雪影に融く如く
詠の手勢は三千。
対する諸葛亮の指揮する孫家軍は五千。
此方等を睨む部隊が二千、北東を塞ぐ部隊が千。
それに先に処分した分が大体二千程なので、全てを合わせると約一万を揃えてきている訳で。
その本気具合が窺えるというものだ。
まあ、あっさりと二千は片付いたんですけどね。
それは仕方が有りません。
だって、所詮は粗大塵ですから。
まあ、そんな事はどうでもいいんですよ。
詠の方は愛紗達を含め、約五百は一旦休憩。
その為、実質的には二千五百なので約二倍。
勿論、兵の質で考えれば圧倒的に宅ですが。
それでも、此処に投入されている兵達とは孫家軍の精鋭中の精鋭ですからね。
正直、他所の兵よりも、かなり質は上だ。
だから、決して簡単な訳でもない。
それでも負ける事は有りませんけどね。
──で、その諸葛亮の采配なんですが。
詠とは違い、別に条件は有りませんからね。
普通に趙雲と文醜を使ってきています。
ただ、手札を知っているから言える事なんだけど。
随分と思い切った采配だと言うしかない。
普通なら、宅の何方等に恋が入っているのか。
将旗を上げてはいないし、見せてもいない。
その状態では、判断する事は難しい。
だから、基本的には両方に備える。
その場合、趙雲と文醜は分けて配置する。
それを、諸葛亮は片側に当ててきた。
これを思い切ったと言わずに何と言うのか。
まあ、そんな風に思い切って二人を動かせたのも、戦後の落ち着く所が見えていればこそ。
勝ち目が無いし、敗北しても悪くは為らない。
それだったら、という事。
──とは言え、これであっさり東側の部隊によって孫家軍の本隊が落とされたら、自身の軍師としての評価は爆下がりになるんだけどな。
本当、いい度胸をしている事で。
尤も、あの孫策に幼少の頃から付き合ってきたら、そういう度胸は付くんだろうけどな。
原作の周瑜然り、視線の先の諸葛亮然り。
…そう考えると、孫策に好き勝手に遣らせ、それに兵や文武官を追従させる、というのも有りか。
………いや、考えただけだから。
そんなに皆して「止めて下さいっ!」って、今にも泣きそうな顔をして訴えるんじゃ有りません。
俺が滅茶苦茶非人道的な事を遣ろうとしている様な気分になるじゃないですか。
「──と言うか、私に対して酷くないっ?!」と。
脳内で孫策からの抗議を受ける。
…いやまあ、貴女の場合は自業自得ですから。
その豊かで魅力的な胸に手を当ててみなさい。
思い当たる事の百や二百は有るでしょうが。
…え?、「判んないから、調べて?」って?。
……ったく、この甘ったれめ。
今夜は覚悟しておけ!。
──という脳内コントは置いといて。
実際の所、諸葛亮が二人を使えるのは、孫策という自軍最強の切り札が存在するからに他ならない。
主君──大将ではあるが、最大戦力でもある。
宅で言えば俺になりますね。
大将を守るべき駒ではなく、攻めに用いる。
それが出来るというのは大きな強みになる。
…自画自賛している訳では有りませんからね?。
仮にだが、恋が単騎で突っ込めば即終了する。
まあ、恋に限らず、愛紗や梨芹、凪でも同じ事。
当然ながら俺と華琳でもです。
しかし、そういった戦い方を此方等がしない、と。
諸葛亮は、孫策達は察している。
だから、敢えて数の多い本隊に相対し、思い切って二人を投入する事が出来た。
尤も、もしこれを平時に遣っていたら説教物。
特別補習確定コースですけどね。
尚、北東側の進路を塞いでいる部隊を率いるのは、先日遣らかした孫尚香。
兵達の頭よりも高い位置に、キョロキョロしている彼女の姿が俺達からも見えています。
「大人気ですね」と揶揄う様な稟の視線。
その通りに、孫尚香が探しているのは俺。
戦況を見ている訳ではない。
…まあ、あれ位の年頃なら花より団子、戦より恋。
御家の事情なんて知った事ではないか。
尤も、そこまで無責任な訳では流石にない。
ただ、飽く迄も気になるから探しているだけ。
実際に戦闘になれば彼女も己の役目を果たす…筈。
さて、当の戦闘の方ですが…まあ、地味です。
両軍の兵同士が攻め合いながら、詠と諸葛亮が逐次指示を飛ばしている、という状況。
最初から趙雲と文醜が突っ込んできてはいない。
文醜は突っ込みたそうにしているけどな。
「…二割程が脱落するまでは現状維持でしょうか」
「そうだな、今は軍師同士の語り合いだ
それを理解出来無い無粋な輩は今は居ないしな
今後の事も有るしな
じっくりと遣っておいて貰いたい所だ」
「彼女に関しては次の舞台が有りませんからね」
「ああ…まあ、誰かがそうなる訳だからな」
もう幽州統一は目前。
完全にカウントダウンに入っていると言える状況。
そして、原作で、史実で登場していた様な明らかに能力の飛び抜けた相手に現時点では心当たりが無いというのが俺と咲夜の共通意見。
その為、軍師を鍛えるには数少ない機会を活かす。
だから、それを見逃す事は出来無い。
偶々、最後が諸葛亮だったというだけの話で。
別に他意は有りませんから。
──なんて事を稟と話している間にも戦局は進む。
一手交代の盤上の差し合いとは違い、常に二手三手思惑が複合しているし、他者の意思も介在する。
正しく生きた駒は扱い辛いもの。
それを両者が巧みに御し、操っている。
此処に参戦こそしてはいないが。
手の空いている将師候補──嫁予備軍は少し離れた場所から観戦し、勉強している。
本当なら音々音や人和も参戦させたかったんですが流石に簡単に実力差は埋められませんので。
まあ、二人は地味に育て上げればいいでしょう。
諸葛亮とは立場も違いますからね。
先に仕掛けた諸葛亮が見た目では主導権を握る様に見えてはいるだろうが、実際には詠が主導権を持ち流れを誘導している。
後手は受け身ではあるが必ずしも主導権を握れないという訳ではない。
先手の場合、自分の行動に対しての相手の行動等を予測して次の行動、次の次の行動を考える事により主導権を握る様に持ってゆく。
対して後手の場合、相手に合わせない事も必要。
相手の意図を見抜き、乗った振りをする。
そうして、「成功している」と誤認させる。
先の事ばかりを考えるが故に、上手く行っている時というのは成功を疑わなくなる。
その思考の死角を意図的に作り出し──覆す。
用意していた事が全て無意味になる様に。
根底から引っくり返す。
そういう強引な力業で、詠は主導権を奪った。
諸葛亮も慌てて立て直そうとはするのだが。
如何せん、一度崩れると脆いのが軍師の弱点。
立て直すには時間が必要で。
しかし、その時間を今は作り出す事が出来無い。
結果、詠との実力差が浮き彫りになる。
それでも、諦めずに食らい付く姿勢は高評価。
盤上ならば潔く敗けを認めるべき時も多いが。
戦場では諦めの悪さが起死回生へと繋がる事なんて珍しくはない。
そういう意味でも、軍師には粘り腰も必要。
だから、諸葛亮の頑張りには価値が有ります。
そんな諸葛亮に応える様に動き出す趙雲と文醜。
ある意味、軍師としての勝敗は決した。
その為、漸く二人も参戦する事が出来る。
尤も、それは此方等にも言える事。
愛紗が「待ち飽きたぞっ!」と吼えるかの様に。
突撃してきた文醜を受け止め──押し返す。
その様子に即座に加勢する趙雲。
良い判断だ。
「くっ…此奴、本当に同じ女か?」と言うかの様に顔を顰めながら愛紗の胸部装甲を凝視する以外は。
…文醜?、「畜生ーっ!、天の馬鹿野郎ーっ!」と今にも泣き叫びそうなダメージを受けていますよ。
ええ、自分で育て上げておいて言うのも何ですが、愛紗のは我が国の国宝ですから。
勿論、他の皆のもですけどね。
だから稟さん、自分の胸を揉むのは御止めなさい。
気付いた男の兵士達が困っています。
育てたいなら後で幾らでも協力して上げますから。
……え?、「では、宜しく御願い致します」?。
………け、計算通りだから!。
──という謎の強がりは置いておくとして。
愛紗を相手に二対一とは言え、膠着出来るだけでも宅の基準的には評価出来る。
特に趙雲の文醜を主軸に置きながら、自らが補佐に回り上手く愛紗の隙を突きながら牽制している点は戦っている愛紗からしても「ほぉ…遣るな」と感心出来る程でしょう。
文醜は文醜で趙雲に丸投げしているが、信頼して、愛紗にのみ集中出来る割り切りは特筆すべき点。
中途半端な割り切りでは趙雲も遣り難いからな。
そういった意味では、御互いに対する確かな信頼が有ってこそ成り立つ連携だと言える。
だからね、愛紗も意地悪が遣り易い。
文醜から趙雲にメインターゲットを変更。
それも、「貴様は後回しで十分だ」的な態度をして文醜を適当に捌きながら、趙雲に集中しようとする素振りを態々見せ付ける。
人を揶揄うのが好きな趙雲は直ぐに気付く。
だが、愛紗を相手にしながらでは文醜を抑える事は中々に難しい。
──と言うか、一つの型が完成していのも同然故に立ち位置が変わった事で対応が遅れる。
そして、その遅れは愛紗相手には致命的。
だから趙雲は苦虫を噛み潰した様に愛紗を睨む。
愛紗は愛紗で趙雲の心中を察し、北叟笑む。
「悔しいか?、だったら覆してみせろ」と。
そう挑発し、奮起させるかの様に。
華琳ではないけど、よく判ってますよね。
流石は我が正統派幼馴染み妻。
ツンデレから新人教育まで出来るんですから。
貴女の死角は何処ですか?。
──で、挑発に乗った文醜が掻き乱す訳で。
これには趙雲だけでなく、諸葛亮も大慌て。
「──え?、ええっ!?、はわわわっ、ええっ!?」と軽いパニックになっている姿に、ほっこり。
まあ、本人からした「全然和めませんからっ!」と抗議したくなるんでしょうけどね。
客観的に見ていたら、きっと同じ様に思うよ。
──というのは余談として。
陣形や統制の崩れた孫家軍。
其処に止めを刺す様に突っ込む部隊が有った。
凪の部隊ではない。
凪は万が一に備え、詠の傍で護衛として待機中。
華琳は後方で宅と捕縛した孫家軍の負傷兵を集めて臨時野戦病院を開業しています。
無駄死させる訳にはいきませんので。
それでは梨芹が?。
梨芹は行きたくてウズウズしている恋の首根っこを掴まえています。
当然、稟や俺でも有りません。
だったら一体、誰が強襲したのか。
それは我が愛妻、白蓮だったりします。
ええ、実は参加していたんですよ。
今まで出番が無かっただけでね。
原作でなら、「またオチ扱いじゃないよなっ?!」と疑っている事かもしれませんが。
安心して下さい、オチじゃ有りませんから。
「さてと…それじゃあ、稟、後は任せる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
稟に見送られながら、俺は展開する部隊の後方へ。
入れ替わる様にして稟の号令で部隊は前進。
突撃はしないが、一歩ずつ、足並みを揃えて進む。
それを見て孫家軍の本隊でも動きが出る。
孫尚香の率いる部隊が展開し、ゆっくりと前進。
距離を詰めには来ないが、側面を抑える様に動く。
弓を得意と自負するだけに、よく見えているな。
後ろを抜かれる心配は無い。
だから道を塞ぐのは、飽く迄も形式的な布陣。
実際には、本隊の動きを補佐する為の遊撃部隊。
その役目を、しっかりと理解していると言える。
そして、本隊は二つに分かれる。
砦の前に残り、動かない孫策。
原作の彼女なら真っ先に突撃して来そうな所だが、此処では不動を貫き、どっしりと構える。
その孫策に代わって稟達の動きに合わせて前進する部隊を率いているのが孫権。
原作の様に功に焦っている様子は無い。
環境や状況が違うのだから当然と言えば当然だが。
それでも思う事が無い訳ではない。
それでも、孫尚香と同様に自分の役目を理解して、しっかりと集中している。
些細な切っ掛けだとしても。
時に大きく成長する事が有る。
趙雲side──
頭では理解していたつもりだった。
先の打ち上がる人影を目の当たりにしたのだ。
徐恕の手勢は此方等の想像を遥かに上回る。
彼我には圧倒的な戦力差が有るのだと。
それを決して忘れていた訳ではない。
決して侮っていた訳ではない。
だが、何処かで想定してまっていたのだと悟る。
それは自分を納得させる為であり。
不安から逃れ、集中する為だったのだとしても。
それが致命的な死角を自ら生み出してしまった事に気付いた時には、既に手遅れだった。
私と猪々子、二人を相手にしながら余裕で捌き。
尚且つ、猪々子を挑発して上手く利用された。
…しかも、圧倒的な戦力差だ。
猪々子が自棄糞になるのも理解出来る。
どうすれば、あんなにも育つ?。
雪蓮様や蓮華様も凄いが…彼奴のは化け物だ。
──等と、現実逃避したのが不味かった。
集中力が緩んで隙が出来てしまった。
「──なっ!?、此処で新手だとっ?!」
兵の声に一時、猪々子に相手を任せ、振り向く。
見えたのは真っ直ぐに突っ込んで来る騎馬群。
その事実には驚くしかない。
騎馬を用いる事が可笑しな訳ではない。
ただ、その騎馬は何処から遣って来たのか。
最初に布陣していた所を確認したが騎馬は不在。
此処は開けており、平地で見渡し易い。
だから隠して置く場所は無い。
それに、東西の道以外に騎馬が駆け抜けて来られる様な道は他には無──いや、待て。
………まさかっ!?。
「彼処を駆け抜けて来たというのかっ!?」
思わず出た声。
しかし、振り向いた先で彼女は笑っていた。
「どうだ?、凄いだろう?」と。
我が事の様に誇らしそうに堂々と。
再び騎馬群を見、その背後を見詰める。
東西の街道、その間に有る山。
其処には現在の街道が拓かれる以前に使われていた古い山道が存在している。
だが、歩きではなく、騎馬で。
しかも、駆け抜けて来る?。
冗談としか思えない。
だが、それを遣って見せられた。
(彼処は馬を横に並べると四頭は厳しい道幅だ
しかし、隊列を見る限り、三頭を並べている…
つまり、三頭並びで駆け抜けてきた…
…ははっ…一体どんな御業を使ったのやら…)
頭が可笑しいとしか思えない。
蛇の背の様に蛇行し、起伏も多く、足元も悪い。
使われなくなって久しいから荒れていただろうし、片付けたにしても丁寧には均せない。
一歩間違えば馬は横転。
一頭横転すれば、並ぶ馬と後続は全滅する。
しかも、両側が壁になる場所は兎も角、片側が崖の曲がり道も何ヵ所も有る。
それを承知で駆け抜け──遣って退けた。
これが笑わずに居られようか。
これを称賛せずに済ませられようか。
馬術の難しさを、騎馬術の難しさを知ればこそ。
素直に、その偉業には感服するしかない。
そして、それを実現する者達を束ねる徐子瓏。
雪蓮様だけでなく、シャオ様までもが惚れる男か。
全く…今程、女に生まれた事を楽しみに思った事は無かっただろうな。
早く御会いしたいものだ。
──が、先ずは目の前の相手だな。
そして、あの偉業を成した御仁。
嗚呼っ、本当に。
どうして、こんなにも心が躍るのか。
楽しくて楽しくて、仕方が無いではないかっ!。
──side out