謀略の糸
目の前に座るのは衣服の上からでも判る巨峰。
嫁の中では最大である咲夜は着痩せするので普段は一見しただけだと「意外と有る…かな?」位だが、リアルに「実は私、脱ぐと凄いんです」なタイプ。
紫苑・祭・冥琳は言わずもがな、ですが。
そんな言わずもがな勢に属すのが彼女──厳顔だ。
見た目には原作の印象よりも若い──と言うよりか子供っぽいと言った方が適切だろうか。
まあ、原作に比べれば人生経験も劣るだろうから、当然だと言えば当然なのかもしれないが。
取り敢えず、眼福でごわした。
次は、御互いに飾る事無く見えとうごわすな。
──という初対面の感想は置いといて。
今、何をしているのかと言いますと。
“郭栄を捕縛・討伐する”という名目は有りますが如何に先方が協力的だとは言っても礼儀は大事。
──という事で、玄菟郡の太守である厳顔の居城に御邪魔させて頂いてます。
果たして、どんな御宝が眠っているのでしょうか。
──みたいな、御宅訪問中なんですよ。
それはそれとして──中々どうして、ねぇ…。
想定範囲を越えない厳顔に対し、物静かな張勲。
しかし、耳を澄まして、視線を最小限にしながらも此方等を窺い、声色や呼吸の変化を皮膚で感じ取り些細な情報も見逃さない様に全神経を尖らせる。
それは氣を扱う俺達だから気付けたが。
そうでなければ気付きはしない技量の高さ。
冥琳よりも、月よりも、雛里よりも、稟よりも。
人を欺き、人を見抜く。
その自制心と観察力に、思わず笑い掛ける。
勿論、その気配を微塵も滲ませる事もしないが。
これが客観的な状況なら、口角が上がっている所。
それは俺だけではなく、華琳と咲夜もだ。
二人共に軍務よりも政務が主戦場だからな。
同じ畑を担える働き手は大歓迎。
それが自分達と同等に至れる才器なら尚更にだ。
多分、俺よりも嬉しがっている事だろう。
また、咲夜に限っては俺と同様に“原作の張勲”に対するイメージが良くない分、驚きは大きい筈。
良い意味で、裏切ってくれたんだからな。
「気を悪くされるやもしれぬが…正直、驚いたな
まさか、こんなにも若いとは…いや、御主が年齢を偽っていると疑っておる訳ではないのだ
ただ、その…何と言うか…だな…」
「ああ、想像していたよりも優男、ですか?」
「ぅっ……まあ、そういう事になるか…」
別に張勲に倣う訳ではないが、厳顔と話をしながら序でに張勲の反応を探る。
そんな此方等に丁度良い話題を振ってくる厳顔。
瞬間的に厳顔に向けた張勲の視線が心中を物語る。
「ちょっ!?、何でそんな事言うんですかっ!?」と。
声に為らない抗議が聴こえたのは勘違いではない。
そして、その気持ちが理解出来る。
本当…遣る人って、遣ってくれるんですよねぇ…。
──という張勲への同情は置いといて。
気不味そうにする厳顔には苦笑を返す。
「御気に為さらずに、よく言われますから
それに…実際に若造ですからね
そう思われても仕方が有りません」
「………その、変な事を訊くようだが…
悔しくはないのか?」
「そうですね…はっきり言えば、全くです
正直な話、自分の事を何も知らない輩に如何な評価をされようと、どうでもいい事ですからね」
「──っ…それはまた豪胆な事で…」
「豪胆と言うよりも単純に気に為らないだけです
確かに施政者にとっては風評は大事でしょう
ただ、別に“万人に認められたい”といった欲求は自分には有りませんので
そういう意味では他者の評価を気にはしません
勿論、認められたい相手は居ますが
逆に言えば、その者達にさえ信頼されているなら、他の者達の評価など、どうでもいい訳です」
そう言いながら茶杯を手に取り、口を潤す。
傍から熱い視線を感じますが、今は無視します。
ええ、煽った責任は後で取りますからね。
それは兎も角として。
対面の厳顔は、“鳩が豆鉄砲を食ったよう”な顔で暫し此方を見詰めていたが、我に返ると考え込み、納得した様に小さく頷いていた。
理解出来れば意外と単純な話なんだけどね。
中々、そう簡単には自分の中に活かせない。
特に“自己承認欲求”が強い者程、それが出来無い傾向が高くなってゆく。
頭では、理屈では理解出来ていたとしても。
欲求は本能であり、理性より感情に直結する。
だから、感情面で填まらない限り、本当の意味では理解出来る事は難しいのが現実。
前世であったSNSの普及率の高さと使用頻度には間違い無く自己承認欲求が関係していただろう。
顔も素性も判らず、何処の誰かも判らない。
そんな不特定多数にでも認められたい人々。
それは、ある意味では自己肯定力を失った社会性を象徴・具現化していると言ってもいいだろう。
その人々の中には裏を返せば孤独感や孤立感により依存していく人達も少なからず居る事だろう。
それが一つの自己肯定に繋がり、不安が薄れるなら悪い事ではないだろう。
ただ、その為だけに言動が過激化したり、社会的に赦されない犯罪へと向かってしまう。
それは間違いであり、非常に残念な事である。
ただ、SNSの評価システムにある、良し・悪しを他者が投票する遣り方だが。
何故、“良い”と評価するボタンだけではなくて、“悪い”と評価するボタンが在るのか。
気に入らなかったり、興味を持たないなら、評価をしなければいいだけで、態々それを否定する必要が有るのだろうか?。
SNSの誹謗中傷問題の一つに、その評価システム自体が温床となっている可能性は有るのでは?。
そんな事を、ふと思い出し、考えてしまう。
今の俺にはSNSなんて関係無いんですけど。
印象操作・情報操作というのは人類が社会性を持つ様に為ってから、ずっと有り続ける事。
それを利用し、掌握した者が。
社会の中では大きな影響力を持つ事になる。
その形は違えど、変われど。
人間は、他者に評価を受ける事を重要視する。
それが自己を苦しめる事なのだとしても。
その業からは逃れ難いのが現実だと言える。
まあ、俺達には無縁な話ですけどね。
そんな事を一々気にしている様では政変改革なんか先ず出来ませんから。
例え、“稀代の大悪漢”と後世に評されようと。
俺は俺の信念を、理想を、未来を掴み取る。
その為の全てを背負うだけだ。
──なんて、モノローグが過去と為った五日後。
俺達は厳顔の厚意で用意された屋敷を拠点にして、郭栄の行方を探す為に情報収集をしている。
まあ、奴の行方は掴んでいますけどね。
実際に遣っている事は玄菟郡の賊退治です。
俺は敢えて動きませんが、華琳達は動かしてます。
華琳・梨芹・凪・咲夜の内二人に斗詩か稟で組み、兵を百五十ずつ率いています。
組み合わせは日毎に変えながらね。
兵も宅の三百を百残して交代制で。
郭家・顔家の兵は経験を積む為に常に参加で。
郭栄の件が片付けば、暫くは休みですからね。
此処は多少無理をさせてでも構いません。
俺達が氣や料理・秘薬等を使いますしね。
大丈夫、人間死なない限りは無理は出来ます。
──という事を考えていた意識が、一つの音により現実へと引き戻される。
視線の先には的の中心を捉えた矢が刺さっている。
直径3㎝の黒点を中心にして、10㎝外に1㎝幅の黒い円が有り、更に10㎝外に同様の円が描かれている縦横30㎝の正方形の木製の的。
其処に十本の矢が刺さっている。
「五点が五本に、三点が三本、二点が一本、そして外れが一本と…合計で三十五点ですね」
「むぅ…途中で話し掛けるのは狡くはないか?
私も遣り返させて貰うからな?」
「私は話し掛けられても構いませんから、どうぞ
それに戦場では敵味方問わず「静かにしろ!」とは言えませんからね、気にした方が負けです」
「そう言われては反論のしようが無いが…」
頭では理解していても不満そうな厳顔。
負けず嫌いな娘は宅には沢山居ますけど、年長者の負けず嫌いな女性の表情って可愛いですよね~。
一つ上辺りまでは同年代から年下と同じ感覚なので妹感・後輩感が強いんですが。
厳顔や紫苑・祭達の様に、歳上の女性の拗ねている表情というのは違った可愛さが有ります。
ギャップ萌えと言えばギャップ萌えですが。
それでも人各々ですからね。
単純に厳顔が可愛い訳です。
──とか考えながら、厳顔と交代して俺の番に。
何をしているかと言えば、射的です。
弓術の鍛練に的を立てて狙う事は普通に遣りますが円を描いて点数を割り振り、総得点を競う遊び的な要素の有る事は殆んど遣られてはいません。
なので、ちょっと暇潰しに提案してみました。
そうしたら、厳顔が笑顔で食い付きました。
若干、脳筋臭がしたので要注意でしょう。
尚、宅では昔から遣っている事です。
隠れ里に居た頃から華琳達と遣っていましたから。
さて、それはそれとして、勝負は勝負です。
10m程離れた所に立つ取り替えられた的。
其処を目掛けて矢を番え──射放つ。
特筆する様な事も無く、的に命中。
宣言通り、厳顔に話し掛けられても集中は乱さず、平然と会話をしながら、十本の矢を射終える。
氣は使ってはいないが、俺には特典が有る。
だから、素で技量が段違いな訳でして。
確認するまでもなく、全てが五点。
つまり、五十点満点な訳です。
「ぅむむ~っ…よもや、これ程の技量とは…」
「素質は確かですが、貴女は少し癖が有りますね」
「私に癖が?」
「ええ、ちょっと構えて見て下さい」
「ふむ…これで良いかか?」
「構えた形自体は良いのですが、此処が──」
「──っ!?、ナなっ、何をっ?!」
「いえ、口で教えるのは難しいので…
それでですね、貴女は射る瞬間に────」
──と、構えさせた厳顔の後ろから抱き締める様に腕を重ね、身体を密着させ、耳元で話す。
慌てる厳顔の照れ具合が堪りません。
自制心が無かったら、愚息が暴れん坊将軍に為って厳顔を成敗していたかもしれません。
……いや、寧ろ愚息は悪代官か越後屋ですか。
まあ、要するに厳顔を揶揄いたくなる訳で。
此方は全く気にしていない体で、指導します。
厳顔の「くっ…此奴め…私ばかりが…」的な不満と憤怒と羞恥心を感じながら、堪能する。
次第に熱くなる厳顔の体温が初さの証明。
武張っている、しかも人を統べる立場。
他者に甘えるという事が難しいが故に、本人でさえ知らず知らず隙を見せなくなる。
其処に生じる無意識の罪悪感や不安感が、初さには最上級の隠し味となり、深みを生み出す訳です。
戸惑いながらも決して嫌ではなくて。
ただ、素直に受け入れも、委ねられも出来ず。
それでも意地で堪える厳顔が、また可愛い訳です。
ええ、これぞ、可愛いの永久機関でしょう。
──なんて、端から見たら二人がイチャ付いている所に遣って来たのは張勲。
「…何を遣ってるんですか?」と言いた気な無言のジト目に厳顔が「チち、違う!、これは別に…」と思わず言い訳しそうになるのを堪える姿が健気。
…健気で良いのかな?……まあ、いっか。
気にしな~い、気にしなぁ~い。
「おや、伯約殿、どうされました?」
「子瓏様に御客様が御見えです」
そう張勲が答えるまでに間は無かった。
ただ、普通では気付かない程に微かな間が有る事を俺は見逃しはしない。
件の来客は張勲にとって予定外であり。
同時に“招かれざる客”であるという事。
それは逆に言えば、大きな隙を生む訳で。
俺達には大歓迎な状況だったりする。
「私に?、特に誰かに会う予定は有りませんが…
それは何方でしょうか?」
「遼陽県の県令・“李度”殿で御座います」
「──っ!」
「そうですか…判りました、御会いしましょう」
そう答え、会談の為に身支度を整える必要が有り、一旦部屋へと戻る。
少しだけ考え、小さく溜め息を吐く。
「仕方有りませんね」という体を印象付けて。
苦虫を噛み潰した様な厳顔と。
この状況を如何に凌ぐかを考える張勲。
二人の反応を一目だけ見て、胸中で北叟笑む。
李度side──
此処、玄菟郡の中で郡都と称されるのが高句麗県の県都でも“高句麗城”である。
その高句麗城は代々、“四名家”が太守の座と共に長きに渡り、交代で治めていた。
厳家・張家・楊家、そして、我が李家である。
しかし、時代と共に四家の力関係は変わった。
厳家が大きく突出し、婚姻関係も含めて古くからの付き合いの深い張家は臣家へ。
反発し、大逆転を狙った楊家は失敗して衰退。
張家と婚姻関係を結び首の皮一枚で繋がっていたが近年に為り、不幸が重なり略断絶状態。
一応、母親が最後の張家の出である張勲が居る為、子供に家督を継がせての復興は可能であるが。
それは余程懐が深く、度量の大きな者でなければ、容認しようとは考えない事。
つまり、現実的には楊家は断絶したと言える。
我が李家は厳家と争う事はせず、遼陽県へ。
玄菟郡の北端、幽州の西端に位置する辺境。
そんな場所へ移ったのは無用な争いを避ける為。
当時の当主が争いを好まない温厚な人柄だった事、李家は武力の面では最も弱かった事も有った。
それから時は流れ──私が産まれた。
私は李家の復権を幼い頃から目標にして来た。
そして、厳家の跡取り娘である厳顔が当主・太守に為った事で機運を感じた。
「別れた四名家が一つになり、新たな時代を」と。
そう厳顔に縁談を持ち掛けたが──断られた。
理由は「私より弱い男に興味は無い」だ。
「巫山戯るなっ!」と怒鳴りたかったが、堪えた。
事を荒立てては可能性を完全に潰す事になる。
それは避けるべきだったからだ。
そして、更に時は流れ──時代は動き出した。
徐恕という一人の太守の台頭で、幽州が揺れる。
それは玄菟郡も例外ではなかった。
そして、其処に私は新たな道を見出だした。
邪魔な厳顔達を排除し、私が、李家が輝く道を。
それを示してくれた徐恕には感謝しなくては。
そして、軈ては徐恕に代わり、全てを我が手に。
その為にも第一歩を確と踏み出さねば。
「御初に御目に掛かります
私は遼陽県の県令・李文俊と申します
急な来訪にも関わらず、御会いして頂きました事、誠に感謝致して居ります」
「初めて、李度殿、私が徐子瓏です」
「それから──伯道殿、この様な形に為ってしまい申し訳有りません
事前に使者も出さずに来訪した非礼、どうか御赦し願いたい」
「事前に一言言って貰いたかったが…済んだ事だ
それを咎め立て、論じても仕方が無いのでな
此度の件に関しては子瓏殿の手前も有る、赦そう
だが、同じ事をされては困るぞ?」
「それは勿論です、同じ過ちは繰り返しません」
そう、“貴様等に傅く”という間違いをな。
その為ならば、この程度の芝居は容易い事。
これからは、私が時代を動かすのだからな。
「それで、李度殿、私に御用件とは?」
「はっ、前上谷郡太守・郭栄を御探しである事は、御聞きしております
その行方を掴みましたので、御報告に」
そう言うと、徐恕も、厳顔達も驚いた。
だが、驚くのは、これからだ。
──side out