蛇蝎の毒の如く
イチャつけば~、色に溺れし、我が道も~
止まる事無く~、夕立に濡れ~。
──という訳で、何だかんだ遣る事は遣ってます。
ええ、何方等の意味でもです。
まあ、此方の抱える最大の問題は時間ですからね。
恋が切なさ大爆発しない内に帰らなくては。
「──は?、ごめん、もう一回言ってくれる?」
「だからね、三日前に県令の黄建様が賊に襲われて亡くなられたんだよ
真面目だけど、優しくて気さくな御方でねぇ…
奥方様が病で亡くなられた後も男手一つで一人娘の“黄叙”様を育て上げられてさぁ…
黄叙様も幼いながらに聡明で明るくて優しい御方で街の者からも慕われてるんだよ…
だけどね、黄叙様は今、行方不明でね…
本当に…無事だと良いんだけどねぇ…」
県令である黄建の住む街に到着し、情報収集序でに昼餉を取る為にと入った料理店で聞かされた事実に俺達は驚くしかなかった。
端から後手に回る事になるのは仕方が無い。
そう思ってはいたのだが、この展開は意外だった。
まさか、既に事が起きているとは思わなかった。
だから、華琳達も採譜から目を上げて話してくれる店員の女性を静かに見詰めている。
だが決して、ガン見してはいない。
然り気無く、俺達の感覚で、注視している。
「…県令が亡くなられて、しかも後任の筆頭である一人娘が行方不明、という事なら誰が?」
「それは黄建様の妹である“黄忠”様が筆頭だね
或いは、御二人の従姉妹である“黄蓋”様かねぇ…
尤も、御二人共、黄叙様の無事を信じて、一生懸命探しておられるけどね」
「…それ以外の人物で可能性が有るとすると?」
「それ以外かい?、ん~…………まあ、家臣筆頭の韓玄様になるんだろうねぇ…」
「…その韓玄という方は評判が良くないのか?…」
黄建の親族以外での有力な候補者を訊いてみた所、店員の女性が渋そうな表情をしながら言った。
だから、敢えて声を潜めて、「此処だけの話…」と言外に女性に示して、情報を引き出す。
普通なら、不敬という事で罰せられる可能性が有り迂闊に悪口を言いはしないだろう。
何処で韓玄の関係者が聞いているか判らないから。
だが、この女性は恐らく話してくれるだろう。
見た感じ、この女性は噂話とかが大好きだろう。
“聞き上手”な俺なら容易く引き出せる筈だ。
何より、渋い表情は“嫌悪感”が有るからだ。
「…正直な話ね、あの糞野郎が県令になる様なら、私は家族を連れて啄県に移るわね…
啄県は県令が変わってから評判が良いからねぇ」
おまけだけど、啄県の──白蓮の評判が良いと聞き思わずドヤ顔をしたくなってしまう。
勿論、そんな事は一切垣間見せませんけど。
まあ、それは兎も角としてだ。
街の女性から“糞野郎”と言われる様な奴か。
その韓玄に関する情報は無いが、恐らく男だろう。
白蓮や穏の様に女性が県令になるのは稀なケース。
県令の座を狙う時点で男である可能性が高い。
出来れば更に踏み込んで色々と訊きたくは有るが、必要以上に深堀すると悪目立ちしてしまうもの。
だから素直に止めて、注文を済ませる。
華琳達も耳を傾けてはいても何を注文するかは既に決めていたので直ぐに女性は俺達から離れた。
「…どうなさいます、御兄様?…」
「…取り敢えず、食事の後、バラけて情報収集だ…
…華琳は衣服、愛紗は薬、梨芹と凪は食材の調達を遣りながら世間話の範囲で訊いてくれ…
…韓玄の事・賊の事・黄建の死に関する事だ…
…それ以外は各自に任せるが踏み込み過ぎるな…」
そう指示を出すと華琳達は目立たぬ様に首肯。
こういう時って、優秀な事は勿論だが、確かな信頼関係が物を言うんだって改めて気付かされる。
まあ、だからこそ、この面子で来てるんだけどね。
昼餉を済ませた後、予定通りにバラける。
それは情報収集の為なのは間違い無い。
だが、もう一つ、俺が一人に為りたいから、という裏の理由も混じっていたりする。
人気の無い小さな路地で、民家の壁に背中を預けて空を仰ぎながら、ゆっくりと大きな溜め息を吐く。
(……黄建の一人娘が黄叙って事は、黄忠が妻だと思っていたのに…まさかの黄建の妹で、当の黄叙から見たら“叔母”と来たか…
その上、黄蓋が兄妹とは従姉妹という関係って…
いや、確かに原作でも同じ黄姓で、髪も紫系という共通点が有るし、弓使い・魔乳・淫魔でもある
そう、決して可笑しな設定ではない…)
そう思いながらも、思わず頭を抱えたくなる。
嗚呼、こんな事なら咲夜を連れて来れば良かった。
そう思ってしまう位に、誰かに愚痴りたい。
今までの経緯から、原作通りの関係や立場とは違う可能性が高いのは判っていたんだけど。
やっぱり、現実として向き合うと……ねぇ…。
だけどまあ、それを気にしていても始まらない。
溜め息と一緒に、胸中の余計な思考は吐き出して、素早く切り替える。
今は遣るべき事を遣らないとならない。
(…現実的には面識は無いけど、黄建の娘の黄叙が原作での“黄忠の娘”だとするなら、助けたい)
大人ではなく、子供だから。
まだ自分の道を歩む事さえ出来無いのだから。
…そう思うのは、やっぱり、俺自身が子供の時に、母さんに助けられた事が大きいんだろうな。
だから、流琉達の事も、今回の件も助けたい。
“恩とは返す物ではなく、報いる物だ”と。
前世で誰かが言っていた気がする。
勿論、恩人を助ける事は間違いではないが。
恩を“貸し借り”として考えるのではなく。
“他者への慈愛”として実行する事である。
だから、その為に先ずは情報を集めなければ。
「──それじゃあ、県令の娘さんが?」
「ああ、黄忠様と一緒に甘味処に来ていた時にね…
街中で、しかも新しい店だって事で客も多い状況で誰も黄叙様が居なくなる姿を見ていないなんて…
一体何が有ったのか、誰も判らないんだよ…」
ある程度情報収集を終えて華琳達への御土産として御菓子を買って帰ろうと入った店で訊いてみたら、それまでに無かった話が聞けた。
正確な話をすれば、黄忠と一緒に居て、行方不明になった事は知られていたが、現場は不明だった。
それが、新しい甘味処で、大盛況の最中だったと。
僅かだが、具体的な話を聞けた事は大きかった。
取っていた宿屋に戻り、華琳達から情報を聞く。
敢えてバラバラで行動していたのは複数で聞き込む真似をしていると目立つから。
それに同じ相手に訊いても訊く側と訊き方により、得られる情報が異なる可能性も有るからだ。
ただ、結果的な事を言えば大差は無かった。
「…情報を纏めると、今から五日前、黄忠と二人で新しく出来た甘味処に来ていた黄叙は、黄忠が少し離れた隙に姿を消した…
その翌日、黄忠と黄蓋が捜索に出ていた間に今度は黄建が城内から姿を消し…
翌朝、街外れの裏通りで“物取り”と思しき賊徒に襲われただろう遺体で発見された…
それで韓玄は「早急に新しく県令を立てるべきだ」と主張するが、黄忠・黄蓋は「先ずは黄叙の安否を確かめる事が先決です」と真っ向から対立、と…
黄忠達が兵を率いて黄叙の捜索に出払っている間に韓玄は色々と根回しをしている訳か…」
成る程ね、これは典型的な乗っ取りの遣り口だわ。
しかも、これで上手く行くと思ってるんだろうな。
…という事はだ、韓玄には何かしらの“奥の手”が有るんだろうな。
「…韓玄の手の者が黄叙を拐ったのでしょうが…
一体、どう遣って群衆の中で連れ去ったのか…」
「いや、それは大して難しい事じゃないな
黄叙は流琉達と同い年で、しっかりした娘だという評判だから、目の前で落とし物をした者が居たなら拾って届け様とするだろうからな」
「…其処を捕らえる、と…
黄叙殿の良心を利用した卑劣な手口ですね…」
「それが出来てしまう位に、平和呆けしているのが今の故安県の実態でもあるな
事件自体が少ない平和な統治というのは素晴らしい事には間違い無いが、危機感が薄れてしまう…
その辺りの“引き締め”が施政者の手腕を問われる重要な事だと言えるだろうな」
愛紗の呟きに、一つの例を挙げて納得させる。
勿論、実際の手口は犯人か黄叙に訊くしかない。
ただ、そういう遣り方なら、周囲に不審がられずに黄叙を連れ去る事は可能だ。
何しろ、その黄叙の方から誘拐の為に協力している格好になるんだからな。
「…御兄様、それでは黄叙は既に?」
「いや、少なくとも今は韓玄は黄叙を殺せない
黄忠・黄蓋という次の県令の筆頭候補の二人が居る以上は韓玄に芽は無いからだ」
「…ですが、忍、二人は女性ですよ?
男の韓玄を夫に、という可能性は?」
「梨芹の言いたい事は最もだろうな
ただ、白蓮に加え、今は穏という実例が有る
“女性でも十分に県令が務まる”という前例がな
だから、態々黄忠・黄蓋が評判の悪い韓玄を夫にし県令を任せるという選択肢は消える
仮に夫を必要としても韓玄を選ぶ理由が無い
だからこそ、韓玄にとって二人は邪魔な存在だ」
「……黄叙という餌で二人を釣る訳ですね?」
「ああ、恐らくは華琳の言う通りだろうな
だから黄叙は今は生きている可能性が高い」
黄叙が無茶をして、監視役に殺されたりしていない限りは生きてはいるだろう。
…無事であるかは判らないが。
「……それでは忍、私達は、どう動きますか?」
「黄叙を探して保護する
今回の一件の要は間違い無く黄叙だ
黄叙さえ無事なら、黄叙を県令に据えられる
或いは、黄叙の成人まで黄忠か黄蓋が県令を務める形を取っても良いだろう
どの道、韓玄一派は此処で排除するからな
異議を唱える馬鹿は先ず居ないだろう」
「成る程…確かに黄叙が要ですね、御兄様」
「黄叙の捜索に四人で当たる
凪、単独になるが韓玄の動きを見張って欲しい
その中で、“汚れ仕事”を遣らせると思える連中に接触したら──其奴等を生け捕りにしてくれ」
「はいっ、御任せ下さい!」
自信に満ちた表情で即答する凪が頼もしい。
忠犬気質な凪は今や最強の猟犬だと言えるな。
原作の楽進・甘寧・周泰をハイブリッドしたのが、目の前に居る宅の凪だ。
はっきりと言おう、凪一人で一国を崩せます。
だって要人だけ狙って暗殺すれば良いんだもん。
今の凪にとっては朝飯前ですよ、マジで。
俺は特典が有るから出来るんだけど。
凪も含め、華琳達は素でチートですからね。
例え世界が違っていても英傑としての才器だけは、しっかりと健在なんですから末恐ろしい限りだ。
…そんな面々を統括出来る華琳は本当に凄いな。
これで、行き過ぎたブラコンじゃなければなぁ…。
本当に……何処で育て間違ったのか。
「御兄様の私への愛が深く大きければこそです」
「さらっと人の心を読むんじゃ有りません
──と言うか、判ってるんなら直しなさい」
「御兄様、それは呼吸しなくては生きてはいけない生物に「呼吸をするな」と言うのも同じです」
「いや、違うから、絶対に違いますからね?
信仰心というのは本来、己の裡に有る物で、他者に示したり、広めたり、強要する物じゃないから
だから、いい加減諦めさない」
「御兄様の仰有る通り、私の信仰心は他者に示す物では有りませんね…
ええ、ですから、世の民達に御兄様の素晴らしさを伝える為にも御兄様が──」
「──立ちません、成りません、遣りません」
「そんなぁ…御兄様あぁぁ……」
「そんな風に幾ら泣きそうな顔をして、も…………だ、駄目なものは駄目です!」
「……ではせめて、恋に真桜に咲夜に春蘭と秋蘭を御兄様の妻として迎えましょう?
出来れば、黄忠と黄蓋も手を付けて──ぁうっ!?」
全く振れない華琳に対して無言でデコピン。
あまりに具体的な要求に脳が勝手に反応するわ。
凪、残念そうにしない。
梨芹、苦笑してないで助けて。
愛紗、呆れながら放置して寝ようとするな。
そんな愛紗君には身を以て思い知らせてくれよう。
俺の苦悩は滾る情熱の様に激しいのだと。
さあ、行くぞ、未来の軍神・関雲長おぉーーっ!。
黄忠side──
三百の兵を率いて踏み込んだ山賊の根城。
抵抗する山賊達の頭を次々と射抜いて討ち倒す。
賊徒に掛ける慈悲は有りませんから一切躊躇無く、一人も逃がす事無く狩り尽くします。
その様子を見た同い年の従姉である黄蓋──祭から「紫苑、焦る気持ちは判るが八つ当たりは止せ」と言われた時には自分を恥じる思いでした。
しかし、そうなるのも仕方が無い事です。
兄の一人娘である姪の黄叙──璃々を拐われた事に私は強い後悔と責任を禁じ得ません。
自分の油断が璃々を拐う隙を与え、その結果として璃々を助けたい兄は暗殺されてしまった。
璃々が拐われた時に冷静に為れていたら敵の狙いが兄であると気付けたでしょう。
そうすれば兄の死は避けられた筈なのだから。
…ただ、そうなっていた時、璃々が無事だったかは断言する事は出来無いでしょう。
「…紫苑、どうやら、ハズレだったらしい
璃々の姿は愚か、賊徒以外には人の姿は無かった
まあ、拐われた娘等の犠牲者が居ないのは朗報だな
賊徒も退治出来たし悪い事ばかり続きはしないな」
「……そうですか…」
そう言って祭は少しでも私の気持ちが前向きになる様に気遣ってくれています。
それはとても有難いのですが…拐われた璃々の事を考えると、どうしても心配で仕方有りません。
「……紫苑、気負うな、璃々は無事だ
“彼奴”にとって儂等が邪魔なのは判っておろぅ?
なればこそ、璃々の存在は必要不可欠だ
生かして置かなければ儂等は釣れぬからのぅ…」
「……ええ、判っているわ、祭…」
そう、頭では判っているのよ。
彼奴──韓玄にとっては兄よりも私達の方が厄介で邪魔な存在だという事は判っているわ。
隣の啄県の県令に公孫賛という若い女性が就任し、最近は特に啄県の状況が良くなっている。
それは彼方等此方等へと往き来する行商人達が色々話をしている事を聞いているから知っている。
以前であれば、県令等の重職は男だけの物だった。
けれど、彼女の存在と成功した事実が、民の認識を大きく揺るがし、変えさせ始めている。
それに逎県の県令が最近、女性に為った事も一因。
県令が男性でなければ為らない、という固定観念が破壊され、覆され始めているから。
以前なら、兄の亡き後は家臣団の筆頭である韓玄を璃々か、或いは私か祭が夫に迎えていたでしょう。
しかし、今は韓玄が県令になる為には私達が一人も残っていてはならない。
……いいえ、私と祭を排除すれば、璃々を妻として県令に上手く為れる可能性も有るでしょう。
そう考えると、璃々が無事な可能性は高いですね。
祭の言う通り、私も少し落ち着かなくては。
──side out