誤れば血が滴りて
荀家は、幽州東部では有数の名家だった。
その歴史は古く、劉氏の太祖よりも遥か以前の世に一族を有名にしたのは、彼の“荀子”である。
以降、軍師や文官、或いは学者として活躍・輩出。
現代にまで血を繋いでいる事だけを見ても、十分に凄い事だと言えるだろう。
──が、その名家は一気に没落し、壊滅状態に。
そういう事自体は決して珍しい話ではない。
だが、ある意味では悪目立ちしている。
その為、施政者は勿論、市井でも噂が拡散。
前世の社会風に言えば──“大炎上”した訳だ。
その事を理解しているから、本人も気不味い。
いや、逆風に晒されている、という所か。
「それで?、劉備という者は何用か?
生憎と会った記憶も無い相手、意図が解らん
そんな相手からの、それも本人ではなく代理だ
過度な期待はしない方が良いぞ?」
「──っ!?…っ…はい、それは重々承知の上です」
釘を刺す様に言えば、荀彧は恭しく頭を下げる。
此方等から仕掛け、揺さ振っておいて、透かす。
どう反論し、少しでも影響が出ない様に弁解するか考えを巡らせながら身構えていた事だろう。
その状態での肩透かしは怖い。
それを、一瞬で理解しただろう。
その類い稀な才器が故に、理解してしまう。
理解出来無いなら、感じる事も無い畏怖。
確かに見えている筈なのに、解らなくなる。
影が深く、不確かで、あやふやになる。
それを補う為に、普通は自身の思考で埋めるが。
敢えて思考放棄し、影響を最小限にする、か。
訳有りだが、間違い無く、掘り出し物。
これが骨董市とかなら、即交渉開始ものだろうな。
チラッと視線を向けた先では華琳達が品定め中。
今の所は、感触は悪くなさそうですね、奥さん。
…あ、今のは俺の妻に対する意味ではないです。
所謂、世間への呼び掛けの定番の方ですので。
御掛け間違えの無い様に御願いします。
「…現在、遼東郡の袁紹が率いる大軍が遼西郡へと侵攻している事は御存知でしょうか?」
「ああ、あまり知りたくはなかった話だがな…
誰ぞ、袁紹に余計な事を吹き込んだか…
らしくもない真似をしているな」
「──っ!!」
説明の前段階として今の状況を把握しているのか。
その確認を含めた質問に溜め息混じりに返す。
然り気無く視線は外すが、意識は向けている。
だから、荀彧は気付かないが、無意識に油断する。
俺の言葉に、知らなかった情報に。
その聡明さが反応し、経験の低さが故に隠せず。
瞬間的にだが、仮面が外れてしまった。
そして、限られた情報しか持っていない以上。
新しい情報が入れば思考が新たな可能性を探るのは資質上、仕方の無い性だと言える。
ただ、それが意図的に掴まされた情報の可能性を。
今の彼女の身では疑い切れない。
舞台にすら上がってはいない身だ。
騙し合い・腹の探り合いにすら、発展しない。
対等ではなくとも、舞台上に居たならば。
「…此処で情報を与える意図は何?」と。
そういった思考も働いた事だろう。
だが、現実には、そんな必要は無い。
今の彼女達は歯牙に掛ける価値も無いのだから。
勿論、政治的な立場としては、の話だけどね。
「……貴男は、袁紹殿を御存知なのですか?」
「俺の最初の立場──太守としての領地は何処か、それ位は知っているのだろう?」
「…記憶違いでなければ、啄郡でしたかと…」
「ああ、それで合っている、間違い無い
──で、啄郡に隣接している領地は?」
「…漁陽郡と遼東郡です」
「漁陽郡は啄郡と領地も人口も大差は無い
だが、遼東郡は格上だったからな
万が一に備え、警戒するのは当然の事だろう?」
「はい、仰有る通りです」
「──とは言え、あからさまな防衛体勢を敷いては無用な亀裂を生み、馬鹿正直に「警戒してます」と言っているのも同然だからな
だからと言って、露骨に縁談を持ち掛けるのも変だ
袁家からの縁談だったら良いがな
そういった訳で、出来る事は情報収集が妥当な所だ
それを時間を掛け、継続している
そういう意味で、知ってはいる」
「──っ…」
丁寧に説明して遣りながら、最後には鋭く一突き。
俺が、俺達が、どういう戦い方をするのか。
その一端を、敢えて垣間見せてやる。
これは、ちょっとした試験の様なもの。
彼女の今の実力を、その才器の片鱗を、計る為に。
そして──その甲斐は有ったと言えるだろう。
本当に一瞬の事だったが。
目の前の少女は、年齢や容姿に不相応に嗤った。
それは、ある種の凶気であり、狂喜。
男社会では埋没死していただろう才器の芽が。
重く、厚く、苦しく、鬱陶しかった土を退かし。
漸く、その身に陽の光を浴び、歓喜する様に。
飢餓と獰猛さを宿した光を双眸に垣間見せた。
それだけでは危ういだろう。
だが、直ぐに自制し、我欲を抑え込んだ。
その意志の強さこそが。
俺達にとっては、一番の価値を持っている。
「私自身、そして劉備様も、現状を憂いてはいても打破する術を持ってはいません
…いいえ、正確に言えば、私達の立場では統治者が誰に代わろうとも、あまり関係の無い事です
寧ろ、戦いが長引く事の方が大問題だと言えます」
「戦力として徴兵され、男手が減れば農耕を含めた基盤となる生産力は確実に低下するからな
はっきり言って、上の揉め事は厄介なだけ
下にとっては、生活が第一だからな」
「はいっ、その通りですっ」
彼女が言いたい事を、俺が代わって口にする。
たったそれだけの事なのだが。
目の前の少女は無意識に声を弾ませている。
自分でも気付いてはいない高揚に飲まれている。
しかし、ある意味では無理も無い事だろう。
「女は子を産み、血を繋ぐ事が役目だ」と。
そういう社会性が常識である世の中に置いて。
その才器を発揮出来る主君を見付けたなら。
其処が更に想像を超えた高みに在るなら。
嬉しくない訳が無い。
喜ばない訳が無い。
抑え切れない程の湧き上がる歓声が。
今にも喉から叫声と成って響き渡りそうな程に。
荀彧は発狂し掛けていると言えるのだからな。
…その胸の奥に抱えてきた葛藤や懊悩を思えば。
自分の姑息さに嫌気を覚えるが。
まあ、それは今更な話だ。
“背負う”と決めた以上、変わりはしない。
己が歩みを、決して止めはしない。
成すべき事を、成し遂げるまではな。
その後の事は知りません。
頑張れっ!、我が愛しき息子達よっ!!。
父は、母さん達とイチャラブして弟妹を増やす。
そして、勝手気儘に生きるからなっ!。
──という本音と願望は未来に時空転移させて。
取り敢えず、目の前の事です。
ええ、“タイムマシン”が有っても。
未来を見たり、知ったり出来たとしても。
現在の問題を解決するのは自分自身ですからね。
「それでも、こうして御前達は動いた
それは盤外の傍観者から盤上に上がる為…
一つの駒に成ろうとも…
其処に居なければ関わる事も出来無い、か」
「はいっ、自らが指し手に成る事は不可能です…
ですが、駒としてならばっ…私達も戦えます」
「成る程な…だが、それなら遼西郡の有力者の所に話を持って言った方が早いと思うが?
今回の件では宅は第三者という立場だ
横槍を入れれば、火事場泥棒も同然…
御前達は、俺に身を落とせと言うのか?」
「──っ!?」
そう言えば、阿吽の呼吸で威圧する華琳達。
「そんな真似をさせるつもりなのかしら?」と。
無言の威嚇をし、敢えて荀彧を追い詰める。
まあ、別に簡単に話を進めても良いんだけどね。
こういう状況は作ろうとしても中々に作れない。
だからね、折角の機会だし。
少しばかり、無茶振りをしてみる。
自分の一言一句が、未来を閉ざす可能性を。
それを理解出来る才器を持つからこそ。
その少しが、大きな飛躍に繋がる事も有る。
身を以て、目の当たりにして、俺達は知っている。
だから、こうして新しい家族に鞭を振るう。
その荀彧は──俺達の期待に応える。
無茶振りに驚いていたのは、本当に一瞬の事。
自分の置かれている状況を理解すると怯む事無く、その才器を以て抗い、受けて立つ。
「それは徐恕様が部外者であれば、の御話です」
「ふむ…確かに、俺自身が関係者──当事者ならば手を出して来たのは袁紹、という事になるが…
生憎と、その手の心当たりが俺には無い」
「それは私達も理解しております」
「では、どうすると?」
「劉備様に私、そして、“魏延”という武官…
我々三人の全てを対価として差し上げます
事の後先は関係有りません
私達が貴男の所有物である
その事実さえ有れば、貴男は当事者です
後は御存分に御使い下さい」
そう言い切って見せる荀彧。
“原作”の男嫌いの彼女を知っている身としては、思わず、「此奴は偽者だっ!」と叫びたくなる。
それ位に、一番有り得無い台詞だと言える。
しかし、真っ直ぐに俺を見詰める眼差しは真摯。
そして何より、それは今此処で出した苦渋の決断、という訳ではない。
既に、劉備達と共に覚悟を以て決めた意志。
その事を、雄弁に物語っている。
つい、「…フッ…くくくっ…」と。
邪悪な笑みを浮かべ、高笑いしたくなる。
曹操が荀彧を試し、認めた時の様に。
彼女もまた、俺達の試しを越え、示して見せた。
その姿に、才器に、可能性に。
万雷の拍手を贈り、歓迎したくなる。
勿論、そんな真似はしませんけど。
気分的には、それ位には盛り上がっています。
「自分の言葉の意味を理解しているのか?」
「はい、勿論で御座います
証を御所望でしたら、この場でも構いません
どうぞ、御自身の手で御確かめ下さい」
「そんな真似は出来無いでしょ?」と。
高を括っているという訳でもなければ、開き直って挑発しているという訳でもない。
必要なら、本当に、この場で俺に示す、と。
その真っ直ぐな眼差しが、彼女の性根を表す。
原作の彼女が見ていたら、「馬鹿じゃないっ?!」と自分自身に対してだろうと罵倒している事だろう。
………うん、それはそれで、ちょっと見てみたい。
何方等の荀彧が舌戦を制するのか。
負けた方は、どんな言い訳をするのか。
そして、決着後の不毛な罵り合いや如何に。
──とまあ、それは置いといて。
此処で「いや、その必要は無い」とは言わない。
俺は綺麗事を言うが、綺麗事で片付けはしない。
この手が、身が、穢れようとも構わない。
その全てを背負い、歩むのだからな。
「そうは言っても、この場では流石にな…
──という訳で、場所を変えるとしよう
話の続きは確かめ終わった後だ
それで構わないな?」
「はい、勿論で御座います
…その…不作法と御見苦しい恥態を晒す事になると思いますが…どうか、御容赦下さい…」
「ああ、その辺りは心配するな
“風の噂”程度には聞いているかもしれないが…
俺は妻の数も多いからな
不慣れな事に不満は無い、寧ろ、好ましい位だ」
「──っ!?……っ…そ、そうですか…」
玉座を立ち上がり、荀彧の前まで進み手を差し出し立ち上がらせながら、口説き始める。
うん、客観的に見ても俺らしくないと思います。
でも、ある意味では俺の方も緊張しています。
だって、こういったケースは初めてなんだもん。
今までは覚悟を問う事はしても、即関係を持ったりしていませんからね。
…冥琳は早かったですけど。
それでも、初対面で、という訳ではなかったので。
緊張もしますよ。
荀彧side──
「私達自身を対価にする」と。
そう自分で言い出した以上、覚悟はしていた。
政略結婚という側面も有るけれど、彼の大人物には兎に角沢山の妻が居る事は有名。
勿論、無差別な雑食ではないけれど。
ただ、だから、少しは気が楽でも有る。
加えて彼の妻達の活躍は私達の耳にも届いている。
男優位な政治という舞台で活躍している彼女達。
勿論、尊敬に値する女性達なのだけれど。
それを許容し、活かし、輝かせるのが──彼。
だから、私にしては珍しく男に興味を持った。
一体、どの様な人物なのか。
どうして、そういう事が出来るのか。
何を思い、何を求め、何を目指し、歩むのか。
それを知りたいと思っていた。
そういう理由も有ったからか。
その覚悟は意外な程に、あっさりと出来た。
ただ、やはり、本物は違っていた。
謁見し、話し──どんどんと惹かれていく。
それは坂を転がり落ちるかの様に速度を増して。
何もかもを彼方に置き去りにするかの様に。
頭の中では「冷静に為りなさいっ!」と声を荒げる自分も居たりしたが、それを飲み込む感情の奔流。
そして──言った自分でも驚いてしまった挑発的な一言が決定的な一手となった。
確認され、了承し、手を引かれて謁見の間を後に。
優しく、触れているだけの様な掌。
それが、もどかしくて。
思わず私から、しっかりと握りに行った。
どう思われただろうか。
「…軽蔑されたかな?」と不安が過る。
しかし、振り返らず、声は掛けられず。
ただ──掌が握りに返される。
たったそれだけの事なのに。
嬉しくて、顔が若気て、堪らす俯いてしまう。
「御姉様や焔耶に顔向け出来無いわの…」なんて。
そんな事は微塵も思い浮かばなかった。
私は薄情な女のかもしれない。
でも、これは正直、「無理よ」って言いたい。
だって私は──生まれて初めて“恋”をしている。
物語の中の、御都合的な流れではないけれど。
何もかもが、この為だったと。
そんな風にすら、思えてしまうのだから。
こんなの…どうしようもないわよね。
「──行くぞ、桂花っ…」
「はいっ、下さいっ、忍様っ、ァアアッッ!!」
忍様の迸りを受け止めながら忍様の腰に自ら両足を絡ませて密着し、より深く、より奥へと求める。
重ねられている掌、繋がっている掌。
追い掛け合う舌と、覆い隠す様に被さる唇。
漏れ出す吐息も、乱れた鼻息も、喘ぐ声の様で。
注がれた熱は火を消す水には足り得なく。
寧ろ、更に貪欲に求める様に火を煽り、猛らす。
つい先程まで──と言っても正確には判らないが。
兎に角、私は間違い無く初めてだった。
それが、始まってから一変した。
既に三度、休む事無く、離れる事無く。
忍様を私が求め続けている。
今も、そう。
四度目を求め、動き難い格好なのに。
必至に身体を揺らし、誘っている。
頭の中に描かれるのは子供達に囲まれた私。
心の中に咲くのは唯一人へと捧げる誓いの花。
風に揺られ香る様に。
忍様、何時でも貴男を振り向かせたいです。
──side out