43話 人の身に余る欲の業
時が経つ事は誰にも止められはしない。
時として、川の流れに例えられる事も有るのだが。
塞き止めたり、貯水湖を設ける事により止められるという現実的な指摘をしてはならない。
それは不粋というものなのだから。
穏が逎県の県令と成ってから早二ヶ月が経った。
穏との約束通り、武の鍛練も開始している。
体調に問題は無く、基礎体力も流石と言うべきか、しっかりと付いているし、向上心も有る。
……まあ、“負けず嫌いな対抗心”だと言った方が正しいのかもしれないけどね。
そんな中、啄県と逎県、両県令である白蓮と穏が、初めての対面となる公式の会談が行われた。
会場は県境に近い啄県側の街を治める文官の屋敷。
二十二歳と若い事も有り物凄く緊張をしていたが、二歳年下の奥さんは堂々としていたのが印象的。
──と言うか、「こういう時って、大体女性の方が肝が据わってるんだよなぁ…」と思いました。
だから、泣きそうな彼の肩を叩いて励ましたのは、態々言うまでもない事だろう。
「…きな臭い?、故安県が、か?」
「聞いて直ぐに、そんなに嫌そうにするなよな…
…それはまあ、私も面倒臭いとは思うけどさ」
そんな会談の有った日の翌日の事。
私的な──夫婦の場として開かれている御茶会。
白蓮・穏に、実質的な俺の妻である華琳達は勿論、咲夜達や元譲達も参加している。
そんな場で、白蓮の口から出たフラグ的な一言。
だから、思わず眉根を顰めてしまったのは不可抗力なんだと言わせて頂きたい。
まあ、実際に口に出しはしないけどね。
白蓮だって面倒臭いとは思ってても県令として民の事を考えて相談しているんだからな。
「忍、その話なら私も聞きましたよ」
「愛紗も?、なら梨芹や凪達もか?」
愛紗の一言に梨芹達に訊けば、揃って首肯する。
だから、ついつい溜め息が出てしまうのは、塩気が絶妙な御菓子に手が伸びるのと似た様なもの。
ええ、仕方が無いんですよ。
それは兎も角として。
件の故安県とは、郡都である啄県の南西に位置し、啄郡の中では最大の領地である県だったりする。
──とは言え、領地が大きいだけで人口的には郡の中では中位だったりするのは、よく有る話だろう。
故安県は川が多いのだが、領地の過半数が川よりも低い場所であり、川の氾濫による水害が多い。
そういった事情から農耕地にも定住地にも出来ず、手付かずとなっている土地が五割以上なのが実態。
勿体無いとは思うが、治水工事には金も人も時も、多く必要とするから、中々出来無かったりする。
「…その故安県の県令って誰だったっけ?」
「黄建という男で、歳は……三十歳位だったかな
私も子供の時に一回会った事が有るだけだ
評判は悪くないし真面目で民を蔑ろにはしない様に良心的な統治をしているって聞いているな」
「……それで、きな臭いのか?」
そう訊き返すと白蓮は大きな溜め息を吐いた。
その姿を見詰めながら、ふと考えてしまう。
こう言っては何だけど、白蓮の溜め息を吐く姿って何でこんなにも様に為るんだろうな。
本人は嬉しくはないだろうけど、“薄幸”が異常に似合っているんだよね、マジで。
原作では、残念なネタキャラだったんだけど。
“翳りの似合う女”は多分、公孫賛が一番だろう。
“どうしようもない中で、懸命に生きている”姿は公孫賛にしか似合わない気がするからね。
言い方は悪いけど、他と比べて平凡・普通と言える公孫賛だからこそ、その雰囲気を出せる訳だ。
董卓も悪くはないが、能力が有るからね。
筋書きの所為で不運なだけで。
公孫賛よりは色々と恵まれていますからね。
そんな事を考えてしまった所為か。
つい、白蓮の事を抱き締めて「…白蓮、俺が幸せにして遣るからな」と囁きたくなってしまう。
勿論、行動には起こさず堪えはしているんだけど。
思えば、原作では本当に不憫な娘だからね。
セット販売しなくても、単独でも十分売れるだけのポテンシャルを持っているだろうに。
──とまあ、そんな原作への愚痴は置いといて。
「…此処十年間で見ても故安県は啄郡で最も平和で安定していると言ってもいい場所だ
其処にだ、“煙”が立つとすれば?」
「…………内乱の可能性が高い、か…」
「そういう事だよ…」
白蓮の問いに答えて、二人揃って溜め息を吐く。
穏達の件も逎県の内乱だった訳だが。
今回とは真逆のケースだったと言える。
逎県の件は時代劇に有る悪代官や悪徳領主が相手の勧善懲悪ストーリーの典型的な感じだったけど。
この故安県の場合は善良な県令である黄建を嵌めて地位等を得ようという企みからの騒動だろう。
軽く考えただけでも憂鬱になってくる。
「……あの、兄様?、逎県の時の様に助けてあげる事は出来無いのですか?」
「流琉、逎県の時とは事情が大きく違うのよ
逎県の時は、偶々御兄様が使者として向かっていた事で巻き込まれたから関わる事が出来たのよ
けれど、故安県の場合は御兄様が使者として彼方に行ったとしても行動を起こされなければ空振り…
警告をしたとしても、問題の先伸ばしになるだけ…
県令である黄建自身が自分で内側の火種を摘む事が出来無くては解決しないのよ」
流琉の質問に華琳が間髪入れずに答えている。
その内容は間違いではないのだが。
十歳の子供を相手に言う台詞ではないでしょう。
……あー…でも、俺も似た事を言っていたか。
そう考えると、俺の責任だとも言えるのか。
右手を伸ばして華琳の頭を撫でながら苦笑を浮かべ流琉の方を見て小さく頷いて見せる。
「流琉の優しさは間違いではないからな」と。
言外に伝えながらも「俺に任せろ」と言う無責任な真似だけは絶対に言いはしない。
──と言うか、関わりたくは有りません。
「まあ、そういう訳なんだけどさ…
私達としては、無視出来無い問題なんだよな」
「あー…“御隣さん”だもんなぁ…」
「ああ、“貰い火”なんて御免だからな…
だから、出来る事なら火種の内に消したいし…
最悪、黄建が倒れたとしても直ぐに首謀者を討って真っ当な人物を県令に据えたいんだが…
それが出来そうな、何か良い案は無いか?」
「また無茶な話だな…」
白蓮の言い分は理解は出来るが、無茶振りだ。
はっきり言って、部外者が関わるべき事ではない。
それは結局は故安県の内部事情なんだから。
しかし、現実的な問題としては無視出来無い。
県境を接する故安県の県令が暗愚な人物や野心的な人物に代わる事は啄県にとっては由々しき事態だ。
故安県内の混乱は目に見えているし、そんな人物の統治を嫌って流出する領民も少なくないだろう。
流出した領民の行き先は啄県か逎県が濃厚だ。
何しろ、領主である県令の評判が良いからな。
だが、そうなれば故安県の新しい県令は、白蓮達に言い掛かりを付けてくるだろう。
現状では未婚の白蓮との結婚を条件にし啄県までも手中に収めようと目論む可能性は低くない。
…ん?、「それ、有りもしない被害妄想だろ?」と言いますか?、いやいや、有り得る事ですよ。
そういう風に欲深いものなんですって。
自分の器を理解出来無い人間というのはね。
まあ、白蓮に手を出したら殺すけどね。
エー?、ソンナノ当然ジャナイデスカ。
──とまあ、それは兎も角として。
さて、一体どうしましょうかね。
華琳の言った様に逎県の時の遣り方は不可能。
公的な立場や白蓮達の権限を行使するという事にも限界は有るから、恐らく手が届かないだろう。
そうなると……“違法”的な遣り方しかないか。
まあ、それを禁じる法律なんて有りませんけど。
「白蓮、一応訊いて置くが、犠牲が皆無という結果ではなくても構わないな?」
「……無い方が良いのは間違い無いけど…
どの道、首謀者や協力者は処断しないと駄目なんだ
そういう意味でも犠牲は出るだろうからな
だから、犠牲が出る事は仕方が無いと思う
ただ、お前が手を汚す真似だけは嫌だからな?
そんな事になる位だったら、私は故安県の民を犠牲にしてでも、お前の事を選ぶ」
「……白蓮…」
この場で押し倒したくなる様な台詞を、不意打ちで言うだなんて……白蓮、恐ろしい娘っ…。
いや、巫山戯てなんかないですよ?。
マジで押し倒したい衝動が猛っていますから。
…ただね?、傍から物凄い気配と視線を感じてます。
その華琳達に配慮して、踏み留まる。
だからね?、軽い包容位は許容して下さい。
──という感じで、一時的な中断が有りまして。
話を元に戻しましょうか。
「もし、最悪の事態を回避する方法が有るとすれば“裏側”に回って処理する事だろうな
状況的に見て、表からは打てる手が無いだろうな」
「…御兄様、宜しいでしょうか?」
「何か思い付いたのか?」
「はい、条件付きですが、表で処理が出来る方法が一つだけ有ります
白蓮、黄建に妻子は居るかしら?」
「…奥さんは亡くなっている筈だけど…ああ、確か娘が一人居たは──」
「──却下だ、他の案を出しなさい」
「御兄様、まだ何も言っていません」
「言わんでも判るわ!
どうせ、「黄建の娘を御兄様が娶れば済む話です」とか言うつもりだったんだろ?」
「流石は御兄様です!──では、そういう事で」
「「そういう事で」じゃないっ!
却下ったら、却下だからなっ!」
「どうしてですか御兄様っ?!
御兄様の血を多く遺す為にも妻は多い方が良いのは明白では有りませんかっ!
母親となる者達の女同士の世継ぎ争いを御心配なら私が責任を持って管理致しますから御安心下さい
その様な愚かな女には骨の髄から躾直しますので
ですから、御兄様は数多の女を侍らせ、御寵愛し、多くの子を孕ませて下さい」
「言葉に気を付けようなっ?!、露骨過ぎるわっ!
──と言うか、いい加減諦めなさいっ!
兄は新興宗教の御神体になる気は有りませんっ!」
「何故ですか御兄様っ!?、御考え直し下さいっ!」
──という感じで、いつも通りの落ちが着きます。
いや、本当にね、いい加減諦めなさいって。
それはまあ、俺も男だからハーレムとかには多少は憧れが有りましたけどね。
実際問題、現状でも十分な訳なんです。
だってね、華琳に始まり、愛紗・梨芹・凪・白蓮と既に五人も愛する妻が居ますし、穏も居ます。
他の面々との関係も今後次第なので判りません。
今でさえ、時間的な問題で調整に苦労しているのに百人とか相手にするのは無理ってものです。
その結果、関係が疎かになれば怒るし、悲しむのが目に見えていますからね。
そんな事態になる位だったら端から却下しますよ。
…え?、「問題は時間的な事じゃあないだろ?」、ハッハッハッ、この私には特典が有ります。
体力・精力的には全く問題は有りません。
……いやまあ、それは置いといて。
一度限りで、遊ぶのなら有りかもしれないけど。
俺は何気に独占欲が強く、羞恥心も有ります。
だから、一度“自分の物”にしたら手放さないし、手出しされるのは嫌なんですよ。
そういう意味でも向かないんですよ、俺にはね。
「……忍様を御神体に…………っ、いえ、そんな………でもっ……ぅぅ……」
「……あー…穏?…………おーい、のーん?
…………駄目だ、聞こえてないな、これは…」
「…まあ、仕方が無いでしょうね
何だかんだで忍に関われば、華琳の言っている事に納得してしまいますからね」
「……愛紗も、そうなのか?」
「否定は出来ませんね
私は華琳程に熱心な信者では有りませんけど…
貴女も、似た様な感じでは有りませんか?」
「…あー………ま、まあ、そうかもしれないな…」
華琳と戦いながら、華琳の俺的危険思想に洗脳され始めている穏を止めたいが、既に手遅れっぽい。
それを放置して語らう白蓮と愛紗には声を大にして「ブルータス、お前もかっ!」と叫びたい。
そして何より、我が愛妹よ、いい加減諦めなさい。
いやもう本当にマジで諦めなさいって。
ハーレムなどなくても、お前達が居れば十分です。
だから諦めて下さい。