見て見えぬ淵
待ち伏せ、襲い掛かる敵を倒しながら渓谷を進む。
道の悪さは勿論なんだが。
深い谷間──谷底の川に、山の地下に流れる水脈。
更には谷の奥には陽の光が届かない事から。
霧が立ち込め、視界を奪う様に邪魔をする。
まあ、此方は全員が氣の扱いの上級者での構成だ。
視界を遮られようとも大したハンデには成らない。
勿論、視界を確保出来るなら、その方が良いが。
現状が不利に働くという事は無い。
寧ろ、視界を奪われ、聴覚頼みなのは敵の方で。
態と足音を立てて接近を報せて遣る。
そうすれば、舌舐め擦りしながら自分の優位を疑う事すらせずに飛び出してくる。
此方からは全て判っているから楽に返り討ち。
悲鳴や絶叫を上げさせる事もさせずに、絶命。
他の敵に気付かせず、淡々と片付ける事が出来る。
正に“策士、策に溺れる”だろう。
此奴等が考えた訳じゃないんだろうけど。
其処はツッコまないで下さい。
「…にしても、可笑しな奴は見当たらないな
もう少し何かしらの痕跡が有ると思ったんだが…」
「…兄ぃ、残念?」
「残念と言えば残念だし、そうでもないから困るな
まあ、面倒臭くないのは有難いけどな」
そう言いながら恋の頭を撫でる。
──が、俺の心の中の小さな俺達は頭を抱えながら悶絶──いや、萌え絶しています。
恋、上目遣いで訊いてくるのは卑怯だぞ。
可愛過ぎて、抱き締めたくなるじゃないか。
そして、その一歩は動き出すジェットコースター。
行き着く所まで行かないと止まりません。
だから、自分に言い聞かせる様に思考を捩曲げる。
もうね、全く関係無さそうな事を考えて誤魔化す。
そんな力業でしか抗えません。
だって、宅の恋は可愛いんですもん!。
「御兄様、影響力が低いのでしょうか?」
「いや、流石に楽観視は出来無いな
仮説とは言え、常軌を逸した真似を遣る相手だ
寧ろ、油断させる罠の可能性も有る
…まあ、そう思わせて精神的に疲弊させる、という狙いである可能性も有るんだけどな」
「後手に回ると、もどかしいものですね…」
「全くだ」
そう華琳と愚痴る様に話す。
──が、それは華琳の感知能力が優秀な証拠。
氣ではなく、気の方の、なんですけどね。
要は、物凄く空気を読めるって話です。
決して、俺が恋の可愛さに萌えてるのが面白くないという訳ではない──筈です………多分。
いやまあ、結果的に俺の思考が切り替わってるから細かい事は気にしませんけどね。
因みに、同行している精鋭部隊の皆には今回の事の概要を説明し、受け止めて貰っている。
理解したり、納得したりする必要は有りません。
ただ、そういうものだと。
そう認識してさえしてくれれば十分です。
宅の妻達だって全員が理解・納得してはいません。
ただ、知っているか、知らないのか。
その違いが大きいから、話して有るんです。
勿論、それも時と場合によりますけどね。
知らない方が良い事。
知る必要すら無い事。
そういった事も少なからず存在します。
それが政治というものでも有りますから。
綺麗なだけ、正論なだけでは政治は遣れません。
だからこそ、強い覚悟が求められますし。
自らの決断・決定に伴う結果と責任を背負う事。
それを忘れては政治ではなく、単なる暴挙。
それを見失うのが、人間の業の深さでしょうね。
目的の為の手段が、無意味な暴力や殺戮となる。
どんなに時代が進めど、人は歴史からは学ばない。
学んでいるなら、繰り返しはしませんからね。
尤も、その温床は履き違えられた人権意識だとか、愛国心や信仰心でも有ります。
そういった偏る価値観や考え方の無い社会の方が、意外と秩序としては振れないのかもしれません。
弱肉強食という自然の摂理に叛く人間。
その根幹に在る宿業は、軈て自らを滅ぼす。
そうならない為に。
そうさせない為に。
人は己を律し、社会の秩序を乱さず、共に歩む。
御互いが御互いを諫め合い。
御互いが御互いに学び合い。
御互いが御互いへ譲り合い。
御互いが御互いと助け合い。
御互いが御互いで認め合い。
御互いが御互いは不可欠な存在だと理解し合う。
そんな当たり前の事が出来無いのが人間であり。
その当たり前こそが必要なのが人間の社会だと。
如何に一人一人が理解し、常と出来るのかだ。
まあ、それが本当に必要となる世の中だからこそ。
変わる事の出来る時でもあると言える。
──という話は今は関係無いんですけどね。
つい、そういう事を考え始めると長々と続きます。
まあ、日頃の鬱憤や不満の現れかもしれません。
こういう思考をしないで済む世の中にしないとな。
俺の脆弱な脳と、チキンなハートが潰れます。
それはそれとして、例の仮説に関してですが。
抑、その仮説を実証する事は出来ませんからね。
…いや、道を外れれば、出来るかもしれませんが。
流石に其処まで遣って確認しようとは思いません。
其処まで遣る理由も意味も価値も有りませんから。
少なくとも俺達は不死の類いには興味は無い。
不老に関しては解釈如何、定義次第ですけどね。
不老化して子供が出来無くなるなら御免です。
人として、生命として、外れる気は有りません。
生の営み、命の育み、血の結び、志の繋がり。
それこそが、俺達にとっては重要な訳ですから。
ある意味、最も不必要な事だと言えます。
永遠の美や若さを求めるのは仕方有りませんが。
履き違えたら、人としては終わりですからね。
それが何の為に必要な事なのか。
本末転倒に成らない事が肝心でしょう。
「…ですが、忍様…本当に何も有りませんね…」
「そうだな、少しは歓迎して欲しいものだ」
そう皮肉る様に言えば、凪を始め皆も苦笑。
それによって雰囲気だけでなく心身も解れる。
こういった時、攻め込む側には何の変哲も無い状況というのは実は意外と堪えたりする。
緊張感が増すだけでなく、妙に不安感を煽る。
士気や気持ち、肉体だけでなく、思考にも響く。
「本当に大丈夫か?」という猜疑心が膨らみ。
最悪は主や仲間を信じる事も出来無くさせる。
そういう風に意図されてはいなくてもだ。
その為、こういった適度な会話や冗談というものは良い気晴らしにもなるからな。
勿論、馬鹿騒ぎしたり、大声を出すのは違うが。
それはそれで時には使い道も有ったりするもの。
つまり、何事も臨機応変・柔軟に、という事。
まあ、結局はそれが難しいんですけどね~。
「…実は、既に此処には居ない、という事は?」
「凪、それは流石に無いわ
最初は仕方が無かったにしても、それ以降の行動を見落とす事は有り得無いわ」
「寧ろ、其処で抜けられていたら厄介では済まない
恐らくは、幽州統一よりも格段に難事になる」
「──っ…そうですね、軽率な発言でした」
「気にするな、そういう可能性も考えないとな
尤も、俺達にとって一番最悪なのは何の情報も得る事が出来ずに事が終わってしまう事だ
勝手に自滅しようが、始末されていようが、それはどうでもいい事だ
だが、何の情報も得られないなら、俺達の敗北だ」
「これは敵を倒すよりも情報を掴む為の戦いよ
だからこそ、こういう選抜に成っているのだから」
気を引き締める意味で敢えて強調して言い。
その俺の言葉の後を引き継いだ華琳が締め括る。
俺一人に言われるより、華琳と二人に言われる。
些細な違いな様だが、この違いは意外と大きい。
説得力・現実味・緊迫感といった多数の方向に。
今の僅かな時間で一気に働き掛けられるからだ。
それを理解し、何も言わずとも遣れる華琳。
冥琳や月、咲夜も出来るが、得手不得手が有る。
知識の差、という意味ではなく、遣り方の差で。
それに対して華琳は万能だからな。
油断すれば、俺自身も丸め込まれる程だ。
…まあ、可愛い我が儘なら構わないんだけどな。
其処に、とんでもない爆弾を混ぜ込むからなぁ…。
本当にね、強かな良い女ですよ。
そんなこんなで進み続けて3時間程。
地味に時間が掛かりましたが最奥部に到着です。
渓谷を駆け抜ける訳ではないので仕方が無い。
遣れば出来ますが、態々危険は冒しません。
目の前には岩山を掘って造った天然の岩城。
場所が場所だから堅牢さは意味が無いだろうけど。
その努力に関しては素直に拍手を送りたい。
いや、だってね、ただ掘ってるだけじゃないし。
ちゃんとした装飾や見た目を意識した彫刻がされた一枚岩を掘り、彫り抜いた一つの作品。
少し手を入れたら、立派な隠れ家、保養所です。
「水を引き入れるよりは汲んだ方が良いですね」
「そうだな、下手に引き込むと雨が降ったら濁流で塵や土砂が入り込むだろうしな
手間だが、その方が長く使えるだろう」
…え?、「何の話だ?」って?。
この岩城を保養所に改装した場合。
当然、岩風呂を設置しますとも。
しかし、楽をしようと水を引き入れると…な話。
ええ、俺と華琳の頭の中では算盤を弾いてます。
そして、的外れな会話に凪達は「…え?」です。
尚、恋は一人、違う反応をしています。
誰よりも早く武器を構え、顔を強張らせている。
「…兄ぃ、この奥、物凄く嫌な臭い…」
「ああ、徒労に終わらなくて良かった
ちゃんと、居てくれる様だ」
そう恋と俺が言うと皆も直ぐに気付く。
華琳と凪は言うまでも無く、臨戦態勢。
肩の力は抜いていても、敵地で気を抜きはしない。
氣で岩城の内部を探れば、居るのは一人だけ。
それも一番奥、という訳ではない。
岩城の中央、一番広い部屋に居る。
動いている様子は……無いか。
まあ、動けない可能性も有るけどな。
「中には俺達四人だけで行く
退路の確保と、伏兵の排除を任せる
伏兵が居た場合、可能なら数人は生け捕りで頼む
岩城や周囲に異変が有ったりしたら即刻全速退避
その場合、邪魔なら敵は捨て置いて構わない」
「了解です」
そう返事を返すしたのは部隊の隊長。
凪の右腕であり、楽進隊の隊長を務めている女性。
実は凪とは“激辛党”の仲間だったりします。
ええ、そういう人達の同好の同志の集まりです。
別に怪しい活動や反政治活動とかはしていません。
健全な激辛探求と激辛品評と激辛討論の会です。
…俺も一回だけ呼ばれましたが……うん、無理。
貴女達の熱量には敵いません。
──という話は置いておいて。
俺と妻達を除けば、氣を使った戦闘能力は抜群。
まだ伸び代も有るから楽しみだったりもする。
事前に幾つの方針や動き方は伝えていますからね。
これも、その内の一つ。
だから動揺も無く、しっかりと頷く。
それを確認し、俺達は岩城の中へと踏み込む。
俺、恋、華琳、凪の順で一列に並ぶ。
指揮・感知・防御に備えた配置。
攻撃に関しては全員問題無いからな。
ただ、その判断は俺がする。
相手が相手だから、こればっかりは仕方が無い。
「……賊徒の根城…にしては綺麗な造りですね
ですが、この様な物が此処に有るという記録も話も無いのは意図的に秘匿されていた為でしょうか?」
「いや、此処は多分、昔の石工の修行場か、石工の隠居した者が造ったんだろう
賊徒の根城なら攻め込まれた痕跡が残るだろうし、隠し砦にしては場所が悪過ぎる
糧食の搬入や人の往来は難しいからな」
「成る程、石工ですか」
そんな会話を華琳としながら進むが、やはり、罠の類いは一切仕掛けられてはいない。
氣を感知出来無い伏兵も居ないし、そういう類いの怪しい存在も居る様子も無い。
そして、何の障害も無いままに、目的地に到着。
態々持ち込んだのか、左右三つずつの篝火。
その中央に俯いたまま佇む人影が有る。
三人は俺の後ろに華琳を中央に一列に並ぶ。
少し距離を取る様に俺は前に出て、停止。
無防備な様にも見えるだろうが。
態と余裕を見せ付ける様にして構えてみせる。
「漸く見付けたぞ、李刊
──いや、袁硅」