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[6] シルフィ & アリア

「お姉様……?」


 シルフィは恐る恐る、その重厚な扉に手を掛け、内側へと押し開いた。




 視界に広がるのは小じんまりとした狭い空間であったが、館のどの部屋よりも明るく、空気も水も澄んで感じられる。


「お姉様!」


 開ききった先の右手に、ひときわ煌めく白い人影が映り込んで、シルフィは思わず目の前まで泳ぎ近付いた。シレーネのそれよりも美しい、乳白色に淡いグリーンのマーブル模様を描いた繊細な玉座には、純白の長いドレスを(まと)ったアリアが、すっと背筋を伸ばして腰かけていた。


「お姉様! わたしよっ! シルフィ!! 迎えに来たの……ねっ、帰りましょ?」


 そう言葉を投げて顔前に手を差し伸べても、アリアの瞳は身じろぎすらしなかった。柔らかい、あの夜と同じ麗しき微笑みを(たた)えて、視線は少し下を向いている。きっとネフィが此処で膝を突けば、その先に彼の瞳が合わさるのだろう。


「お姉様……お願いっ、戻ってきて! また昔みたいに優しくわたしの髪を撫でて……沢山楽しいお話を……聞かせて──」


 どんなに声をかけても、瞳の前でベソをかいてみせても、アリアの笑顔には何の変化も及ばず、(もも)の上で結ばれた細く長い指の爪も、ピクリともする気配はなかった。


「お姉様……どうしたら戻ってきてくれるの……?」


 二年前と変わらず鮮やかな紅の髪。シルフィの波を打つ銀色のそれとは違い、彼女の心を表したような凛とした真っ直ぐな赤毛が大好きだった──触れたい。触れたら……目の前にいる自分にも気付いてもらえるのだろうか?


「お、姉……様──」


 震える小さな手をそっとアリアの髪へ向ける。ゆっくりとゆっくりと、その(あで)やかな流れへ──。


「ダメだっ、シルフィ! アリアに触れてはっ!!」


 しかしあと一瞬というところで、背後からの焦る大声に引き留められ、シルフィは伸ばした手を胸元へ戻した。咄嗟に振り向いたすぐ其処には、ネフィの必死な姿があった。


「触れては……『死』へと引きずり込まれる──!」


 シルフィの細い腰にネフィの長い腕が巻かれ、グッと力が込められたかと思うや、姉の身体からあっと言う間に離されていた。


「やっと……」

「え?」


 シルフィの華奢な影は、ネフィのマントにすっぽり覆われて温かく守られていた。


「やっと、名前、呼んでくれた……」


 ──そして……やっと触れることが出来た──。


「名を……呼ばれたかったのか……?」


 少女の潤んだ瞳は、頷くように長く閉じ、また開かれた。


「すまない……お前に『シルフィエーヌ』と名を与えたのはこの私だ。自分で名付けた者を前にして、その名を呼ぶのは何処か照れ臭かった。ましてや……お前はその長い名を好きではないと言ったからな」


 焦燥感を消し去れぬままの困惑した表情には、されど「間に合った」という安堵感と、名を呼べずにいた気恥ずかしさを含んだ笑みが複雑に絡み合っていた。そしてネフィの口から語られた理由に、少女は現状を忘れて只々驚いていた。──自分の名が『神』から与えられたものであっただなんて──。


「ネフィ様が……わたしに……?」

「ああ。だが、お前も私に名をくれた。……お互い様だな」

「ネフィ様……」


 今までで一番近くに見える笑顔。力強かった瑠璃の瞳はいつになく弱々しく優しく思えた。この双眸がずっと姉を見つめ、姉の心を満たしてくれたのだ。


 シルフィはネフィの胸の中で、今一度アリアの姿を目に入れた。端正な動かない横顔も何もかも、全てが完璧でどれほど憧れてきたかしれない。


 館の片隅、小さな一室ではあるけれど、こんなに心地の良い光と水に纏われて、美しい腰掛けに座り、まるで花嫁のような衣装を身に着けた麗しいアリア──姉は今でもネフィから沢山の愛情を注がれている。シルフィはそう確信出来て、再び彼の(おもて)へと振り返った。


「ネフィ様。もうご自分を責めないで。お姉様はネフィ様に言われたからそうしたんじゃないわ。自分で考えて自分で決めたの……きっとそうしたかったから。そうすることが、お互いに幸せだと思ってしまったから。今までわたしにしてくれたように、お姉様にも沢山の物語を話してあげて。そうすればいつかきっと、お姉様にもネフィ様の本当の気持ちが伝わるわ。一緒にいるだけじゃなく、いっぱいお喋りをして、二人で笑顔を見せ合いたいのだって」

「シル……フィ……」


 少女の表情は涙ぐんでいても、微笑みを絶やすことはなかった。それだけ二人の愛情の深さを感じ取れたから。そして二人はこれからも、共にいるべきだと思えたから。


「アリアお姉様を、お願いします。さようなら……ネフィ様。()()……」

「──でも?」


 突然の別れの言葉。それだけでも心に痛みが走る想いのネフィであったが、次に続く沈黙に、彼の気持ちは穏やかになれぬまま小首を傾げていた。


 ──でも……最後にわたしに『カケラ』をちょうだい──。


 シルフィはネフィに抱えられたまま、両掌で優しく彼の頬を包み込んだ。寄せる唇。少女は驚きで微動だに出来ずにいる彼に口づけていた。


 ──ごめんなさい、お姉様。わたしも選ばずにはいられなかった。でも、わたしはお姉様とは違う……わたしは愛しい人のカケラを貰って『生きて』いく……ネフィ様のカケラを戴くこと──お願い、許して。このカケラはきっと、お姉様のカケラでもあるから。お姉様を心から愛してくれたお方のカケラなのだから──。


 シルフィは唇を合わせたまま、支えるネフィの右手からおもむろに手袋を外し、その四本の指先を握り締めた。途端に彼女の胸元に光る深い青の守護石から紺色の波が溢れ出し、辺りを涼やかな淡い世界へと変えていく。背後でずっと押し黙り、事の始終を見届けていたルモエラは、ふと大きな窓の外を目に入れて、思わず言葉を零していた。


「サファイア色の……ラグーン──」


 館を守るように広がる珊瑚礁の群れは、一斉に産卵を始め、その一粒一粒がシルフィの石の輝きに照らされて、まるでサファイアのようにキラキラと舞い散っていた。


 やがて二人の唇が離れようとした刹那、ネフィの口元から真珠のような小さな丸い粒が二つ現れて、シルフィは思わずコクンコクンと呑み込んでしまっていた。


「ネフィ様?」


 再び元の距離に戻ったネフィの瞳は、戸惑うように揺れながら、予期すら出来なかった彼女の行動と、図らずして起こしてしまった『結果』に困ったような表情をした。


「もう……元には戻せないか……」

「え?」


 シルフィの問いかける一言に、ネフィは微笑を湛えたまま、ただ無言でかぶりを振ってみせた。


「『カケラ』を下さってありがとう、ネフィ様」


 少女は今一度ネフィの頬に手を触れ、そして目線を外さずしてゆっくりと後ろへ退く。


「いや……色々とすまなかった、シルフィエーヌ。が、楽しかったよ、この数日は。私はお陰でもう一度、希望を取り戻せた気がする──アリアを呼び戻すための、希望を」


 彼の真摯な眼差しと信頼のおける発言を前にして、シルフィは満足したように精一杯の笑顔を見せた。それはほんの少し大人へと成長を遂げた少女の面差しをして、何よりも心満たすアリアの可憐な微笑みにとても良く似ていた。


「さようなら、ネフィ様」


 再びの別れの言葉に、そっと頷く『神』。


 そして、少女は母親の胸の中へと戻った──。




 それから──。


 シルフィは三ヶ月して一人の娘を産み、更に三ヶ月置きに一人、また一人と、一年で四人の(カケラ)を産んだ。


 四姉妹は全てシルフィに良く似た美しい銀色の髪を持ち、不思議な能力を持ち合わせていた──物に触れずして動かす力──それが『転移の魔法』。


 四人は成人し、それぞれ独自に同じ銀髪の人魚を産んだが、人間との間にも子をなすと、その娘達はどうしてなのか、相手の髪色の影響は受けず、全員が金色の髪をして、やはり不思議な力が備わっていた──すなわち、それが『創り出す魔法』であった。


 ネフィの持つ二つの力が粒となり、シルフィが呑み込んでしまったこと──これこそが銀色と金色の髪の人魚に受け継がれた特殊な力の所以(ゆえん)であった。 




 こうして人魚達の新たな歴史が紡がれていく──。




 そして『神』は──?


 以後ルモエラによって『サファイア・ラグーン』と呼ばれた結界に、代々シレーネは招かれたが、その姿は見せず、あの美しい低音の声だけが辺りに響き渡り、成すべきことに導いたと云う。


 ウイスタの時代、ラグーンは人魚達の地となり、アーラによってその機能は()の地へと移され、『神』は自身の地を失った。


 だが、ネフィは地中海の何処かに存在していた。

 そして結界をその手に戻した後、彼は今でも『其処』にいる。




 微笑むだけの『人形』でなくなったやもしれぬ、アリアの身体を優しく(いだ)きながら──。







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