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恋姫†異譚  作者: 桜惡夢
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28話 尊き教導


“先生”と聞いて真っ先に思い浮かぶのが学校であり連想されるのが“女教師”“女子生徒”“保健室”の単語だった御年頃。

そんな昔の話なのだが。

毎日の様に有った授業。

其処に付随している記憶は生徒であった自分としては退屈でしかなかった事。


しかし、勉強が嫌いという訳ではない。

寧ろ、知らない事を知る。

それは個人的に好きだし、その知的好奇心の充足感を嫌いな者は少ない筈。

では何故、「勉強が嫌い」という人達が多いのか。

それは教師達の責任。

教科書に書かれた文だけを朗読し、規定通りの事だけ遣っていく学校の教師達。

そんな事が楽しいと思える生徒は極めて稀れである。

其処に疑問を懐かない者は苦痛ではないだろうが。

強制される学習は勉強とは呼べないと思う。

それは洗脳と変わらない。

一定水準を満たす子供達を人為的に作り出す。

そう表現すら出来る事だ。


では、教育とは何か。

“教え、育む”のであり、家畜や植物を育てるのとは意味が違うのだと、大人が理解しなくては始まらない事を先ずは言いたい。

教育とは“対話”である。

知識は教科書等から本人の遣る気次第で得られる。

科学技術が進歩した時代は正しく“学校”の必要性を考えなくてはならない。

知識だけなら塾に通ったり自宅学習でも可能だ。

しかし、学校は必要だ。

それは集団・組織社会へと軈て身を置く子供達に対しコミュニケーション能力を身に付けさせる為。

だからこそ、教師に求める能力は第一に対話力。

そして、教師達の仕事とは子供達と向き合う事。

“いじめ問題”も教師達が向き合うだけで改善が期待出来る事なのだから。


加えて、家庭内での対話も重要だと言える。

子供達は教師達の子供でも学校の隷属者でもない。

だから、親の責任を軽視し学校や教師に責任転嫁する社会意識は間違いだ。

勿論、学校や教師に問題が有る場合は別だろう。

しかし、教育責任の根幹は第一に家庭に有るのだと、認識を改めるべきである。


また、子供達が自ら学校を選ぶのだから、その責任は子供達自身も負うべき。

現代日本の“義務”教育は中学校までなのだから。

その先は、自己責任。

強制ではないのだから。


子供も、家族も、教師も、学校も、社会も。

大きな勘違いをしたままで生きている。

教育の在り方を見直す。

腐敗・歪曲した現代社会の“自浄”とは、教育改革が第一原則ではないか。

経済の安定化も重要だが、先ずは数字よりも人を見る政策をすべきだろう。


“教育者”とは教師だけを指すのではない。

全ての者が教える者であり──教わる者でもある。

“自他共栄”、その精神が真の教育理念ではないか。


今、この世界に生きていて改めて色々と判る。

人は、互いに影響し合い、自らを形成してゆく。

例えば“他人の振り見て、我が振り直せ”というのも教育理念の一つ。

人は、独りでは成らない。




──何故唐突に、そんな事を考えているのか。

それは文字通り“命懸け”で教えを残してくれた人が居たからだ。

目の前に有るのは墓標。

亡き、老師の墓標。

成人男性の平均的な掌を、思い切り広げた大きさ程の自然のままの未加工の石。

それを土に立てただけ。

何とも簡素な墓標だ。

だが、それが老師の望み。

「死んでまで崇められたり利用されたくはない」と。

そう言っていたからだ。

弟子としては大々的な物を建造しても良かったが。

本人が望まない以上勝手な事は遣らないと決めた。


老師の死──つまり俺への伝承に関しては華琳達にも事前に説明した。

老師が俺に、俺達に託す。

その意味を受け止めたなら選択肢は一つしかない。

“自分が生きた証”。

それが弟子の俺達なら。

俺達は応えるしかない。

…どんなに辛くても。


それでも、俺達は悲しみに囚われはしなかった。

皮肉な事だが、俺達は既に失う経験をしている。

だから余計に失う事を恐れ忌避してしまいそうだが。

こんな時代に生まれたなら死が常に傍に有るのだと。

嫌でも理解してしまう。

だから、現実(失う可能性)から目を逸らさない事。

その覚悟を、俺達は失った人達の死から学んだ。

生きていく上で死は絶対に避けられない必然性。

だからこそ、死を恐れるも死に囚われない事。

それが大事なんだと。



(…それでも早いだろ…)



正直、老師の死は重い。

“自分の為に…”といった理由ではない。

それは老師の意志だから。

珍しい事ではないから。

まだ受け入れられる事だし自分自身にも同様の意志は有るのだから。


ただ、母さんが亡くなり、老師を亡くし、俺達は再び“拠り所”を無くした。

華琳達は気丈に振る舞うが大人が一人も居ない状況は精神衛生上、良くない。

中身が、年齢的に言えばな“なんちゃって大人”な俺一人では色々と厳しい。

前世では未婚だったし。

当然、子供も居ない。

そういう意味で、後数年で思春期を迎える華琳達の事を考えると……重いっす。

ただまあ、華琳達は互いに仲も良いし、しっかりした価値観も有るから大丈夫な気はしてはいるけど。

でも、絶対じゃない。

特に、年長の梨芹の負担が悪影響に為らないか。

それが心配である。


俺一人なら…まあ、何とか遣っていけるだろうけど。

やはり、女所帯な環境とは男には優しくない。

モテるしラッキースケベな御都合ハーレム展開?。

そんな物は有りませぬ。

特典(チート)が有ろうが、人間関係はシビアです。

胃薬が売れる訳です。


……それは兎も角として。

老師の墓標を見詰める。

やはり、簡素過ぎる。

色々細工しようか。

嫌がらせの意味も含めて。

色々言いたい事も有るが。

それでも、今は一つだけ。



「…有難う御座いました」






「──哈あっ!」


「──っ!」


「──其処っ!」


「──っ!?、っ!」



愛紗の一撃を受けた恋。

その僅かな硬直を見逃さず突く梨芹に恋が慌てながらギリギリで回避する。

一旦三者が間合いを取り、静かに睨み合っている。

それは日課の鍛練の一幕。

ただ内容が特殊なだけ。

一対一対一の共闘・裏切り有り有りバトルロイヤル。

一対一でなら無類の強さを誇る恋でも、愛紗・梨芹の二人を相手に戦うのは中々難しい事だったりする。

将来的には判らない事だが現時点では厳しい。

その上で、一対二ではない特殊ルールの試合形式。

ポイントは勝者は一人。

故に“戦い方”が勝ち残る上では非常に重要になる。

つまり、“考えずに戦う”という事は先ず不可能。

かなり意地悪なルールだが脱脳筋の為には仕方無い。



「──が、まだまだ甘い」


「──きゃあっ!?」



可愛い悲鳴を上げながら、俺に左手を掴まれたままで足払いされて宙を舞うのは俺が指導中の華琳。

原作では「きゃあっ!?」と叫んでいた記憶が無いにも等しい覇王様も今は子供。

兄の前では泣き叫ぶ!。

──いや、別に妹を苛めて楽しんでる訳ではない。

断じて、苛めてはいない。

………ちょっと意地悪な事はしてるかもしれないが。

これも妹を思えばこそ!。

兄は心を鬼にする!。


それはそれとして。

俺達は今も、老師の死後も変わらずに山奥に居る。

華琳達の事を考えるなら、故郷に戻るか、董家辺りに世話に為るのが無難。

そう思ったから家族会議を開いて言ってみた。

まあ、満場一致で反対され留まる事に為りましたが。

思春期を山奥で過ごすのは如何な物なのでしょうか。

現代社会なら児童虐待だと言われかねないよね。

時代的な価値観って凄いと思いませんか?。


そんなこんなで変わらない日々を送っている俺達。

それでも、老師の死を経て各々に懐いた思いがある。

口にはしないけれど。

その裡に、確かに宿る。



「──御兄様、もう一度、御願いします!」


「何度でも来い」


「はいっ!」



決して衰えない闘志。

“生きる”という事を。

生命と死という物を。

幼い身で経験しても、尚。

少女達は挫けない。

その魂を折る事は無く。

未来へと向かっている。

その姿に俺も背中を押され歩み続けられる。




空で星々が踊り始める中、淡く光る満月を眺めながら一人静かに盃を傾ける。

…未成年の飲酒?。

そんな法律、この時代には存在していません。

抑、あの老師(悪い大人)に度々付き合わされていた為「仕方無いか…」と言って開き直っていますから。



(……どうするかな〜…)



空に為った盃に注ぎながら今後の事を思案する。

今まだ子供だから出来る事というのは限られている。

その上で鍛練を続けている理由は時代的な事。

勿論、原作を知っている為“備える”意味も有るが。



(少なくとも原作のままの展開は有り得ないよな…)



華琳・愛紗・梨芹・恋。

更に月との縁も有る。

老師の死で、原作の華佗は存在しない事が確定。

一応、老師からは俺が名を継ぐのなら、自由にしても構わないと言われている。

だが、俺以外に名乗らせる事だけは赦さないとも。

老師的には“華佗”の名が途絶えようとも、意志さえ受け継がれていけば十分。

そういう考えだったから。

その辺りは理解出来るから俺も名乗るなら自分で。

その場合、俺が原作華佗のポジションになるのか。

………考えたくないな。


まあ、何にしてもだ。

原作知識は参考程度。

絶対の指針には為らない。

当然と言えば当然か。

これはゲームではない。

シナリオも、システムも、セーブ&ロードも無い。

攻略法の無い、現実だ。

一つの誤りが過ちと為り、取り返せない結果に至る。

そんな当たり前の現実に、俺は生きている。

原作やゲームのシナリオやシステムに支配されている二次創作物とは違う。

実に理不尽で、不条理で、無情で、非情な現実。

御都合さなんて介在しない完全アウェイの世界。

其処に、俺は在る。



特典(チート)が有るから遣って行けてるけど…

場合に因ったら疾うの昔に詰んでる所だよなぁ…)



そういう意味で言えば俺は人に、縁に恵まれている。

最初に出逢ったのが母さんだった事は本当に大きい。

愛紗も凄いが、まだまだ…いや、違っ──わないが、そういう事ではない。

うん、そうじゃないの。




何処かで華琳達と静かに、田畑を耕しながら穏やかに暮らしていければ。

そう思わない訳ではない。

だが、それが今はギリギリ出来る状況なだけで。

将来的な保証は無いのだと原作知識ではなく、現実を見てきた事で判っている。


“黄巾の乱”の様な大きな争乱とは限らないが確実に世の中に火種は燻る。

それは物理的な事ではなく人々の心の裡に、だ。

だから、消し去る事は実に難しい事だと言える。


“一つの時代の終焉”で、“一つの時代の開闢”。

その狭間の時期を含めて、俺達は股がって生きる事に為るのだと思っている。

非常に嫌な事だが。

こればっかりは俺達の望む望まないは関係無い。

それが時代の流れだから。



(…一番無難なのは董家に身を寄せる事だよなぁ…)



敢えて原作的に言うのなら“董ルート”になるのか。

彼女の不幸・悲劇を回避しメインヒロインなルート。

賈駆のポジションに華琳は豪華過ぎるだろうが。

張遼のポジションに愛紗は互換性が有るだろう。

となると、俺が陳宮か。

………妙に填まる気がして軽く凹みそうになる。

いや、別に彼女がどうこうという事ではなくてね。

何か、微妙な立ち位置だと思ったからです。



(…華琳達と離れて一人で彼方此方回って情報収集を遣った方が良いかな?

…反対されるだろうけど)



与えられた猶予は三年弱。

俺と愛紗が十五に成る頃。

其処が一つの分岐点。

今は可能性の模索程度だが一年、最低でも半年前には決断が必要だろうな。


この先、俺が歩む道。

華琳達の歩む道。

世の中の行く末。

時代の流れの果て。

勇者や英雄になろうなんて気は全く無いけど。

華琳達の幸せは守る。

それだけは確かだ。


盃に映る月を見詰めながら吐息で揺れる姿に今の俺の心情を感じ、誤魔化す様に一気に呷った。

慣れている筈が、今だけは喉を焼く様に感じた。

平穏無事なんて有り得ない事だと暗示する様に。

心に深く染み込んだ。




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