92話 風に身を任せ
セカンドキャリア、セカンドライフ。
そんな言葉が世の中に浸透している時代。
ふと、その表現に違和感を覚えはしないだろうか。
そのセカンドとは何を指すのか。
直訳すれば、“第二の”という意味になるのだが。
その表現を使う人達は、“一区切り”という意味で自分の人生に自ら線を引き、分けるか。
或いは、文字通りの過去を切り捨てての遣り直しを意味する方向での事なのか。
客観的に、そして、局所的に捉えたなら。
その真意を汲み取る事は難しいと言える。
ただ、個人的な見解を言えば。
セカンドという表現は可笑しいと思える。
“人生の区切り”という意味でなら、多くの人々が進学や就職、部活やアルバイト等。
各々の選択をし、進む。
その度に、確かな区切りが其処には存在する訳で。
二十歳で“成人式”を迎える日本でならば。
その時点で、彼等彼女等は、少なくともセカンドを軽く越える数の区切りを迎えている筈で。
当然ながら、その表現をする頃には更に増えている事だけは間違い無いだろう。
一方、学業を除き、社会人としての職歴とするならセカンドという表現は可笑しくはない。
──が、それには少なくとも、十年以上の同一職の継続が有り、尚且つ、実績が出ている。
そういった極々限られた人達にだけ、適用され。
ただ、今の仕事を辞めて新しい仕事を始める。
そんな人達と一括りにしてしまうのは可笑しい。
かなり緩い大枠で、広義的に見れば、否定する事は難しいのだけれども。
本来なら、そう表現する事こそが否定されるべき。
何故なら、それだけ彼我の社会貢献度が違う。
確かな実績を残し、社会に貢献した人達と。
ただただ自分の勝手で辞めた人達と。
比較する事自体が、前者に対する侮辱に等しい。
しかし、そういった形で明確な線引きをした上での意図した用いられ方がされないのが現実。
判り易いメディアの見出しやコメントに使われる。
それ自体は悪い事ではないのだけれど。
何でもかんでも同じ言葉で一括りにしてしまう。
其処に表現の多様性や物事の本質を伝えようとする意識や責任、その為の努力が有るのか。
そう問い掛け、答えを聞いてみたくもなる。
同じ言葉でも、誰が言うのか。
何時・何処で・どういった形でなのか。
その背景にまで考えを巡らせ、想像して欲しい。
上辺だけの言葉を掬い上げるのではなく。
その言葉に何が含まれ、何を伝えたいのか。
その為に、人類は“言葉”という手段を得た。
だからこそ、その本質だけは失ってはならない。
その事を本の少しでも構わないから。
誰かの言葉に向き合う時には。
そう意識して欲しいと思う。
他人任せにするのではなく。
自分自身で考え、感じ取れる様に。
「──と、そんな感じだったんだが…どう思う?」
「………普通じゃない事だけは間違い無いわね
でも、貴男が何も感知出来無かったのよね?」
「ああ、運んで来てから改めて袁硅の屍を調べたが特に可笑しな事は無かったし、痕跡も無い
だから、見立ては服毒自殺だ」
念には念を入れ、真桜に突貫で造って貰った袁硅の屍を隔離保管する為だけの小屋の中。
防護服ならぬ俺特製の防護衣を纏った咲夜と袁硅の屍を見下ろしながら話す。
まあ、小屋とは言っても、俺の特注した建物だし、真桜が全力で造った訳ですからね。
見た目には小さな小屋でも下手な砦よりも頑丈。
加えて、万が一の最悪の事態に備え、隔離する事が用意に設計されています。
咲夜を巻き込まない為の処置や準備もしています。
だから、もしもの時には小屋ごと消去します。
それは兎も角として。
咲夜と話していた通り、屍に不審な点は無い。
しかし、袁硅の居城や街の様子は異常でしかない。
その落とし所が、現状では見えて来ない。
「この世界に魔法的な方法は存在するのか?」
「氣で出来る範囲での事なら可能だけれど…
“世界の法則”を無視する真似は出来無いわ」
「そうなると遣り方次第では不可能って事じゃないという訳か…」
まあ、遣ろうと思えば俺にも出来る事だしな。
そういう意味でなら、不可能だとは思わない。
俺達よりも上なら、気付けないだろうし。
余程綿密に計画され、実行されているなら。
痕跡が残っていない事にも頷ける。
その道を知るからこそ判る。
つまりは、そういう事。
──とは言え、それは事態の劣勢を物語る訳で。
納得したから話は終わり、という訳にはいかない。
寧ろ、頭を抱えたくなる事だと言うしかない。
ただ、そう為ったら為ったで疑問が出てくる。
それを解決しない事には決断も出来無い。
「…仮にだ、俺達に気付かれずに袁硅を操っていたとして、何故、こんなにも中途半端な真似を?
俺を炙り出す為か?」
「修世者は外部認識よ
少なくとも、この世界の中で生じた存在が知覚する事は不可能、絶対に有り得ないわ
私だって、記憶を持っているし、貴男を知っているという条件付きだからだもの
普通に考えて、その線は無いわ
……まあ、自分にとっては邪魔な存在という意味でだったら考えられなくはないけど…」
「まあ、そうだよなぁ…今更感が拭えないか…」
「ええ…それだけの力量差が有ったのだとすれば、もっと早くに仕掛けられた筈よ」
咲夜の言う様にタイミング的にも可笑しい。
勿論、何かしらの意図が有っての事なら判るが…。
その意図が見えて来ないし、見当たらない。
まあ、飽く迄も俺達の主観では、の話だけど。
それで思い付かないとなると、それだけで厄介。
何故なら、意図が判らない以上、対策を講じる事が極めて難しくなるからだ。
ただまあ、何も出来無いという訳ではない。
時間や人手、資金や物資を費やせば考え得る可能性に対しては備える事が出来る。
しかし、それは万全というよりは浅く広く。
状況に応じて臨機応変に対処出来る様にした物で。
決してピンポイントでの効果覿面な対策ではない。
だから、どうしても後手後手に回らされるし。
それ故に、被害や犠牲の発生も防げなくなる。
はっきり言って、今までの戦いの比ではない。
圧倒的に大変な状況に、今、俺達は立っている。
「………ねえ、私からも訊いていいかしら?」
「何だ?」
「どうして袁硅の屍を持ち帰ったの?
普段の貴男だったら、華琳と凪も側に居たのだから一緒に調べさせて、その場で処分した筈よね?
でも、そうはしなかった…
その理由は何だったの?」
そう言って俺を見詰める咲夜。
鋭い──と言うか、よく俺を判ってるな、マジで。
確かに、咲夜の言った通りの判断や対処が普通。
普段の俺だったら、間違い無く、そうしていた。
──が、実際には、そうはしなかった。
その説明していない部分を訊いてきた。
その観察力と思考力には素直に感心する。
…例え、俺個人に限定された精度だとしてもね。
…え?、「自惚れんな!、糞野郎がっ!」って?。
いやいや、自惚れではなく、事実ですから。
口には出してないだけでね。
咲夜の視線が、「貴男の事だもの、判るわよ」と。
そう言外に伝えてきていますから。
ええ、俺が言ってる訳じゃあ有りません。
飽く迄も、妻の意思ですので。
──という惚気は一旦置いといて。
それには後で、ゆっくりと応えます。
今は咲夜の質問に答えないとね。
ただ、俺としても説明には困ります。
だって、明確な理由なんて無いんですもん。
「…はっきり言うとな、何と無くだ」
「何と無くって?」
「説明した通り、状況が異常さを物語っていた
その上で、袁硅の屍に関してだけ、筋が通る
不自然な程に綺麗にな」
「………成る程ね、確かに出来過ぎよね」
「勿論、それは他の状況との比較したら、だ
状況証拠から見れば、服毒自殺は間違い無い
袁硅の屍からも検出出来たし、それが死因だ」
「…それでも?」
「ああ、何かが引っ掛かる感じがした」
「…それは多分、貴男にしか判らない事ね…」
「修世者ならではね」と。
そう思う部分も有っただろうが。
咲夜は敢えて明言はしなかった。
それだけではない。
そうではない何かが、絡んでいる可能性も有る。
だから、自分自身が気を抜かない為に。
そう遣って安易な結論に落ち着く事を避けた。
…本人は否定するんだろうけど。
“司馬八達の親”という歴史的な肩書きに劣らない実力を持っていると言える。
──と言うかね、無能な親が歴史に名を残す人物を我が子から何人も出せる訳が無い。
教育の根幹とは間違い無く家庭。
しっかりと子供を育む事の出来る環境。
それを築けているという事が大事な訳で。
父が、母が、というだけではなく。
祖父母だったり、使用人だったりと。
家庭に関わる人達の人柄や意識が大きな要素。
他の人との逢別、繋がりが影響を与え、人を変え、育ててゆく事になるのだから。
そういう意味でも、咲夜となら良い家庭環境を築き子供達を育てる事が出来る。
希望や予想ではなく、確信し断言出来ます。
──という個人的な教育論の話は置いといて。
今は目の前の問題です。
「…それで?、貴男の予想としては何だと?」
「状況証拠から考えれば催眠誘導や洗脳・暗示等が可能性としては最も疑わしくはある
ただ、それを誰が出来るか、だ」
「そうね……少なくとも行方不明の面子の中に居る可能性は考え難いわね…」
「ああ、それこそ今更になって遣る動機が無い」
「袁硅に対する個人的な復讐だとすれば、服毒自殺なんてさせずに袁硅が一番嫌がりそうな方法で殺すでしょうし、毒殺するにしても苦しませる筈…
そういう毒ではなかったのなら違うでしょうし…
私だったら、貴男に捕まり政治戦犯として裁かれ、全責任を負わせて殺すわね
自分自身も裁かれる身だとしても」
「復讐こそが己が全て、という理由だったらな」
袁硅を心から慕い、忠誠心を懐く者は皆無。
袁硅自身が他人を信じてはいないのだから、当然と言えば当然ではあるが。
だからこそ、袁硅を助けようと思う者は居らず。
飽く迄も、自分達も終わりだから従う。
そういう者達の集まりが袁硅軍だった。
その意味でなら一致団結しても良さそうだが。
結局、其処まで持っていける人物が居なかった。
袁硅は飽く迄も政治畑の人物。
血生臭い命懸けの戦場に立ち、活躍出来はしない。
そんな訳で、袁硅軍は脆かった。
その点は可笑しくはない。
──が、そんな袁硅を逆恨みして反逆しようとする武官や兵士が一人も出なかったのは奇妙。
其処まで袁硅の人心掌握が優れていた訳でもない。
ただ、それは集団心理が大きく影響している以上、あり得無くはない事ではある。
だから、完全には否定し切れはしない。
しかし、それでも、だ。
一人も復讐心を懐かないというのは不自然。
──とは言え、警戒心の強く、慎重で臆病な袁硅が本の僅かでも自分に害を為す可能性の有る者を側に置いたり、重用する可能性は無いに等しいだろう。
そう考えれば納得出来無い訳ではない。
ただ、それでも最後まで袁硅に従うのは…。
そう考えれば疑わしく思えるのは仕方の無い事。
何しろ、当事者の袁硅は既に死んでいるからな。
死人に口無し。
死因や状況証拠から読み取れる事は有っても。
深い部分までは判らない。
ドラマや小説等の様に、犯人が親切に語ってくれるというサービスシステムは現実には存在しない。
まあ、宅は氣を使った調査や虚偽判定が出来るから滅多に誤認逮捕や冤罪は発生しませんが。
氣が使えなかったら、そうなるのは当然の話。
何しろ、そういう事に関しては性善説は皆無。
誰もが、助かろう・逃げ切ろうと悪足掻き。
自らの罪を償う気は有りません。
有ったら捕まる前に罪の意識から自殺しますって。