93話 奇にして怪し
山を転がり落ちる小石は災厄の始まり。
一粒の砂の欠け落ちが致命的となる。
こういった比喩表現をする事が時には有るだろう。
情景をイメージし易く、結末を連想させ易い。
生活の中に有り、身近な事だから。
自分の実体験や経験として、覚えが有るから。
人は比喩表現として、そういう事を用いている。
しかし、そういうイメージや連想が出来無い事。
そういった比喩表現に対して人は一体如何様にして対処しているのか。
簡単に言えば、辻褄が合えば良い穴埋め。
パーツの足りない積み木で、部屋の中に有った物を代用品として使って完成した状態に似せる。
これが幼い子供の行動であれば、その創意工夫さを目にした親や大人は誉めるだろう。
しかし、見方を代えれば、これは人の持つ怖さ。
正常さよりも、自分が納得する事。
それを最優先する思考回路が人には備わっており、必ずしも正解が完成ではないのだと。
そう物語っていると考える事が出来る訳で。
つまりは、人は自分に都合の良い様に解釈したり、事実や思考を捩曲げる事を厭わない。
「それは間違っている!」と声を上げながらも。
実際には自分自身も多くの間違いだらけ。
それなのに、それには気付かない。
何故なら、自分にとって不都合な事だから。
だから、その矛盾を人は無意識に肯定している。
そういう事が出来る生物なのだと言えるのだろう。
ただ、何も創意工夫が悪いと言う訳ではない。
文明や技術・学術の発展・進歩には創意工夫という能力が必要不可欠である。
無から何かを作り出す、或いは生み出すという事は人には先ず不可能な事。
そんな事が出来るなら、人は間違いは犯さない。
間違いを犯す時点で、人は万能ではないのだから。
けれど、人は有る物を有効活用する事。
新しい活用方法を模索し、確立する事が出来る。
そう、創意工夫という能力を持っているから。
しかし、それ故に抱える問題も有るのも事実。
人は足りない物を補おうとする傾向が強過ぎる。
その為、自ら破棄するという考えが極端に鈍い。
特に、一度手に入れた物への執着は強く。
その強過ぎる執着により、社会的道徳観をを見失い自らを破滅させる事も少なくはない。
人の持つ創意工夫という能力は素晴らしい。
しかし、時には自らを見直し、間違いを認めたり、執着や意地を棄てる事により改める。
そういった意味での創意工夫というのも、人々には必要な事ではないのだろうか。
「成る程な、土地勘が有ればこそか…
潜伏するのには実に良い場所を選んだもんだ」
「まあ、彼奴の地元だしな
そういう意味じゃ、私等は不利かもしれないな」
「敵地に乗り込む場合は大抵、地の利は相手よ」
「ぅぐっ…」
深い意図は無い呟きに、華琳からの鋭いツッコミを入れられて小さく唸る白蓮。
何だかんだで、こういう遣り取りをしている様子は少しドジな姉と優等生の妹。
或いは、幼馴染みや親友の様な関係に見える。
まあ、御互いに恥ずかしいでは片付けられない位に色々と見合い知り合っている訳だしな。
変な遠慮は遥か遠い過去の理想郷の夢の彼方。
そして、だからこそ生まれ、得られた関係性。
一線を超えて踏み込んだからこその繋がりだ。
勿論、無遠慮や無神経に踏み込めば話は変わる。
寧ろ、その関係は今とは真逆で破綻し絶縁している状態に成っていても可笑しくはないだろう。
だから、その辺りは非常に見極めが難しい。
宅の場合は、俺──との営み──を介してだが。
ある意味、それを経験すれば大概の羞恥心や遠慮は気にしなくなるからな。
そういう意味では一つのコミュニケーションとして結果を出している方法だと言えるのだろう。
尤も、それもこれも華琳という要が居てこそで。
他の皆も理解有る妻達ばかりだからなんだけどね。
そうじゃなかったら、今頃は血で血を洗う展開でも可笑しくはない状況だったかもしれません。
想像しようとしても、しっくりきませんけど。
だって、喧嘩や口論は日常茶飯事ですし。
決して、打付かり合わない訳じゃないんです。
でも、それでいいんです。
それが正しい事だし、必要な事なんです。
個人の尊重とは、個性の容認。
だからこそ、個性と個性の打付かり合いは生じるし対立や反発も否めません。
しかし、それらが有るから様々な価値観や可能性が新しく生まれてもきます。
只々、慣れ合い許容し合うだけでは競争が生まれず共存している様に見えても只々、共に在るだけ。
その先に進む為には、どうしても衝突が不可欠。
ただ、それが、どういったものなのか。
それもまた非常に重要だったりします。
まあ、結局は人各々だし、一人一人の意思や決断で良くも悪くも、正しくも誤りもするんですけどね。
それを言ったら、こういう事を考える事自体ですら意味が無くなってしまいますから。
俺は、自爆する様な真似はしません。
それはさて置き。
今、俺達が遣って来ている場所は、袁硅の出身地の遼東郡は襄平県の西。
遼西郡は令支県との領境に沿う様に北東から南西に伸びる“不帰山岳谷”と呼ばれる深い山の谷間。
日本語で言えば“帰らずの山”ですね。
その連なる山の中に有る深い渓谷になります。
出来れば、男としては違う谷間が良かった。
──なんて事をボケとして思い付いてしまう。
我ながら余裕が有るのか無いのか判りません。
まあ、無い訳じゃないんでしょうけどね。
その名が示す様に、かなり危険な難所。
──とは言え、それは一般的には、の話で。
俺達や宅の精鋭部隊からしてみれば、其処までではなかったりします。
それでも油断すれば痛い目には遇いますけどね。
「忍様、突入部隊、準備整いました」
「了解、それじゃあ白蓮、此処の指揮は任せる」
「…ヤバそうだったら直ぐに撤退しろよ?
部隊の者達も御前を生かす為になら犠牲になる事は厭わない覚悟は出来てるからな」
「安心しろ、そうする必要が出る前に退く
少なくとも皆を使い捨てる気は無い」
心配する白蓮に、そう返せば苦笑。
「そういう奴だもんな、御前は」と。
表情とは裏腹に嬉しそうで、誇らしそうな白蓮。
夫として、男として。
愛する妻に、愛しい女に。
そう思って貰えるなら、これ以上の誉れは無い。
──だから、華琳さんや、「私もです!」と両腕で俺の左腕を抱えて押し付けるのは止めなさい。
これから敵の根城に乗り込んで戦うんですから。
そんな事されたら先に別の戦いを始めて終わるまで延期するしかなくなるでしょう?。
…え?、「それでも構いません?」ですと?。
いやいや、俺が構うから。
そして、白蓮さんや。
どさくさに紛れて貴女も右腕を抱えない。
いや本当にマジで脱線して脱戦になるから。
事が片付くまで待ちなさい。
全部終わったら、足腰立たなくなるまで、容赦無く攻め立ててあげますから。
「約束ですからね、御兄様」
「満足するまで離さないからな」
そう言って二人同時に頬にキスをしてくる。
…うん、彼方等さんは待たせててもいいから、一旦引き上げて出直しましょうかね。
──と、思わず決断しそうになってしまう。
俺の心が、精神が弱いんじゃないっ!。
相手が格上過ぎるんだっ!。
──とか、言い訳がしたいです。
愛妻達の誘惑と御強請り勝てる男は居ませんて。
そんな後ろ髪を引かれる遣り取りが有って。
俺は突入部隊と共に渓谷へと踏み入って行く。
俺以外の面子は華琳・凪・恋、それに精鋭三十名。
精鋭部隊の選考基準は氣の技量が高い者ばかり。
楽進隊を中心に、各部隊からの選抜。
ある意味、ドリームチームです。
尚、愛紗や梨芹を外したのは万が一に備えて。
もし、外に逃げ出された場合に、討ち取れる面子を配して置かなければ抜けられますからね。
そうなった場合の被害や惨状を考えれば当然の事。
人の上に立つ者というのは、先導者である。
だからこそ、良い意味でのイメージを思い描かせて引っ張るだけでなく。
最も悪い可能性の想定もして備えなければ駄目。
何方等かに片寄れば、或いは何方等かだけだと。
必ず、その先の何処かで。
取り返しの付かない致命的な綻びを生じさせる。
そんな間抜けなバッドエンドは願い下げですから。
俺は、きっちりと備えます。
そんな御約束展開の敗け役は他を当たって下さい。
「──ぅグァッ……」
蟇が潰れたかの様な汚い声を残して倒れる敵兵。
いや、もう兵士とは呼べないか。
此奴等は敗残兵であり、宅の領民の暮らしを脅かす賊徒となる可能性しかない粗大塵。
片付ける以外の選択肢の無い廃棄物。
決して、リサイクルは出来ません。
…更正?、しない、しない。
抑、そんな連中の為に当てる人員や費用が無駄。
罪を悔いる様なら、途中で思い止まれるもの。
そうではないから、犯罪者になっているんです。
だから、何を遣っても無駄。
犯罪者は成るべくして犯罪者に身を落とす。
犯罪に手を染めなければ生きていけないは甘え。
どんなに過酷な状況だろうとも。
真っ当に生きる事は出来る。
真っ当に生きている人は世の中に沢山居る。
圧倒的、大多数が、そうなのだから。
そうしないのは、楽な方に、甘い誘惑に負ける為。
つまり、自業自得であり、自分勝手なだけ。
その責任を負えないから、安易な犯罪に走る。
罪を背負う覚悟が有れば、馬鹿な真似はしない。
そうまでする理由が無ければ、遣りはしない。
そして、それを選んだ者は後悔も反省もしない。
潔く認め、そして、逃げる事はしない。
何故なら、本当に他の選択肢が無いから。
だから、そうではない連中は世の中の塵。
人間社会には不必要な存在なんですよ。
だから、俺は躊躇無く排除します。
それが俺の選択であり、覚悟ですから。
これを罪だと断じられるなら嬉々として背負おう。
民の為、国の為、社会の為──なんて言わない。
そうする事が俺の理念であり、定める秩序だから。
「…にしても、特に変わった様子は無いな」
「はい、正気を失っている様にも見えません」
倒した敵の屍を簡単に処理しながら凪と話す。
万が一にも、ゾンビみたいな使われ方をしても面倒でしかないからな。
それすら出来無い様に強引に焼き、灰にする。
炎を生み出して、という訳ではなく。
圧倒的な熱量──超過熱によって。
そんな強引な技だから使い勝手が悪い。
危険だし、一歩間違うと自爆するからね。
宅では俺と華琳と凪しか使えません。
…まあ、華琳と凪は何気に氣に関しては万能だから殆んどの技を身に付けてるんだけどね。
うん、本当にね、改めて思います。
素でチートなんですよ、彼女達ってば。
勿論、まだまだ負ける気は有りませんけどね。
「結局、この者達は何も知らない訳ですね」
「そうなるな…当然と言えば当然だろうけど」
「所詮、捨て駒の捨て駒、という訳ですか…」
「ああ、そういう事だな」
そんな遣り方を、平気で遣れる価値観を。
隠す事無く嫌悪感を滲ませながら言う華琳。
その言葉通り、此奴等は下の下、駒の使う駒。
そんな認識も自覚も無いんだろうけどな。
弱肉強食としては、そういう事。
「此処で活躍すれば将来は!」という様な。
文字通り、絵空事の妄想に惑わされた愚かな駒達。
ただ、其処に悲哀や憐憫の情を懐く事は無い。
その結末自体が自業自得、因果応報なのだから。
だから、俺も凪も、部隊の皆も同じ様に思う。
「それにしても…思っていたよりも手薄ですね」
「此処まで罠の類いも仕掛けられてはいないしな」
凪が此処まで道中を振り返りながら呟く。
実際、元々の狭い道や切り立った崖等の多い天然の要塞の様な場所だからな。
人工的に造らなければ待ち伏せ出来る様な場所自体数が限られている。
其処まで遣る時間が無かったのか。
或いは、遣る必要も無かったのか。
まあ、何方でも構わないんだけどな。
何しろ、会えば判る。
だから、今は兎に角、前に進むだけだ。
孫策side──
右手で庇を作り、陽の光を遮りながら見上げる空は雲一つ無い澄んだ青空。
始まりの門出としては悪くないわ。
「──確かに袁家は長きに渡り、この地に根差し、民を治めて参りました
しかし、その全てが正しかった訳では有りません!
同じ一族としては恥ずかしい事ですが…
本来の役目を見失い、私利私欲を貪る輩が一族内に増えていき、その浅ましさが蔓延していました
どうにかしたいと足掻いた結果、私は敗れました…
けれど、絶望し諦め掛けた中、私に手を差し伸べて下さったのが除子瓏様です!
今っ!、悪しき袁家は討たれましたっ!
そして、子瓏様による新たな統治が始まります!
これより百年、二百年…千年先の未来へと!
この過ちを決して忘れる事無く伝えながら!
共に歩んで参りましょうっ!」
そう遼東郡の民の前で演説している麗羽。
“世間知らずの御姫様”だった彼女は遠い昔。
今は、忍との出逢いを経て確かに成長した。
名門袁家、その正統継承者と。
胸を張って言い切り、認められる程にね。
…まあ、忍や華琳達から言わせれば「まだまだ」な感じなんでしょうけどね~。
それでも、この短期間での成長には目を見張るわ。
それだけ忍が凄いって事は私自身が判ってるしね。
本当にね、とんでもない人に惚れちゃったわよね。
私も貴女も、他の皆も。
「彼方等に行かなくて良かったんですか、姉様?」
「んー…まあ、行きたい気持ちは有るんだけどね~
行った所で、今の私じゃあ足手纏いなだけだし
興味本位で立っていい場所じゃないでしょう?」
「…姉様にしては考えての事だったんですね」
「ちょっと~…蓮華?、どういう意味よ~」
「御自分の胸に訊いて下さい」
「忍に可愛がって貰ってるのが羨ましいんだ~」
「──なっ!?」
「うんうん、そうよね、早くして欲しいわよね~」
「だだだだだ誰がそんな事を言ったんですかっ?!
大体!、私は姉様の事を言ったんですっ!
私の事じゃ有りませんっ!」
「あら、私、自分の気持ちを言っただけよ?」
「……………へ?」
「だって、一緒に居れば忍に構って貰えるでしょ?
そういう意味で、羨ましいな~っていう話」
「…………~~~~~~~~~~っっっっ!!!!!!」
思わず言った自分の言葉を思い出して真っ赤になる蓮華が揶揄い甲斐が有って可愛いわ~。
ちょっと前まで、色恋に無頓着だったのにね~。
──って、あらら?。
もしかして、貴女も同じ事思っちゃってた?。
もう、本当に皆可愛いんだから~。
大丈夫大丈夫、誰にも言わないから。
そんなに睨まないで頂戴、詠。
まあ、どうせ遠からず、皆一緒に美味しく貪られる日が来るんだけどね~。
二人も含めて、どんな反応をするのか楽しみだわ。
──side out