消ゆ不帰の流雲
「子瓏様っ申し訳御座いませんっ、奇襲されながら敵の追跡も出来ずっ…」
「追跡よりも隊の安全を優先した結果だろう?」
「それはそうですが…」
「だったら、その判断を悔やむな
御前の判断が隊の皆を守ったんだ、良く遣った」
「──っ…有難う御座いますっ」
「負傷者の程度は?」
「はい、彼方に──」
そう話し、負傷者の確認と治療に入る。
今の言葉に嘘は無い。
実際の所、犠牲者を出しながら追跡したとしても、その結果が全滅だったら無駄死にでしかない。
それを考えれば、追跡は捨て、隊を守る。
この時代の価値観では中々に難しい判断だが。
俺の考えを理解し、身に付けてくれている。
その事を嬉しく思うし、素直に感謝もしている。
生きているという事は、僅かでも情報を持ち帰ったという事でも有るのだから。
俺は緊急伝を受け、即座に玄菟郡へと遣って来た。
正体不明の相手、というのも気にはなるのだが。
それ以上に、今回の襲撃を受けた小隊を率いていた先程話していた小隊長は宅では古参の人物。
啄郡の出身で、当時は新米だったが、幾多の戦いを経験し、生き抜いてきた精兵と言える実力者。
俺達と比べてはならないが、氣も扱える方だ。
その彼が率いていて、襲撃された。
この事実だけで十分に異常事態だと言える。
その辺りを直接確かめ、尚且つ現場検証にも赴く。
昔の刑事ドラマの信念じゃないですが。
現場百回の気概が小さな手掛かりを拾い上げる事は珍しくは有りません。
何故なら、それこそが正しい執念なのだから。
何かに執着するのとは違うんです。
そんな感じで負傷者の治療は終了。
重傷者も居ましたけど、小隊長の判断と応急措置が的確だった為、問題無く治療出来ました。
まあ、一週間は全員療養させますけどね。
「確か、聞いた話では……この辺りですか…」
「ああ、そうみたいだな」
後から追い掛ける形で合流してくれた思春と二人、小隊が襲撃された場所に遣って来ている。
思春の実力は申し分無い。
ただ、個人戦闘ではなく、軍の戦闘に参加するには指揮官としての実力が不足していた。
その為、出番は限られていたのだが…。
今回は俺とのペア行動だから問題無い。
本来なら、凪が一番適役なんだけど。
奇襲された事から、各地に皆を配置している。
華琳達は妊娠中だから無理はさせないが、最低限の自衛なら問題無い。
だから、彼方等此方等に二人ずつ配し、網を張る。
次が起きる場合に備えて。
それは置いといて。
事前に聞いて思い当たる場所を想像していたが…。
やはり、記憶違いではなかったか…。
苦虫を噛み潰した様な顔をしているだろうか?。
或いは、思わず頭を抱えたり、髪を掻き乱す?。
まあ、そんな事を遣っても思春を不安にさせるだけですから遣りませんけど。
素直な気持ちとしては──「ンア゛ァア゛アッ!!」と漫画雑誌を両手で引き裂く一発芸の様に叫びたい。
現場は決して見通しの悪い場所ではなかった。
街道からは外れているが、将来的な開拓予定地。
山裾に広がる森から200m程離れた場所で。
緩やかに下る傾斜の平原。
所々に大きな岩や大木が点在してはいるが、平原は少し前に手を入れ、土壌を改良──肥やしている。
今はまだ寝かせている状態なんだけどね。
数年後には広大な農場として軌道に乗るだろう。
──と、此処を見ながら思っていた位ですからね。
獣でさえ、姿を隠す事が難しいのが現状です。
「…此処で、ですか……俄には信じられません…」
「そう思う気持ちは俺にしても同じだな」
思春も彼の話を信じていない、という訳ではない。
ただ、普通に考えれば、有り得ない事だ。
だから、小隊が襲撃された事実は理解しているが、此処で襲撃されたという事が納得出来無い。
そんな矛盾に対するジレンマを抱えながら。
目の前の景色を見ているのだろうから。
「判っているのは相手は人型だって事だな」
「人型?……忍様は相手は人ではないと?」
「断言は出来無いから、可能性でしかないけどな
小隊を襲撃してきたのは、頭の先から足の裏までも真っ黒な衣装に身を包んだ連中だったらしい
数は十程だったみたいだが…」
「…確か、小隊は百人編成……それを、ですか…」
「まあ、半数は賊徒の討伐しか経験が無いからな
だから、どうしても質という面では、宅の正規軍に劣ってしまうのは仕方が無い事だ」
襲撃された小隊は各地の警備部隊。
大きく見れば、宅の軍属なのは間違いではない。
しかし、小隊長の彼や補佐役の数人も含め、今後は戦争には参加せず、治安維持に努める者達。
俺達の抜擢や、彼等個人の事情等。
理由は色々と有りはするのだが。
その為、隊員の力量は正規軍の新兵よりも低い。
それだけ正規軍は精鋭で構成しているという事。
だから、小隊長達にしても纏め易いとも言える。
その辺りは組織としての事情だからな。
規律だけでは制御・抑止出来無い事も有る。
その為には実力差も必要。
まあ、そういう訳なんですよ。
その為、襲撃された結果は可笑しくはない。
半数が死亡、最悪の場合は全滅も有り得た。
その可能性を考えれば、全員が生還出来た事自体が間違い無く彼の判断の功績だ。
ただ、それでも。
今や宅は幽州を統一し、敵対勢力は皆無。
賊徒も絶滅寸前の稀少種となっていますからね。
はっきり言って、正面な人間なら遣りません。
それなのに、ですから。
先ず、正面な相手ではない事だけは確か。
「手掛かりを残してくれる様な相手なら良いが…
まあ、何も出なければ、それはそれで情報だ
嬉しくはない情報だけどな」
「そうですね…」
そう言って、調査を始める。
所謂、“鑑識”みたいな御仕事です。
ド派手な現場も厄介ですが、見た目に不審な様子の無い現場というのは更に厄介。
痕跡を探す、という上では何方等も大変ですけど。
見た目に変化の無い現場は調査範囲を絞り込めず、地道に地味なローラー作戦を遣るしかない。
根気が必要不可欠な御仕事ですからね。
向き不向きが滅茶苦茶出ます。
俺は平気ですけど。
こういう地道で地味な作業って慣れてますから。
だって、刺激的な事は求めない方なので。
没頭する様に調査をしていたら。
気が付けば空が暮れ始めているという状況。
思春と二人、暫し夕焼け空を眺めます。
「思春の方は何か有ったか?」
「いいえ…是と言った痕跡は皆無です」
「此方も収穫無しだ
つまり、相当厄介な相手だって事だな」
「…これは例の袁硅の件の黒幕、でしょうか?」
「その可能性は否定出来無いな」
パッと思い当たるのは、確かに、其奴になる。
勿論、決定的な証拠は無いし、可能性に過ぎない。
しかし、それ程の相手という事は間違い無い以上、その可能性を切り捨てる事も出来無い。
可能性でしかなく、大して前進もしていないが。
こういった積み重ねが物を言う事も珍しくはない。
だから、馬鹿には出来無いし、無駄には為らない。
ただまあ、現実としては進展はしていない。
そして、問題も解決してはいない。
「──ん?」
「?…これは…」
「──兄いぃーーっ、様あぁーーーっっ!!!!」
近付く気配──氣を感知し、顔を向ければ。
此方等に走ってくる流琉の姿が有った。
成長しているとは言え、まだまだ小柄な流琉。
その軽量さを、宅の中でも五指に入る強化能力にて存分に活かした弾丸の様な疾駆。
その勢いのままに、俺の胸に飛び込んでくる。
「減速?、何それ?、美味しいの?」な感じで。
ええ、原作的な世界なら俺は流琉の体当たりを受け可笑しな奇声を残し、ギャグ漫画的な顔をしながら枠外に吹っ飛んでいる所でしょう。
その後、「殺す気かっ!?」とボロボロになりながら戻ってきてツッコミ、ページを捲れば元通り。
そんなシーンになるのでしょうね。
しかし、此処は現実!、我が聖域!。
ギャグ補正など有って堪るか!。
──と宣う謎の脳内主張を無視し、流琉を捕球。
うん、これって実は流琉の密かな楽しみでして。
俺に堂々と密着出来ますからね。
注意したって止めませんし、注意もしません。
だって、流琉がこうするのは俺にだけなので。
その意味が判らない程、鈍くは有りません。
だから、この後は流琉を甘やかして遣ります。
宅の流琉は原作よりも小悪魔的なんですもん。
その愛妹の魅了には抗えません。
──が、今回は話が別です。
流琉を受け止め、直ぐに下ろす。
流琉の方も時と場合は選びますからね。
本当にね、賢く聡い良い娘です。
「何が有った?」
「代郡でも襲撃が起きました!」
「──っ!!」
流琉の言葉に思春は息を飲んだ。
しかし、俺は驚く事は無い。
流琉も各地に配置している戦力の一人。
その流琉が此処に居るという事は──問題有り。
それ以外には考え難い状況だからだ。
そして、流琉と一緒に代郡に配置したのは祭だ。
俺への一報を確実に、そして最速で行う為に。
流琉を寄越したんだろう。
他の場所への伝令も出しているだろうが。
俺へは確実に通す必要が有るからな。
「被害は?」
「幸いにも軽傷者が数名出た程度です」
「交戦したのか?」
「いいえ、奇襲で一撃加えたら離脱したそうです
スリが擦れ違い様に懐を狙うみたいな感じで本当に一瞬の出来事だったそうです」
「襲撃されたのは?」
「物資運搬中の部隊です
物資の方には被害は出ていません」
「だとすると、飽く迄も人を狙って、か…」
物資には一切被害が無いのなら、狙いは人になる。
そして、賊徒や反抗勢力、或いは未知の生物という可能性は限り無く低くなる。
未知の生物だとしても、食料は必要だろう。
植物性の性質の動物、という生物でもない限りは。
ただ、そんな生物が攻撃的だとは思わない。
食虫植物の様な場合も考えられはするが。
その場合には、やはり他の生物を糧にする筈。
だから、その程度の被害では済まないだろう。
何より、獲物を見逃したりはしない。
そういう方向の執着心は人間の比ではないからな。
襲撃されれば確実に犠牲者が出ている筈だ。
そう考えると、やはり例の黒幕が怪しいか…。
──とは言え、その存在も仮説の域を出ていない。
まだ何の確証も得られてはいないのだから。
「では、宅の部隊を狙っているのでしょうか?」
「正直、微妙だな…まだ二例だけだからな」
そう、思春の質問に答えはするのだが。
可能性という意味では、かなり高いと思う。
単純に人を襲うのなら、まだ警備の甘い街や移住の終わっていない村や邑を狙う方が効率的だ。
だが、そうはしていない。
襲われたのは武装した部隊だ。
普通に考えても可笑しな話だ。
だから、其処は間違い無い。
ただ、態々、宅の部隊を狙っている辺りは気になる。
以前とは比較にならない程に治安が大きく改善され街道等の安全性は高くなってはいる。
それでも、犯罪者に身を落とす者は居るだろう。
其処は経済的な理由、社会的な理由等々。
全てを短期間で改善し、解決出来る訳ではない。
既存の賊徒は鏖殺すれば終わるし、悪徳官吏や商人といった連中にしても同じ事。
しかし、新たに出てくる犯罪者は無くし難い。
「罪を犯せば、こうなるぞ!」と。
罪人を晒す事で一時的な抑止力にはなるだろうが。
根本的な問題を改善・解決しない限りは残る課題。
だから、長期的な政治政策が必要不可欠なのだが。
それは今は関係無い話だ。
流琉の報告で気になるのは襲撃の仕方だろう。
一撃離脱の通り魔的な襲撃は奇襲の基本。
削るという意味では常套手段だからな。
しかし、実際には効果を出してはいない。
──が、もしも、玄菟郡の襲撃と同一犯なら。
一度目と遣り方を変えた点には筋が通る。
試しているか、学習している。
そんな風にも考えられるからだ。
尤も、まだ単独犯とは言い切れないけどな。