絡まる糸
一過性の勢いに乗った快進撃。
そんな物は先ず長続きはしない。
必ず、何処かで途切れるものだ。
だから、その勢いを少しでも長く活かす為に。
策を講じ、気付かれない様に巧みに誘導する。
それが率いる者の務めであり、重要な仕事だ。
「──が、到底、今の袁紹には無理だろうしな」
「そうだな、確実にっ…その勢いはっ、衰えるっ…
……忍、狙っていないか?」
「そんな訳無いだろ、偶々だって」
「………そうか…」
──と、言葉とは裏腹に納得していない表情をした冥琳が俺から視線を外し、前を向く。
そんな冥琳の肩や腰、背中の筋肉を解すのだが。
いやね、本当に狙ってなんていませんから。
偶々、そう、偶々、会話に影響しただけです。
決して、面白がって、反応し易い様に攻めたりとかしてはいませんから。
……状況が違えば、遣るでしょうけどね。
そのまま雪崩れ込むと思いますから。
妊娠しても氣を使っていれば、ある程度は肉体的な負荷を掛けて筋力の低下は防げます。
ただ、氣というのは万能では有りませんし、他者の氣というのは一種の致死毒ですから。
如何に母子だろうと影響が無い訳では有りません。
勿論、俺なら問題無く調整出来ますが。
俺は父親で有って、母親では有りませんからね。
白蓮達の時もでしたが、基本的には妊娠中の使用は極力控えて貰っています。
そういった理由からも、現在は産休扱いです。
だから、身体が凝り固まったりする訳でして。
それを優しく揉み解しながら触れ合う事で、夫婦のコミュニケーションも行う訳です。
素晴らしい事だと思いませんか?。
世の中の旦那さん、奥さんを労りましょうね?。
「それにしても袁硅が其処まで周到だったとはな…
警戒心──いや、用心深いとは思ってはいたが…
しかし、其処までさせる程だったか?、袁紹は…」
「あー…多分、それは要点が違うんだろうな」
「…と言うと?」
「冥琳は「袁紹の才器が」って考えたんだろうが、袁硅にとっては“袁紹の人望”が怖かったんだろ
“民に寄り添える領主”というのは数少ない者…
特に袁家の様な名門の、それも主流の血筋の家柄に生まれた袁紹の影響力は決して小さくはない
孰れ、自分の政権を脅かすとすれば、自分には無い人望を有している袁紹だろう、と…
まあ、そんな風に考えていたんだろうな」
「成る程な…確かに、そういう意味でなら、袁硅が袁紹を警戒していた事も頷けるな
しかしだ、それ程に警戒する位ならば、思い切って自分の妻にしてしまえば良いのではなかったのか?
歳は離れているが袁硅は独身だろう?」
「あー………いや、それは無理なんだよな…」
「………どういう事だ?」
「…袁硅ってさ、所謂、男色家なんだわ
それも完璧に“受け”の方だけのな
だから、女性相手だと興奮も反応もしない
その上、“女嫌い”なんだそうだ」
「……………………………………………そうか…」
流石に返す言葉が無いらしく、冥琳は黙った。
うん、冥琳じゃなくても、そうなるよね。
個人の趣味嗜好や恋愛観に文句は無いんだけど。
その価値観を理解出来るか否かは全く別の話です。
そして、それ故に「政略結婚は出来ません」と。
まあ、流石に何も言えなくなりますよねぇ…。
そういう立場なら政略結婚も覚悟して然るべき事。
所が、“仮面夫婦”さえ成立しないとか。
「いや、其処は何とかしろよ!」と言いたい。
その程度の覚悟はしなさいっての。
…まあ、言われても無理だから、そうなんだけど。
因みに、政略結婚した夫婦が跡継ぎが出来た後は、御互いに好き勝手している事は珍しく有りません。
その場合、後継者問題で御互いに最初の取り決めを破りさえしなければ言い訳ですから。
──とは言うものの、変な親心や欲が出てしまい、何だかんだで揉めて血塗れな御家騒動になる事とか有り触れた話だったりもしますからね。
人間、その辺りの自制心の有無が社会的な成功への一つの大きな要素ではないでしょうか。
俺達みたいなのは例外中の例外ですけどね。
「…しかし、こういう事が有る時に動けないのは…
中々に、もどかしいものだな
勿論、私と子供の安全が第一では有るのだが…」
「まあ、軍師としては気になる状況だろうしな
聞いて情報を得るだけではなく、直に見て、触れ、それを経験し、糧にしたい…
そういった気持ちが有る事は理解出来るよ
夫として、父親として許可は出来無いけどな」
「ああ、判っている
私が逆の立場でも、そう言うだろうからな」
「それに…どうなるのか、まだ判らないからな
何だかんだで袁紹は俺の想定を超えてくれたからな
そういう意味では、気が抜けないからね」
「軍師としては頭の痛い相手だがな」
そう言って苦笑する冥琳に顔を寄せ、口付けする。
それ以上は控えます。
遣ろうと思えば出来ますが、初産ですからね。
母子の健康と安全が第一ですよ。
「…それにしても、御前は本当に変わっているな
勿論、私達──少なくとも私は有難いし、感謝する以外には無い訳だが…
普通は女に、でしゃばられたくはないだろうに…」
「まあ、俺は純粋に実力主義だからな
男女の生物的な違いから言えば男社会に成り勝ちな事自体は否めないし、仕方が無いとも思う
ただな、だからと言って稀有な才能を埋もれさせる社会性は個人的には許容し難いし、好まない
それが、こういう形に成っているだけだよ」
「華琳達が活躍出来る様に、が一番ではないか?」
「そうとも言うかもな」
そう言えば、今後は冥琳の方から唇を寄せる。
「そういう御前に、私は惹かれて止まない」と。
愛を囁く様な、柔らかく、けれども情熱的に。
御互いに煽り過ぎない程度に気を付けて。
敢えて言葉にしない、夫婦の会話を交わす。
「…ん……けど、俺にとっては、今みたいに素直に引いてくれる妻には助けれられてるよ
こうして前線には出られずとも、冥琳達が内側から支えていてくれるから安心して専念出来るからな」
「それは殆んどの妻が遣っている事だと思うが?」
「いやいや、それは飽く迄も家庭内の話だろ?
冥琳達みたいに政務の面で、というのは稀だ
──と言うか、殆んど聞かないからなぁ…」
「そういうものだからな…
寧ろ、私達の様に自分が政務を担っていると自然と夫だろうと男には負けたくなくなるからな
そういう意味では、妊娠しようが譲りはしない
少なくとも私は、夫が御前でなければ、こう遣って大人しくしてはいないだろうからな」
「それは誉められてるのかな?」
「ふふっ、ああ、そうだな」
判っていながら訊ねれば冥琳は挑発的に笑み。
──まあ、ちょっとばかり熱が入る訳ですが。
それは余談という事で。
冥琳を含め、妊娠中の妻達との二人きりでの一時を過ごした後、任せている政務の報告や確認作業へ。
如何に夫婦だろうが“報・連・相”は大事です。
自分達だけの事では有りませんから特にね。
一通りの確認を終え、皆と御茶をしながら談笑。
こういうのも仕事の後の小さな楽しみですよね~。
「──ん?」
──と、其処に。
開けられている窓から入って居た一羽の鳩。
右腕を伸ばせば、其処に迷わず止まる。
それも当然で、野生の鳩では有りませんからね。
宅で飼育・訓練をしている“伝書鳩”なんです。
しかも、氣の強化を受けて飛ぶ訓練をしている為、その飛翔速度は通常とは段違いという仕様です。
そして何より、目玉なのが何と何とっ!。
宅の伝書鳩は往復型なんですよ!。
氣で行き先を教え、強化した飛行能力で日帰り。
帰巣本能の強い愛妻家の雄鳩は頑張ってます。
世の奥様方、働いてる旦那さんを誉めてあげてね。
男なんてのは、誉めて遣れば頑張りますから。
──というのは置いといて。
実際、鳩に往復させるという事は出来ません。
自然に遣ってる範囲は狭いですし、伝書鳩としては役に立ちませんからね。
だから、伝書鳩は普通、一方通行な訳ですが。
それを往復型に出来ているのは氣の御陰。
何だかんだで氣って凄いですよね~。
「忍、何だと?」
「んー…俺に謁見希望らしいな
遼西の下級官吏の使者みたいだけど…」
「その者の名は?」
「“劉備”だってさ、聞いた事有るか?」
「………いや、正直無いな
だが、劉姓自体は多いからな」
「そうですね、何しろ二百年前の“太祖”です
その血筋は今でも多く残っているとは思います
ただ……特筆する家系や名家は有りませんので…」
「今の忍と似た立ち位置だろうが、太祖は子孫には恵まれはしなかったからな
まあ、それでも血筋を辿れば私や月、それに袁紹も太祖の血に連なる末裔ではある」
「ですが、何故か劉姓は繁栄しなかった訳です」
「まあ、そういった事は珍しくはないからな
政治的に、劉家や劉姓が都合が悪い存在になれば、淘汰されて排除される事は可笑しくはない
寧ろ、数という面で多く残っていれば十分に凄い
少なくとも、現代まで生き残っているんだからな」
そう冥琳・月と話しながら、「直ぐに戻る」と認め伝書鳩に強化を施し、窓から放つ。
あっと言う間に姿が見えなくなる鳩だが…うん。
我ながら、色々遣らかしてると思いますよ。
それは兎も角、今後の必要な指示と段取りを伝え、幾つかの用事を済ませてから、俺も発つ。
流石に直帰する鳩には追い付けませんけどね。
いや、「用~意、ドンッ!」でなら勝てますよ?。
同時スタートならね。
でも、10分差が有ったら俺でも無理です。
だって、それ位にまで強化してますから、てへっ。
──という事が有って、滞り無く、謁見へ。
謁見ってさ、偉そうな感じだよね。
まあ、実際に俺は“御偉いさん”なんですが。
滅多に着る事の無い正装──華琳達が着せた──に身を包み、滅多に使わない謁見の間の玉座へ。
…いや、柄じゃないんですよ、そういうのは。
華琳は滅茶苦茶似合いますけどね。
「待たせたな」
「勿体無い御言葉です
突然の来訪にも関わらず御会いして頂けただけでも感謝以外は見当たりません」
「そうか──で、劉備という者の使いだったな?」
「はい、我が主・劉玄徳の代理で参りました
“荀彧”と申します、宜しく御願い致します」
そう言って丁寧に頭を下げているのは猫耳軍師殿。
まあ、今は流石に猫耳フードは被っていませんが。
首の後ろのフードには、しっかりと付いています。
明命といい、猫絡みの設定は強いんですかね?。
個人的な事を言えば、俺は猫が大好きですけど。
──と、そんな事は後回しにして。
劉備の家臣に荀彧、と来ましたか。
しかも、その劉備は無名も無名です。
何しろ、宅の情報網に引っ掛っていない位です。
…それはまあ、全部は無理ですけど。
──と言うか、それ位、下っ端な訳ですから。
ある意味、狙って探さないと厳しいでしょう。
正直、其処までしようとは思っていませんからね。
縁が有れば孰れ出逢う筈なので。
現に、こうして繋がった訳ですからね。
さてと、それは兎も角として。
今は目の前で傅いている荀彧です。
少しばかり、揺さ振ってみましょうかね。
「ふむ…荀、か……東部で荀姓と言えば…
まさか、あの有名な荀家に縁りの者か?」
「──っ……はい、御恥ずかしい限りですが…
一族に連なる身で御座います」
気丈に振る舞い、平静を装って見せてはいるが。
俺の一言に荀彧の身体が小さく反応を返していた。
それを見逃す俺では有りません。
何より、劉備とは違い、彼女に関する情報は有る。
ちょっと悪目立ちしていますからね。
だから、前から行方を探していましたし。
色々と調べは付いているんですよ。
そういう反応に為ってしまう理由もね。
魏延side──
私は貧しい農家に生まれた。
それ自体を不幸だと思った事は無かった。
貧しくとも、逞しく生きる術を両親や祖父母が。
叔父達や叔母達が。
兄姉や従兄姉達が教えてくれたからだ。
温かく、笑顔が絶えない、優しい日々。
其処に不満は無かった。
欲張って、無い物強請りをするなら別だろうが。
──だが、その日常は容易く奪われた。
突如現れた賊に家族を、故郷を、奪われ。
絶望し、悲哀に染まって──目の前で下卑た笑みを浮かべて私を見下ろす男に憤怒と憎悪を向けた。
その後の事は…正直、覚えてはいない。
ただ、亡くなった皆と同じ様な悲鳴と叫声を。
真っ赤に染まった景色の中で賊共も上げていた。
その後、私は一人で生き──姉上に出逢った。
頼り無く、危なっかしく、気が気でない女性。
姉や従姉達とは比べるまでも無かったが。
何故か、彼女の傍は温かく、居心地が良かった。
だから、気付いた時には「姉上」と呼んでいた。
少しばかり照れ臭くも、心の奥を温めてくれる。
それから間も無く、桂花に出逢う。
憔悴し切り、今にも死にそうな程に痩せていた。
だが、その双眸に宿る眼光だけは鋭くて。
まるで、手負いの獣の様だった。
…実際には、とんでもなく口の悪い奴だったがな。
そんな桂花が、今、姉上に問うている。
この乱世の先へ、その舞台へ。
上がる覚悟が有るのかを。
「…戦う、その覚悟は私にも有るよ
だけど、どうするの?
桂花ちゃんが言った様に私達には変える力は無い…
それが判っていて、何も出来無いんだよ?」
「私達に出来る事なら、一つだけ有ります」
「……それは?」
「“大太守”・徐子瓏を動かします」
「「──っ!!??」」
その一言には私も姉上も驚くしかない。
だが、確かに…それ以外には出来る事は無い。
私達には、選り好みしている余裕は無い。
しかし、そう簡単に行くだろうか?。
そう疑問を懐かずには居られない。
「ですが、その為には対価が必要です」
「…対価?………っ!?、桂花っ、御前…まさか…」
「そのまさかよ、私達自身を対価に差し出す
それ以外に、私達が戦う術は無いわ」
「──けどっ!、御前はっ………………~~っ…」
「それはまあ…ね……何も思わない訳じゃないわよ
だけど、此処で動かなかったら一生後悔する
…いいえ、もう二度と戦う事なんて出来無いわ
此処が、私達の──私の分水嶺なのよ
だから、私は戦うのよ
過去に負けたくはないから」
「──っ…」
此奴は…この馬鹿猫はっ…ああ糞っ、何時もだ。
小さい癖に何時も何時も何時も何時もっ!!。
こう遣って私の弱気な心を叱咤する。
消え掛けてる意志を煽って、猛らせる。
だからムカつく──だから、大っ嫌いだっ!。
絶対にっ!、一人で格好付けさせなんて遣るか!。
──side out