のんびりとして
通常、戦の前には前口上や舌戦が有る。
俺は面倒だから滅多に遣らないし、好まないが。
基本的には士気向上や正当性の主張が目的だ。
だから、今回の場合、御互いに言う事が無い。
勿論、言おうと思えば何とでも言えるのだが。
孫策も馬鹿ではない。
この戦の結果は戦う前から見えているし、遣る以上全力は尽くしても、覆せない現実も理解している。
だから、こうして最低限の配慮はする。
無言を貫く事で「まあ、御互い様よね~」と。
後で文句を言わせない様にしているのだから。
そして、そういった理由から、開始の合図も特殊。
先ず、宅の方で銅鑼を鳴らし、動かずに待つ。
それを見て、孫家軍からも銅鑼が鳴らされる。
そして、再び宅が鳴らし、孫家軍が鳴らし、と。
次第に打つ数を減らし、早め、最後には同調。
銅鑼の音に合わせて緊張と鼓動が高まっていき。
一際大きく、打ち鳴らすのと同時に大号令。
咆哮と共に両軍が動き出した。
──とは言え、歴史物の超大作映画で大軍対大軍が打付かり合うシーンの様な感じとは違う。
士気高さでは負けず劣らずではあるのだが。
あんな風に突進し、いきなり乱戦になる事は無い。
アレは迫力を出す為の演出でしかないんだから。
実際、あんな真似を兵が遣っていたら統率力なんて必要有りませんし、指揮官も軍師も要りません。
如何に一騎当千の猛者を、軍将を数揃えられるか。
それで勝敗は決しますからね。
軍師達は揃って「それなら、勝手にしろ」と言って職務放棄する事でしょう。
俺でさえ、そう思うし、言うと思いますからね。
だから、戦の立ち上がりは静かなものです。
まあ、戦場に駆け付け、乱入するなら、そういった感じには為り易いでしょうけどね。
そういう時は勢いのまま一気呵成に攻めますから。
「…お、先ずは詠が仕掛けたか」
西側に布陣している本隊から一部隊が分かれると、前に出て本隊の盾になる様に鶴翼陣を取る。
パッと見では防御重視に見える動き。
だが、冷静に考えると矛盾に気付く事だろう。
これを孫家軍が遣ったなら何も可笑しくはない。
何故なら、野戦を選択していようとも、孫家軍には撤退という選択肢は無いのだから。
もし、此処で砦を放棄し右北平郡に撤退したなら。
当然、宅は殿に噛み付き、一気に喰らい尽くす。
つまり、この状況で背中を見せるという事は、宅に対して「どうぞ、御好きに召し上がれ」と俎の上で身を晒しているのも同じ。
“鴨が葱を背負ってくる”所ではない。
自ら身を捌き、出汁の入った鍋に浸かり、他の具も調理し、取り皿と箸を用意してから、誘う。
そんな準備万端な状況に等しいと言える。
…まあ、これが男女関係だとするとハニートラップである可能性を否めませんけどね。
あ、俺は引っ掛かりませんよ?。
そんなに飢えていませんし、困っていないので。
俺が飛び付くのは妻からの御誘いにだけです。
──という話は空の彼方に打ち上げて。
防御重視な動きを、攻めて来ている宅の方が遣る、というのは一見すると不自然。
勿論、見方によれば、「簡単には逃がさない」とも受け取れるし、持久戦を仕掛けてきている可能性も脳裏に浮かんでくるとは思う。
ただ、何方等にしても有り得ない事。
そう、正面なら思うだろう。
何しろ恋の実力を目の当たりにしているのだから。
しかし、現実には孫家軍は真っ直ぐに向かってくるという選択をしている。
あの孫策が、そんな馬鹿な真似を?。
何より、あの諸葛亮が考えも無しに突っ込む?。
そう、そんな事は有り得ない。
だが、実際には孫家軍は動いている。
では、それは一体どういう事なのか。
答えはとっても単純。
現在、動いている孫家軍を指揮している人物達とは孫策達からも切り捨てられた連中。
つまり、死んでも構わない廃棄処分品な訳だ。
ああ、勿論、兵は違いますからね?。
一部は、一緒に此処で処分する連中ですけど。
「思っていたよりも彼方等に行きましたね」
「数が多いから強い、とは限らないからな
あんな連中でも、腐っても孫家の一員なんだ
当主を含む重鎮の実力を知っていれば、兵が少ないという事だけで侮りはしない
まあ、逆に攻め気になる理由にはなるけどな」
「数が多い方が本隊で、大将が居るものですからね
加えて、此方等の個人の武勇は情報が少ない…
上辺だけで判断すれば、強さは物量、と…
そう勝手に思い込むのは必然ですね」
「そういう事だな」
そう戦況を眺めながら稟と話す。
のんびりとした空気は戦場っぽくはないが。
軍師や指揮官は少し下がっている位で丁度良い。
兵達の士気を高め、導くのは軍将の仕事だからな。
だから、その辺りは梨芹に任せればいい。
…恋?、ちゃんと頑張ってますよ。
まだ、待てが出来ていますからね。
恋も成長しているんです。
それはそれとして。
話題に上がっていた連中の話なんですけど。
宅にとっても、孫家にとっても不要な連中です。
こうして短期決戦という形にはなっているが。
先の孫尚香を巡る一騒動が有ってから、間も無い。
──とは言っても昨日今日の話ではないし、十日と経っているという訳でもない。
十分に準備が出来て、尚且つ、「…いや、やっぱり和睦するべきでは有りませんか?」と日和った声が出始めるよりも早く、開戦に至る。
そういう絶妙な日数を経て、だったりする。
孫尚香の一件は想定外では有ったが、利用出来た。
孫家内部に潜む、どう考えても不要な連中。
其奴等を上手く纏めて引っ張り出す事が出来た。
これは宅にしても嬉しい誤算だと言える。
その御陰で後々遣らないといけない掃除を前倒しで遣ってしまえるのだから。
色々と遣る事が多い以上、本当に助かります。
そして、宅の意図を孫策達も理解している。
だからこそ、上手い事遣る気にさせて、先陣へ。
手柄という甘い蜜に誘われて群がってゆく。
それが致死毒である可能性など微塵も考えずにな。
加えて、局所的な兵数差が有る。
一目見ただけで判る程、鶴翼陣を取る人数は僅か。
実際には本隊の一割の三百人。
対する攻め込む孫家軍は千人以上。
集団心理的にも気が大きくなり、危険を感じ取って踏み止まるという事は出来無くなる。
見た目には盾を貫かんとする槍の様だが。
実際には、射放たれ、戻る事の叶わない矢。
一方通行、片道切符の打ちっ放し状態。
まあ、その事実に気付かない時点で、その程度。
その程度なら、代わりは幾らでも居るのだから。
つまり、「態々残す価値など有りませんよ」と言う彼等自身による自らの価値の証明。
だから何の憂慮も躊躇も無い。
その死を惜しむ理由すらも皆無。
寧ろ、死んでくれる事こそが世の為になる。
所詮、そういう連中でしかないからな。
ただ、見たままという事は無い。
孫家軍が気付かない内に宅の方は変化している。
鶴翼の付け根、中央では愛紗が待ち構え。
鶴翼の右翼の先端には凪が控えている。
そして、もう一羽分の鶴翼が影に重なる様にして、分厚くなっている、という状態に。
「我が前に何を恐れる事が有ろうか!、進め!」と御山の大将が囃し立てているかの様に。
翼には目もくれず、中央突破を図る孫家軍。
本人達は至って本気で、真剣なのだろうが。
見えている側からすると滑稽。
恐らくは、孫策達にしても同じだろう。
「彼奴等って本当に馬鹿よね~」と。
今頃、他人事の様に笑っている事だろう。
事実、孫策達にとっては他人事だしな。
そして、間抜けな獲物は自ら死へと飛び込んだ。
それは宛ら食虫植物の様に。
或いは、仕掛けられた虎挟みだろう。
広げられていた鶴翼が、凶悪な顎へと変わる。
そして当然ながら、開かれた顎は閉じるもの。
愛紗と中央の精鋭が先鋒を受け止めた事で孫家軍は水が入った容器に合わせて歪むのと同じ様に。
鋭い槍の様な陣形を崩し、大きく膨れる。
それを飲み込む様にして顎は閉じ、包囲陣となる。
「な、何だっ!?、何が起こっているっ?!」と。
超間抜けな声が聞こえてきています。
いやもうね、何処のコントなんでしょうね。
これが舞台なら、大爆笑・大喝采なんですけど。
戦場では滅茶苦茶失笑ものです。
「ああは成りたくないな…」等々。
見る者に、一つの末路を示す訳ですから。
そりゃあ、楽しくは笑えませんよね~。
──で、しっかりと咀嚼して、ゴックン。
美味しい訳有りませんが、御残しは致しません。
我が家の食に対する拘りは強く、その辺りの意識は前世では考えられない位ですからね。
それを政策レベルで遣っていますので。
ええ、フードロス問題が生じるのは早くても俺達の死後、百年は後でしょう。
死ぬ間際の代までは、きっちりと教育しますので。
その世代が亡くなるまでは睨みが利きますから。
「さて、前座は終わった、始めるぞ」
「はい、総員っ、展開開始っ!」
稟の号令で待機状態だった部隊が動き出す。
予め指示してある陣形への移行なので無駄が無く、滞り無く展開し終えた。
──とは言え、此方等は主戦力ではない。
──と言うか、下手をすると二面作戦になる。
だから基本的には選ぶ手は受け身だ。
「彼方等も動き出しましたね」
「やっぱり、気になるか?」
「そうですね…「ならない」とは言えません
冥琳程では有りませんが、気になる相手ですから」
「まあ、冥琳は立場も含めて目立ってたからな…」
「その結果、貴男に娶られた訳ですしね」
「それを言ったら結局は一緒だと思うが?」
「私達は悪目立ちでしたからね…」
「俺からすれば皆、似たり寄ったりだと思うがな」
「…そうでしょうか?」
「ああ、各々に抱えるもの、背負うものは有る
ただ、結果として、今、笑って居られるんだろ?」
「はい、それは勿論です」
「だったら、過去は過去だ
どんなに考えようとも、悩もうとも、悔いようとも過去は変えられないし、消し去る事も出来無い
しかし、その過去が有るから、人は成長出来る
今、笑って居られるなら、それは成長の証だ
「あの時の自分とは違う」と胸を張ればいい」
「………心から今が戦時なのが口惜しいですね…」
「そうでなければ、私から求めるのですが」と。
言外に熱い眼差しで意思を伝えてくる稟。
“原作”の様な鼻血ブーなキャラではないので。
正統派のクール・ビューティー。
或いは、敏腕秘書でしょう。
でも、時々ポカを遣ったり、ドジったり。
仕事とは関係無い所では結構緩いというギャップが萌えポイントだったりします。
ええ、実質的な夫婦仲だからこそ遣れる主従関係のセクハラプレイ。
勿論、合意の上でですからね?。
そこは御間違え無き様に。
──とか遣っている間に両軍が打付かる。
掃除を終えた愛紗と凪は一旦後退。
別に疲れてもいないでしょうし、愛紗は戦いたくてウズウズしているでしょうから不満でしょうが。
好き勝手に遣らせる訳にはいきません。
そうしても良い時なら好きなだけ遣らせますが。
今は違いますから。
まあ、その為に華琳が居る訳なので。
愛紗にしても、姉としては妹の前で我が儘を言って困らせる訳にはいきませんので。
その辺りは素直に引いてくれています。
後で愚痴られるでしょうけど。
その程度の苦情で済むなら楽なものですから。
さて、それは兎も角として。
原作では実現しなかった世紀の一戦。
賈文和vs諸葛孔明というカードです。
咲夜ですら「生で見たかったわ」と言う対戦。
楽しみな訳が有りません。
原作でだと、反董卓連合の時に期待したんですが、劉備軍は格下でしたからね~。
正面に遣り合う機会は有りませんでした。
加えて、賈駆が曹操の麾下に入りませんから。
それだけに期待も膨らみます。
まあ、詠の方が有利なのは否めませんが。
その分、縛り条件付きですから。
それで良い感じにはなっている筈です。
諸葛亮side──
目蓋を閉じれば今でも、つい先程の事の様に。
風に乗る花の香を、空を飛びながら囀ずる小鳥達、揺れる木々の隙間から射し込む木漏れ日の温かさ、捲る本の紙の擦れる音。
そういった情景を彩る全てを、思い出せます。
そして、あの日の運命の出逢いも。
「──あら?、貴女…見ない顔ね」
そう声を掛けられ、読んでいた本から目を放した。
反射的に顔を上げてしまってから、悩んだ。
「ど、どうしよう…」と。
人見知りが激しく、あまり喋るのが得意ではなく。
家族以外とは正面に挨拶も出来無い。
そんな自分だから話し掛けられても困ってしまう。
相手を不快にさせ、苛立たせ、怒らせてしまう。
一生懸命、頑張ってみても。
相手が待ってくれる訳ではない。
だから、どんなに頑張っても無駄なんだと。
その頃の私は諦め、人間関係を放棄していた。
そんな私が出逢ったのは、正反対の女の子。
顔を上げた先に有ったのは、花の様に綺麗な笑顔。
無邪気な子供みたいな純粋さ。
誰に対してでも臆さず、けれども人懐っこい。
矛盾している様で、でも、それが自然な姿。
その不可思議な魅力に、初対面で魅入られた。
それが孫家の御姫様──雪蓮様との出逢い。
尤も、色んな意味で私の世界を壊した方です。
「やっぱり、御姫様って綺麗…」等と見惚れていた私の感動は半刻もしない内に木っ端微塵に。
御猿さんみたいに軽々と木には登るし、泥だらけになっても気にしないし、地面に落ちた食べ物だって汚れた所を取って平気で食べちゃうし。
「女の子…だよね?」と疑いたくなる気の強さと、大人の男の人にも負けない腕っぷし。
それなのに、とっても綺麗なんだもん。
「ズルい…」って嫉妬してしまうのも仕方の無い事だと言うしか有りません。
ただ、それで嫌いにはなれない。
寧ろ、そんな雪蓮様だから好きになってゆく。
そして、それを理解した時、判ったんです。
「あ、こういう人が“王の器”なんですね」と。
それにより私は自分の道を定める事が出来ました。
雪蓮様に連れ回され、一杯笑い、一杯怒られ、一杯泣いて、一杯楽しい事が有って、一杯悩んで。
それでも、雪蓮様と、皆と一緒に歩みたいから。
気付けば、人見知りしていた頃の私は遠い昔。
雪蓮様に小言が言えるまでに成りました。
……小言じゃなければ感動的な御話なんですけど。
本当、そういう所が雪蓮様らしいと思います。
そんな雪蓮様に、私達にとっての一番の強敵。
今や幽州を手中にしたも同然の徐子瓏さん。
知ろうとすればする程に。
知れば知る程に。
深い、深い、底も見えず、果てしなく。
軈ては自分が立っているのか、浮いているのか。
漂っているのか、何処を向いているのか。
何もかもが曖昧で、訳が判らなくなる。
そんな人物である為、頭を抱えるしか有りません。
ただ、雪蓮様が「夫にするなら徐恕」と仰有られる気持ちは理解出来る気がします。
直接御会いした訳では有りませんが。
敵に回しては先が見えません。
その意味では私達が女で良かったです。
切り札に成りますから。
──side out