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忘却の魔法使い  作者: 祥雲翠
第一部
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7.伊勢崎紘一 ⑦

 穂高が伊勢崎からのメールを受け取ったのは、既に帰宅して、夕飯の準備をしているときだった。

 玉ねぎをみじん切りにしている最中だったため、一旦包丁を置いて手を洗うと、一応目の届く場所に置いていた携帯電話を手に取り、メールを確認する。


「ふーん……予想の範囲内とはいえ、しつこいな、あの先輩……」


 中途半端に手を出されることほど迷惑なことはないんだけど、と呟きつつ、微かに眉根を寄せる。誰が正義感を振りかざそうと知ったことではない……というか、基本的には好きにすればいいと思っているが、自分や伊勢崎に被害が及ぶような事態になるのはいただけない。

 とはいえ、朝永との一件を話したことについての感慨は何も無かった。その辺については伊勢崎の判断で、それこそ好きにすればいいと思っている。


 そんなことより穂高の注意を引いたのは、その報告の後に付け足されていた部分だった。


「……イセ、桃依のこと知らなかったのか…………」


 極力目立たないように振る舞っているし、特に伊勢崎とは関わらないようにしているから、彼の意識に残らなかったとしても、それが絶対にあり得ないこととは言えないのかもしれない。伊勢崎のほうもそういった相手のことは特に知ろうとも覚えようともしていない……というより、敢えて意識から外している節もあるので、尚更か。しかし、それこそ生徒会長のような、生徒間でそれなりに知名度のある生徒に関しては、穂高のほうが知らずに伊勢崎のほうが当然のように知っている、ということのほうが多いので、何だか奇妙な感じだった。


(僕と同種の人間とか言われても、今更だしなぁ……)


 そんなことはとうの昔に知っている。彼女と自分の分岐点が、九年前のあのとき――伊勢崎と友人であったかどうかにあったのも。


 少しだけ考えてから、穂高は返信メールを送信した。内容は簡潔に、報告については了解した、というものだけだ。自分は既に桃依のことを知っていた、とわざわざ書く必要性は感じなかったし、桃依もそんなことは望まないだろうから、敢えて教えることはしなかった。


   ◆


 夕飯の準備を再開した穂高が再びほんの少しだけ手を止めたのは、いくらか時間が過ぎ、玄関の鍵を開ける音が聞こえたときだった。程なくして、リビング兼ダイニング兼キッチンのこの部屋のドアを開けたのは、中学校の制服に身を包んだ少女。


「ただいま」

「おかえり」


 第一声から分かるとおり、少女はこの家の住人だ。

 出水(りつ)

 穂高の妹だ。より正確に言うなら、義妹であり従妹だが。なので、穂高とは違う明るい茶色の髪をショートカットにしている彼女は、言われてみれば血縁があるかも?という程度にしか似ていない。平凡な顔立ちの父親ではなく美人の母親に似たためか、十分美少女と言える顔立ちなのも大きいだろう。

 そんな彼女が何故穂高の義妹となったのかと言えば、彼女の両親が五年ほど前に事故で他界し、弟の忘れ形見である彼女を穂高の両親が引き取って養女にしたからである。前述のとおり見目良く、又、魔法の才能に関しても秀でていた彼女は、その方向性が両親の望むものと合致していたらしく、ぶっちゃけ実の息子よりも可愛がられている。――何も知らない人が出水家の家族を見たら、百人中百人が、律のほうが実の子だと思うだろうくらいには。


 まあ、穂高にとってはどうでもいいことだが。


 両親に対する感慨は既に無い。研究職に就いているため昔からほとんど家におらず、性格的にも魔法の才能的にも望む息子では無かったためかあまり構ってもらった様子も無く、そんなわけで昔から互いに関心の薄い親子同士だったようなのだが、一年ほど前にあったとある出来事をきっかけに、穂高のほうは完全に興味を失った。

 息子の入学式だろうが卒業式だろうが進路相談だろうが誕生日だろうが帰っても来ずに完全無視な辺り、両親のほうも似たようなものなのだろう。ちなみに、律の場合はちゃんと帰って来る。穂高としてはそんな両親に変に干渉されるよりは放置のほうがありがたいので、それ自体は全然構わない。生活費は毎月欠かさず振り込んでくれるのでそれで十分だ。むしろ、おめでたいはずの日にあの両親と顔を付き合わせるほうがよっぽど陰鬱な気持ちになるし、それくらいなら伊勢崎のついでで伊勢崎家のお祝いに混ぜてもらったほうがずっと嬉しいし楽しい。


 ともあれ、そんなわけなので、現在この家に住んでいるのは穂高と律の二人であり、故に家事は分担している。穂高が夕飯を作っているのは、バイトのある日以外は帰宅部で早々に帰宅する穂高と毎日部活動で遅くなる律では、穂高が作るほうが適しているからである。代わりに、朝食は律の担当だ。


「兄さん、少し話が……」


 リビングに入って来た律が、夕飯の支度中の穂高を見て、まっすぐに歩いてくる。その表情は厳しく、楽しい話題でないことが一目瞭然だったが、すぐ側まで来たところでその言葉が途切れ、ふっと頬が緩んだ。


「あ……ハンバーグですか?」


 彼女の視線の先には、既に皿に載せられた穂高が形を整えたばかりのものが一つと、現在進行形でキャッチボールしているものが一つある。子供っぽいからと言って外では隠しているが、実のところ律は子供の頃からハンバーグが大好物だ。見つめる瞳は喜色に輝いていて、今の彼女を見てそんな彼女の建前を信じる人はいないだろう。

 が、そんな自分に気づいたのか、ハッとした様子で表情を引き締めると、誤魔化すように一つ咳払いした。その頬が微かに赤い辺り、完全に誤魔化し切れてはいなかったが。


「聞きましたよ、兄さん。今日もまた、あの人に付き合って体育をサボったそうですね」

「サボってないよ。別メニューを選ぶことは、ちゃんと許可を取っている」


 手を止めないままあっさりと答えた穂高に、律が不満そうな顔になる。


「……兄さん、もう何度も言っていることですが、あの人と付き合うことはやめてください。そんな屁理屈付けてまで付き合ってあげるような価値はありません。兄さんの評判まで悪くなるだけです」

「今更だな。僕の評判なんてとっくに地に堕ちていると思うが? 必要があれば取り繕うことをしないわけじゃないが、そんなものがクソの役にも立たないどころか障害でしかないようなら、容赦なく蹴っ飛ばしてきたからな」

「だから、兄さんがそこまでする価値は、あの人には無いと言っているんです……っ」

「律には無いかもしれないけど、僕にはあるからそうしてきた。それだけの話だよ」


 夕飯分にプラスして明日の弁当分のミニハンバーグを作ると、一度手を洗い、冷蔵庫からスライスチーズを取り出す。穂高自身はハンバーグにチーズの組み合わせは(余程美味しいチーズを使ったものでもない限り)基本的に蛇足でしかないと思っているので自分の分には絶対に使わないが、穂高とは逆にチーズ好きの律のための準備だ。


「……分かりません。どうして、あんな無能者にそんな価値を見出せるというのか……っ。あの人と違って、兄さんはあんな人と付き合わずに真っ当に授業を受けていたら、正当に評価されるだけの才能があるのにっ。…………そ、それに、これは兄さん一人の問題じゃないんです。兄さんは、自分のことだから平気なのかもしれません。でも、兄さんがあんな人と付き合っているせいで、わたしまで偏見の目で見られることがあるんですよ? わたし自身がどれだけ努力しても、そんなのは関係なしに……っ。それでも兄さんは、考えを改める気はないんですか? 家族に迷惑を掛けることになっても?」

「…………その答え、本当に聞きたいか、律?」


 言葉を重ねた訴えに、しかし穂高はカケラも心を動かされた様子も無く、必死な様子で自分を見つめる義妹を見る。投げかけた問いが呆れを含んだものになっていたのは、細かい内容は違えども、既に何度も似たような問答を繰り返しているからだ。


「自分以外の誰かの損得なんていうのは、基本的には二の次だよ。聖人君子でもない限り、人間は自分が満たされてこそ、別の誰かに(ほどこ)すことが出来る。結論、僕は自分が著しい損害を(こうむ)ってまで、おまえを優先することはしない」


 ちなみに、両親のことは始めから勘定に入れていない。彼らにとっては穂高も伊勢崎もほとんど似たようなものという認識なので、最底辺同士がつるんだところで大して気にしないというか、愚息の出すマイナスなど自分たちがそんなものを上回る成果を出せば問題ないという、そこだけは素直に凄いと思える信念を持っているからだ。


「……っ。どうして、兄さんは……………………」


 何度繰り返しても答えの変わらない問答に、律が声を震わせながら穂高を睨みつける。だが、それ以上は言葉を見つけられなかったのか、不意に踵を返すと、無言でリビングを出ていった。

 穂高はそれを見ても何も言わなかったし、追いかけるようなこともしなかった。そこまで含めて、もう何度繰り返したか分からないやりとりだったからだ。なので、何事も無かったかのようにそのまま調理を続行する。どうせ夕飯が出来たら、気まずそうにしながらも律はやって来るし、そこで食卓を囲むことになる。


(……まあ、あれだな。偶々(たまたま)だったけど今日はハンバーグだし、いつもよりは機嫌の直りも早いだろ)


 こればっかりは平行線なので、結局は律が一旦矛を収めるかどうかの話でもある。


(とはいえ、僕に言い負けるとあいつ、イセのほうに突っかかっていくことあるからなぁ。明日イセに会ったら一応その辺言っておいたほうがいいかもなぁ)


 そんなことを頭の片隅で考えつつ、同時に、こんなだから兄妹仲さえも冷え切っていると思われるんだろうなぁと他人事のように考える。律のほうがどうかは知らないが、穂高としては別にあの義妹のことを嫌ってはいないし、それなりに妹として尊重してはいるのだが。

 もっとも、先程自分が言ったとおり、それはあくまで自分の利益を害しない範囲での話だから、それが冷たい態度と映るのだろうけれど。


(……ま、だからといって改める気はカケラも無いけど)


 選ぶものも、それと天秤にかけたときに切り捨てるものも、とうの昔に決めている。

 それはきっと、この先も変わらない。


 だから、こういうときでも穂高はただ自分のすべきことをするだけだ。

 今ならば、家族二人分の夕飯を作るという、兄としての役割を果たすというように。

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