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忘却の魔法使い  作者: 祥雲翠
第一部
2/54

1.伊勢崎紘一 ①

 絵本や教科書など、誰もが一度は何らかの形で触れる、人類が“魔法”という力を生まれながらに当たり前のように手にするに至った経緯を何となく思い出しながら、出水(いずみ)()(だか)は冷めた瞳で独り言のように呟いた。


「皮肉な話だよな。かつては異能の力を持つとされた魔女を()(あぶ)りにしていた人間たちが、長い時を経て、今となってはその異能の力を持つに至った者たちのほうこそが、持たざる者を火にくべているのだから」


 小さく一つため息をついて、周囲を漂っている眉をひそめたくなるような臭いを誤魔化すように、手に持っていた紙コップの中のカフェモカを一口飲む。そして、暇そうに紙コップの中で揺れる残り少ない茶色の液体を眺めた。


 焦げ茶色の髪と黒い瞳に中肉中背という、日本人としては典型的な容姿を持つ少年である。その身を包む黒の学ランを加えれば、典型的な男子高校生ということにもなるだろう。ただし、その表情は年頃の少年としては乏しく、又、冷め切っているように見える。

 そして同時に、今彼が置かれている状況を(かんが)みれば、それは異常な反応でもあった。何故なら、


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ」


 聞こえていないはずもない()(もん)の声が、その場には響き渡っていたのだから。


 穂高が今いるのは在籍している県立朝霧高校の校舎裏で、彼はその背を校舎に預けるようにして立っていたが、その彼から少し離れた場所では、悲鳴を上げながら地面を転がっている――のたうち回っている少年がいた。その全身が炎に包まれているために分かりにくいが、同じ制服を着た同じ年頃の少年だ。彼は抑え切れない苦痛を悲鳴に変えて吐き出しながら、地面にこすり付けることで火が消えるのを切望するかのように、ごろごろと転がり続けている。


 そんな少年の様子を、助けるでもなく、哀れむでもなく、かといって嘲笑うでもなく、何の感情も窺わせない瞳で時折ちらりと一瞥(いちべつ)をくれながらも、まるで誰かと待ち合わせでもしているかのようにそこでただ暇を潰しながら立ち続けているのだから、それは異様と言うほかない光景だろう。いっそ穂高こそが目の前の少年を火達磨(ひだるま)にした犯人だと言わんばかりの態度で立っていたほうが、余程理解の範疇(はんちゅう)に収まるくらいに。

 だが、実際のところ下手人は穂高ではなかったし、それどころか、穂高と目の前の少年――()()(ざき)紘一(こういち)は互いにただ一人の友人同士だった。

 ――故に、もう一つの事実に気づく者がいたのなら、この場の光景の異様さをより鮮明に感じたことだろう。喉が裂けんばかりに悲鳴を上げる伊勢崎のほうもまた、言葉においても、視線においてさえも、穂高に一切の救いを求めていなかったことを。


 と、穂高が何かに気づいたように視線を動かした。


「あぁ、良かったな、イセ。助けが来たみたいだぞ」


 淡々と告げたその視線の先には、慌てた様子でこちらに駆けてくる女生徒の姿がある。女子の制服である臙脂(えんじ)色のブレザーを着た、(つや)やかな長い黒髪が特徴的な背の高い整った顔立ちの少女。人の顔と名前を覚えないことでは定評のある穂高でも(わず)かに記憶に引っ掛かったその相手の姿に、「しかも、生徒会長様だ」と小さく付け加えた。


「…っ。少しだけ待って。今、火を消すから」


 駆けつけた少女は目の前の光景に一瞬だけ息を呑んだが、即座に伊勢崎のそばに(かが)み込むと、その手を(かざ)し、


「《消火》」


 と一言唱えた。その言葉に呼応するように、伊勢崎の全身を包んでいた炎は速やかにその規模を縮小させると、数秒後には跡形も無く消え失せていた。残ったのは、焼け焦げた制服に身を包んだ、死なない程度に全身のあちこちに火傷を負った少年だけだった。


「……ごめんなさい。私、あまり治癒魔法は得意ではないの。だから……」


 大丈夫かと声を掛けなかったのは、どう見ても伊勢崎の様子が大丈夫には見えなかったからだろう。だからこそ、その謝罪の言葉は苦渋に満ちていた。続く言葉が途切れたのも、何と言うのが適切か分からなかったからだろう。自分で治癒魔法を掛けろと言うのもまた酷な状態だ。


「……いえ…………火……消して……くれ……だけで……」


 そんな少女に、伊勢崎は微かに首を横に振ると、(かす)れた声でそう告げる。そんなことは気にすることはないと言うように。それを聞いた少女は、こんな状態の少年に気を遣われてしまったことにますます辛そうな顔になる。


(どのみち、イセには自力でどうこうっていうのは無理な話だけどなー)


 そんな二人のやりとりを、穂高はやっぱり温度を感じさせない瞳で眺めていたが、不意に少女が立ち上がると勢いよく振り返って穂高を睨みつけてきたので、目を瞬かせた。

 次の瞬間、ぱぁん!と小気味良い音が耳に届いた。

 自分の左頬から。


「あなた、自分が何てことをしたのか分かっているの!?」


 右手を振り抜いた姿勢のまま、少女が穂高を怒鳴りつける。怒りのためか、自身の無力さへの()(がゆ)さからか、目尻には涙を浮かべて。

 対する穂高は、まあそう解釈するよなー、と何処か他人事のように自分を睨みつける少女を眺めていた。

 何せこの場には少女を除けば二人しかいない。前後関係を何も知らない第三者がこの場だけを見れば、伊勢崎自身が自殺を図ったのでもない限り、下手人は穂高だ。救助活動をするでもなく、それどころか慌てた様子すらなくただ突っ立っていたのだから、余計に嫌疑は増すばかりだろう。

 前述のとおり事実は全く違うがそのくらいのことは分かるので、穂高はされるままになっていた。わざわざ弁解したり事実関係を説明したりするのが面倒臭かったから、というのが大きいが。

 そして、そんな自分の態度が相手の神経を逆撫でするだろうなー、ということくらいも想像はついていた。だから、無言のままの穂高に予想通り怒りを深めた少女がもう一発食らわそうと再び右手を振りかぶっても、何もせずに突っ立ったまま、紙コップが空になっていて良かったなー、とどうでもいいことを考えていた。


「――――っ!?」


 結論から言えば、二発目の平手打ちは不発に終わった。振り抜かれる直前に、少女の右手が背後から(つか)み取られたからだ。


「……っ。……助けて、くれたことには……礼を言う。……けど、穂高にこれ以上……不当な暴力を振るうなら…………許さな……から、な……!」

「な……」


 自分を止めた相手と、その相手から発せられた言葉に、少女が呆気に取られた顔になる。そりゃ訳が分からないだろうな、とやっぱり他人事のように考えつつ、穂高はそこでようやく動くと、少女の右手を摑んだ友人の手をやんわりと外した。


「アホかおまえは。怪我人はおとなしくしてろよ」

「……アホはおまえだ。……避けろよ、分かってんなら……」


 脱力してそのまま崩れ落ちるように座り込む友人を支えてやる穂高と、二人の気安いやりとりに、少女はますます混乱したように目を白黒とさせていた。


「ちょ……っと、待って。え、どういうことなの? あなたがやったわけではない……の?」

「違う」


 困惑を(にじ)ませた問いにきっぱりと答えたのは伊勢崎のほうだった。その声音からも表情からも、少女の抱いていた疑いが見当違いのものだとはっきりと伝わってくるような、強い否定の言葉だ。しかし、それ以上続く言葉は無かった。直後に顔を(しか)め、何とか口を開いても荒い息を()らすことしか出来なかったからだ。

 それを見て、穂高は小さくため息を()くと、仕方がないので面倒を引き受けることにする。


「いちいち気にする必要はないですよ。こんなのはいつものことだし、あなたが出しゃばったところで何がどうなるわけでもない」

「そういうわけにはいかないわよっ。というか、ちょっと待って。いつものことって、どういうことなの? こんな非道なことが、日常的に行われているというの?」

「相手だってちゃんと加減は分かっていますよ。実際、あなたが来なくても、あと十分もすれば火は消えていたでしょうから。取り返しのつかない重傷を負わせたり、ましてや死亡させたりしたら大事(おおごと)になってしまいますからね。イセが適度に苦しんで、後で保健室に担ぎ込まれれば治せる程度に留めておくくらいの技量と(さか)しさは持っていますから。保健医の三宅(みやけ)先生はかなり優れた治癒魔法の使い手ですので、ここまでやられてもきっちり治してくれます」


 そもそも、どれだけ悪ぶってみせたところで、高校生として一般的な感性しか持ち合わせていない犯人たちに、自分たちが直視出来ないほどの大怪我を負わせる覚悟も度胸もありはしない。焼死体は勿論のこと、焼け(ただ)れた肌でさえ、彼らは正視出来はしないだろう。


「そういう問題じゃないでしょう……っ。そもそも、こんなことが日常的に行われているというのなら、どうして助けを求めないの。こんなのはもう、いじめというレベルを超えているわ」

「そりゃ、無駄だからでしょ」

「は?」

「イセのことを知っている人間なら、みんな知っていることですからね。先生……というか、大人も含めて」

「はあ……!?」


 何を言っているのか分からない、といった顔で少女がぽかんと口を開ける。


「そんなわけないでしょう! 知っていてこんなことを放置しているのだとしたら、大問題よ!」

「そりゃまあ、他の人間に対してだったら大問題でしょうね。でも、生憎その対象がイセですから。むしろ大半の人間はそれこそ大人も含めて、見て見ぬフリをするどころか、暗に積極的に加担しているでしょう。人間って、そういう生き物ですから」

「意味が分からないことを言わないで」

「いいえ、この上なく意味は通っていますよ。人間って、自分たちと違うところを持った存在を排除する性質がありますから。共通の脅威があれば憎み合う同士でも手を取り合うくらいだし、まして相手が自分たちより弱者なら尚更ですよ。わざわざ僕が証明するまでもなく、何よりも歴史が雄弁に語っていることです」


 感情を窺わせない視線を向けられて、少女が僅かにたじろぐ。


「異物を排除しようとした結果、魔法というかつては異端とされた力を得た。それが、人類の歴史でしょう?」

「それは……って、ちょっと待って。話が逸れているわ。確かに人類が魔法という力を手にするに至ったのには、そういう歴史があるかもしれない。でも、それとこれとは話が別でしょう?」

「同じですよ。愚かな人間は魔女の糾弾を理解することもなく、相も変わらず愚行を繰り返している。こんなもの、現代版魔女狩り以外の何物でもない。いや、魔女という嫌疑も無く自分たちより無力な者をいたぶっている分、過去の人間よりも性質(たち)が悪いかもしれませんね」


 それは、台詞だけを見るなら糾弾の言葉だった。しかし、それを紡ぐ声音はどこまでも淡々としたものだ。冷ややかではあるが、そこに憤りのような感情の熱は感じられない。そんなちぐはぐさが困惑を生み、そのことによって少し冷静さを取り戻したのか、少女が訝しげに穂高と伊勢崎を見比べた。


「魔法の才に(おご)った生徒が、自分より才能に恵まれなかった生徒をいじめているということなのかと思ったけれど……あなたの言い様だと、どうもそんな単純な話じゃなさそうね」

「いや、合っていますよ。端的に説明するならそういう構図です。ただ、いじめられている側が魔法の才に劣った者ではなく、魔法が全く使えない者だというだけで」

「……………………は?」


 何でもないことのようにさらりと告げられた言葉に、少女が先程までとは別の意味でぽかんとなる。だが、すぐにハッとした様子で伊勢崎をマジマジと見た。


「……そういえば、今年の一年生には魔法が全く使えない無能者がいるって話を、前に誰かがしていたことがあったような……」


 そんなことを言いながらもまだどこか半信半疑な様子なのは、おそらくそのときは与太話として流すなどしてまともに取り合っていなかったからだろう。とはいえ、それも無理のない話だろうなと穂高は思う。

 頭の良さや運動神経の良さなど、他の才能と同様に、魔法の才能にも優劣は存在する。しかも現代においては、その才能の有無は時に先に挙げた二つよりも凌駕する。故に、優れた者が劣った者を差別するという構図も珍しくないどころか、それが当然のものとして(まか)り通ってしまっているのが現実だ。

 しかし、それはあくまで“劣った者”なのだ。九分九厘の人間にとって自分の周囲を見回したときに、“魔法が全く使えない”人間なんてものは存在しない。

 だからこそ、もしそんな人間がいたのなら、“異端”と見なされるのだ。

 今となってはもう、人間が“魔法”という力を生まれながらに持っているのは当たり前のことなのだから。故に、そんな話を聞かされたとき、目の当たりにでもしなければすぐには信じられないのもまた、当たり前の反応と言える。


(……厳密な話をするなら、世界に全く“魔法を使えない者”がいないわけじゃないけどな)


 ただし、圧倒的に少数だが。

 そういう意味では、目の前の少女も記憶に残っていなかっただけで、噂や話のタネとしては一度くらい耳にしたことがあるのではないだろうか。ごくごく稀に、そういう“無能”が生まれることがあると。そうした下地があるからこそ、神様の失敗作である出来損ない・役立たずの“無能者”は迫害しても良い、むしろそれこそが人間様に与えられた当然の権利だという風潮が蔓延(まんえん)している節もある。

 そしてそれは、穂高たちが生まれ育ったこの町においても変わらないということだ。


「……ん? ちょっと待って。ということは、彼は治癒魔法も使えないってことよね?」

「……? そりゃ、治癒魔法に限らず魔法は使えないですから」

「なら、こんなところでのんびり話をしている場合じゃないじゃない!」


 顔色を変えて、少女が慌てたように言う。そんな様子を見て、こいつはまともな感性を持った奴みたいだなぁ、と穂高は少し認識を改めた。最初のやりとりで、生徒会長なんてものを務めるだけあって正義感や責任感の強さは窺えたが、そこまでだったら持ち合わせている奴はいる。しかし、伊勢崎の事情を知っても差別することなく、彼の身を案じる相手はほとんどいない。その点だけでも、彼女に対する印象は上方修正する必要があるだろう。……もっとも、だからといって何が変わるわけでもないし、同時に、その場の感情に流されてうっかりと穂高との問答を優先してしまうような迂闊(うかつ)さを持ち合わせていることも判明していたが。


「……大丈夫ですよ。穂高の言うとおり……慣れっこ、ですからね……。何度もやられて……る、うちに……少しでも、ダメージ減らす方法、とか……身に付いて、きたし。それに、何度もやられた……分、昔に比べれば……耐性も付いている、し……」

「そんなわけないでしょうっ。……いやその、ついうっかり事態の確認を優先してしまった私が言うのも今更な話なのは自覚しているけれど……」

「……いえ、本当に……大丈夫ですから」


 (ばつ)が悪そうに目を泳がせた少女に、伊勢崎が小さく笑ってみせる。とはいえ、それはさすがに強がりが混じっているだろうと穂高は思う。本人の自己申告通り、これまでにも似たような仕打ちを何度も何度も受けてきた結果、魔法攻撃に対する耐性や(わず)かながらも身に付いた対処能力によって、先程の惨状の結果にしては、本当にそのくらいには大丈夫であるのも事実である。ただし、あくまでも見た目に比べればという程度の差異でしかないし、伊勢崎自身の感覚が麻痺してきている部分もあるのではないか、などと穂高は思うところもあるのだが。


「どっちにしても、怪我の治療は必要だわ。……というか、彼が魔法を使えないことを知っているのなら、あなたが治癒魔法を掛けてあげるべきではないの?」


 大丈夫かどうかに関する押し問答をこれ以上続けても不毛なだけだと判断したのか、少女は最優先事項をその点に定め、そこでハタと気づいたように穂高を見た。


「あなたは魔法が使えるのでしょう?」

「使えますけど、わざわざ僕が此処で使わなくても、保健室に行けばいい話ですから」


 その台詞を聞いた十人中十人が非情と思うだろう言い様に、予想通り少女は眉根を寄せる。


「……三宅先生、今日は出張で午後からいないんだけど」


 それでも、穂高を糾弾するのではなく、必要な事実を先に告げた辺りに彼女の人柄が窺える。

 対する穂高はといえば、


「え……? それは想定外だったな」


 僅かに目を見開いてそう呟くと、ハッとした様子の伊勢崎が何かを言う前にさっと彼の肩に軽く手を置くと、口の中だけで呪文を唱えた。


「――――――……は?」


 次の瞬間起こったことに、少女の口から間の抜けた声が洩れる。この短い時間で何度目か分からない、訳が分からないというぽかんとした顔だ。

 何故なら、彼女の目の前にあったのは、苦虫を噛み潰したよう顔になっている以外は、まるで先程の惨状なんて起こらなかったような――つまりは、身体の火傷の跡も制服の焼け焦げた跡も文字通り跡形も無くなった伊勢崎の姿だったのだから。


「……穂高、てめぇ……っ」


 そんな生徒会長のことは一瞬にして意識から消えたのか、伊勢崎が怒りを押し殺した様子で穂高を睨みつける。これはこれで端から見たらおかしな――というか、恩知らずとも言える反応だったが、そんな彼の反応など織り込み済みの穂高は平然と言い返す。


「三宅先生がいないなら仕方ないだろ。(まこと)さんを心配させるわけにもいかないし」

「うぐ……っ。それは、そうだけど……」


 ちなみに真さんとは、伊勢崎の母親の名前である。母子家庭で母一人子一人の伊勢崎にとっては突かれて一番痛いところだ。彼女はそれこそ保健医も遥かに凌ぐような優れた治癒魔法の使い手でもある医師なので、息子の負った怪我を治すくらいは訳ないのだが、そんな大怪我を負ったという事実は確実に彼女の心を痛めるだろう。なまじ自分が優れた魔法の才を持っている分、それを息子に全く与えてあげられなかったことを非常に申し訳なく思っていたし、そんな母親の苦悩をちゃんと理解している伊勢崎は、余計な心配を掛けないように心を砕いていた。

 それを考えれば穂高の言い方は卑怯かもしれないが、穂高は気にしなかった。そして、穂高のそういうところを長い付き合いで分かっている伊勢崎もそれ以上は何も言えずに黙り込んだ。

 代わりのように黙っていられなかったのは、残った一人だ。


「あ、あなたねぇ……そんなに強力な治癒魔法を使えるのなら、早く使ってあげなさいよっ」


 この場に更なる第三者がいたら、全面的に彼女に賛同しただろう。


「そもそも、どうしてこんなことになるまで放っておいたのよ!? いまいち自信ないけど、あなたたち、たぶん友達なんでしょう? なら、どうしてこうなる前に助けないの!?」


 これまた誰もがもっともだと思うだろう糾弾だ。怯えて物陰に隠れていたとかではなく、完全に放置・傍観している様子だったのだから尚更だろう。穂高だって逆の立場だったら、この端から見たらよく分からないだろう関係には疑念を抱いただろうと思う。――しかし、生憎今の穂高は当事者なので、そんなこと言われてもなぁと肩を(すく)めて横目に友人を見るだけだ。


「……俺が、そう望んだからですよ。何があっても手を出すな、絶対に魔法は使わないでくれ、って」


 どこか痛みを(こら)えるような表情で伊勢崎が答える。それを見た少女が、見た目に反して完全には治っていないのかと穂高に視線を向けるが、穂高が何らかのリアクションを示す前に、不具合など感じさせない(よど)みない動きで伊勢崎が立ち上がったため、目を瞬かせていた。


「……そうは言っても、本当に何もしないなんて、さすがに薄情じゃないかしら。せめて、誰もいなくなってから怪我を治すくらいは……」

「そんなこと、俺は全く望んでいません」


 気を取り直したように言った少女の言葉が穂高を非難するものだったのは、先程までのやりとりが影響しているからかもしれない。しかし、それを伊勢崎がバッサリと切り捨てる。


「誰かに理解してもらおうとは思いません。俺がただ、穂高には何もして欲しくない。だから……だから、今回助けてもらったことはありがたく思いますけど、それだけで十分です。それ以上の口出しは無用です」

「でも……」


 本当にそれでいいのか、そう問いかける瞳に、伊勢崎は苦笑を浮かべると、


「まあ、アレです。男の意地みたいなものだと思っておいてくださいよ。悔しいじゃないですか。この程度のこと、自分じゃどうにも出来なくて、友達におんぶに()っこなんて。……それじゃあ、駄目なんですよ…………」


 そんなふうに言ってみせた。その強がりのような言葉の真意を、少女が何処まで理解出来たかは分からない。というより、本当の意味で理解するのは不可能だろう。その言葉は伊勢崎の本心であると同時に、だけどどうしようもなく取り繕った上辺の言い訳であることを穂高は知っている。そんなふうにそれっぽい理由を言っておけば、人は取り敢えず納得してくれるものだからと。


「……あなたは、それでいいの?」


 伊勢崎の意志が固いことは伝わったのか、少女の視線が穂高へと向けられる。そこには既に先程までの非難の色はなく、二人のことを案じるような色があった。


「……まあ、僕も積極的に面倒事に関わる気はないし、魔法を使いたいとも思いませんからね。それに、さすがに泣きながら土下座されて頼まれちゃあ、聞かないわけにはいかないでしょう」

「…………え?」


 後半のくだりが余程意外だったのか、それは本当かと問うように、少女の視線が再び伊勢崎に向けられる。しかし、当の伊勢崎は不満そうに穂高を見ていた。


「……おまえ、そう言う割には、ちょいちょい約束破るよな」

「約束したとは言っても、あくまで善処するって話だからな。僕は極力魔法を使いたくはないが、それでも自分が使うべきだと思えば使う。それが嫌なら、そうならないように立ち回ることだな」

「むぅ……」


 どう見ても納得していない顔だったが、伊勢崎はそれ以上食い下がることはしなかった。既に何度も交わした会話であり、この件に関しては堂々巡りにしかならないと分かっているからだ。ため息を一つ吐いて話を切り上げると、伊勢崎は穂高が唯一安全を確保していた鞄を拾い上げる。


「……それじゃあ、ええと……助けてくれたことは、本当にありがとうございました。では、俺たちはこれで失礼します」


 そして、今回の件そのものをこれで終わりとするように、生徒会長に改めてお礼の言葉と別れの言葉を告げると、背を向けて歩き出した。


「あ、ちょっと待って。もう一つだけ、聞いておかなければならないことがあるのだけど」


 その背中を、少女が呼び止める。


「完全に納得したわけではないけれど、取り敢えずあなたたちの関係については、今はこれ以上口出ししないわ。けれど、生徒会長として、この学校でこんなことが起こっているのを見過ごすことは出来ないの。だから、教えてもらうわ。人間に向かって攻撃魔法を使うなんていう許されざることをしたのは、一体誰なの?」

「……攻撃魔法じゃないですよ。基本的には、魔法が使える人間ならほとんどは普通に使える、発火の魔法です」

「揚げ足を取らないで。どちらにしても、人に使えば危害を加える魔法であることに変わりはないわ。それを使われた相手が適切な対処を出来ないのなら、尚更よ」


 こればかりは譲れないとばかりに厳しい眼差しを向ける少女に、伊勢崎は困った顔になる。


「放っておいてくださいよ。正義感を振りかざすのは勝手ですけど、それで余計な迷惑を(こうむ)るのは俺なんですから」

「あなたのことを放っておけないのも否定はしないけど、それだけじゃないわ。そういう人間がいるってこと自体が問題なのよ。あなたは、自分が我慢すればそれで済むと思っているのかもしれないけれど、そういう人間はきっかけさえあれば、他の人間にも同じことをするわ」

「…………言いたいことは分かりますよ。でも、俺にとってはあいつらの未来よりも、将来的にあいつらの被害に遭うかもしれない奴よりも、今の自分のほうが大事なんですよ。身勝手に聞こえることは承知の上です」


 これはこれで平行線だな、と穂高は胸中で呟く。状況認識に甘いところはあるが、それでも状況を改善すべきだとして動こうとする生徒会長は立派だと思う。こういう人間ばかりなら、伊勢崎を取り巻く状況ももっと良くなるだろうに、とも。だが、その甘さが今の伊勢崎にとっては致命的だ。その程度では状況は変わらないことを、伊勢崎はたぶん誰よりも身に()みて知っている。それどころか、むしろ悪化する可能性のほうが高いことも。……そしてその状況悪化は伊勢崎自身に限ったことではなく、声を上げた生徒会長自身にも及ぶかもしれないことも。


「……これについても、あなたも同意見なのかしら」


 頑なな様子を崩さない伊勢崎にため息を一つ吐いてから、少女が穂高を見る。


「いや、僕は別にそこまで隠す必要性があるとは考えませんけど」


 イセ以外がどうなろうと知ったこっちゃないし、と心の中だけで付け加えつつ、しかし穂高も彼女の望む答えは返さなかった。


「でも、生憎その質問には答えられませんね」

「……何故?」

覚えていませんから(・・・・・・・・・)


 その返答に少女は眉をひそめ、伊勢崎も視界の隅で唇を噛んだのが見えた。


「……見ていたのに?」

「これでも、人の顔と名前を憶えないことに関しては定評があるもので」

「……自信満々に言うことじゃないわね…………」


 呆れたようなため息を吐かれてしまった。


「それに、別にわざわざ僕たちから聞き出す必要はないと思いますが?」

「え?」

「言ったでしょう? みんな知っている(・・・・・・・・)、って」


 その言葉に、少女がハッとしたように息を呑んだ。それに、わざとか無意識かは分からないが、伊勢崎もヒントは与えている。相手は一人ではなく、複数人であったことを。これだけ情報があれば十分だろう。


「じゃ、これで本当に失礼しますね」


 軽く会釈して、穂高も彼女に背を向ける。数歩先で立ち止まっていた伊勢崎も、軽く頭を下げた。


「今日はありがとうございました、朝霧先輩」


 そう言って今度こそ(きびす)を返して帰路につく友人に並びながら、生徒会長ってそういう名前だったのか、と本人に知られたら別の意味で怒られそうなことを考えていた。

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