にもしなくなった。
「私たちにできることあったら何でも言ってね」
「大変だったでしょ?可哀そう」
美麗ちゃんの話すことなのであっという間に高校中に広まり、”可哀そうな子”の完成だ。無視されたり、からかわれることは無かったものの、放課後、家までついていこうかとか気を遣われていることが分かって、居心地の良いものではなかった。適当にかわしながら、明日香ちゃんと普段通り地味な生活を送っていたが、家族の話題をあからさまに避けるようになり、愚痴も言われなくなった。
私より大変な人の前で弱音をはいちゃいけない、的な心理が働いているのだろうが、人間は環境によって我慢できる限界値が決まっていると思う。例えば、両親から一度も叱られたことのない子供が、出来なかったことを先生に叱られたら、泣いてしまうだろう。逆に、両親の怒鳴り声を聞いたり、自分に向けられてきた子供は、先生に叱られたくらいでは動揺しないと思う。適応能力が備わっている以上そういうものだ。だから、他人の弱音を聞いて、私よりはなどと比べることはしなくなった。痛みを比べるだけ無駄だ。その人の環境の中では、一番辛い出来事かもしれないのだ。
それなのに、気を遣われ”可哀そう”さと言われ続ける日々。気を遣わないで良いということを伝えたかったが、どうでもよくなったので、そのまま過ごすことにした。
こんな時に、彼氏の光輝と出会った。光輝は、今でこそ、筋肉質で、病気をすることもない強い男なのだが、小さいころは体が弱く、勉強が遅れていたため、両親が負担にならないように、この学校に入れたらしかった。
放課後教室で日直のために、残っていたら、委員会があったらしい彼に話しかけられた。地味だから気づかなかったが、顔は優しそうな雰囲気で整っていた。
「まだ残ってたの?手伝おっか?」
「あ、もう終わるし大丈夫だよ。」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ。ここで待っててもいい?」
よく、家までついていくと言われることはあるが気を遣われている感満載だし断るけど、「送る」でもなく、「一緒に」という言葉が選べる彼は本当に優しい。結局、一緒に帰ることになり、気づけば習慣になっていた。学校でも話すことが増え、周りも私と彼についてはあえてそっとしておいてくれた。
彼と話している間は、気を遣われているということを感じたことは無かった。彼が気を遣っていたかどうかは別として、私には有難かった。その時に、昔、体が弱かったこと、一人っ子で家族が自分に尽くしてくれることなどを聞いた。あまりにも普通の友達に向けて話すように嬉しそうに話してくれるので、家族の仲がいいことや、両親に大切に愛されながら育てられてきたことがすんなりと入ってきた。
光輝は、高校生になってからは勉強の遅れを取り戻そうと、コツコツとやっていたので、うちの高校からは、なかなか行かないような大学を希望していて、実際は入れそうみたいだ。私も、光輝には、ママに助けられたこと、今はアルバイトをしているが、高校を卒業後は、ママの手伝いを本格的にしようとしていることを話していた。
冬休みに入る前の日に、「明日学校が終わったら、家でご飯を食べないか」と聞かれた。迷った末に、行くことにしたが、ママ以外の大人の人から向けられる視線が怖い。
終業式の帰り道、緊張でいつもより口数が少なくなっている私のことを心配して、光輝がずっと面白い話をしてくれていたらしいが、正直覚えていない。
光輝の家は、13階建てのマンションの、7階だった。エレベーターの中で、光輝が頭を下げて、謝ってきた。
「実は、愛花は、僕にとって初めて親しくなれた友達なんだ。小さいころから、ぼくは外では遊べないし、体調が変化するから急に約束をすっぽかしちゃうこともあって、あまり、親しくなれる子がいなかったんだ。だから、うれしくて、愛花のことを、親に話した。僕が知っていることは全部話してしまった。知られたくないことも中にはあったと思う。それでも、家の親は、愛花のことを僕と同じくらい大切に思っているんだ。僕が初めて、友達のことを話して、家に連れてきたいといった子だから。」
私は、基本的に事情を知っている人間と関わるのが苦手だ。可哀そう、気を遣わなきゃ、そんな心が伝わってくるから。でも、私は、一人の怖さを知っている。今、手に入れたこの幸せな日常を何もせずに手放したくはない。少しづつ、私が自分から他人に事情を詳しく話そうと思えたのは、私にとっても光輝が初めてだ。私たち家族は、不器用で弱虫で大事なものを守り切れなかった。同じ失敗はしちゃいけない。
「こんな私で良ければ、光輝のご両親に会わせてください」
二人で、頭を下げた後、同時に顔を上げて思わず笑ってしまったら、エレベーターのドアが開いた。
光輝のご両親は私のことをものすごく暖かく迎えてくださった。私がママのお店を手伝っていることも、卒業後には本格的にそこで働こうと思っていることも、私の今までの人生を何一つ責めずに「よく一人で頑張ってきたね。」と言ってくださった。「これからはいつでも頼ってきていいからね。何も気を遣うことないのよ。」と。
作ってくれた食事はびっくりするくらい美味しくて、誰かの手料理なんて何年ぶりに食べたのだろうと、感動して潤んでしまった。同じ食事でも誰かと食卓を囲むだけでこんなに温かい気持ちになるのだ。私も、もう一度、家族をやり直したい衝動に駆られた。
その日の夜、いつも一人で眠っていた私を察して、光輝の部屋で寝ることになった。二人とも高校3年生なので、光輝のお母さんが布団を敷いてくれたが、今思うと、高校3年生の男女を同じ部屋に寝かせることに抵抗を覚える判断力が鈍るほどに、光輝が友達を連れてきたことがうれしかったのだろう。愛されてるんだなと微笑ましくなった。
誰かの部屋で寝ることも、誰かが隣で寝ることも初めてで、目が冴えている。光輝も同じなのか、名前を呼ぶと返事をしてくれたので、私は昔話をすることにした。噂で出回っていた部分については、自分のくちから話したことは無かったので、生まれて初めて人に話した。
だが、こういう時の感情は厄介なもので、後から少し後悔してしまう。他人に理解されにくいような事情だったり、自分が隠してきた秘密だったりを、いつもと違う環境やテンションに後押しされたことで話してしまうと終わって冷静になった時に、憂鬱になってしまう。言い過ぎたかな、内心引いてるかもしれない、と勘繰らずにはいられなくなる。
光輝は相槌を打ちながら、静かに話を聞いていてくれた。
憂鬱な気持ちを抱えて黙ってしまったら、背中に温かみを感じた。色んな感情が私の中を駆け巡り、私の中の神経が感情の容量の多さに少しの間ギブアップしたため、抱きしめられていることに気が付いたのは、数秒後だ。
光輝の顔を見てみたいと思って、振り返ったとき唇に柔らかい感触がした。部屋は真っ暗で何も見えなかったが、キスされたのだと分かった。それから、私たちはお互い初めてのキスに夢中になった。何回も何回も抱きしめ合いながら、そっと触れて確かめ合いながら、キスをした。溶け合いそうになりながら、同時に私の心を覆っていた暗い闇も溶けていく気がした。
「彼女にしたい。」
という言葉に静かに頷いた後、私は差し出された手を握って眠った。
光輝に出会うまでの私は、差し伸べられた手を、掴みたくても怖くて振り払ってしまっていた。幸せを感じるのはすごく難しいのに、絶望も失望も簡単に見つけることができる。心を保つのは大変なのに、傷ついて見失うのはあっという間だ。心を覆う闇は途方もなく、どうすればいいのか分からなくなって、ただ涙が零れ落ちる。自分はこんなにも弱くて脆かったのかと気が付いた時には、心が私についてこなくなる。
でも、この世の人間はみんな不器用なだけだ。目の前で苦しんでいるあの子を、どうしたら助けられるのか。正解はだれも知らない。みんな、手の差し伸べ方も分からないし、差し伸べられた手の受け止め方も分からないのだと思う。だから、すれ違ってしまうのだろう。
その中で、最後まで諦めずに私に寄り添って、前を向けるようにいつでも背中を支えてくれていたその手に気が付いたのなら、しっかりと掴みたいと思った。どうでもいいと、他人に関心のないふりをしていただけで、本当は逃げていただけだ。これ以上、傷つくことから。その結果、色んな人を傷つけてしまった。色んな人を許しながら生きていきたいと思った。誰しもが罪を抱えていて、生きているだけで誰かから何かを奪っていく。自分だけが、人より傷ついているなんてありえない。他人と痛みは比べられないと分かっていたはずなのに、無意識のうちに比較しているのだと思う。不器用な人間が、どうしようもなく憎くて愛しいと思った。
*
ふと、背中に温かみを感じた。一人しかいない。
「おかえりなさい。」
「ただいま。また変なこと考えてたでしょ。何度も言うけど、愛花がいいからプロポーズしたんだよ。」
「今日のご飯美味しそう。着替えてくるね。」
私は、一生この人に叶わないんだろうなぁ。自分で好きじゃないこの顔を、「可愛い」と言ってくれて、私が雑に扱ってきた分まで私自身のことを愛してくれる。不安な時は、欲しい言葉をくれて、手を引っ張って歩みを合わせてくれる。もう、背中に感じる温かみと、幸せはなくしちゃいけないと強く思って、彼が着替えている寝室に抱きしめに行った。
18年間、”可哀そうな子”と言われ続けた私は、今、幸せの意味がわかった。
「あ、そうだ。愛花。今度の同窓会で、クラスのみんなに結婚の報告しないとね。」
*
メークのし過ぎで、鏡に映った顔は整ってはいても、やつれて疲れが滲み出ていた。
私は、幼いころから、何にも不自由したことがなかった。父は医者、母は看護師という家庭に生まれた。上に、姉と兄がいて、三人兄弟の末っ子として生まれた私は、赤ちゃんの頃から、顔が整っていたのは誰が見ても分かるほどだった。家は、長男に継がせ、長女を看護師にする予定だった両親は、私を見て、この子は自由にのびのび育てようと決めたみたいだ。名前は、美麗。美しく、麗しい、なんて女の子につけるとその後が心配になるが、名前負けなど言われたこともない。
出かけ先では赤ちゃんモデルのスカウトまでされる。両親も親戚も、ご近所さんも、初対面の大人も「美麗ちゃん、名前の通り本当に綺麗なお嬢さんねぇ」と口をそろえたらしい。
幼稚園受験をした、兄と姉とは違って、のびのび育てられた私は、近所の幼稚園に入学、小学校も中学校も地元のところに通った。かなり歳が離れているとはいえ、家で勉強ばかりして構ってくれない兄と姉の代わりに、両親が遊んでくれた。もちろん私には、宿題以外の勉強の催促はしないし、塾の代わりにピアノやバレエを習わせてくれた。
小学校高学年、中学校と、スクールカーストが出来始めるころには、だれが言わずとも一番だった。医者の子供ということもあるが、同年代の子の中では群を抜いて大人びていて、先生も私を特別扱いした。だが、それに対しても、不満が生まれなかった。なぜなら、私は、運動もできる方だったし、勉強も意欲だけはあった。社交的な性格だと思うし、男女関係なく、私と友達になりたいと言ってくれた。
中学になると、恋愛に敏感になる。私は、毎日のように「好きな人はいないのか」「気になる人はいないのか」と聞かれた。私は、恋愛感情というものがよく分からなかったし、いなかったのだけれど、いないというと周りに置いて行かれそうな気がして、適当にはぐらかした。
バレエでは、ソロを任されたり、ピアノでは、小さいけれどコンテストで賞をもらった。
「美麗ちゃんは、きれいだから、ソロを踊ると様になるねぇ。みんなで踊っていても、目立っていたよ」
「美麗ちゃんは、ピアノもきれいに弾けるのね」
学校の面談では
「美麗ちゃんは、男女ともに人気があり、みんなの中心で、運動も得意です。誰にでも平等に接することができるし、大人びていて落ち着いています。勉強も分からないところは、友達に教えてもらったりしているので、テストの点は、平均には及びませんが、大丈夫でしょう。」
と笑顔で言われた。
両親からは、
「美麗は、好きなことをしていいのよ。あなたは、本当に綺麗だし、家のことは、お兄ちゃんとお姉ちゃんに任せなさい」
と言われた。
私は、上の兄弟二人が、常に一番を求められていたことを知っている。平均点以下なんて、あの二人が取ったら、呆れられると思う。私は、褒められたことしかない。勉強以外は、一番ではないけれど人より出来る方だ。
私だって、物心ついたときから、自分の顔が人の目を引く顔だというように気が付いた。私が笑って見せれば、場は穏やかになったし、お洒落をするのも楽しい。服屋の店員さんは、例え私が手に持っている服より安くても、「こっちの方が、お似合いです」と本気でコーディネートしてくれた。
高校は、偏差値が低くて、評判は良くない、公立高校に入学した。ここに受験をすると決めたことを、面談の日に、両親と先生に報告したら、あまり良い顔はされなかった。同じくらいの偏差値の市立を進められたが、「私の好きなお友達がたくさん行くの。みんなとは高校生になっても仲良くしたいなぁ。」と半泣きで言ったら、すぐ折れてくれた。
高校は、派手な子と地味な子の差が激しい極端な高校だなと思った。私は、入学してからも、やはり顔が人目を惹くようで、またもや何もしていないのにスクールカーストの一番になった。メークもするようになったが、周りの子たちのように、つけまつげをつけたり、派手な色の口紅をしたり、濃くしなくても、「綺麗」と言ってもらえた。
私が使う化粧品はどこのか、私服のブランドはどこか聞かれた。スカートを短くしてみたら、真似され、髪型を変えたら褒められた。
このころから、放課後にクラブに行ったり、合コンをセッティングされるようになった。両親には、「友達の家にいて、送ってもらう」とか「友達の家に泊まるね」と嘘をつき遊んでいた。学校にばれたり、警察に聞かれたりしたが、大抵、自分から来たわけじゃなくて連れてこられた、と言うと、相手が事情を聞かれていた。
周りで、付き合い始める子も多かったが、私はあんまり興味がないと言って誤魔化した。小学校、中学校からの友達に、まだ彼氏ができたことないということをバラされてからは、男子からの株も女子からの株も上がった。
私の高校生活は本当に楽しかった。恋こそないものの、青春を謳歌した。3年生になった時に、進路を考えたが、とりあえず勉強は苦手だったので、大学進学はやめた。それでも、家では、「綺麗になった」「と言われ続けた。兄は無事に、医師になり、姉は看護師をやっている。
夜風が少し肌寒く感じ始めたころ、私たちのグループに、家出がきっかけで、地味からイメチェンした美希ちゃんという子が加わった。私は、男女ともに話しかけられるものの、スクールカーストでいう下の方の子たちからは声をかけられたことがない。騒がしいのや目立つのが苦手なのかなと思い、私からも声をかけないが、あるきっかけで話してみると、「本当は羨ましかった」と言われたことが何度もある。
せっかく美希ちゃんがいるので、他校の友達とも誘い、いつもとは違うクラブに行こうとしていた。そのとき、美希ちゃんが
「愛花ちゃんじゃない?」
と言ってきた。美希ちゃんがこのグループに来る前に、仲良くしていた3人の中の一人だ。はっきり言って、美希ちゃんと話さなければ見ても思い出せなかっただろう。その、愛花ちゃんは、店に入っていった。
美希ちゃんによると、愛花ちゃんは、何を考えているのかよく分からないところはあったけれど、そんなようなバイトをする子ではないらしい。私の話題になった時も、「美麗ちゃんと話してみたいよね。」という話題に一人だけ「別に、そんな風に考えたこともなかった」と言ったらしい。
私も、あんな地味な子がバイトをしているのかと少しだけ気になったが、特に深く追及することもないし、そこまで興味がなかったので、別の話題に移ろうとしたが、一緒にいた他校の友達が、愛花ちゃんの過去を話してくれた。
私は、自分とは真逆のような人生を送ってきた愛花ちゃんがどんな子なのか、気になって、翌日、本人に過去の話をもちだした。愛花ちゃんは、動揺することも、隠すこともしなかったので、余計謎が深まったが本人にこれ以上何を言っても探れないと思ったため、みんなに伝えた。私には考えられないくらい壮絶な過去を持つ”可哀そうな子”だったから、愛花ちゃんの周りにいるときは、つい気を遣ってあの場所付近の話をするのを止めた。
愛花ちゃんは、その日から少ししてから、地味な男の子と一緒にいるようになった。人を寄せ付けない愛花ちゃんが一緒に帰ったりしているところを見ると、その場の誰もが聞きたくなったが、せっかくの愛花ちゃんの「今」を壊すのは暗黙の了解でためらわれた。
それから、卒業までの間も、愛花ちゃんと光輝くんの仲は親しくなっていったことは、ずっと見ていれば分かった。そう、私は学校生活、ふとした時に愛花ちゃんを目で追うようになったのだ。地味だった愛花ちゃんが実は可愛かったことことも学年の誰よりも早く気付いた。光輝くんも地味さが薄れ、実はイケメンだったことも、愛花ちゃんの隣に光輝くんがいたからすぐに分かった。
話しかけたかったけれど、自分から話しかけたことは無いので、勇気が出なかったし、話しかけ方も分からなかった。
高校を卒業してからは、趣味だったアクセサリー作りを本格的にするようになり、自分をモデルにした写真を載せ、ネット販売をするようになった。もともとSNSのフォロワーも多くて、声をかけられたりもする、有名人のような感じだったので、雑誌でも取り上げていただき、正社員の月給は超える稼ぎを得るようになった。
卒業後、初めての夏の時に、今の夫と出会った。女性側はモデル、男性側は社長の息子、の合コンに一人欠席者がいるから来てほしいと、モデルの友達に言われた。正直、モデルの子よりネット上では私の方が有名だし、もうそろそろ初恋もしてみたいと思っていたので、行くことにした。大概、合コンというものは、質問攻めされるので苦手だ。彼氏が出来たことが無いということを言って、この顔でこの歳でも…と、何かやばい秘密があるに違いないと思わせる作戦を友達に立ててもらって実行しているが、全く持って効果がない。
夫の晶さんは、私より5歳年上で、既に次ぐ予定の会社で働いていた。参加男性全員に共通して言えることだが、全身ブランドで固め、腕には私のお父さんがしているような時計をしていた。親のお金か自分のお金かは分からないが、どちらだとしても興味がないなと思った。
しかし、私が自己紹介して後の、質問攻めに夫は参加しなかったし、その間も、興味がなさそうにメニューを見て店員さんを呼んでは注文していた。席替えの時も騒がなかったし、私と隣になった後も何の反応もなかった。気を遣って話題を無理に作ることもなければ、私に関する質問もない。他の子も含め、女性を褒めることもない。挙句の果てに、「美麗ちゃんの隣交換しろよー」という要求に応じて席を立とうとしたので、思わず袖を引っ張って、「嫌だ」と言ってしまった。
私は、自分でも自分が何をしたかが分からなかった。何で隣から離れていってしまうと思ったことが、嫌なの。もしかして、この人のことを好きなの?そんな訳ない。だって、この人は、冷たいし、気も利かないし、面白くないし、私に全く興味が無いじゃない。他の人みたいに、私のことを褒めることもなければ、私のことをろくに見もしないのよ。
あぁ。だからだ。
この瞬間に、私がよく感じていた、喪失感の意味が分かった。時々、無性に、感じることがあった。全部の窓を閉めたはずなのに、どこからか冷たい風が吹き込んでいるような感覚。そんなことはない、気のせいだ、と言われれば確かにと納得できる程度の小さな違和感。
とりあえず、晶さんが私の隣に再び腰を下ろしてくれたのを確認してから、赤く染まった頬を隠すのにもちょうどいいと思い、俯きながら状況を整理した。
私の心には、確実に穴が開いていたんだな。
私って、何かを要求されたことあったっけ。兄や姉のように、いい成績を取れと言われたことも、こういう大人になりなさいと言われたこともなかった。他の子が怒られるような成績でも、教師からも笑顔で大丈夫と言われ、両親からは「意欲があるのは良いことだよ」と褒められた。夜遅くに補導されても、「友達の相談で呼び出された。相手は知っている人だし、今帰るところで、親が来てくれている」と言えば、気を付けてね、と何度も誤魔化すことができた。
何かで一番をとったことは人生で一度もないけれど、目立つのはいつも私だった。私の価値はどこにあるのだろう。この顔じゃなかったとしても、今のような人生を送れていたのだろうか。絶対に無理だ。自分のアクセサリーを作って、食べていけるなんてこの顔がなければ無理だ。しかも、この顔が、「可愛い」のではなく「綺麗」だからこそ、同年代の子たちと比べて異色を放てたのだ。
みんなが口をそろえて「魅力的だね」と言ってきたこの顔は魅力じゃない。武器だ。私という人間を守るための最大で唯一の武器なのだ。
私は、恋愛に興味があったけど、誰も気になったり、好きになったりしなかったのは、興味の問題ではない。他人に関心がなかったのだ。どうでもよかったのだ。
誰とでも平等に仲が良くて、みんなに好かれて社交的な性格の「美麗ちゃん」は、私が周りのイメージに応えようと無意識のうちに作り出したもう一人の自分だ。本当の私は、向こうから興味をもってくる人間ばかりで、自分から誰かに興味を持つということが分からなくなった人間だ。
だから、高校のときに、私に関心を示さなかった「愛花ちゃん」に惹かれたのだ。彼女はどこか私と似ていた。あの時の彼女は、他人などどうでもいいと思っていたに違いない。自分に、関心が向けられることを極端に嫌がっていた気がする。彼女は、自分の過去がばれてしまったことよりも、その過去によってたかって”可哀そうだから”と言ってきた人間を見て、鬱陶しそうにしていた。忘れていたが、一度「みんなで、愛花ちゃんに何かしよう」と提案したことがあるが、私が今まで向けられたことのない表情で、「大丈夫だから、そっとしておいて」と言われた。その日に、向こうから言われるまでは触れないでおこう、と思った。その時の表情は、怒り、呆れ、失望、疲れ、恐怖が混ざったような、負の感情のみの顔だった。
愛花ちゃんは今まで、他人から負の感情を向けられてきたのだろう。一方、私は、負の感情など向けられたことが無かった。
愛花ちゃんは、SNSを見る限り、交友関係も広く、「清楚で落ち着いているけれど、愛嬌はあって、可愛い」というイメージだ。彼女は、光輝くんと出会うまで、自分の中の明るい感情まで、闇に飲み込まれないように、他人に関心のないふりをして隠していたのではないか。
私は、「人に中身がないことを悟られるのを恐れて、出来れば顔の造りも主張したくない」のが本心だ。でも、そんなことをしたら私を無条件で慕ってくれる友達はいないし、結果を出さなければ褒められない人生になる。顔だって、整っているのに、不満だなんて嫌味だといじめられるかもしれない。だから、期待通りの性格を演じていた。
同じ時期に正反対の行動をとる愛花ちゃんに、どうしても惹かれたのだろう。
晶さんも、私に興味を示さないところにどうしても惹かれてしまう。私の人生で初めてのこの感情を大切にしよう。
「呑みすぎた?もう帰る?晶さんに送ってもらったら」
友人のその一言でもうあれから時間がたって、空気が前のように戻っていることに気が付いた。晶さんが送ってくれることになり、店を出てから真っ先に好きだと伝えた。酔ってるのかと聞かれたが、先ほどの思考のおかげで、アルコールはほぼ残っていない。晶さんは、お酒に強いのか、全然酔っているそぶりはない。タクシーに乗せられ、そのまま返されそうになったので、何とか連絡先だけゲットした。自分から、こんなに頼み込まないともらえない連絡先は初めてだった。
タクシーの運転手さんに住所を伝え、「何か芸能界のお仕事されています?」という質問を適当に流しながら、「好きです。デートしてください」という分を送った。
それからの私は、絵文字もないそっけない単語だけの返事とかにも絶えながら、一番最初に話せるようになった言葉が「好き」の子供のように、しつこく好意をアピールした。
周りからは、まだ18歳なんだから、もう少し望みのある恋をしなさい。あなたのことを好きな人はいっぱいいるわ。と言われたけれど、どうでもよかった。”可哀そうな子”と周りの人たちに人生で初めて言われた。その度に、私のどこが可哀そうなんだと腹を立てた。
19歳の誕生日が過ぎてから、20歳になったら付き合ってやると言われた。嬉しくて、あと一年間で自分磨きをたくさんしようと意気込んだ。その一年の間にも、アピールは忘れなかった。友達にも、報告したが、「美麗のこと好きじゃないでしょ、それ。」と言われたが、そんなことない。確かに、好きだとは言われていないが、「友達が、綺麗だと言っていた」って言われたから、友達に私の写真を見せていることも分かっているし、メールもかえしてくれる。電話も出られないときは、折り返してくれるし、ご飯の予約もしてくれる。
時期社長の彼女になるのだから、大学に行っていない分教養を身につけようとと思い、マナー講座や料理教室、英会話など、私の思い浮かべる「大人な女性」に必要なものを学べる場所に通った。活動的になったことで、出会いも増えたが、私に興味を持つ人ばかりだったので、必要以上に仲良くなることは無かった。昔の私なら、誘われたら必ずご飯くらい行ったし、連絡先もすぐに交換した。だ
だが、自分に興味を持つ他人に関心が持てないのだと自覚してからは、新しく他人と必要以上に関係を築くことをしなくなった。 昔からの友達も大学や仕事で忙しいのか、私が連絡する頻度を落としても気には留めていない様子だ。
晶さんには、20歳の誕生日にもう一度告白を私からした。何回も告白をしてきたのに、今までと違う答えが聞けると思ったら、心が弾んだ。サンタクロースの正体の噂も聞いたことがない頃の、良い子にしてたかドキドキしながらプレゼントを待つ子供たちは、こんな気持ちだったのだろうかと考えながら、晶さんとの待ち合わせ場所に向かった。もちろん私は、両親から、「美麗ちゃんは良い子だったから、絶対来るわ」と言われていたが…
晶さんとお付き合いをしてからも私の晶さんに対しての愛敬の気持ちは増すばかりだ。相変わらず、私に最低限の興味しかなさそうなところが、よりそうしているという事は、秘密にしてある。
いつも質問は私からする。晶さんは、きちんと的確に私からの質問に答えながらも話を膨らませることはない。答え終わった後、必ず「美麗は?」と聞いてくれる。なんて義務的なんだろうと思いながらも、自分の興味だけで質問攻めをしてくる人より、よっぽど魅力的だった。私は、少しでも興味を持ってほしい一心で、ついつい話し過ぎてしまうが、晶さんは、嫌な顔も愛おしそうな顔もせず私の話を聞いている。
父親の力で将来、何もなければ上手くいくことが決まっている時期社長の息子たちは、二つのタイプに分かれると思う。
一つ目のタイプは、その事実に甘えるタイプだ。
人生、苦労のない人なんていないだろうが、父親が社長であり、金銭面では苦労しなかっただろう。そして何よりも、進路が決まっていて、就職活動がない。案外、何をやりたいかわからないという状態には、頭を悩ませるものだ。高校では、理系と文系に別れ、大学では、学部ごとに別れる。あの時、もっとこの勉強を頑張っていれば良かったと思った経験をした人も多いだろう。その点、最終目標が早くから決まっていれば、その未来から逆算して、今するべきことが分かるため、理想通りの道に近づきやすくなるだろう。また、男性にとっては、人生最大の決断だとも言われる就職活動には、多くの人々が頭を悩ませる。何十社も落ちていくうちに、自分の社会での存在価値を否定されている気になるらしく、精神を病む友達も多くいた。
その点、彼らは、確実にクリアできることが決まっている。さらに、就職先は決まっているし、よほど失敗でもしなければ、会社も次ぐことが出来る。特に、成績を残すこともなければ、派手な失敗もしないように、過ごしていればいいのだ。これが、出来る人間は、本当に賢いと思う。リスクが少ない上に、確実である。ただ、周囲からの評価としては、あまり良くないだろう。社長の息子であるが故の、現代の言葉で言うと「勝ちゲー」スタイルに妬みをもつ人間が多い中で、仕事の出来も、普通となると、将来社長となり、自分より偉い立場を得ることを面白く思わない人間もいるだろう。
二つ目のタイプは、その事実を糧にするタイプだ。
彼らに世間から張られるレッテルは「社長のご子息」だ。表では、ちやほやされるだろうが、裏ではひどいことも言われるだろう。自分の力で、努力してやってきたことを、一度の成功では心から認めてもらえることはなかなかないだろう。逆に言うと、普通の人よりも、周囲から認めてもらえるハードルは高いと思う。何をしても、無理やりにでも褒められる私とは大違いだ。それを乗り越えて認めてもらえれば、社長という座についても信頼を得ることが出来るだろう。
晶さんは、後者のタイプだ。子供のころから、お父さんに似たのか、プライドが高いらしい。今でも「社長のご子息」として、大した出来でも無いのに、褒められることが大っ嫌いで、常に平等な立場で評価されることを望んでいる。彼も私と似ているのかもしれない。きっと、「次期社長だから」という理由で近づいてくる人は多くいたと思う。一つ決定的に違うのは、私は、相手から近づいてくるその事実を無意識ながらも利用して、社交的な好かれる人間になったことと、彼は、冷たい態度をとることで、その現象を終わらせたところだ。
彼は、持ち前のプライドの高さで、与えられた仕事を、相手の期待より上の出来でやり終えるらしい。会社の人間からも、肩書無しで一目置かれているらしい。
私も、次期社長という肩書につられたわけでは無いし、ここまで冷たくされて折れない女も初めてだったのではないか。習い事をしていたことも、前向きに捉えてくれた。まだ好きだと言われたことは無いけれど、時間が空いたら食事に誘ってくれるし、夜景の綺麗なところにも連れて行ってくれる。
どうしてもしたくなったのかなと思うような予想外のタイミングでキスされたことは無いが、恋愛経験のない私の、ドラマと漫画で得た乏しい知識の中で今かな、と思う完璧のタイミングでキスしてくれる。
付き合って、二か月と半分くらいが過ぎたころのクリスマスには、夜景を一望できるホテルに連れて行ってくれた。漫画では、好きな人の「初めて」は何でも嬉しいと書いてあったが、彼は、嬉しそうにも迷惑そうにもせず、ただ優しくゆっくり、慣れた手つきでリードしてくれた。人生で他人に何かをされたことでここまで幸せなことなどなかった。あれほど遠くにいた晶さんは、私が触ることが出来る。眠る晶さんを見れるのも、キスした後の晶さんを見れるのも、服を脱ぐ晶さんを見れるのも今は私だけ。身体には彼によって与えられた痛みがあっても、心の傷は彼によって癒された。今日はこの気持ちを抱いて眠ろう。
こんなに幸せなのに、私が晶さんと付き合った噂を聞きつけた女友達が開いた女子会で、この話をしたら「晶さんは美麗ちゃんのこと好きなのかな」と言われた。
でも、私にとって好きかどうかは大した問題ではなかった。未だに必要以上に私に興味を示してくれない晶さんに、どうしたら興味を持ってもらえるかが、たった一つの問題だった。女としての興味とか、人としての興味とか、親しい友達としての興味とかそこは重要ではない。興味を持つという事こそが大事で、種類は問わないのだと力説したら、一般的な恋愛の在り方について説明されながら、私たちの関係について否定されたが、どうしてこの心が理解できないのだろうか。私も、あなたたちの言いたいことが理解できないし、平行線を辿るので話題を変えようとなったが、最後に”可哀そう”と口を揃えて言われた。
彼女たちは、「美麗に幸せになってほしいだけなの」と言っていたが、私が幸せだと言っているのになぜそこまでするのだろう。そもそも、この件があるまでは連絡も取っていなかったし、あなたたちが私のSNSに一方的にコメントしているのを見てからは、友達アピールにしか見えなくなってきた。今日だって、しきりに写真を全員で撮って、「一緒にSNSにあげよう」と誘ってくる。一緒にあげる必要があるのかなと思っていた時に、「私のアカウントも貼っておいてね」と言われて納得した。
今まで、私に興味を持って近づいてきていた人間は、私自身に興味があるのではなくて、人気がある人と仲の良い自分に興味があるのではないか。アクセサリー感覚で扱われていたのか。
そんなことない、私たちは仲が良かったのだ、と思って昔のことを振り返ってみても、一緒にいたというだけで、クラブに行ったら、みんな最初は私の近くにいるが、私が男性から声を掛けられ始め、人数が集まると、その男性たちとどこかに行ってしまう。結局、現地解散のようになるため、私は、一緒に来ていた女友達がいなくなると逃げるようにしてその場を後にしていた。また、カラオケで合コンをするにしろ、いつも男の子は一人少なかった。友達は「美麗ちゃんは、恋愛苦手だから手出さないでねぇ~」と、いつもとは違う甘い声で言い、私もどうでも良かったので、特に否定も肯定もせず、席替えの時も、女の子に「挟まれて座っていた。
友達ってなんだっけ。よく分からなくなってきた。
私だって、いくら他人のことをどうでもいいと思っているからと言って、不幸になってほしいわけじゃない。幸せになってほしい。だけど、本人が幸せだと言っているのならその状況がいくら変でも、口は出さないと思う。私は、面倒なことに巻き込まれたくない。冷たいと言われればそうかもしれないが、助けてと言われた訳でもないし、本人がそれで良いと言ってる状況にいちいち首を突っ込んでいたら自分も誰かの助けを求める立場になってしまうと思う。
みんなはお酒が回ってきたのか、再び私と晶さんの話をしてきた。もう面倒くさいから反論もせず聞き流していたら、「別れた方がいいと思う」と言い始め、それに全員が賛同し、私のことを責め始めたので、気分が悪くなって、「私の幸せを喜んでくれないならもういい」と言って、店を出てきた。今まで人を負の気持ちにさせるような言動をとったことは無いが、もうあの人たちへの関心は完全になくなったし、この後関係がどうなろうとどうでもいい。そんなことより、次、晶さんと会う時のことを考えていた。
あれから、何回連絡はあったが、返す気にならなかった。私と晶さんが付き合っているのを見せたくも中たので、私とのSNSの繋がりは無くしたし、見れないようにもした。
私が23歳になっても、私と晶さんの関係は相変わらずだったが、私への興味がほとんどない晶さんに対し、私は嫌な気分になるどころか、その状況を楽しみつつもどうしたら興味を持ってもらえるのか試行錯誤の日々を送っていたし、晶さんも私に対して特に意見を言うことなく、喧嘩も空気が重くなることでさえも無かった。
いたって私たちの交際は順調だったが、このころ、晶さんのお父さんに癌が見つかった。最近、体調が優れないことが多いのと、咳が多かったと周りの人は言っていたが、自分で気づいていたのか、ここ数か月は、仕事があるからと言って、自室にこもったりなど、奥さんでさえ顔をあまり合わせなかったそうだ。既に、転移が見つかり、治療のために入院することになったが、医師から余命半年と告げられたそうだ。
私は、晶さんのご両親には何度か挨拶させていただいている。一人息子のため、早く結婚した姿を見て安心したいと言っていた。お義父さんの会社は、情報処理サービス業の中小企業で、大きくはないないので、お見合いでお相手を決めたりすることは無いようだ。私は、自分を除いて医者や看護師の家系なので、特に問題はないそうだし、「息子にこんなきれいで若いお嬢さんが」と喜んでくれていた。
社長が入院したため、急遽晶さんが28歳で社長に就任した。もちろん、今までの秘書に加え、優秀で長年勤務している方もフォローに回ることになったが、これには、晶さんは人数を増やさなくても、自分なら出来ると怒っていた。「プライドの高さは父親譲りだ」と苦笑いされていたが、私も含めなんとか説得した。
プライベートでは、余命半年の症状が重くならないうちに結婚式を挙げたいということになり、プロポーズもなく結婚が決まった。私は、いくら天邪鬼でも、晶さんの興味が他の女性に向いたら嫌なので、どんな形でも早く結婚できることが素直に嬉しかった。
私の両親の挨拶に二人で行った。
晶さんは初めて会うのだが、落ち着いていた対応で緊張しないのかなと感心した。私自身は、晶さんとお付き合いして少したってから、晶さんの近くに引っ越したくなり、両親の反対を押し切り一人暮らしをしていたので、少し気まずかった。
両親は、久しぶりに娘と話をしたいからと言って、私を引き留め、晶さんだけ帰った。
席に着くように言われ、両親の向かい側に、座った。
「あのね、あなたのお友達の方たち、ほら、香奈ちゃんたちのお母さまから聞いたんだけど、あなた香奈ちゃんたちが心配してくれたのに、連絡もつかなくしたんですって?」
あぁ。こないだの晶さんと私の仲を反対してきた女子会の人たちか。そういえばそんな人もいたな。
昔から、同年代だけじゃなく、医者の両親にも仲良くなろうと、親たちも必死に関係を作っていた。
「だって、私が晶さんのこと話しただけで、妬みか分からないけれど、別れた方がいいって言ってきたのよ。私が、幸せだって言っているのに、美麗のことを思って言ってるの、とか言ってきたの。分からない人にはもういいと思って」
そういえば両親の前、いや、あのことに気づく前の私は誰に対しても、こんな反発的な話し方はしたことなかったな、と思った通り、両親は驚いていた。
「地元中で、美麗が晶さんに出会ってから変わったって、噂になっていたけれど本当だったのね。晶さんを、一方的に美麗が好きなだけって聞いたけど、プロポーズは、まさか美麗からじゃないわよね?好きって言ってもらってるの?このままじゃ美麗が可哀そうだわ」
「全員、口を揃えて何それ。私たちのことは私たち二人にしか分からないでしょう?なんで、分かったような口きくのよ。私のこともわかったふりして、本当は何も知らないじゃない。私は、変わったんじゃなくて、晶さんに出会ったことで本当の自分に気が付いただけ。どうして私の幸せを喜んでくれない人ばかりなの?昔は、私が幸せだったらいいって言ってくれてたじゃない。もういいわ」
ドアの外から名前を何度も呼ばれたが、布団を頭から被って声を押し殺して泣いた。悔しかった。幸せを否定されたことが。
どこに言っても、最後には「綺麗」ではなくて「可哀そう」と言われる。幸せな私の今のどこが可哀そうなのよ。
両親は、私には強く出れないことを知っていたし、ドアが開けられることは無いので、夜中に両親が寝たのを物音で確認してから、家を後にした。もうすでに、頭では晶さんのことを考えていた。
晶さんに、「両親ともともと仲が悪くて、久しぶりに話したらやはり喧嘩になった。両親も結婚式には出なくていいと言っていたし、報告なしで、これからは色々進めていいと言われた」と嘘の内容のメールを送り、結婚後に二人で住むことになった、今まで通りの晶さんの家に帰った。
両親から何通も届く、メールも電話も無視していたら、「このメールに返信しなければ縁を切る」と最終手段のメールが届いた。残念だが、昔の私ではないのだ。晶さんの仲を邪魔しようとする人と関わるつもりはない。私は、両親にも関心がなかったのだ。私から、両親に物をねだったことは無いし、日常の話をしたこともない。いつも聞かれていたから、欲しいものを答えていたし、その日の出来事を話した。表情は、笑顔か、真顔の、2パターンでいいから楽だった。友達の話も、聞かれたら答えたが、クラブやカラオケで遅くまで遊ぶための言い訳だったので、適当に答えていた。両親が、私に興味を持っていただけで、私にとっては、親であり、それ以上でも以下でもなかった。自分から、親のことを知りたいと思ったことが無い。母の旧姓も、一方的に話されたことがある気がするが、知らない。
そのメールも無視したことでぱったりと連絡が来なくなった。今の私とって、晶さんとの仲を裂こうとする、私の幸せを素直に応援してくれない人は邪魔でしかなかった。
一方、晶さんのご両親は、私たちの結婚をとても喜んでくれた。仕事人間だったお義父さんは、無理やり仕事から離され、入院させられたことが嫌だったのか、ここ最近は機嫌が悪かったものの、報告後は丸くなった。
段取りは、気分転換にもなると思って、お義父さんとお義母さんに決めていただいた。場所はお任せして、日にちはお医者さんとも相談してもらった。
女の子の夢として、ウエディングドレスは譲れなかったので、私が決めさせてももらうことにした。晶さんが仕事に行っている間、家事の合間に、カタログを見ては頬が緩むのが自分でもわかった。
晶さんというと、やはり社長というと、これまでと負担の差が比べ物にならないようで、遅くまで働き、疲れ果てて帰宅することが多くなった。
約三ヶ月の間に、お義父さんの痩せ方は、体を病気が日に日に蝕んでいることを嫌でも私たちに知らせてきた。最終的に、点滴を投与したまま、晶さんの家族のお知り合いだという看護師さんが休みを取って、ついてきてくださって、結婚式を挙げることができた。
会社の方など呼ぶ人が多い晶さんに比べて、私は両親もいなければ、友達も最近まで連絡を取り合ってなかった数名だった。その数名の友達も、地元の噂は聞いているようで、遠慮がちに、「プロポーズの言葉は何だったの」とか、「どこが好きって言われたの」などと聞かれた。「急遽決まったから、言葉とかはなかったし、不器用だから好きとかもない」と言うと、「今ならまだ…」と心配されたが、幸せだからと強く言い返すと何も言ってこなかった。
「美麗ちゃんが”可哀そう”」と言っているのは聞こえたが。
会社の方に挨拶している時、「こんな綺麗な奥様、羨ましいです」と言われるたびに晶さんが得意そうにしているのを見て、実は少し気にしていた「好き」と言われていないことはどうでも良くなった。
奥様という響きが少し照れくさくて心地よかった。初めて名前を呼ばれたときみたいだ。
最初のころは、晶さんに名前も覚えられていなくて、次に名字で呼ばれるようになり、やっと名前を呼んでくれたときは、色んな感情が混ざって返事が出来なかったのを覚えている。晶さんは、いつだって私に初めてのことをたくさん教えてくれた。自分が、他人のことをどうでもいいと思ったり、関心が持てないのだと気が付いたとき、晶さんがいたから受け入れられた。晶さんのことだけは、こんなに想うことが出来るのだから、私にも人間味があると思った。他人の行動に、胸が苦しくなったり、温かい気持ちになれるのを教えてくれたのは晶さんだ。
周りが私のことをなんて言おうとどうでも良かった。私が、晶さんの彼女になれて、奥さんになれて、幸せだと思えるこの心こそが正しい道がどちらかを証明していると思った。
結婚式後、安心したのもあったのか、お義父さんの体調はどんどん悪くなっていってしまった。病名を告げられた時や、入院したての時は、確かに体調が悪そうだな、程度だったけれど、今は闘病しているのが一目で分かる。晶さんは、忙しさと現実逃避からなのか、あまり病院に顔は出さない。私は、着きっきりで看病しているお母さんの負担を少しでも減らそうと時間があるときは頻繁に顔を出している。
時々、自分の両親もこうなるときが来るのか、と考えることもあるが、医者一家なので私の必要性は無いなと思ってすぐに思考を断ち切る。
今ごろ、両親のもとには、結婚式での出来事が、地元の友達によって伝えられているだろう。いや、近所の間で噂になっていると思う。私が社長と結婚したというだけでも、良いゴシップなのに、その人と付き合い始めてから、性格が悪くなったとなれば、面白くて仕方ないのだろうな。
私の今までの性格が作り物だっただけで、本当の私はこっちだったのに、と言いたくなったが、周りの友達も「誰からも高評価の私」の仲のいい友達でいたかったから私に良い顔をしていただけで、本当は何かのきっかけで私の特別扱いが無くならないかなと思っていたのが、本音だとしたら、引き分けだなと思った。
今は、周りからなんと言われようと、晶さんとの新婚生活に支障が無いという事を優先しよう。
私は、晶さんとの結婚を機に専業主婦になったため、時間が出来た。晶さんは、厳しい家庭の中で育ってきたからか、社長の家庭というのはこういうものなのか、妻は、家を常に心地よい空間に保ち、夫の帰りがどんなに遅くても起きて待つ、というのが普通だと言っていたので、私も従っている。一番抵抗があったのが、メークを落とさないという事だ。旦那さんの前では、女としての意識も忘れないようにするためだ、とお義母さんからも聞いた。
女の人は良くわかると思うが、メークというのは、負担がかかる。最近では、二重も自然に作れるようになり、すっぴんを見せたことで、あまりに違いすぎて喧嘩になるというカップルもいるらしい。すっぴんを誤魔化すために化粧をしすぎると、肌に負担がかかり、すっぴんが酷くなるという悪循環だろう。
例え、薄いメークだとしても長時間になるほど負担は比例する。
でも、晶さんと同じ時間だけ働いていたとしたら、確かに帰宅時間までメークは落とせないと思うので、納得した。
結婚式の、一週間後くらいから、私の体調も悪くなった。吐き気がしたり、身体がだるい気がする。晶さんは相変わらず忙しそうで、私は、家事の合間に寝ることが多くなった。最初は、式が無事終わったことへの安堵と、環境変化のストレスで疲れているのかと思ったが、さすがにおかしいので病院に行ってみた。
「妊娠しています」
突然大きな賞を受賞したと告げられた時のような気分だ。ドラマのようにすぐに喜んだりできる人は少ないと思う。特に私は、忙しくて、生理の周期が乱れていることも気づいていなかったため、理解するのに少し時間がかかった。ぼーっとしながら先生の説明を聞き、総合病院に来てたので、すぐに産婦人科に連絡を入れてくれて、次の病院の予約ができた。
帰り道で、晶さんにメールをした。夜、帰宅時間を告げるメールの時に「おめでとう」といつもの定型文に付け足されていた。
晶さんの帰宅時間に合わせて、ご飯を作り、場合によってはお風呂も沸かしておく。今日は、洗うとこまで済ませよう。
謎の吐き気の正体がつわりだと分かってからも、晶さんはほとんど会社にいるので、帰宅時間までになんとか家事をすべて終わらせた。食欲があまりないし、突然無性に、特に好きだった覚えもない食べ物が食べたくなったりするので、自分のために食事を作る時間が無くなった。赤ちゃんのためにも、健康な食事を心がけなきゃと思いつつも、家事を終わらすことが優先だと思っておざなりになってしまう。
晶さんは、仕事のことを家でほとんど話さない。だが確実にお酒の量が増えている。毎日、疲れた身体にお酒を大量に流し込み、寝るのがルーティンになっている。晶さんに、お酒以外で発散させてあげることはできないか考えたが、今の私にこれ以上出来ることはなさそうだった。
お義父さんとお義母さんには、私が電話で報告した。お義父さんの体調が悪化してきている中、お義母さんは「このニュースに気合が入ったわ」と言った後、家のこともあるだろうから、病院には無理に来なくていいと言われた。
妊娠のことが、書いてある雑誌には、「つわりの期間は家事なども旦那さんに協力してもらいましょう」と書かれていたが、お義母さんは、つわりのことや体調のことより、真っ先に家事のことを心配したので、お義母さんもきっと出産前までは、家事をいつも通りこなしていたのかなと思った。
つわりが少し落ち着いてきて、お腹も出てきたころ、母体にもいいという事で、散歩をしたりするようになった。人間とは不思議なもので、自分と同じ境遇の人が目に入るようになっているらしい。私も妊婦さんばかり目に入って、少子高齢化と言われているのに妊婦さんばかりではないか。と思っていた。
休日は、妊婦さんと旦那さんの二人で散歩している人たちがほとんどだ。晶さんはもちろん仕事なので、私は、一人だが、お腹に向かって話しかけている旦那さんや、子供の性別、名前はどうするかなど話し合っている夫婦を見ると「幸せそうだな」と他人事に考えてしまう。
そういえば、晶さんは、赤ちゃんの性別も聞いてこないし、私のお腹をなでたこともない。名前を何にするかで盛り上がったことも無ければ、生まれたらどこに連れていくか、兄弟は何人ほしいかも話したことが無い。
私はといえば、初めてのことで不安な気持ちの方が幸せだという気持ちより大きい気がする。これから先も晶さんは、育児に参加できないのだろうし、私一人で大丈夫なのだろうか。うちの両親には頼れないし、お義母さんもいつ看病の疲れが出るかわからない。
つい下を向きながら歩いてしまっていたので、気が付いたらマンションの下まで来ていた。私の足が無意識に二人で住むここに向いていたのが嬉しかった。
家で晩御飯の下準備をしていると、携帯に電話がかかってきた。番号が表示されたので、登録してない番号であり、携帯電話からみたいなので、間違い電話かもしれないと思って、一度は無視した。が、続けてもう一度かかってきたので、出てみたら、高校時代の学級委員長だった。
四捨五入したら、30になる前に一度集まろうぜという事らしかった。もう出席確認は私以外のすべての人に取っているみたいで、私の連絡先がやっとわかったみたいだ。思えば私の携帯電話の中の友達の番号はほとんど消してしまっていたし、地元での私の評判のことを考えたらかけづらかっただろう。引っ越しもして、住所も晶さんのところになったし、実家にも噂で誰も聞きに行けない状況だっただろう。
旦那さんに許可を取ってからかけなおすと言ったら、何か言いたげな変な間があったが、気づかなかったことにした。
帰宅した晶さんにそのことを伝えると言っておいでと言われた。特に晶さんは、家事を私に強制的にやらせるようなことは言ったことは無いが、「自分の母は、こうしていた」という話をされる度に、私もそうしなければと気負ってしまうだけなので、同窓会には出席の気持ちでいた。
すぐに、電話をかけなおし、出席することにした。あと三週間後だったので、まだ時間はあるが、私が同窓会と聞いて真っ先に浮かんだのは、愛花ちゃんが来るかどうかだった。彼女と光輝君が婚約したのは、SNSで知っていたし、同級生にもしらせるだろうから来る可能性は高いと思う。絵に描いたように真逆の秘密事をしていた私たちの性格に関する推理を、愛花ちゃんに聞かせたかった。
一週間と数日後の朝早くに、お義母さんから連絡が入った。「今日の明け方、お義父さんが亡くなった」という知らせだった。晶さんが、電話を取ったのだが、落ち着いて私に伝えてくれた。
病院に向かう車の中で、余命宣告は正確なんだなと思っていた。
晶さんは、冷たくなったお義父さんに触れたとき少し泣いた。涙が頬を伝うという表現がぴったりだなと思った。取り乱すこともせず、今までの日々を思い返すために、涙を一滴垂らすという感じだった。
晶さんは、どんなことを考えているのだろう。あまり自分のことを話さないから分からないが、自分のことを話したくないのだろうか。同級生にいたら何を考えているか分からないと言われて、独りになりそうなタイプだ。愛花ちゃんのような。
人間は基本、自分のことを一番に考える生き物だと思っていた。私は、他人からも表面上は一番として扱われていたし、自分でも自分が一番なのが当たり前だった。他の人も、「人気者と仲の良い自分」が好きなだけであると気が付いたし、結局はみんな自分が可愛いのだなと思っていた。
だからこそ、今回晶さんとの結婚で周りに何と言われようと、不安にはならなかった。本当に私のことを考えてたのならもっと強行的な手段を選ぶと思った。私の幸せを喜んでくれなくて、幸せと言う私を見て可哀そうだと言われても、そこまで傷つかなかった。友達との縁が切れても、私は自分を優先した。
それでも、みんな「私は人のことも考えられる良い子なんですよ」という顔をして、まるで他人のために動いているような顔をする。
一方、愛花ちゃんや晶さんのような人たちは、他人のために動いている「ふり」をしないし、かといって自分の欲を他人に見せることもしない。
前者は、私のような、周りに人が集まり、その人たちに形成されていくイメージにいつしか自分を合わせてい聞いていくような人だ。
後者は、決して他人に好かれるような性格ではないが、自分のなりたい自分を持っていられる。
でも、後者の人たちにもいつかどうしようもなく他人に振り回されるときが来るだろう。
愛花ちゃんにとっては、それが光輝くんであり、彼女は、光輝くんと生きていくために、なりたい自分の像を変えたのだと思う。人間としての根本的な生き方は変わっていないと思う。
晶さんは、私にどうしようもなく振り回されているのだろうか、自分のなりたい像を変えてまで私と生きたいと思ってくれているのだろうか。今のところは、私が変わっているが、この子が生まれたら、私が晶さんに合わせることを止めたら、どうにかして私たちのことを手の中に留めようとしてくれるのだろうか。
次の日、晶さんはお義母さんに呼ばれて、何やら話し合いをしていた。葬式の取り決めなどは、私も含めてお話ししたため、話の内容は検討が付かなかった。
ただ、帰り道で晶さんが深刻な顔をしていたので、何も聞けなかった。
その日を境に晶さんは、いつも以上に朝早く出て、夜遅くに帰ってくるようになった。それなのにお酒は止めない。注意しても、「強いから大丈夫。良く眠れるようにするだけだ」の一点張りだ。
体調が気になるのと、私も生活リズムが崩れて困るので、お義母さんに聞きに行ったら、会社が赤字続きで、融資を申し込んでいた銀行が、社長が亡くなったことと会社の経営状況を理由に断ってきたらしい。倒産の方向に話が進んでしまっているらしい。
なぜか、私の両親もそれを知っているらしく、「美麗ちゃん。今ならまだ間に合うわ。赤ちゃんもこっちに帰ってきて産みなさい。」というメールが来ていたが、晶さんを裏切る選択肢を提示してきた両親に吐き気がした。だが、きっと地元で、だから言ったじゃないと笑われているんだろうなと思った。
こんな時、晶さんになんて声をかければいいのだろう。規則正しい生活リズムとストレスの無い生活が一番なのに、お酒を呑んでる間はさすがに寝させてもらえるが、夜中まで起きて待っているし、メークを落とせない時間が一日の9割くらいになった。
メークのし過ぎで、鏡に映った顔は整ってはいても、やつれて疲れが滲み出ていた。
*
仕事帰りの光輝と駅で待ち合わせをして同窓会のために予約をしたというお店に向かう。明日から私たち含め多くの人が年末年始の休みに入るから、お酒を気にせず飲めるし、25歳になる前の年に集まりたいという理由で今日になったらしい。ママのお店で働く私にとっては関係ないけれど。
今年もお仕事お疲れ様と言って少し照れた光輝は私の手を握ってポケットに入れて歩き始めた。思わずにやけてしまう口元を隠したのを寒さのせいにした。
お店まで、誰がいたか話しながら、歩いた。私は、ほとんど知らなかったが、光輝は関わりが無くても結構覚えていた。ただ、二人とも共通して一番最初に名前を挙げたのは、美麗ちゃんだ。私と正反対の人生を送っていたので忘れないと思うが、何より最近の噂は地元にいない私たちの耳にも届くほどだ。
光輝は、俺は覚えられてないだろうなと言っていたが、他のクラスメートに聞いたら、美麗ちゃんの次に名前が挙がるのは私だろう。可哀そうな子というだけでも十分印象が強いのに、不幸なだけでは終わらなかったからだ。光輝と婚約している噂も流れているはずだから、光輝も三番目くらいに名前が挙がると思う。
*
こんな時に同窓会に行こうか迷ったが、晶さんが言っておいでと言ってくれたので、ご飯を作って、お風呂の掃除をして、出てきたお腹を締め付けないようなウエストの緩い服を着て家を出た。
連絡を取らなくなった友達と顔を合わすのは気が引けたが、愛花ちゃんのためだと思って、目を瞑った。
*
「愛花ちゃ~んと、光輝くん、婚約おめでとう。ラブラブだね~。愛花ちゃん、SNSのページは見てたけど、やっぱり垢抜けてすっごい可愛いよね。読モとかやってそう。光輝くんのおかげだな~」
高校時代仲が良かったのに、最近忙しくて連絡はとっていたが会えてはいなかったような口ぶりの、親し気な話し方に、対応が困って私たちは愛そう笑いで誤魔化した。
もう遅いかもしれないが、みんなのことを知ってみたいと思った。みんなも、「愛花ちゃん高校時代は、周りに関心なさそうで話しかけづらかったから話そう。いやー、あの時にゲットしてて良かったね、光輝くん。今なんかモテモテでしょ」と言ってくれて、話やすかった。光輝も、男子たちから質問攻めにあっていて、楽しそうだった。
*
「遅れてごめんなさい」
ほとんどの人が一瞬息をのんだのが分かった。私の目には、愛花ちゃんしか映ってなかったので知らないが。
「相変わらず、美人だ」という声が聞こえてくるが、私は愛花ちゃんの隣に座ることしか考えていなかった。
「愛花ちゃん。隣いいかな。」
「もちろん。美麗ちゃん相変わらず美人だね、今は専業主婦何だっけ?お腹に赤ちゃんもいるんだってね。結婚と妊娠おめでとう。体調悪くなったら言ってね」
「ありがとう。色々聞いているから知っていると思うけど、私におめでとうと素直に言ってくれたのは、私の友達ではあなただけよ。愛花ちゃんは、言ってくれると私は信じていたからここに来たの。可哀そうと言ってくるひとばかりで、本当に嫌になる。」
「でも、私と美麗ちゃんって、正反対の人生な気がして、特に接点が思いつかないのだけど…」
周りが私たちのやり取りに注目して、私たち以外話していないのを美麗ちゃんは気づいていないんだろうな。
「そこよ。今日会ったら言おうと思っていたの。愛花ちゃんは、光輝くんと出会う18歳まで、自分の中の明るい感情まで、闇に飲み込まれないように、他人に関心のないふりをして隠していたと思うの。だって今は、SNSを見る限り、本当は明るくて、人と関わることが好きなのが分かるわ。
私は、18歳まで期待通りの性格を演じていた。でも周りは、自分の権威のために、私が何もしていなくても近づいてきたし、生まれて18年一度も私に興味を示さない人間に出会ったことが無かったのよ。高校卒業後は、私は他人に興味を持つことが出来ない人間なのだと気が付いて今までと真逆の人とのかかわり方をしてきたの。」
「じゃあ、どうして私のためにここに来たの?」
「今思うと、高校生活最後のころ、同じ時期に正反対の行動をとる愛花ちゃんに、どうしても惹かれたのだと思うの。初めて、人を知りたいと思った瞬間だった。これは、今の旦那さんに会って気が付いたの。私に色々言ってきた人たちの前で言うのは癪だけれど、晶さんは、私に興味が無いわ。昔の愛花ちゃんみたいに、どれだけの人が私に群がろうとむしろ、自分に関わらないでほしいという態度を私に取ってきたの。だから、噂はすべて本当よ。」
「美麗ちゃん…。噂が本当なのだとしたら、私もみんなと同意見だわ。自分のためや、少なくともおなかの赤ちゃんのためを思うなら、今後のことをよく考えた方がいいと思う。」
「どうして!?愛花ちゃんなら分かるでしょう?それとも、自分が”可哀そうな子”から、幸せな子になったから余裕なの?」
ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく。私の周りはみんな敵だ。この世界に私の見方になってくれるのは、晶さんとこの子だけだわ。私が二人を支えないと。「健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、真心を尽くす」と誓ったのだから。それは、晶さんだって同じはず。二人なら、三人なら、絶対に乗り越えられる。何も知らない人間が可哀そうとか、口にするな。
「高校時代の私の噂もすべて本当よ。誇張はされていない。美麗ちゃんの状況が、怖くなるくらい私の両親と一緒なの。平気な顔をしていたけれど、全然平気じゃなくて、私だって本当の自分を光輝に教えてもらったの。」
「もうわかったわ!どうせ、愛花ちゃんも、今ここにいる周りの奴らも、私のこと”可哀そう”って思っているんでしょ!私に忠告をした人たちは、ざまあみろって笑っているんでしょ!!私は幸せよ」
自分でも何を言っているか覚えていないくらい感情が爆発した。何の感情かも分からない涙が溢れて止まらなかった。ぼやける視界の中、その場を飛び出して外に出ていた。お腹の子を思うと走ることはできなかった。走らなければ、一歩も進む気力が出なくて、前に進めなくなった。タクシーが来るまで、店の横の細い路地で座り込んでいた。
*
飛び出していった美麗ちゃんを追いかけようとしたが、誰とでも仲良くしていたころの美麗ちゃんからは考えられない態度にしばらく動けなくなってしまった。頭では、彼女が妊婦で遠くにいけないことも、誰も頼る人のいない彼女に母と同じような道を辿らせてはいけないと分かっていたが、頭が混乱していた。
あの噂が本当だといった。私が、他人に興味のないふりをしていたころ、他人に興味のあるふりをしていたと言った。
18歳まで”可哀そう”と言われていた私が”幸せ”を手に入れたとき、18歳まで”幸せ”を手にしていた彼女は”可哀そう”と言われるようになったと言った。
私の両親はどう思うのだろう。人生を終えたときの記憶のまま、過去に戻れるとしたら、父は何をするだろう。会社を早めにたたみ、プライドを捨てて、酒に逃げず、家族のために職を探すのだろうか。母は、両親に早めに相談し、父と離婚して、私を引き取って実家で育てただろうか。
答えは私にも分からない。同じような状況だからと言って、美麗ちゃんたちは本当に乗り越えるかもしれない。私だって、光輝に何かあっても、裏切るという選択肢は考えることもないだろう。私たちなら大丈夫と思うはずだ。
美麗ちゃんの立場になって考えると、私たちが神経質に言うのも間違っていたのかもしれない。
考え事をしながら立ち尽くす私は、気が付いたら光輝の腕の中にいた。誰もどうしていいか分からないこの状況の中で、光輝だけは私のために動いてくれたのが嬉しかった。両親や美麗ちゃんの夫婦と決定的に違うところは、光輝は私のことをちゃんと好きでいてくれているというところだ。世間でいう、普通の夫婦だろう。いつも、光輝は私が不安な時に、安心させてくれる。
それを、合図に、みんなが話し始めて、今回のことは夫婦に任せようという決断になった。きっと、何を言っても刺激するだけだろうし、大変な時期に、精神的にも追い込んでしまうのは避けたい。
*
婚姻届けも出したし、一応都内と言える場所のマンションにも部屋を買った。結婚を機に、私は、ママのお店を辞めた。
式の話をして、子供は何人ほしいか言い合って、二人の間の約束を決めて、付き合い始めたあの日と同じように、後ろから光輝に抱きしめられてキスをして、手をつないで眠る。毎日が幸せすぎて、この幸せを一生守ろうと思った。二人で私の両親のお墓に行って、私が二人の分も幸せな家族を築くことを約束した。光輝は、お墓の前なのに、緊張する、と言い、私を守ることを宣言してくれた。
あっという間に、挙式当日になった。私も光輝も高校の友達や地元の友達を呼ぶことが出来た。光輝のご両親は私より号泣していたし、光輝は、私のウエディングドレス姿を見て「世界一可愛い」と言ってた後、色んな感情が込み上げてきたみたいで泣いていた。
地元の友達から、美麗ちゃんの旦那さんの会社が倒産し、団地に引っ越したと聞いた。思わず動悸が激しくなったが、今は自分の幸せを噛み締めて、手からこぼさないようにしようと思った。過去が不幸だと言われたとしても、あの時から残された人生までは幸せだと言われて過ごす私と、あの時までは幸せだと言われていたのに、それから先は不幸だと言われて一生を終える美麗ちゃん。
私たちは人生の間、ずっと正反対なんだろうね。
式が終わった後、メールアドレスも、式の日程も誰かから聞いたのだろう。美麗ちゃんからメールが来ていた。
”私とあなたどちらが不幸?”
最後までお読みいただきありがとうございました。
冒頭にも記載しましたが、本作が私が人生で初めて書いた物語となります。
それ故に、読みづらい点や至らないところがあると思います。
今後にも役立てたいと思いますので、ぜひ感想などいただけると幸いです。