55話 空行く孤人
“常識”とは、言い換えれば多数意見である。
その為、常識には認識範囲が存在する。
一番判り易いのが“ローカル・ルール”だろう。
しかし、それ自体は様々な事柄に発生している為、単に聞いただけでは思い浮かべる物は異なる。
ただ、それだけ多いという訳だ。
さて、そんなローカル・ルールだが。
当然、一部地域でしか認知されていない事である。
けれど、それを認知している人々にとってみれば、“誰もが知っている筈”の常識だったりする。
その常識が一部限定の事だと知るのは、外に出たら通じなかった時、或いはローカル・ルールだと既に知っている者から知らされるか、何も知らない者に指摘されて、が多いだろう。
そんなローカル・ルールでさえ、認知している人々からしてみれば、常識である事には違い無い。
つまり、局所的であろうとも、その対象範囲に居る人々の半数以上が認知すれば、それは常識となる。
そして、それ故に常識とは多数意見だと言える。
そんな常識は、範囲規模が拡大する程に、常識だと認知される事が非常に難しくなる。
逆に言えば、局所的である程、常識は成立し易い。
とある事を、一国の国民が常識とする。
それが成立するには一体何れ程の時間と努力が必要となるのかは──考えただけで気が滅入る。
政治的な意図から国民に常識を植え付け様とすれば大なり小なり反発は必ず起きる。
何故なら、それは認知ではなく、強制認識だから。
そういった事を踏まえて、世界的な常識を鑑みる。
今では常識だとされている事。
果たして、それは何時から常識となったのか。
一年前?、五年前?、十年前?。
否、軽く百年を越えている事だろう。
ただ、それは通信技術が未熟だった時代の話。
今、高度な通信技術の世界的な発展・拡大により、世は大きく変貌し、その常識ですら変わった。
昨日までの常識が今日には非常識になり。
今日の非常識が明日には常識になる。
そんな情報化社会に置ける常識。
だが、その認知速度に対し、その正否を人々が認識出来てはいないのが、落とし穴である。
手軽で簡単に、様々な情報を手に入れられる一方、誤った情報に踊らされる可能性が高くなる。
それはつまり、他者の思惑により、正否を気にせず信じ込まされていのも同じ、という事。
情報により洗脳され、操られてしまう。
そんな危うい社会に生きている。
しかし、そういった危機感と自覚は──恐らくは、世の人々には無い事だろう。
手軽で簡単な事が、当事者である実感を持ち難く。
それ故に生じる無意識の隙間が致命的なのだと。
他人事としてしか感じていないのだから。
「……貴男って、本当に一般人だったの?」
「……………は?」
急に意味不明な事を言った咲夜を見ながら、思わず小首を傾げてしまう。
いや、本当にね、いきなり過ぎて訳が判らない。
漁陽郡の統治改革を始めてから約二ヶ月。
今の所、問題らしい問題は起きてはいない。
白蓮達も体調が落ち着いたし、少しずつ御腹の方も膨らんできているので、実感も湧いてくる。
統治改革の肝となるのが民の意識改革。
今までの統治者と違い、俺は俺の価値観を軸にして統治を行う為、民に理解して貰う必要が有る。
その為に必要なのが、法律・価値観の共通認識──要するに常識化だ。
民に法律・価値観の同じ認識を持たせ、共通理解を持つ事により、社会的秩序を再構築する。
その為に色々と動いている。
効率的且つ早く効果を出そうと思えば、面倒だが、実は局所的に同時進行で遣ると良い。
その過程に多少の違いは有っても、結果として同じ認識を持つ事が出来れば良いのだから。
そういう意味でも地域性を考慮したり出来るので、実は反発や嫌悪感を生じさせ難い。
逆に、足並みを揃えたり、期限を決めて進めたり、一つの遣り方で遣ろうとすると時間が掛かる。
“急がば回れ”ではないが。
人員・時間・資金を何処に、どう使うべきなのか。
それさえ見誤らなければ、物事は滞りはしない。
その際、必ず“人を見る”事を怠ってはならない。
如何なる政策も機械相手や電脳上の事ではない。
全てに、生きている人が関わるのだから。
──とまあ、そういう訳で俺は執務室で竹簡の山と日々終わりの見えぬ戦いを繰り広げています。
そんな事は兎も角として。
俺の反応が予想外か不満だったのか溜め息を吐き、軽い怒気を孕んだ視線を向けてくる咲夜。
悪いが、流石に唐突過ぎて察するのは無理だ。
「…それはまあ、一応は手続きをしたのは私だから貴男の経歴とかは一通り把握してるけど…
正直に言って、到底“王の器”じゃなかったわ」
…あー……成る程ね、そういう事ね。
桶桶、風呂桶、カッポ~ン。
今ので咲夜が言いたい事が判った。
「まあ、それはそうだろうな
──と言うか、王の器だとは微塵も思わないぞ?」
「それは貴男自身の自己評価としては、でしょ?
私から──いえ、客観的に見れば貴男は間違い無く歴史に名を遺す稀代の王となる才器よ」
「…………………………」
「………何よ、その「うわー……面倒臭~……」と言いた気な遣る気が欠片も無い顔は?」
「いや、言ったまんまだと思うけど?」
「…はぁ~~~っ……そんな事を言いながらも全く仕事の手を止めない癖に…
言ってる事と遣ってる事が合わないわよ?」
「いや、其処はほら、勤勉勤労な日本人気質だし」
「貴男位の年齢の日本人って、其処まで生真面目な人の方が割合としては圧倒的に少数派よ?
まあ、違う世界なら話は変わるんだけど…」
「あ、って事は、やっぱり、パラレルワールドって本当に有るんだな」
「…まあ、有ると言えば有るわね」
「……何か、いい加減な言い方だな」
「それはそうよ、貴男の考えてるパラレルワールドなんて存在しないもの」
「おい、今、肯定したばっかりだよな?」
「もぅ…だから言ってるでしょ?
貴男が言うパラレルワールドと、私の言うのとでは認識からして違うのよ
“本の少しだけ違う世界”なんて不要よ
世界は、大きな岐点で枝分かれるする可能性が有る事は確かだけど、その全ての可能性の先に異なる軸による世界が無限に生じる訳ではないわ
仮に一つ目の岐点で十の可能性が生じたとしても、その先が別基軸の世界と成る可能性は稀よ
その内、三つが存在したとしても、二つ目の岐点で新たに十の可能性が生じるとした場合…
貴男の考えてるパラレルワールドなら、三十通りも存在する事になるでしょ?
そんな容量の無駄遣いはしないわ
だからね、どんなに似ている世界だったとしても、貴男の考えてるパラレルワールドとは異なるの」
「………言いたい事は判る、が、なら、此処は?」
「なら、貴男の知る世界は実在するの?」
「………………はぁ~……そういう話かぁ…」
「そういう話なのよ」
つまり、原作の世界が基軸という訳ではなくて。
この世界は、偶々似ているというだけ。
今になって、思い返してみれば、咲夜──元女神は「知っている世界かも」とは言ったが、そのままの世界であるとは一言も言ってはいない。
そう考えると、華琳達は似ているというだけで。
華琳達は華琳達でしかない。
決して、架空の人物ではない。
…まあ、その点に関しては今更なんだけどな。
「──で、話は戻るけど、貴男って異常だわ」
「おい、いきなり人を異常扱いするか?」
「したくもなるわよ、貴男を見てたらね
貴男、平々凡々な稍ブラック企業体質な会社勤めの二十代半ばの特筆する事も無い人が、転生して国を興しそうな勢いで活躍していたら、どう思う?」
「それは普通に異常だろ」
「貴男が、そうなのよ」
「…なん、だとっ!?」
「はいはい、御約束御約束~」
「少しはノって来いよ」
「嫌よ、面倒臭いもの…
それで、実際の所どうなの?
貴男の特典の可能性も否めないけど…」
「あー…まあ、全く無いとは俺も思わないな
何だかんだで、特典には助けられてるから」
「でも、それだけだと納得が出来無いわ」
「んー………まあ、現在の人生で出逢った人達から学んだ事が大きいのが一番だろうけど…
元々、俺自身、原作が好きだったからな
だから、彼是と想像してたから、かな?
二次物を書いたりはしてないけど、頭の中で色んな外史(if)を創って遊んでたから…」
「……一応は、理解出来無い訳ではないけど…
それでも、想像と現実では全く別物よ
仮に、イメージトレーニングとしての効果が一応は有ったにしとも…貴男の在り方は普通じゃないわ
だから、疑いたくもなるのよ」
「…で、それを俺に言うのか?」
「華琳達に言ったら殺されるわ」
「いや、流石にそれは…………………………うん、マジで有り得そうだから笑えないわ…」
「そういう事よ、それで?」
「悪いが、それに対する明確な答えは無いな
俺自身、努力はしてるけど、基本的には人真似だ
お前なら判るだろ?
歴史という知識は時代考証や世の中の流れを指した限定的な物ではないんだって事が」
「それは理解出来るわ、けど……いえ、そうね…
結局、貴男も私も彼女達も、此処に在る事が全て…
それ以外の答えは無いのよね…
御免なさい、変な事を訊いて…」
「…まあ、立場が逆なら、俺も色々考える筈だ
そういう意味では咲夜の疑問は当然の事だ
だから気にするな」
そう言って右腕を伸ばすと、俯いている咲夜の頭を少し乱暴な感じで撫でてやる。
「ちょっ、髪が乱れるから止めてよね!」と怒って文句を言いながらも手を払い退ける事もしない。
全く…このツンデレさんめっ!。
──なんて、遣っている割りに関係は変わらず。
いや、もう普通に咲夜から望まれれば、安全装置を即解除で自慢のマグナムが火を噴きますが。
今の所は、一線を越えない様な気がしてます。
まあ、飽く迄も俺の主観としては、ですが。
「…………──っ!!」
──と、気付けば喉を鳴らしていそうな感じだった咲夜が俺から距離を取り、姿勢を正した。
頭の上に、ピククンッ!、と物音に敏感に反応した猫耳を幻視した俺は可笑しくはない。
昔、実家で飼っていた猫が家族以外に対しては凄い警戒心が強かった為、そういう姿を何度も見た。
だから、今の咲夜の反応と被るのも当然だろう。
「本当、ツンデレな奴だな…」と胸中で苦笑しつつ部屋の前で止まり、扉がノックされる。
返事を返すと文官の女性が入って来た。
彼女は、長く鳳家に仕える家柄で先の一件の裏側で“雛里”を逃がす為に亡くなった一人の奥さん。
嫁いだ身だが、元は文官をしていた才女。
当主である夫の急逝で当主となり、鳳家との関係上縁が切れない様に登用した──訳ではない。
単純に彼女が優秀だったから。
ただ、まだ跡取りの一人息子が三歳という事も有り育児に影響が出ない様に、と配慮はしている。
尚、まだ二十代半ばで、美人ですから、再婚の話も勝手に噂されています。
勿論、本人に再婚する気は有りませんから、俺達も彼女が働き易い様に睨みを利かせておきます。
…まあ、それも一種の嫉妬なんでしょうけど。
そういう女性の根深い所って怖いよね~。
「御仕事中に失礼致します、子瓏様」
「仕事中だからな、構わないよ
それで、何か問題でも有った?」
「問題、では有りませんが…
子瓏様に御目通りを、という方が…」
「俺に?」
そう言いながらも、それ自体は珍しくはない。
陳情の類いではなく、売り込みや縁結びで、だが。
こういう立場になれば嫌でも増える事だしな。
その辺りは気にしない様にしている。
──が、それを知らない筈が無い彼女。
その歯切れが悪い事が気になる。
訊きたくはないが…俺に逃げ道は無い。
「…何処の、何方?」
「…広陽郡は董家の、李春鈴様です」
「……………ぇ?、マジで?」
「はい」
「……………マジかぁ…」