季巡り
思わず天を仰ぎ、そのまま意識を手離したくなる。
──あ、死ぬって意味じゃなくて、気絶ね?。
其処、大事な所だから赤チェックで。
──という現実逃避の時間すら与えられないまま、客間に通されている彼女に会いに行く。
咲夜は「私は初めてだし、部外者でしょ?」と言いながら素早く逃げ出していた。
彼女の事は話した事は無い筈だが。
動物的な勘、と言うべきなのか。
然り気無く危険を回避している。
重い足取りは近付く事を拒む。
深い溜め息は老獪な先達を苦手とする証。
猫背・撫で肩よりも滑り落ちそうな前傾姿勢。
いやもう本当、マジで今からでも居留守りたい。
居留守りたいって何だ。
──なんて考えてる内にボス部屋の扉の前に。
きっと、ゲームの勇者一行も行きたくもない場所にプレイヤーにより強制的に行かされていたんだ。
嗚呼、今なら君達を苦難に導く真似はしないのに。
どうか、愚かだった頃の私を赦して欲しいっ。
…まあ、それだとゲームの物語として駄目だけど。
──とまあ、現実逃避は此処まで。
小さく、短く息を吐き、思考を再起動。
扉を開け、中へと入る。
「御待たせして申し訳有りません、李春鈴殿」
「いいえ、どうか御気に為らさずに、徐子瓏様
此方等こそ、突然の来訪で申し訳有りません」
「いいえ、また御会い出来て嬉しく思います
それに何より、御元気そうで安心しました
皆さんも御変わり有りませんか?」
「ええ、特に病気を患う事も有りませんでしたし、領内も大きな問題も起きませんでしたから」
「そうですか、それは何よりですね」
そう挨拶しながら社交辞令的な会話をする。
侍女の人が用意してくれていた御茶を飲み、一息。
御菓子を口に入れ、「あら、美味しい御菓子…」と言った李春鈴さんに「まだ二郡内でも、一部にしか流通させられてませんけど、将来的には量産可能な状態にして手軽に買える値段にするつもりです」と面倒事から逃げたい本能が話題を振る。
如何に彼女が老獪でも、甘味には勝てまいて。
…勿論、それで流される彼女では有りませんが。
「…さて、子瓏様、本日此方等に伺わせて頂いた件に付いてなのですが…率直に申し上げます
宅の董卓も妻として娶って頂けませんか?」
ほーらねーっ!、やっぱりだったねーっ!。
もう、どう考えても他の要件が可能性の域を出ず、これ以外は肯定出来無かったんだもんっ!。
いや、別に月に不満は無いよ?。
当時でも正道派ヒロインだった月ですからね。
きっと、今では深窓の令嬢化している事でしょう。
或いは、家事にも更に磨きが掛かって良妻賢母に。
ええ、きっと二年以内に一人目が出来ます。
だって、あの月に尽くされて応えないなんて真似、正面な男だったら出来ませんから!。
だから、月の事は兎も角として。
面倒なのは董家が広陽郡の太守である事。
俺が月を妻として娶るという事は実質的に広陽郡を治めるのは俺という事で、太守の座に就く訳だ。
…三郡の太守?。
やだ、面倒な予感しかしないじゃないですか。
「………はぁ~……そんな気はしていましたが…
一応確認しますけど、月自身の気持ちは?」
「勿論、本人も喜んで納得していますよ」
「…政治的な立場故に、ではないんですね?」
「…まあ、他の方なら兎も角、貴男の立場であれば私達も否定は出来ませんね
ただ、それは過去が無ければ、ですけど」
そう言って御茶を飲む李春鈴さん。
その態度から見て「これ以上の問答は無駄ですよ」という言外の強制終了を理解する。
まあ、穏や璃々という前例が有りますからね。
月が「御家や民の為ですから…」という使命感から俺との縁談を了承したのではない事は判る。
──と言うか、昔は気付かない振りをしていたが、月の気持ちは理解しているつもりですよ、ええ。
だから、決して強制ではない事は確かです。
…俺の方は強制的ですけどね。
断ろうものなら「悲しみのあまり、自殺するかも」「御兄様は月の事が御嫌いだったのですか?」等、周囲からの声が予想出来ますからね。
「…根本的な問題ですが、何故、今なんです?
代々広陽郡の太守を務め纏める貴女方が、此方等の状況を想像出来無い筈は有りませんよね?」
「……あの娘に兄が居た事は御存知ですね?」
「ええ…確か、八歳上でしたよね?」
「そうです、跡取り息子として期待されていたし、貴男の様に妹想いの優しい子でした…」
うん、月に話を聞いた時、生きていたら同朋として末長く良い関係を築けたと思った。
可能性ではなく、間違い無くだ。
愛妹兄に悪人は居ないのだから。
だが、そんな月の兄は既に亡くなっていた。
代々、弓士として優れている董家の者らしく、彼も十歳にして鹿を射抜き、仕留める腕前だった。
しかし、身体能力としては同年代より少し上程度。
その為、狩りの途中、崖から滑落して亡くなった。
そう月からは聞いている。
「……実は生きていた、とか?
或いは、居ない筈の子供が居た、とか?」
「いいえ、そういった事では有りません
…ただ、あの娘が後を継ぐ場合、婿を取る訳です
そうなると、どうしても余計な火種を抱えます
同じ様に董家に入るにしても、嫁と婿では、本人の立場は全く違いますから…」
「それは俺でも同じでは?」
「貴男の場合は、貴男自身が背負うと決めた事で、家柄等では有りませんよね?」
「それは…まあ、そうですね」
「だから何も問題が無い訳です
勿論、仮に貴男が由緒有る家に連なる身だとしても貴男自身が影響されないでしょうから
そういった心配はしていません
そういう貴男だから、月も見初めたのですしね」
「え~と……そうですか…」
正直、こんな風に言われては返す言葉が無いです。
月と直接話しているのなら多少は違いますが。
…まあ、こういった部分でさえ抵抗出来無い様に、李春鈴さんが遣って来てるんでしょうけどね。
本当、怖い人達ですよ。
それは兎も角として。
現時点で粗確定したと言える月との結婚。
それ自体は俺としても異論は有りません。
何を言っても無駄な以上、さっさと受け入れた方が色々と前向きに考えられるし建設的だし精神的にも良いですからね。
ただ、太守となる上での問題は無視出来無い。
その辺りの事は了承する以前に確認しなくては。
「俺が月を娶るとして、董家の立場や方針は?」
「基本的には判断は貴男に御任せします
「董家が邪魔だ」と思えば、如何様にも」
そう言い切る李春鈴さん。
そんな真似を絶対に俺はしないだろうと思っている──訳ではなく、それが必要なら受け入れる。
その覚悟を持って、今回の縁談を持って来ている。
それが、月に受け継がれる瞳に宿る意志の強さから明確に伝わってくるから困ってしまう。
「………はぁ~…信頼が重い話ですね…」
「ふふっ、そう面と向かって言える貴男だからこそ月も私達も信頼出来るのですよ
まあ、此方等も協力は惜しみませんから」
「…そういう事なら、広陽郡を統治する上で必要な人材は董家の方で見繕って貰えますか?
勿論、最終的な採用の成否の判断は俺がします
ただ、それ以前の過程を省けるなら、此方としても色々と忙しいんで助かりますから」
「それ位の事でしたら、全く問題は有りませんよ
貴男が広陽郡も含めて治める“大太守”になれば、今の要職には不要となる物も出るでしょうから
そういった事情から溢れた者達は勿論、諸事情から重用し辛かった人材も貴男なら登用出来ますしね
そうですね……二百人位なら直ぐに揃えられます」
「それだけ居れば助かりますね
──と言うか、それが出来るのに、この縁談を?」
「妹さんから聞いていないかしら?
貴男だからですよ、子瓏様
それだけ貴男は特別な存在な訳です」
「………あの娘の身内贔屓では?」
「そうではない事は今の貴男自身が証明しています
如何に兄妹仲が良くても、単なる身内贔屓の話では二郡の太守には成れませんよね?」
「……………仰有る通りです」
「ふふっ、まあ、本音を言えば、貴男達を見送った時から董家としては月の夫は貴男以外には考える事ですら出来ませんでしたから…
だから貴男には是が非でも月を娶って貰わなくては独り身が長引くだけですので
祖母として、心配な訳です」
「………それは狡い一言ですね」
「月は綺麗に成りましたよ?」
「ええ、それは昔から確信していましたよ
将来は絶対に美人に成ると
貴女や董君雅様に月は似ていましたからね」
「あらあら、御上手ですね
ですが、その御様子なら、曾孫は思っていた以上に早く抱けるでしょうか」
「まあ、順調に行けば、三年以内には一人目を」
「他の奥様達も何人かは身重なのでしょう?
其方等も楽しみですね」
……うん、やっぱり、凄いわ、この人達は。
そう、あっさりと言っているけど。
その情報は外部には流さない様にしている事。
まだ漁陽郡の改革中だからね。
それなのに、董家の情報網には引っ掛かった訳だ。
その事実には素直に両手を上げるしかない。
宅の隠密衆が優秀な自信は有るし、怪しい人物等は俺達自身も動いて発見・排除している。
その状況でも此方等の情報を握っているという事は董家の情報網が市井の中に溶け込んでいる証拠。
宅の隠密衆は優秀だが、まだまだ経験的に浅いし、その情報網の完成度も途上だ。
それに対して、代々広陽郡の太守として治めてきた董家の情報網とは比べる事さえ烏滸がましい。
機会を見て、引き合わせたいものだ。
先達から学ぶ事は多々有るだろうからな。
尚、自分では「二年以内に出来る」と思っていても一年余計に見積もったのは、月の事を考えて。
「早く董家の跡継ぎを」というプレッシャーにより心神喪失状態に陥ったりしない様にする為だ。
月と子供を作る気は有っても、政治的な理由等から直ぐには出来無い場合も有るから。
まあ、その心配は要らないでしょうけどね。
「それで日取り等は既に?」
「一応、希望としては考えて有りますが…
月を傍に置いてさえ頂ければ、急ぎはしません
婚礼衣装等は既に準備が進んでいますので早ければ一ヶ月後には必要な物は全て揃います」
「…まあ、傍に置くのは構いませんけど…」
「勿論、好きにして頂いても構いませんよ」
そう、とてもいい笑顔で言う李春鈴さん。
言外に「早く曾孫を御願いしますね?」と。
無言の物凄い圧力を感じるのは……うん、出来れば気のせいだと思いたいです。
ええ、月の件に関しては御任せ下さいませ。
──というのは置いといて。
もう誰が見ても聞いても準備万端じゃないですか。
それはまあ?、俺も手間が省けて助かりますが。
…いえね?、婚礼の準備って地味に大変なんで。
しかも、俺の場合は二郡の統治をしながら、華琳達複数の妻との合同婚礼式でしかたらね。
本っ………………………当にっ!!!!、大変だった。
その時の事を考えると、素直に感謝感激です。
──と言うか、其処まで知られてるんですね。
…まあ、彼方等此方等の商人とも繋がっている、と考えれば可笑しくはないんだけどな。
いやもう、本当にマジで結婚後は色々助けられて、月無しでは生きられなくなりそうです。
…え?、「怖くないのか?」ですと?。
いやいや、喜んで依存させて頂きますとも。
それで華琳が布教を諦めるなら、本望でごわす。
──と、此方等に近付いてくる気配を感知する。
…氣の乱れ方から、嫌な予感しかしないのだが。
──と言うか、最近、こういう展開が多い様な…。
「──失礼致します!、広陽郡の董家より緊急事態との使者が来て居ります!」
部屋に入って来た兵士の言葉に頭痛を覚えながらも李春鈴さんの顔を見ると、素で驚いていた。
どうやら、火種が有るからの今回の縁談ではなく、本当に月の事を考えて、だった様だ。
だからこそ、この緊急事態は想定外。
李春鈴さんも把握していないなら──不味いな。
月達の事が心配だ。