穢れを知る方が
好機を逃すまいとする袁平軍の動きは早かった。
袁硅軍の撤退から絶妙な間を置いての強襲。
津波や土石流の様に一気に押し寄せて飲み込む。
自然の力に例えるには脆弱かもしれないが。
そう見えても可笑しくはない、という事。
しかし、それは相手が本当に油断・慢心していれば隙が生じて好機と為るのだが。
仕掛けている方は得てして自らの優位を疑わない。
勿論、ネガティブな事ばっかり言ってる指揮官には兵達も従いたくはないだろうし士気も上がらない。
ただ、生存率という意味でなら、高くはなる。
戦場では臆病な程に生き残れる。
ある意味、正しい生存競争の姿なのだろう。
──で、攻め込まれている宅の状況なんですが。
袁硅軍を一蹴し、その勢いのまま獲った西安平県。
其処を平定する振りをして態と隙を見せて誘い込み一転して返り討ちにしている所です。
ええ、眼下では絶賛攻撃中ですとも。
「御兄様、敵左翼が瓦解しました」
「袁伏と袁芳だったか?」
「はい、取るに足らない、辛うじて袁家の端っこに引っ掛かっている程度の者達です──いえ、でした」
そう華琳が言っている最中に、あっさり当の二人は討ち取られてしまった。
うん、まあ、名ばかりの連中だしね。
宅の軍属の兵士相手に勝てる訳が無いし。
実力が違い過ぎますから。
そうなるのは当然と言えば当然なんです。
──とは言え、そんな相手でも一応は大物です。
討ち取った者にとっては一つの功績に為ります。
なので、弱くても関係有りません。
寧ろ、雑魚なのに美味しい獲物だと言えます。
俺や華琳達には要らない存在ですけどね。
「左翼を攻めてるのは桃香と沙和か…
思っていた以上に動けてるな
意外と相性が良かったか?」
「二人共、攻撃的な質では有りませんが、根っこは負けず嫌いでは有りますから
理由さえ有れば攻撃的には為ります」
そう言って意味深な笑顔を浮かべる華琳。
此処で「その理由は?」等と訊いては駄目です。
ええ、孔明ではなく“孟徳の罠”です。
訊いたら、なし崩し的に話が脱線します。
序でに少々、所用で場を外す事に。
ええ、経験上、流れは見えますとも。
その後、咲夜や冥琳に搾られる事もね。
尚、誤字では有りません。
そんな訳で華麗で自然にスルーします。
それは兎も角として。
沙和は宅に来てから、それなりに経ちますし、元々馬一族の中で育っていますからね。
戦術眼と度胸は有ります。
その辺りは“原作”よりも最初から上でした。
加えて、翠・蒲公英の良い影響を受けている様で、指揮官としても堂々としています。
“某海軍式”なんて遣らせなくても大丈夫です。
…まあ、その素養が若干の毒舌に見え隠れしている辺りは気にしない様にしています。
態々呼び覚ます必要の無い素養なので。
俺に嗜虐癖やドM気質が有れば別でしょうけど。
生憎と、超ドSなので。
寧ろ、華琳の方がMっ気が強い位です。
ええ、Mな華琳は物凄く可愛いですよ。
二人きりの時以外では意地でも見せませんが。
それがまた意地らしくて、一途で、愛おしい。
もし仮に、それが華琳の作戦だったとしても。
俺は喜んで嵌まり、翻弄されましょうとも。
──と、ついつい脱線してしまったね。
うん、気を付けないとね。
一方、桃香は原作よりも現実的であり自分の実力に見合った思考や判断が出来ている。
桂花・焔耶という補佐役は居たが、無力さを知り、其処から這い上がろうと日々努力をしている。
原作では主君という事で、秀でた能力は仁徳のみ。
張三姉妹の劣化版魅力チートみたいだった彼女。
武官には不向きで、文官としても微妙だった。
しかし、こうして現実で頑張る桃香は軍師見習い。
まあ、戦働きよりかは内政向きですが。
その本来の質や性根を考えれば、適材適所。
民の為に頑張る事が出来るのだから。
ある意味、その方が能力を発揮出来る筈。
勿論、まだまだ期待値込みなのは否めませんが。
決して夢想だとは思ってはいません。
計画的に育成し、辿り着ける未来です。
「──おっ!、右後方から上手く突っ込んだな
桔梗か、稟か……って、蒲公英が歩兵で来たか」
「蒲公英の策では有りませんね」
「ああ、先ず間違い無く稟の策だろうな
もし仮に蒲公英が自分から言い出した事だったら、それだけで今回の一戦の“最優秀賞”に値する」
「そうですね、御兄様
…まあ、翠よりかは可能性は高いと思います」
「言って遣るな、翠は翠、蒲公英は蒲公英だ」
──と、俺も自分で言いながら「いやいや、それは全然フォローになってないだろ?」と思う。
いや本当にね、マジで。
決して翠を馬鹿にしてはいません。
ただ、翠の場合は小細工は必要有りませんから。
まだ蒲公英は未熟だから、そういう事も必要と。
それだけの話なんで。
そんな蒲公英の率いる歩兵部隊が山越えをしてから機を見計らって仕掛けた奇襲。
だが、銅鑼や狼煙等の合図は無かった。
つまり、仕掛けるタイミングは蒲公英の判断だ。
翠と比べると士気の鼓舞能力や個人技は劣る。
しかし、翠を目標としながらも彼我を比較し自分と翠との違いを理解し、足りない物を求めるよりも、有る物を如何にして活かすのか。
そういう発想をし、柔軟に動ける器用さ。
それは宅の面子の中でも蒲公英は三指に入る。
昔の白蓮と比べたら確実に上だからね。
そんな蒲公英の観察力は軍師並みだ。
正面から打付かり合う、削り合い・潰し合いよりも如何に確実に勝ちを拾えるか。
そういう思考の軸が振れない。
だから、武人特有の一騎打ちへの拘りも低い。
申し込まれても「え?、面倒臭いから嫌」と。
平然と断って部隊で蛸殴りを指示出来る。
そんな豪胆さを持っている。
「だって、私弱いもん」と。
そう口にしながら、その弱さを武器に出来る。
その強かさが、蒲公英の強さでもあるのだから。
翠が聞けば「卑怯だろっ!」と怒りそうだが。
俺からすれば、勝ちは勝ち。
少なくとも、一騎打ちに拘って指揮を放り投げて、その結果犠牲者を増やすよりかは。
卑怯でも犠牲者を少なくして勝つ方が好手。
まあ、結局は価値観や論点の相違なんだけど。
蒲公英は、その辺りも柔軟だからな。
必要なら一騎打ちにも応じる。
軸を振らさず、必要性を判断した上でな。
「蒲公英の奇襲に呼応し桃香と沙和も攻勢を強め、其処に本隊を率いる桔梗と稟が突っ込む、と…
大筋の流れとしては在り来たりな形だが…」
「そう持っていくまでが軍師の腕の見せ所です
稟は桃香を副軍師という形で上手く活かしましたね
似た所の有る気質の沙和と組ませる事で不安を拭い二人が御互いを補完し合う事で動きを向上…
更に蒲公英と部隊を歩兵での運用しての奇襲です」
「騎馬民族は性質上、体幹が強いからな
山中や斜面を徒歩で移動しても脚が落ち難い
加えて、宅の軍属な以上、鍛えてあるしな
打付け本番だろうと、この程度の相手なら問題無く奇襲を成功させられる」
「はい、それを理解した上で、でしょう
最後に、桔梗を我慢させてからの投入です
それも総仕上げですから…
桔梗の遣る気が全体の士気を上昇させます」
「引き付け、崩して穿ち、隙を突き、一気に貫く
基本と言えば基本だが、その基本が一番難しい
基本であるが故に読まれ易いし、対処され易い
それでも、敢えて拘り、成して見せた訳だからな
稟は勿論、皆大したものだよ」
そう言いながら袁平軍を飲み込む自軍を見守る。
袁硅軍を相手にした時とは違う大きな点。
それは袁平軍を使って実戦経験を積ませる事。
それ故に、梨芹達主戦力は暫くは御休み。
防衛と治安維持、後方支援に回って貰っている。
祭辺りは不満そうだが、仕方が無い。
主力が出ると経験値不足を招くからね。
戦闘の有るSLGの基本とは如何にユニット全体を強化するかに有るとも言える。
勿論、其処までしなくてもゲームとしてはクリアは可能だったりする訳ですが。
現実的に考えると、底上げって大事なんです。
だって、生きてる人間なんですから。
どんな理由で戦線離脱するか判りません。
ええ、妊娠とか、病気とか、財政難とかね。
だから、少数精鋭っていう考えは重要なんです。
──とは言え、それは俺の、宅の方針ですが。
真似しようとしても中々出来ませんしね。
何しろ、氣という要素が大きいので。
…え?、「狡ぃなっ!」ですと?。
ハッハッハッ、それが生存競争ってものです。
「御兄様、このまま予定通りに稟達には東進をして平野県を落としに向かって貰いますか?」
「ああ、予定のままで構わない
桃香と沙和の連動、蒲公英の奇襲
この二つを見られただけでも成果としては十分だ
後は平野県の制圧と事後処理も含めて任せよう
出来れば、それは逆の形が望ましいな」
「解りました、それとなく稟に伝えて置きます」
そう言って華琳は傍を離れ、姿を消す。
隠密衆と比較しても遜色の無い動きだ。
まあ、華琳なら出来ても驚きはしませんけどね。
だって、隠密衆以上にチートなんですから。
尚、「いや、まだ戦闘中なんだけど?」等という事は言わないで置きます。
此処から戦況を覆されるとは思えませんし。
覆されたら覆されたで貴重な上質な経験値の稼ぎ時ですからね。
宅としては美味しいだけです。
──という訳なので、問題有りません。
其処まで理解した上での華琳の判断な訳です。
どうです?、出来る妹は一味違うでしょう?。
そんな我が自慢の愛妹話は一旦置いといて。
宅は既に幽州の半分以上を手中にしている訳ですが軍部全体の練度という点では偏っています。
それは勿論、当然と言えば当然だったりもします。
白蓮の下に入ってから愛紗達の専属部隊を構築し、汎用可能な軍属兵士を鍛え上げてきた。
だから、どうしても古参の方が強くなり易くて。
新人や編入組は合わせるだけでも大変なんです。
それなのに、賊徒等は日に日に減っていく訳で。
実戦を通して経験を積む機会は限られてきます。
勿論、民の生活等を考えれば、居ない方が良い事は言うまでも有りませんが。
軍事力を強化したい側からすると難しい悩み。
強化と安寧を天秤に掛けたジレンマです。
ゲームじゃないですが、育成用の専用ステージとか何処かに存在してませんかね?。
無限に敵が涌き出て、強さも調整可能な。
いや、後者は希望ですよ?、飽く迄もね。
経験値稼ぎが無限に可能なら、それで十分です。
──という愚痴は咲夜にも流石に言えません。
いや、寧ろ、咲夜には、ですかね。
今生では色々経験してるみたいですから。
「…にしても、桔梗は血気盛んだよなぁ…」
眼下には本隊の戦闘を走り、敵を屠る桔梗の姿。
袁平軍の兵を紙屑を散らす様に引き裂いて行く姿は客観的に見ても畏怖を覚える事だろう。
俺は平気ですけど。
だって桔梗ってば、かなりの“乙女”ですからね。
二人きりで居る時は初々しいし、甘々なんです。
他言したら殺されそうなので口には出しませんが。
とっても可愛い一面なんですよ。
──というのは置いといて。
それはまあ?、原作でもバトル・ジャンキーな事を言ったり遣ったりしていましたからね。
血気盛んな事には驚きません。
ただ、原作の厳顔よりも若いんですよ。
その分、経験や習熟度では劣る訳でして。
何処ぞの、じゃじゃ虎を想起させます。
まあ、アレよりは全然増しですし、良い娘ですが。
……そう考えると、原作の周瑜って一番の苦労人と言えるんでしょうね。
孫権も振り回され、押し付けられる訳ですが。
周瑜の比では無いでしょう。
でも、その苦労を愚痴りつつも楽しめていた辺りは二人の間に確かな絆が有ったからでしょうね。
まあ、その言葉を聞けば「勝手に美談にするな」と周瑜は怒るかもしれませんが。
俺だったら「他人事だから言えるんだ」と言ってるでしょうからね。
郭嘉side──
単一の一族による勢力では幽州で最大の規模を誇る袁一族を知らない者は居ない。
名家・名門は数有れど、袁家程に政略結婚を用いて比較的戦わずして勢力を拡大してきた一族は珍しく真似をしようにも遣り難いのが実情。
政略結婚というのは相互利益が肝心。
一方的な場合、相手側に不満を懐かせますから。
後々の火種に成り易いと言えます。
ですから、政略結婚を成功させるには相手を調べ、知り尽くす位でなければ確率が下がります。
そんな政略結婚を長きに渡り続けられている袁家の組織的な情報収集能力は侮れません。
勿論、忍様の鍛えた隠密衆には劣りますが。
長きに渡り蓄えてきた技術や知識は確かなもの。
それは特別だと評価するに値します。
(──とは言え、時が流れ、人が代われば組織力も低下していく事は避けられませんか…)
完全に失われている訳ではないとは思います。
ですが、最盛期と比べれば確実に低下しています。
そうでなければ、忍様に逆らおうとはしません。
一族の有能で美しい年頃の娘を政略結婚相手として忍様に差し出し、即座に麾下に入っている筈です。
まあ、その判断が出来る者が上に居れば、ですが。
現実には此の有り様ですからね。
そうではない事は明白です。
それでも、袁家には価値有る物が埋もれています。
それが判っておられるからこそ。
忍様は今回、苛烈なまでに殲滅を御指示。
袁家という躯体に付いた贅肉を削ぎ落とす。
そして、本当に必要な部分だけを獲る。
そう考えれば、これは必要な残酷さでしょうね。
尤も、袁家の人間の殆んどは害悪ですから。
結局は同じ様な結果になります。
それなら、せめて戦死の方が良いでしょう。
家名と血統の価値を守るという意味でも。
「──おや、随分と御早い御帰りですね」
「如何せん、手応えが無さ過ぎる!
部隊の実戦経験を積むには悪くはないが、個人的な経験を積むには質が劣り過ぎだな…」
「そればかりは仕方が有りません
抑、その比較の基準が高過ぎますから」
「あー……まあ、確かにな…」
憮然とした表情で戻ってきた桔梗。
彼女の機嫌を損なわない様に上手く宥めます。
決して忍様が仰有る“脳筋”な方では有りませんが一度遣る気を無くすと面倒ですからね。
その辺りは軍師として上手く気遣い調節します。
それに桔梗の愚痴る気持ちも理解が出来ます。
普段、私達が忍様に教わる事や妻同士の手合わせが本当に高度ですからね。
正直、「実戦経験とは?」と考えたくなります。
──とは言え、それは桔梗の言う様に個人の話。
特に私達の場合は“忍様の妻として”が本分です。
個人の名声や実績の為では有りませんから。
そういう意味でも、日々の鍛練や学習は別格。
しかも忍様の場合は殆んど実戦形式ですからね。
個人と部隊とでは差が出てしまうのは仕方の無い事なのでしょう。
贅沢な悩み、ですが。
──side out