人の夢儚く
物事というのは唐突だ。
毎日通り続けている道でも何故か、その日に限っては普段よりも早かったかり、遅かったりしただけで違う顔を見せ、時に牙を剥く。
何気無い日常が、非日常へ変わってしまう瞬間。
それは賽子を振るかの様に脈絡も無い因果を確率的に起こしてしまう。
ある朝、夜明け前に屋敷の門扉を叩く音に目が覚め、出て見れば伯珪から使者。
一瞬、伯珪の身に何かしら起きたのかと心配したが、緊急召集だったので密かに安堵していた。
──とは言え、あの伯珪が“緊急”と考える出来事が起きたのだとすれば嫌でも気を引き締めなくては。
留守を華琳達に任せ、俺は愛紗と梨芹を連れて伯珪の居城へと向かった。
普段の会議室──謁見の間ではなく、来客等と御茶を楽しむ部屋に通された。
その事を不思議に思いつつ周囲の状況を探るが、まだ未明という事で侍女達さえ行き来する人数が少ない。
ただ、見張りの兵士達まで見えないのは気になった。
──と言うか、嫌な予感がしてならない。
「徐恕、早くに済まない
だが、今は力を貸してくれ
この通りだ、頼む!」
挨拶──俺達が遣ってたら瞬く間に広がり、定着したノックの後、一声掛け合い扉を開ければ、伯珪は直ぐ俺を見て頭を下げた。
内心では凄く驚きながらも平静を装い、様子を窺う。
室内には古参の面々が多数顔を並べている。
──と言うかね、主だった重臣は勢揃いしていた。
軍部の面々は面識は有るが文官側の面々とは挨拶した程度の相手が殆んど。
それだけに、普通であれば軽いパニックを起こす場面だと言えると思う。
俺は場数が違うけどな。
…すみません、少し見栄を張って話を盛りました。
「頭を上げて下さい
客将とは言え、俺は貴女の在り方や信念を好ましいと思ったから此処に居ます
出来る事であれば、助力を拒む理由は有りません」
「…っ……ぁ、有難う」
頭を上げた伯珪は、照れた様に視線を外したが直ぐに俺を見て感謝を示す。
まあ、原作でもそうだけど彼女は基本的に誉められる事には慣れていない。
勿論、家臣達からの賛辞は当然有るんだろうけど。
それは所詮、身内同士での評価に過ぎず、外から見た評価ではない。
だからこそ、今の俺の様な彼女自身を認める言葉には非常に免疫が無い。
実にチョロインである。
尤も、そんな純朴な彼女を俺は気に入っている訳で。
状況が違えば、照れた事を揶揄う様にして詰め寄ってスキンシップを計る所だが流石に今は遣らない。
え?、「手を出さない様な事言ってなかったか?」。
ハハッ、勘違いでしょう。
まあ、華琳達と“現状で”比べれば次点でも、其処に入らないとは限らない。
好きな物は好きだからね。
一つ、咳払いをしてから、伯珪は真剣な顔をする。
基本的に真面目な彼女だが原作の関羽みたいに余裕が無い訳ではない。
寧ろ、彼女は力の抜き方は上手いと言える。
それもう、原作での曹操や孫権に見倣わせたい位に。
実際、公孫賛が麾下に居た場合だと、二人は気負いが減る気がするんだよね。
「それでだ、緊急で呼んだ理由は賊徒が流入してきたからなんだ」
「…では、被害が?」
「ああ……ただ、お前達のお陰で領内の賊徒達は粗方片付いていた
だから各地の警備に回せる人数に余裕が出ていた分、そこまで深刻じゃない」
成る程、被害とは言っても応戦をした結果の負傷者や防壁等の破損という事か。
街や村邑が占拠されたりはしていないのなら、確かに深刻な被害ではないな。
だがしかし、そうなると、こうして緊急召集をされた事が矛盾してくる。
他の重臣の面々とは違い、客将の俺は方針が決定した後なのが普通だ。
少なくとも、こんな感じで切迫している緊張感の有る状況では呼ばれない筈だ。
つまり、何かが有る。
それを確信してしまう。
そう俺が察した事に気付き伯珪は小さく頷いた。
「その連中が、東から流入してきた事は判ってる
だが、問題は其処じゃない
連中が分散して同時に複数襲撃している事…
そして、数が多い事だ」
「…具体的な数は?」
「最低でも五千だ」
つまり、総数五千以上。
それが分散して同時襲撃。
成る程、緊急事態だ。
東から流入してきた事自体問題ではあるが、その事は後で文句を言えばいい。
まあ、言っても「意図的に其方等に追い遣ったという訳ではない」とか言うし、「連中の流入を許したのは其方等の不手際では?」と言い逃れするだろうが。
その辺りは彼女の仕事だし相談されない限りは余計な口出しはしないでおく。
それよりも今は賊徒だ。
纏まっていてくれるのなら五千という数は言う程には脅威ではない。
…俺達の基準ではね。
しかし、公孫賛軍にしても問題は無いだろう。
主力の騎馬隊は精鋭だし、兵数も決して少なくない。
だが、分散している状況が最大の悩みの種な訳だ。
「襲撃された場所は?」
「全部で十三になる」
「…厳しいですね」
如何に騎馬を主力としても移動時間の短縮には限界が有る以上、複数同時襲撃に対応し切れはしない。
数を減らせば返り討ちに、歩兵を入れれば間に合わず壊滅し兼ねない。
定石通りでは打つ手無し。
通りで俺が呼ばれる訳だ。
中々に厄介な状況だな。
「何か策は無いか?」
藁にも縋る、ではないが。
重臣達よりも、実力の高い俺達を頼る伯珪。
彼女自身は領民を守りたい一心なんだろうが。
はっきり言って面白くない奴も一人二人ではない筈。
俺達としては波風立てて、伯珪の下を離れる事になる状況は避けたいんだが。
さて、どうするか。
「…徐恕殿、どうか御力を御貸しくだされ
我等では姫様の御力になる事は叶いませぬ故…
何卒、御願い致します」
そう言って頭を下げたのは重臣の中の重臣、公孫家の勢力下でも最古参であり、伯珪の教育係り、彼女から“爺”と呼ばれ、発言力も群を抜く、侯範だった。
それを見て、他の重臣達は当初は呆然としたが直ぐ様意味を理解して彼に倣う。
個人的に見て、孫娘同然の伯珪が可愛い好々爺だが、施政者としては食えないと改めて感じる。
主君である伯珪が頭を下げ助力を求めた俺に「私情で不遜な態度を取るでない」と言わんばかりに、周囲に自ら示して見せた。
此処で異を唱えれば現職を解かれ兼ねないとなれば、俺が気に入らなくても今は頭を下げる以外には無い。
俺の憂慮、一部の愚か者の浅慮を見抜いた老獪な男の“深さ”を見せられた。
「…幾つか条件付きでなら打開策は有ります」
「本当かっ?!」
「出来無い事を口にする程虚栄心は強く有りません
個人的には、平穏な日常が一番大事ですので」
食い付く伯珪は別として、他の面々には念の為に釘を刺して置く。
「「自分ならば…」云々と他人の失敗を指摘して足を引っ張るしか能が無い様な馬鹿は黙っていろ」と。
そんな感じを匂わせる。
反感や不満を滲ませる者は少なからず居たが、それは軈て消えてゆくだけ。
侯範を筆頭とする公孫家の家臣団にとっては、口先と家名ばかりの役立たずと、俺達の何方を取るべきかは明白だからだ。
だから、此処で確認出来た馬鹿共は自らを改めないと追放されてしまう。
其処に俺達は関わらない。
それは彼等の不始末だから自分で片付けるべき問題。
俺達に尻拭いさせる様では居る価値すら無いからな。
是非頑張って貰いたい。
個人的にも遣り易い環境は大歓迎だからな。
“天下取り”は大袈裟だが後の“歪み”対策の為にも自己勢力は持ちたい。
その為にも、今回は功績をしっかりと示そう。
今までのケースとは違い、より多くの領民に。
俺達の必要性をな。
「それで条件は何だ?
用意出来る物なら、何でも遠慮無く言っていれ」
「いえ、特別に必要な物が有る訳では有りません」
「え?、そうなのか?」
「必要な事は許可なので
順に確認と説明をします
先ず、動かせる騎馬の総数と直ぐに動かせる数は?」
「程豊?」
「はっ、総数は四千、内、直ぐとなれば二千です」
伯珪に訊かれた程豊は軍を総括している四十に成ったばかりの渋い男性。
真面目だが、愛妻家であり子供達も大好き。
酒が入ると兎に角家族への愛を語り出す困った男だ。
え?、「随分詳しいな?、知り合いか?」って?。
まあ、そんな感じかな。
客将として加入して直ぐに行われた賊の大規模討伐。
それ自体は大成功だったが五日程経った日の事。
潰した賊の残党が街の中に逃げ込み運の悪い事に彼の妻子を人質にした際、偶々非番で出掛けていた俺達が救出し、犯人達を捕まえた事が切っ掛けで、それから交流が生まれている。
俺達としても彼の奥さんに色々と教えて貰っている為助けられている。
ただ、まだ六歳の娘を俺に“紹介”するのは止めて。
華琳(愛妹)が恐いので。
「十三ヶ所の内、遠方から順に七つ、目撃された敵の数を教えて下さい」
「五百、千、二百、四百、七百、三百、四百です」
「それでは、第一陣として騎馬二千を五百ずつに分け敵の少ない場所、四ヶ所に向かわせます
第二陣を七百・七百・六百で分けて残る三ヶ所へ
残る六ヶ所には歩兵を」
「…それは、多少の犠牲は仕方が無いって事か?」
「後手に回っている時点で先ず犠牲は覚悟しなくてはならない事です
ですが、見捨てはしません
その為の配置です」
「…説明してくれ」
「相手は複数同時に襲撃を掛けている事から、此方を侮ってはいません
しかし、勝てない相手だと思ってもいません
その為の同時襲撃です」
「…確かにな」
「では、そんな相手が一度失敗し、目撃された場所に再び、“同じ数”を当てるでしょうか?
もし、自分が遣るのなら、少ない数で襲撃した場所に人数を集めて確実に落とす事を考えます
現に、伯珪殿は均等に兵を向かわせ様とされていたのでは有りませんか?」
「──っ!?、そう、だな…
徐恕の言う通りだ
確かに、そう考えている」
「領内の賊徒が一掃された情報は知っている筈です
その上で、態々危険を冒し“狩り場”を移したのなら対処法を用意している
そう考えるべきです」
「……言いたい事は判る
だが、それなら騎馬五百で向かうのは危険だろ?」
「はい、今のままでは」
「……それが、条件か?」
「はい、二百だった場所は伯珪殿が率いて下さい
自分も補佐として付きます
恐らく一番の激戦地となる可能性が高いので
そして、残る三ヶ所ですが私の家族である華雄・関羽・呂布に御任せを…
隊の指揮権を下さい」
「…指揮権をか?」
「はい、正確には戦闘の、指揮権をです
敵を討伐した後に関しては三百を防衛戦力として残し別の方に御任せします
残る二百は引き続き率いて近場の六ヶ所の援軍として向かわせます」
「…確かに彼女達は強い
だが、大丈夫なのか?」
「戦闘に関しては、何れも一騎当千と言えます
ですが、事後処理等は先ず出来ませんので」
「いや、戦働きが十分期待出来るだけで助かるよ
ただ…呂布は大丈夫か?」
「呂布には司馬防を付けて置きますので」
「曹操じゃないのか?」
「あの娘は私の傍に…」
「曹操は優秀だろ?」
「優秀過ぎて、効率重視で動きますからね…」
「ん?、悪い事なのか?」
「……それが、“私の所に早く帰る為”の効率重視でなければ、ですが…」
「あー……うん、悪い」
「いえ、そういう訳なので手元に置く訳です
それから歩兵を率いる内の二隊を楽進と李典に任せて頂いて宜しいですか?
三人には劣りますが、共に一騎当百の実力は有ります
勿論、事後処理の方は全く出来ませんが」
「其方も十分だ
直ぐに動けるか?」
「はい、皆起きていますし華雄・関羽は此処に一緒に来ていますので、今直ぐに準備に移れます」
「判った、皆、異論は?」
伯珪の言葉に異論は唱える事が出来る者は居ない。
何しろ、全責任を負う事に為るんだからな。
覚悟の無い口先だけの奴に出来る訳が無いだろう。
「よし!、今直ぐに徐恕の策で準備に移れ!
整い次第に出撃する!
正確且つ迅速にな!」
other side──
ボクって何なんだろう。
今にも泣き(降り)そうな、曇った空を見上げながら。
不意に、生まれて初めて、そんな事を考えた。
難しい事は解らない。
彼是考えるのは苦手だし、身体を動かす方が楽しい。
朝起きて、ご飯を食べて、歳の近い子供達と遊んで、ご飯を食べて、また遊んで──ご飯を食べて、眠る。
それだけの毎日だったけどボクは十分幸せだった。
家には父ちゃん・母ちゃん・祖母ちゃん・兄ちゃん。
家族五人で、楽しい日々を笑顔で送っていた。
──あの日までは。
それは突然の事だった。
父ちゃん達に呼ばれたら、物凄く怖い顔をしてボクを睨み付けてきた。
何か悪い事をしたかな?。
そう考えたけど、特に思い当たる事は無かった。
だから「どうしたの?」とボクは訊いた。
訊かなきゃ良かった。
そう今なら思う。
「もうお前を家に置く事は出来無い、出て行け」と。
父ちゃんは静かに言った。
最初は意味が解らなくて、でも、直ぐに解った。
だから、訊いたんだ。
「どうしてっ?!」って。
訊かなきゃ良かった。
何で訊いたんだだろ。
辛いだけなのにね。
「お前が居るだけで生活が苦しいからだ」と。
「お前が産まれた時、将来美人なら役人や商人の目に止まればと思った」と。
「それが無理でも売れれば金になるから」と。
「だが、どうして、お前は成長しない?」「他の娘は成長しているのに」「何故お前だけが成長しない?」「お話は化け物か?」と。
「せめて、成長しないなら飯を食うな」「お前が居て無駄に飯を食うから俺達は貧しい生活を強いられる」「この無駄飯食らいが!」「役立たずの疫病神が!」「もう要らん!」「居ても邪魔なだけだ出て行け!」「出てけ!」「出てけ!」『二度と帰って来るな!、この糞餓鬼めっ!!』と。
そんなつもりは無かった。
成長しない事は気にした。
でも、ご飯は仕方無い。
だって、お腹が空くから。
沢山食べないと死んじゃう気がするんだもん。
仕方無いじゃないか。
だけど、家を追い出されて初めて、家族の怒っていた気持ちが判った。
ご飯は落ちてはいないし、誰かがくれる訳でもない。
盗んだりすれば罪になる。
でも、山や川で狩りをする事も簡単じゃない。
その辺に生えている草なら簡単に手に入るけど、全然美味しくない。
お腹は減り続ける一方。
それでも、同じ様な子供が集まって生きようとすれば多少は何とかなる。
ボクも我慢出来てる。
だけど、食べる物は無くて誰も喋らなくなって。
自分の息さえ薄れてゆく。
夢の中でなら、我慢せずにお腹一杯になるまで好きに食べても良いよね?。
──side out。