偲ぶ月見ゆ
直ぐに李春鈴さんと一緒に使者に会った。
それにより判明したのは県令だった韓宮が兵を率い強襲し、月達を人質にし、留守だった董君雅さんに太守の座を渡す様に要求。
大まかに言えば、これが事の流れだ。
「──では、その韓宮というのは元は董姓を名乗る事が出来た董家の分家筋の者なのですか?」
「ええ…ですが、韓宮の父親が謀叛を企み、行動を起こす前に露見、処断されました
その為、董家一族からは除名・追放となり、母方の韓姓を名乗っていました
勿論、それだけで韓宮を差別したりはしません
彼は努力し、認められて県令の地位に就きました
…しかし、血は争えなかったのか…或いは、単純に欲望や野心に抗えなかったのか…
韓宮は一部の商人を優遇し、他の商人達から利権を奪う事で私腹を肥やし、三年前に職位を剥奪され、私財も没収、十年間の“奴隷囚”に処されました」
「…が、その韓宮は兵を率いて謀叛、と…
無いとは思いますが、董家の中に内通者は?」
「……可能性は否定し切れませんね」
「まあ、董君雅さん達が居ない状況で踏み込む辺り内部情報を握ってはいないんでしょうけど…
問題は奴隷囚の身で有りながら、どう遣って韓宮が資金や兵を集めたのか…
何よりも、監視下に有った筈の韓宮が消えた事に、監視員が気付いていないという事ですね」
「既に情報は集めているでしょうが…」
「ええ、此処までは距離が有りますからね
取り敢えず、此方等も直ぐに董君雅さん達に合流をする為に動くとしましょう」
そう言うと俺は直ぐに白蓮達への伝令を出す。
身重である以上、戦場には出せないから今は指揮に専念して貰う事にする。
一応、動こうと思えば動けるから困るんだよな。
また漁陽郡は雛里に任せ、流琉と季衣を付ける。
そして華琳・凪・咲夜・真桜を連れ、李春鈴さんと六人だけで一足先に広陽郡へと向かう。
愛紗達は兵を率いて郡境で待機して貰う。
水面下では俺と月の縁談が事実上成立していても、まだ表面上は無関係という状況。
その為、董家の立場を守る意味でも、いきなり軍を越境して広陽郡には入れられない。
面倒臭いが、これは戦争ではないからな。
こういう細々とした配慮を欠くと後々に響く。
だから面倒臭くても遣っておく方がいい。
さて、それは兎も角としてだ。
この世界の処罰の一つに奴隷囚という物が有る。
これは所謂、犯罪者を奴隷として働かせる事により罪を償わせる、という考え方によるもの。
早い話、文字通りの“御務め”な訳だ。
──とは言え、刑務所の様な隔離施設は無い。
隔離・監視されている人里離れた“陸の孤島”的な場所にて様々な労働に従事し、刑期を過ごす。
過酷では有るが、抑は自業自得なので仕方が無い。
ただ、冤罪や謀略による服役を避ける為、奴隷囚の決定には幾つもの条件が定められている。
その内の一つが、太守と県令三名以上の承認。
つまり、太守不在の郡では適用出来無い訳だ。
だから、啄郡・漁陽郡では奴隷囚は居なかった。
長く統治をしているから可能な処罰だって事。
──で、その刑務地に居る奴隷囚が脱走した場合、問答無用で即時処刑──殺害する。
これは逃亡後の奴隷囚による二次被害を出さない為であり、監視員等の安全の為に必要な事。
罪人に対し、厳格に処罰するからこそ、維持される秩序というのは確かに有るからね。
だから、奴隷囚の韓宮が生きて脱走している事は、有っては為らない重大な過失の可能性も出る。
場合によっては監視員の買収や、関係者との癒着、最悪なのは他の奴隷囚や監視員が与している事。
まあ、その最悪の可能性は低そうだけど。
それでも、韓宮が生きて脱走した事実は確か。
そうなると、刑務地が無事かも懸念すべき事。
ただ、今は優先順位が月達なので後回し。
董君雅さん達も情報を集めているだろうしね。
合流すれば、ある程度は判る筈。
使者から聞いた街に入り、急遽、作戦本部と化した董家の臣家の屋敷に到着する。
入り口を警備していた董家の兵士達が李春鈴さんの姿を見て驚いているが、状況が状況。
俺達の事も深くは詮索はされず、中へ。
まあ、李春鈴さんが此処に居る時点で、ある程度は想像が出来るだろうしな。
此方としても問答する時間も無駄だから助かる。
こういう所の臨機応変さは、やはり流石だな。
そんな事を考えながら李春鈴さんに付いて進むと、大広間へと入った。
其処には指示を出している董君雅さんが居た。
────あ、旦那さんも居たね、うん。
名前は………………………あれ?、訊いたっけ?。
……と、取り敢えず、影の薄そうな感じです。
「御義母様、徐恕さんに曹操さんも…
この様な形での再会となって申し訳有りません…」
「それは貴女方の責任では有りませんよ
先ずは皆さんが無事で良かったです」
「そう言って頂けると……有難う御座います」
「それで、状況を改めて確認したいのですが…
今回の件の首謀者は韓宮で間違い有りませんか?」
「ええ、それは確認済みですので間違い有りません
ですが、韓宮が何時、どう遣って刑務地から脱走したのかは依然として不明なままです
ただ、彼方等に被害は一切出ていません
まるで韓宮だけが霧の中に消えたかの様に監視員の視界は勿論、意識からも消えてしまっていた…
そういう感じだった、と報告を受けています」
「…監視員の意識からも?
それは韓宮の事を確認する為に人を出し、訊ねたら韓宮という人物が居た事を思い出した、と?」
「話を聞く限りでは…そういう事になります」
「そうですか…まあ、その辺りは後回しですね
現在、韓宮の動きは?」
そう言いはしても気にならない訳が無い。
どう考えても不自然だし、嫌な予感がする。
ただ、此処で追及しても答えは出ないだろうから、考えるだけ時間の無駄。
だから全員の思考から流す様に話を進める。
…咲夜は意図に気付いただろうけどな。
しかし、今回の件で華琳達にも気付かれたかも。
そうなると……うん、マジで不味いな。
華琳の御神体計画が現実味を帯びてくるからな。
意地でも兄は潰すぞ、愛しき妹よ。
「韓宮は董家の居城に押し入った後、娘達を連れて街を出て、少し離れた所に有る砦に入りました
使者は都合三度出ていますが、要求は同じです」
「………態々砦に移った?、有り得ないわ…」
「何でや?、砦の方が防御力は高いやろ?」
「攻城戦の防御力だけで考えれば、そうね
けれど、今回の様な場合、砦よりも街の方が韓宮の要求を董家側に飲ませるには有効なのよ
何しろ、街を戦場にすれば多くの民を巻き込むわ
韓宮達にとって街の民も人質であり、生きた楯よ
董家側からすれば無理に攻め込む事は出来無いし、長期化すれば見せしめにも出来るわ」
「…無っ茶、胸糞悪い話やけど…確かに変やな」
董君雅さんの言葉に思わず声を漏らした華琳。
その呟きに反応した真桜に華琳は説明。
眉間に皺を寄せながらも真桜は華琳の呟きの意味を理解し納得、事態の可笑しさに気付く。
董君雅さんも李春鈴さんも同じ意見の様で、視線で「御二人は?」と訊けば、二人共に小さく首肯。
あまり口にはしたくない事の為、発言はしないが。
仮に韓宮の立場なら、自分は街で籠城する。
そう言外に二人も認めている。
だからこそ、韓宮の行動は可笑しい。
勿論、自分が太守になった後、その事が火種になり自身を焼く業火となる可能性を考慮しているなら、そうする事も有り得ない訳ではない。
だが、こんな真似を遣っている時点で、広陽郡の民からは勿論として、周囲からも疎まれるだろう。
寧ろ、韓宮が太守になれば宅は速攻で攻め込む。
そう断言出来る程、韓宮の謀叛は自殺行為だ。
それが理解出来無い程、愚かなら県令になるまでに何処かで躓き、消え去っている事だろう。
しかし、実際には韓宮は県令にまで上り詰めた。
まあ、其処で自爆したにしてもだ。
それを遣り遂げた男が、その程度の事が判らない筈無いだろう。
だから董君雅さん達も困惑しているのだろう。
「董卓を始め、連れ去られた人質の数は?」
「全部で二十三人、全て文官か侍女の女性です」
「……董卓は兎も角、他は選んで連れて行った?
居城の方の被害は?」
「負傷者こそ多いですが、死者は出ていません
また、防衛し無事だった者達の話では韓宮達は態々連れて行く人質を女性だけにしていた様です
勿論、反撃したり抵抗される可能性が低い事から、女性だけにする意図は判りますが…」
「完全に制圧し切っていない状況で人質を選別し、脱出してから砦に向かって籠城、と…
少なくとも、その場の思い付きではないですね」
そう言えば董君雅さんは首肯。
思い付きで行動した結果だとすれば、無駄が無い。
それに“抵抗され、制圧が難しくなったから”なら死者が全く出ていないという点も不自然だ。
だが、逆に最初から交戦は威嚇であり目眩ましで、狙いは人質を取る事だったとしたら。
「…董卓が連れ去られたのは偶然ではなく、韓宮が最初から狙っていた可能性が高い、か…」
「恐らくは…そういう事でしょう…」
俺の言葉に董君雅さん達の表情が険しくなる。
当然と言えば当然だろう。
それは切り捨てたかった内通者の居る可能性が有るという事を示唆しているのだから。
信じている者達を疑う、という事。
それは文字や言葉で表す以上に影響を及ぼす。
仮に、内通者が一人だけだったとしても。
董家の者達は周囲の人物に対する警戒心を懐かずに接する事は不可能になるだろう。
そしてそれは信頼関係に小さくない罅を入れる。
修復する事は出来ず、徐々に拡大するだけの。
軈て破滅へと至る、そういう類いの罅をだ。
(……それが狙いだとしたら、相当に厄介だな…
けど、話を聞いた限り、韓宮の人間像に合わない
こう言っては何だけど、そこまで賢くて自滅覚悟で董家に復讐しようとするだけの才器が有るなら…
韓宮は自分の立場を理解し、董家に仕えている
決して、私腹を肥やす様な馬鹿な事はしない筈だ)
だが、現実には韓宮は道を踏み外し、堕ちた。
その後、董家への復讐心から色々振り切った結果、其処に至ったのだとしても。
韓宮は奴隷囚という立場だった。
その状態で現状を作り上げるのは──不可能だ。
少なくとも、正面な方法では無理だ。
最初から全てが計画されていなければ。
「…砦の見取り図は有りますか?
それから董卓達の居場所の情報等は?」
「砦の見取り図は此方です、人質は……此処です」
直ぐに用意されていた見取り図が机の上に広げられ董君雅さんが綺麗な指先を滑らし、一角を示す。
其処は、ある意味では当然だと言える場所。
ただ、それだけに普通に一番面倒な場所。
「…やはり、地下牢ですか
一応、聞きますが…脱出用の抜け道の類いは?」
「いいえ、残念ですが…有りません
この辺りは地盤が固く掘り進められませんので…」
「成る程……敵の兵数は?
董家の方で直ぐに動かせる数は?」
「韓宮の手勢は凡そ三千、此方等は五千は直ぐに」
「…董君雅殿、正式に私に救援要請をして頂きたい
そして郡境に待機している関羽達の率いる此方等の部隊が入る事を許可して頂けますか?」
「──っ……判りました
誰か、紙と筆を」
俺の言葉の意味を理解し、董君雅さんは決断する。
今は董家の面子を気にしている場合ではない。
長引けば、宅以外に付け入る隙を与えてしまう。
俺と月の縁談が有るから、宅は問題無いが。
他所が関わる事は問題でしかない。
韓宮に協力者が居る可能性も高いのだから。
だから、今は迅速な解決が最優先となる。
その為になら、妥協も必要、という訳だ。
それを理解して貰い、俺は後ろに控える華琳達へと振り向いて作戦会議を始める。
此処から先は俺達が主導権を取って動く。
董君雅さん達には悪いけど、それ以外に月を無事に助けられる術は無いのだから。