過去の情景か
ただまあ、その選択自体は妥当だったとは言っても賈駆も決して愚かではない。
だから、無難に応じた、という訳ではない。
蒲公英達に張飛を当てつつ、投入した兵は千五百。
華琳の三倍を当ててきた。
上手く行けば、張飛か兵か、何方等かは抜ける。
その可能性を見て、更には林という視界が遮られる地形を考慮して、だ。
しかし、華琳は華琳で張飛の単騎駆けを予想済み。
氣を使っていなくても、蒲公英と焔耶が待ち伏せし張飛を逃がす事無く足止めしている。
兵の指揮は放棄した訳ではない。
林に入った所で、二人が率いていた兵は待機。
遅れて動いた稟が五百を率いて合流。
賈駆が送り込んだ兵千五百を迎え撃つ。
これを囲碁や将棋、チェス等の盤面とすれば。
一手毎に攻守は入れ替わっているが、流れとしては華琳が賈駆を上回っているだろう。
勿論、それ自体に驚きはしない。
賈駆には悪いが、華琳とは場数が違うからな。
正直、今のままの賈駆に勝機は無い。
ただ、決して賈駆の能力が低い訳ではない。
それに蓄積する経験値が無い訳でもない。
“権力闘争”という狭い土俵でなら華琳が相手でも賈駆は張り合えた事だろう。
しかし、賊徒相手とも違う、これは戦争だ。
その経験が、賈駆には圧倒的に足りない。
せめて、先の遼西郡侵攻に参加していたなら。
危機感の観点が今とは違った筈。
それだけでも流れは大きな違いを生んだだろう。
「そういう経験をしない方が良い事は確かだが…
事、こういう時代に産まれ、生きているのなら…
そして、自ら戦場に上がるのなら…
どんなに小規模だろうと実戦経験の有無が物を言う事は珍しい話じゃないんだよ
それを怠った──いや、軽視し、機を見逃した事が後々に小さくない差として響いてくるものだ」
戦場を、砦の中に居る賈駆を見ながら、呟く。
声が聞こえていたなら、賈駆は自分の甘さを悔い、過去の自分を恥じ、叱責していただろう。
だが、俺の声が届くという事は無い。
しかし、華琳が賈駆に刻み込み、教えてくれる。
敗北という苦々しい経験と共に。
個人的に「負けて学ぶ事は大きい」と思っている。
勝利や成功は自信に繋がるし、一つの武器・方法の確立にも繋がる訳だが。
敗北や失敗は多くの事を考える切っ掛けになるし、その材料を見える様にしてくれる。
勿論、相手や他者の所為にし、責任転嫁・責任逃れをしている様な輩には到底無理な話だが。
…いやまあ、そういう連中は口先や誤魔化し方等は異常に上手くなる傾向に有るんだけどね。
それは兎も角として。
成長する為に多角的な思考力が重要。
特に稀な“軍師”という才器にとっては、自分とは異なる思考や価値観に触れる事は大きな刺激。
ただ否定したり、拒絶してしまうと論外だが。
それを肯定し、向き合う事でしか得られない糧が、其処には確かに存在している。
だから、俺は華琳達には敗北の価値を教えてきた。
「結果が全て」「優勝以外は全て無意味」と。
そういう考え方も間違っているとは思わない。
実際の話、努力が必ず報われる訳ではない。
大して努力もしなくても結果を出せる者は居る。
それを才能や資質、器用さや要領の良さとするのか或いは、それこそが“本物の天才”とするのか。
要は、否定と肯定で分かれる話でしかない。
だが、その違いこそが、成長には大きな差を生む。
自らの弱さや不甲斐無さを知る者は、強く成れる。
鍛冶で鉄を叩き、鍛え上げ、造り成す様に。
汗と血と涙と、懊悩・苦痛・屈辱に塗れながらも。
愚直に、一心に、貫いた事は何かしらの形と成る。
対して、天然物は稀少だが、脆さを秘めている。
それを克服すれば、その輝きは更に増すのだが。
罅割れ、崩れてしまえば輝きは失われてしまう。
言わば、超ハイリスクな扱い方を必要とする訳だ。
効率や確率という意味では前者が圧倒的に上。
抑、後者は分母が少ない。
だから、“造れる天才”の方が社会的には好まれ、人々に受け入れられ易い事は間違い無い。
世の中に“技術・知識”として体系化され、一つの手法として確立されれば、より多くの者を生み出し数を揃える事が出来る。
それは社会的・組織的観点からすれば素晴らしく、継続的な利益還元にも繋がると言えるのだから。
まあ、話が横道に大きく逸れてしまったが。
敗北は、より“高み”が有る事を教えてくれる。
俺自身、亡き老師には散々敗北を味あわされた。
だからこそ、多くの事を学べたし、身に付けられ、今に有るのだと胸を張って言える。
尤も、それを知らない者からしたら、俺が言っても嫌味だろうし、説得力が無いかもしれないが。
それは指導する側の技量や姿勢の問題でもある。
自分の遣り方は大事だ。
それは間違い無く、一つの成功例なのだから。
しかし、それが相手に適合するのか。
それを見極められる判断力・観察力は不可欠で。
その場合の指導の為に柔軟性や理解力が必要で。
指導者としても成長していかなくては為らない。
自分の事と、相手の事とでは別問題なのだから。
──なんて、事を考えている間も戦況は動く。
翠の率いる馬超隊が起伏の激しい斜面を進みながら迎撃体勢を取っていた袁紹軍の意表を突く様に隊を十の小隊に分散して、一気に加速。
登りな上、固まっていては機動力を発揮出来無い。
そう考えてしまうのが当たり前な状況で。
機動力を確保する為に散開する。
それは個別に狙い撃ちされる危険性が高まる方法。
だが、それは所詮、一般論でしかない。
馬超隊は統合した騎馬民族の精鋭部隊。
加えて、俺達が調練をしている訳ですからね。
寧ろ、小隊の方が厄介。
それは冷静で狡猾な暴れ馬の様なもので。
暴走している様に見えて、実は統率されている。
「…まあ、俺が言うのも何だけど、翠も大概だな」
馬術や武術の技量・才能が、ではない。
本人には全く自覚が無いだろうが。
翠は翠で、稀代の人誑しだ。
“原作”では劉備というチートが居たし、設定上、其処まで注視されてはいなかったが。
抑、長である馬騰の一人娘でも武一辺倒の脳筋娘に馬一族や西涼の民が付き従い慕う訳が無い。
「強さこそが全てだっ!」的な価値観なら、曹操に敗れた時点で馬騰も臣従しているだろうしね。
つまり、原作の馬超は人々を惹き付ける存在で。
それは宅の翠にしても言える事。
未熟だから失敗や粗さも目に付くが。
本質的には生まれながらに人の上に立つ存在。
より正確に言えば、先頭を行き引っ張るタイプ。
だから、拙さや足りない部分は周囲が補う。
それ故に求められるのは槍の如き実直さ。
それが翠には有る。
だから、寄せ集めの集団を纏め上げ。
短期間で精鋭にまで成長させている。
その人誑しの才器が、こういう場面でも活きる。
翠の意思が彼方此方に振れず、真っ直ぐだから。
隊員達は迷わず、信じて全力を傾けられる。
それは遣ろうと意識して出来る事ではない。
文字通り、天賦の自然さ故だ。
袁紹軍は虚を突かれ瓦解──となる筈だったが。
まだ賈駆は冷静に戦況を見ているらしい。
馬超隊を迎撃する部隊に千の増援を出し、迎撃から一旦退かせて防御陣形に変更させる。
「これが普通の戦場だったら、翠達も躊躇無く敵を蹴散らしてるんだろうけどな
今回は条件付きだ
華琳や軍師の指示は無し…さあ、どうする?」
そう呟きながら、自然と口角が上がる。
決して、翠達が困る姿を楽しんでいる訳ではない。
…いや、それはまあ?、見方に因っては、そういう受け取り方をされるかもしれないけど。
流石に、其処までサディストな性格はしてません。
──と言うか、他人の足掻き苦しむ姿を好んでいる狂喜的な嗜好は持ち合わせていませんので。
Sっ気は有りますが、愛の有るSっ気です。
まあ、「いや、どんなだよ!」とか言われても説明出来ませんから困りますけどね。
“そんな感じ”なんだって話です。
それはそうと、今は翠達の事です。
この一戦で試されているのは賈駆だけではない。
宅の者達は華琳も含め、全員が試験中だ。
孤立する様な状況を作らせないし、作らないが。
それでも、それは絶対と言う事は出来無い。
その昔、梨芹と二人で体験した様な事例も有る。
“常識”は所詮、人間の勝手な決め付けだ。
それが絶対ではないのだと。
そういう意識を持っている方が予想外の状況下でも自分を見失う可能性を低くする事は出来る。
そんな小さな積み重ねが、生死を分ける。
大袈裟な話ではない。
今、俺達が生きるのは、そういう世界なのだから。
──とは言え、蒲公英と焔耶の様な場合も有る。
彼方は翠の所に比べて、試験内容が簡単だ。
ただ、その難易度は一般的にはの話。
あの二人にとっては、逆に高難度だろう。
「賈駆の手持ちは自分と袁紹・袁術に兵が一万…
華琳の方は桃香に兵五千、霞と張遼隊の五百、か」
数では二倍でも、質で言えば十倍は固い。
つまり、宅の方が五倍は上、という事になる。
…うん、ちょっと今回は兵を出し過ぎてるね。
いや、機会が限られてるから仕方無いんだけど。
もう三千は減らしてても良かったかもなぁ…。
判っていたとは言え、華琳が楽勝し過ぎる。
「今から追加で条件を出すのものなぁ…」
華琳なら「判りました」と二つ返事だろうけど。
だって、本人も「…これでは楽勝過ぎるわね」とか思ってるでしょうからね~。
自分が勝つ事、結果を出す事だけを考えているなら気にもしないんですけど。
華琳は宅の筆頭軍師であり、実質的なナンバー2。
俺の次に巨大な権限を有していますから。
はっきり言って、今更そんな事は些細な話です。
──と言うか、別に失敗した訳でもないですから。
俺のオーダー変更や追加には素直に応じます。
「………ん?」
「う~ん…どうするかなぁ~…」と悩んでいると。
視界の中──戦場で動きが有った。
稟の率いる部隊が、林に入った袁紹軍千五百を受け止める様にしながら、林の外まで後退した。
同時に中央を塞いでいた両軍にも動きが。
東側に回った斗詩の率いる顔良隊を中心とした隊が袁紹軍を左回りに押し込みながら前進。
逆に桂花が率いる西側は右回りに押される様にして西側の斜面の方に流れて行く。
その間を桔梗の率いる隊が上手く繋ぎ。
袁紹軍七千を西側へと誘導している。
それにより、戦場に袁紹軍の砦から宅の本陣までの一本の道が開かれた。
簡単ではないし、見た目にはギリギリだろう。
袁硅の様なタイプではない限り、動きたくなる。
そう、これは華琳の仕掛けた賈駆への罠。
ただ、必ず動かなければならない訳ではない。
宅の本陣から、霞の率いる張遼隊の五百が飛び出し開いた道に向かっていなければ、だけどな。
「…ったく、今夜は大サービスだな」
そう呟きながら、思わず苦笑してしまう。
「これで宜しいですね、御兄様?」と。
自然ながら、意図的に作られた戦況が物語る。
氣を用いらずとも、しっかりと全体が見えている。
その上で、俺が何を考え、何を望むのか。
それを理解した上で、臨機応変に戦場を動かす。
ただ、華琳は兎も角、他の面子は宅に加入してから日が浅いからな。
愛紗達なら「やれやれ、仕方無いですね…」なんて言いながらも容易く対応してみせる場面だが。
華琳以外は皆、まだまだ半人前だ。
桔梗辺りの「くぅーっ、また無茶な注文をっ…」と胸中で叫ぶ愚痴が聞こえてきそうだ。
勿論、この程度で根を上げて貰っては困るが。
……頑張った分は、何かしら考えておかないとな。
ただまあ、戦いも終盤に入った事だし。
俺も本陣に戻る準備をして置かないとな。
流石に終わるまで見物してはいられません。
賈駆や袁紹への印象が悪くなりますので。
賈駆side──
徐恕軍の兵は凡そ一万。
常道としては、此方等が二万で優位だと言えた。
勿論、そんなに簡単な相手ではないでしょう。
ただ、いざ戦いが始まってみると頭の中で、盤面を見下ろす様に考えていた事とは色々違ってくる。
まあ、当然と言えば当然なんだろうけど。
所詮、盤面は一対一の攻防だし。
差し手は必ず交互で、順番が厳守される。
だけど、戦場では、そんな決まりは無い。
徐恕と麗羽という大将が居るのは同じでも。
抱える将師の数も質も段違いだったりする。
しかも、幽州の半分以上を手にしてきた。
その幾多の戦場の経験も持っている。
決して侮っていい相手などではない。
それを私は自分で理解していたし、口にしていた。
それなのに──この様だ。
「──くっ…此処まで違うだなんてっ………っ…」
思わず、机を両手で叩き壊したくなる。
…いえ、私の膂力では無理よね。
だったら、ひっくり返して投げる位かしら?。
まあ、兎に角、思いっ切り叫びたい。
そんな気持ちになるのも仕方が無いと思うわ。
最初は様子見も有ったし、突破されても構わない。
そんな感じでの正面突破だった。
それを真っ向から受け止められ、増援を二度出すも結果として中央の進路を塞いでいたしまった。
勿論、それ自体は悪手ではない。
御互いに使えないのだから。
そんな中、左右に部隊を出した徐恕軍。
林の方には単騎の鈴々と別動隊の兵千五百。
斜面の方は彼方等の部隊が騎馬だったから迎撃する方が無難だと考えて待ち構えさせた。
此処までは動きとしては可笑しくはなかった。
鈴々を早々に動かさないといけなくなった事だけは自分を不甲斐無く思ったけどね。
でも、戦況が動いたのは斜面の騎馬部隊から。
まさか、小隊に分かれた方が動きが良くなるなんて思いもしなかったわ。
…いいえ、理屈の上では動き易くはなるけど。
それと部隊としての連動性は別の話。
だから、それは私の想像を超えた現実だった。
思わず見入ってしまう程に。
「こんな事が出来るなんて…」と。
感嘆してしまったのは仕方が無いと思う。
それでも我に返ると増援を出し、迎撃を中止させて後退させてから増援と共に防御陣を敷かせた。
騎馬なのだから突破させない事が重要。
そう思っている内に他の場所でも動きが。
林の方は鈴々の姿は無いけど、押し込んで林の外に出て来たのが見えた。
ただ、塞いでいた中央に穴が開いた。
それは客観的に見て怪しさ満点の誘い。
しかし、ゆっくり悩んでいる暇は与えて貰えない。
本陣から出撃した騎馬部隊が真っ直ぐに駆ける。
無視すれば一気に突破されてしまうし、先に抜けた騎馬部隊と合流されれば、一気に劣勢になる。
だから、どうしても動かざるを得なかった。
自分の未熟さと無力さを感じながらも堪える。
唇を噛み締め、拳を握り、心を折らない様に。
──side out