紫月微睡む夜
一昔前の学園恋愛物の王道に、学校の教室より先に登校中や前日の街中で出逢うという展開が有る。
しかも、その出逢いは大抵御互いに悪い印象で。
けれど、最初がマイナスから入るからなのか。
些細な事で御互いの好感度が上がっていく。
「此奴、チョロインだな~」とか言っている内に、一番好きなキャラに為っていたりする。
王道ヒロインの底力、半端無いって。
それは兎も角として。
創作物のキャラクターというのは男女・種族問わず魅力的な存在が多いのは当然だと言える。
何故ならキャラクターというのはニーズに合わせて造り上げられた存在なのだから。
だから、実は心底嫌われるキャラクターというのも作り手側からしてみれば、狙い通りだとも言える。
さて、それでは、そんなキャラクターが現実世界に存在していたとしたら、どうなのか。
キャラクターにも因るのだろうが。
その多くは現実との間に致命的な溝が生じる筈。
何故なら、どのキャラクターも創作された世界観の中でこそ輝く様に生み出されている訳で。
現実世界に存在する場合には、ズレてしまう。
キャラクターとしての個性を優先し現実で破綻する事に為ってしまうのか。
或いは現実に合わせてキャラクターが変化するか。
それは非常に難しい事だと言え、何が正しいのかは結局は受けて次第という事になるのだろう。
「………のぉ、公覆さんや、儂の目の錯覚かのぉ…巨大な白猪が見えるんじゃが?」
「…うむ…奇遇じゃな、儂も同じ物が見えるのぅ…しかも、どんどん近付いておるのぅ…」
「「……………………」」
無言のまま顔を見合わせると俺達は駆け出した。
森の中を縫う様に──ではなく、「邪魔だっ!」とばかりに木々を薙ぎ倒し迫って来ているのだ。
逃げる他に選択肢は無かった。
…ん?、「いや、氣を使えよ、特典も有るだろ!」ですと?、使えれば逃げませんって。
何時ぞやの、梨芹と迷い込んだ不思議空間。
どうやら、アレと同じ様な場所らしく。
俺も公覆も氣が使えません。
まあ、あの時は怪植物が原因でしたけど。
今回は気付いた時には使えませんでした。
あの経験が無かったら、その僅かな違和感にすらも気付け無くて致命的だったでしょうね。
尚、特典の方は中途半端な感じです。
弱体化されている、というよりは制限下に有る様な感じだと言った方が近いかもしれない。
ゲームで言えば最高レベルのキャラを使用可能でもフィールド・エリア自体に上限設定が存在していて自動的に上限レベルにまで落とされる様な。
ただ技術的な面での制限は受けてはいません。
それが不幸中の幸いでしょうね。
──とは言え、ピンチである事には変わらない。
いきなり土地勘も無い、方角さえ判らない様な森に放り込まれた状態の俺達は後手後手。
はっきり言って、今は逃げるしか手が無かった。
だが、問題は俺より公覆の方だろう。
氣が使用不可能な以上、素の身体能力が肝心だが、その点では公覆は問題無いと言える。
しかし、体力・精神力という点では不安だ。
脱出までが長期戦になった場合には特にね。
でも、取り敢えずは白猪から逃げ切らないとな。
肩越しに見た白猪は巨大だが猪には違い無い。
猪の姿をしているだけで、全く別の生き物だったら御手上げなのは言うまでもないが。
俺は腰の小道具袋──決して四次元的な物ではなく所謂ウエストポーチである──に右手を突っ込み、中から鶏卵を取り出し、白猪の鼻を狙って投げる。
命中した瞬間、殻が割れて中身が飛散する。
目を閉じ、脚を縺れさせ、のたうち回る白猪。
その隙を逃がさず、公覆を抱き上げると加速して、一気に距離を取って振り切る。
いきなりの事に驚き声を上げ掛けた公覆だったが、伊達に色々と苦労はしていない。
反射的に右手で自分の口を塞ぎ、抑え込んだ。
どうにか白猪から逃げ切れた俺達は梨芹の時の様に岩場の洞窟に身を潜めていた。
しかも御丁寧に雨まで降って再現してくれる。
「これ、誰か見ながら指示してね?」とドッキリを疑いたくなる俺は可笑しくはないだろう。
まあ、現世ではドッキリ番組なんて無いけど。
それに今回は濡れてはいませんしね。
それが意外と重要なポイントだったりします。
濡れた女性って、物凄く妖艶だと思いません?。
「…所で、先程投げておったアレは何なんじゃ?
あの白猪が、のたうち回る程とはのぅ…」
「ああ、アレか…“煉獄辛子”って有るだろ?」
「それは…あの極辛で有名な奴か?
扱った時には、しっかりと手を洗わねば誤って眼を擦ろうものなら失明も有り得る、という…」
「そう、それだ、それをじっくりと弱火で半日程、水を注ぎ足しながら煮詰めて出来た粉末に馬鈴薯を使って作った“焼酎”を混ぜた物を卵に穴を開けて中身を抜いた殻に入れて密閉した物だ
ほら、賊徒って無精髭の奴が多いだろ?
だから、顔にでも着けば戦闘も出来無くなるだろうっていうノリで作った目潰し的な物だな」
「………何ともエグい物じゃのぅ…
まあ、その御陰で助かりはしたがのぅ」
そう言って苦笑を浮かべる公覆。
その姿を見て、俺も少しだけ気を緩める。
何故、こんな事に為っているのか。
事の始まりは一昨日の夕食後、例の如く真桜の奴が持ってきた怪しい宝話から始まった。
故安県の西の外れ──啄郡と漁陽郡の郡境でもある“猪令山”には古の王朝の埋蔵金が眠っている。
そんな怪しいとしか言えない話をだ。
華琳に「その古の王朝というのは?」と冷たい目で訊かれた真桜は「さ、さぁ…何やったかなぁ~」と考える振りをして顔を背けた。
裏の取れていない情報程、危険な物は無いからな。
まあ、だからと言って引き下がる真桜ではない。
それで止めるなら、疾うに学習している。
そう、彼奴が追い求めるのは御宝ではない。
突き動かすのは謎や未知に対する好奇心。
その手が望むは、古代ロマンに他ならない!。
──イヤモウ、ホント、スンマセンッシタ。
ただ面白がってるだけです。
兎に角!、いつも通り真桜は押し切ろうとした。
しかし、正妻モードの華琳には敵わなかった。
──というか、普通に仕事が有るから駄目でした。
だって、何やかんやで色々忙しい時期ですから。
ええ、至極正面な正論ですよね。
しかし、それでも未練タラタラの真桜。
そんな真桜に手を差し伸べたのが──公覆である。
丁度、故安県に流入してきた賊徒の問題が有って、その為に俺と出向く予定だった。
だから、「ふむ…ならば儂等が序に探して来よう」なんて宣いやがったのが、今回の流れです。
普段なら異議を唱える華琳でさえ真桜案件となると本当に面倒臭い事も有り「御兄様、御願いします」と言って話を纏めて、強制終了。
…いい加減、真桜とは話し合うべきか。
勿論、肉体言語で、ですよ。
それで、早々に流入した賊徒の調査と駆除を終えた俺達は真桜の話の検証へ。
俺達と違って真桜の悪癖を知らない公覆は、子供が冒険をしているかの様に楽しそうだった。
だから俺も止められず、付き合っていたら……ね。
ああいう状況に為ってた訳なんです。
「…しかし、氣が使えないとか…何なんだろうな」
「………もしや、此処は噂に聞いた“隔離世狭間”やも知れぬのぅ…」
「初めて聞く言葉だな…有名な話なのか?」
「いや、かなり物好きな輩しか知らぬ話じゃな
儂の母方の祖父が、そういった類いが好きでのぅ…
小さい頃、面白がって色々と訊いたものじゃ…」
そう目を細めて懐かしそうに微笑んで言う公覆。
その横顔には思わず抱き締めたくなる魅力が有るが何とか気合いで踏み止まる。
脱線すると情報収集が出来無くなるからね。
だがしかし、それはそれとしてだよ、ワトソン。
フッフッフッ…成る程な、謎は解けた!。
つまり、その年寄り口調は“お祖父ちゃん子”故に口癖が移ってしまった訳だ。
紫苑や璃々、周りの家臣も普通だから気になってはいたんだけど、そういう事だったのか。
璃々位の姿の、祖父に話を強請る公覆を想像すると………くっ、可愛いじゃねぇか!。
思わず、俺と公覆の娘の家族段落絵図にまで想像が暴走して妄想が膨張したじゃないか。
………有りだな、うん、有り有りの有りだ。
取り敢えず、二男二女はマストだろうな。
──いやいや、返って来い俺っ?!。
ジィーーンッ!、カームバァーーーックッ!!。
「…ゴホンッ……その隔離世狭間と言うのはだな、あの世とこの世の繋ぎ目の世界らしい
それ故に、此処では生者と死者が会う事も有れば、生者と死者を別つ事も有るそうじゃ
また、時の流れからも外れておるそうでな
此処で数年を過ごしたとしても元居た場所に帰れば数日しか経っておらず、歳も取ってはおらぬとか…
しかし、誤って生者が死者の世に踏み込めば二度と生者として現世には戻れぬそうじゃ…
…まあ、その逆は起きぬらしいがのぅ」
思わず自分の昔話を口走って恥ずかしかったのか、公覆は照れながら咳払いをして誤魔化した。
揶揄いたい衝動は有るが、話が拗れるので我慢。
でも、良いネタ、ゲットだぜ~っ!。
だが、此処では流す振りをする。
そうして油断させねば、この手のネタは“旨味”が直ぐに損なわれてしまうからな。
そう、如何に鮮度を保つかが秘訣なんです。
それはそれとして、そうですか。
そういう仕様なんですか、隔離世狭間って。
「あー…成る程な、だから、氣が使えない訳か
生界と死界、その入り交じる不安定な場所だから、氣自体が安定しないんだな
──で?、此処から出るには?」
「…残念じゃが、さっぱり解らぬな
何しろ、飽く迄も“らしい”話じゃったからのぅ」
「まあ、そうだよな~…
でも、考えようによっては“体験者”が居たから、そういう話が一部だろうと伝わってる訳だし…
何かしら、方法──この場合は条件が有る筈だ」
「そうじゃな………そう考えると一番妥当なのは、あの白猪の討伐といった所かのぅ…」
そうだな、それが一番判り易いよな。
恐らく、あの白猪ってゲームで言えばエリアボスかゲートキーパーって感じだろうから。
ただ、あの世とこの世、何方に行くか判らない。
未練云々や“自分の居場所”的な意思が関係して、自動的に行き先が決まるのなら問題無いけどさ。
それにも条件が有るなら考えないとな。
…まあ、梨芹との時の事を考えれば、トラップ的な条件は付随していない様な気はするけど。
今は楽観視はしない方が良いだろうな。
──で、問題は白猪の倒し方だな。
何処かに攻略サイトとか無いのかな?。
うん、有る訳無いよね、言ってみただけです。
「……現実問題、氣無しだと結構厳しいな…」
「せめて、武器を持って来ておればのぅ…
叶うなら、あの時、「矢が勿体無い」等とほざいた自分を殴り飛ばして遣りたいわっ…」
「それは同意した俺もだって…
だから、そんなに気にするな
寧ろ、この経験で如何に備えるかの大切さを再認識出来たんだ、糧として成長しよう」
「…っ……そうじゃな、悔やんでも仕方無し
今は状況を打開する方法を考えねばのぅ」
自責の念で自爆特攻を仕掛け兼ねない公覆を諭し、思考を前向きに持っていかせる。
実際、責任という意味では五分だからな。
ただ、俺と公覆では立場が違う。
公覆からすれば、俺を危険な状況に陥らせた事実が赦せないし、璃々達に申し訳無いのだろう。
だから「この命に代えても…」的に思い詰める。
うん、そんなのは止めてよね。
のぉーさんきぅー、ですから。
──とまあ、それは置いておくとして。
つまり、今の俺達は丸腰な訳です。
果物ナイフ程度の短刀なら一本有るけどね。
流石に、これで白猪を殺るのは難しい。
──と言うか、あの白猪が見た目通り猪であるなら素手で殺る事は十分に可能なんですけどね。
この身以上に扱える刃を俺は知りませんから。
尤も、デカイだけの猪なら公覆にも殺れますが。
そう簡単な相手ではないでしょうからね。
「まあ、取り敢えず腹拵えをしよう」
「そうじゃな、餓死は嫌じゃしのぅ」
黄蓋side──
幼い頃、祖父に聞いた隔離世狭間。
実在するとは微塵も思わなかった、その場所に。
今、私は子瓏様と一緒に居る。
皆の事を考えると、本当に申し訳が無い。
だが、正直に言って子瓏様を頼もしく思う。
他人には言えないが、祖父に話を聞いたのではなく聞かされていたのが正しい。
しかも、楽しくて、ではない。
いや、確かに興味を懐いた内容も有ったが。
実際には祖父の“怪談好き”の生け贄だった。
無駄に演技力・話術が有る上に凝り性な祖父は色々小道具や演出用の仕掛けを用意していて。
腹立たしい事に何度も泣かされていた。
祖母に泣き付き、祖母に祖父が叱られる。
そんな日常も今では懐かしく思う。
何しろ、その祖父の御陰で滅多な事では動じない、強靭な精神力を手いれられたのだからな。
……まあ、その過程は絶対に話せぬがな。
そんな儂にとっても、これは流石に堪える。
もし、独りであったなら絶望していたじゃろう。
大抵の事には動じずとも、絶対ではない。
だからこそ、子瓏様の存在は心強く。
同時に、改めて自分の想いを自覚させられる。
その上で、こういう状況とくれば……のぅ?。
遣らずには居られまいて。
「…あの、公覆さん?…何故、服を脱ぐのかな?」
「子瓏様は着たままが御好みかのぅ?」
「…………それは状況と気分次第だけどさ…
どうして、そういう結論に達した訳?
別に俺達は死ぬ訳じゃないからな?」
「無論、死ぬ気など毛頭無しじゃ
以前にも言ったな?、儂は御主の子が欲しい…
子種だけでない、一人の女、御主の妻として…
御主の子を孕み、産みたいのじゃ…」
それは儂の嘘偽り無い本心。
じゃが、実際には拒絶される可能性に不安を懐き、恐怖に怯えている弱い女の自分が居る。
そんな儂の全てを見抜く様な子瓏様の眼差し。
沈黙の後、一瞬だけ視線を伏せ、息を吐かれた。
だが、その雰囲気で判る。
傍に居て知ったが故に、その瞬間に想いは膨らむ。
「…ったく…もう少し状況は選べよな…
…まあ、時間は有るんだ、覚悟しろよ、“祭”」
「──っ!、忍様っ!!」
忍様に真名を呼ばれた瞬間、容易く弾ける。
その胸に飛び込み、抱き止められたのと同時に腕を忍様の首に回して唇を重ねる。
甘える様に、強請る様に、上目遣いで凭れ掛かり。
普段の自分からは想像出来無い程に。
けれど、それは全く嫌な気はせず。
寧ろ、忍様に貪られ、蹂躙されたいと心身が望む。
そんな私の欲求を察したかの様に忍様の双眸の奥に鋭く獰猛な光を感じて歓喜し身震いする。
此処でした場合に妊娠するのかは判らないが。
抑、此処から脱出する事が前提条件なのだが。
まあ、そんな事は後回しにして構わない。
今はただ、一人の女として愛し愛されたい。
何しろ、此処では時の流れが違うのだからな。
つまり、暫くの間、忍様を独り占め出来る訳で。
それは望んでも得られない奇跡の様な一時。
堪能しなくては損以外の何でもないのだからな。
──side out