詩に認めしは光
遼東郡の袁硅の動向には注意しなければ為らない。
だが、優先順位としては最優先ではない。
その辺りは仕方の無い事だ。
「…ねえ、忍?、袁家の件なんだけど…」
「“袁紹”と“袁術”の事だろ?」
「流石に判るわよね…」
「──と言うか、他には重要な話が無いからな」
「確かにね…それで、どうするつもりなの?」
「優先順位は低いが…まあ、助けられるならな」
そう咲夜と話しながら考える。
原作とは違う世界であり、立場等も各々に違う。
それでも多くが政治に関わっている辺り、ある意味宿命だとさえ言えるのかもしれない。
勿論、それは俺と咲夜に限られた価値観であり。
彼女達には知る必要の無い事なんだけどな。
それは兎も角として、袁紹と袁術の話なんだけど。
はっきり言って、原作の様な笑い担当ではない。
まだ直に会った訳ではないが。
思わず、手を差し伸べて遣りたくなる。
そういった感じの感情を懐いてしまう立場。
だから、咲夜が気に掛ける理由も理解が出来る。
勿論、現実的には俺達は宅の事が第一だけどな。
それを無視してまで遣ろうとは思わない。
流石に其処まで好き勝手に出来る全く後先考えない感情的な言動は立場上、アウトですからね。
そんな無責任には為れません。
俺は現実主義者ですから。
──という訳で、そんな話題は一時の事です。
考えていても変わらない事なら考えるだけ無駄。
実際に行動に移さない“たられば”は机上の空論。
最悪を想像し、常に備えている事が大事ですが。
想像しただけでは何の意味も有りませんからね。
災害・事故・病気・犯罪は常に側に有るもの。
巻き込まれたくなければ備えなくては為りません。
誰かを当てにしてたって、その誰かが居てくれる訳では有りませんし、必ず駆け付けて助けてくれる訳でも有りませんし、生きているかも判りません。
それに結局は最後の決断は自分自身なんです。
自分で備え、自分を守る。
それが、結果的に自分の大切な人に手を差し伸べて助けられる可能性を生む事にも為りますからね。
そういった意識は大事な事なんですよ。
「………………………よしっ、これでどうだっ!」
「何れ何れ………ふむ…」
「へへっ、参ったか?、改心の一手だろ!」
「──ほいっ、王手だ」
「────へ?……………ちょっ、何でだよっ?!」
「いや、全く此方の手筋を読めてないからな」
「嘘だろ!?、そんな事──」
「此処の展開は見てたか?、此方の差し合いは?」
「そ、それは………え~~~とっ……」
「…はぁ~……御姉様、大人しく認めようよ~?
どう見たって御姉様の敗け確定だもん
意地に為ってる方が格好悪いよ?」
「ぐっ………判ったよ……参りました」
「有難う御座いました」
そう言って御互いに一礼する。
一応は、敗けを認めるが、八つ当たりをする様に、止めの一言を言った馬岱を睨む翠。
その負けん気や負けず嫌いな所は良いんだが。
意固地に為るのは馬岱の言う様に無意味だ。
諦めない事と、意固地な事は、似て非なるもの。
その違いを理解している馬岱は賢い。
…まあ、それで敗け癖・諦め癖が付かなければな。
そうなると折角の賢さも逆効果でしかない。
──で、何をしているのかと言えば、将棋です。
この世界の娯楽は少ないので簡単に作れる将棋等は遣り方さえ判り易く説明出来れば浸透します。
現に既存の囲碁よりも“五目並べ”の方が民間では流行って居ますし、浸透していますからね。
それで物足りないと思ったら囲碁に移る訳です。
ええ、要するに娯楽・遊戯を通した才能の発掘。
目に留まった若い才能は早急に確保し、環境も含め潰さない様に配慮しながら育成しています。
将来的には俺達の子供達の伴侶・友人になる子供も中には出て来るでしょうからね。
こういった地道で地味な援助等が無意識下に尊敬や忠誠心を刷り込む訳です。
政略は一日にして成らず、けれど、一日が肝心要。
一日の努力や積み重ねが物を言うんですよ。
「──で、何をしているのかな?、華琳?、ん?」
「御兄様の至言を後世に伝える為の記録です」
「そんな物、要りません
確かに先人・先達の教えは有難い物だ
だがな、自分で考える力を養う事が最も重要だ
だから過度な教訓や指導は機会を奪う事に繋がる
解るな、華琳?」
「はい、勿論です、御兄様」
そう言って華琳の持っている竹簡を握る。
──が、残像を追わされる様に右手はスカる。
「はっ、はっ、はっ、戯れたいのかな?」と言外に語る笑顔で再び手を伸ばす。
それに対し、「御兄様となら何時・何処ででも」と誘う様な艶かしさを覗かせる笑顔で──遠ざける。
「「……………………」」
ピタリと動きを止める俺達。
笑顔では有るが、御互いに本気に為っている。
先程までは無かった緊張感が場を呑み込む。
「…あれ?、何かアタシ等、場違い──んむっ…」
「…しぃー…御姉様、余計な事言わないのっ…
…此処で飛び火・貰い火なんて自殺行為にも等しい事なんだから止めてよねっ…
…蒲公英、巻き込まれるの嫌だからね?…」
「…んむっ、むむっぐむ…」
こそこそと息と気配を殺そうとする翠と馬岱。
俺は勿論、華琳にも丸聞こえだが、気にしない。
今は、それ所ではないからな。
無言のまま笑顔で、無駄に高い技術による攻防。
その様子には、離れて石ころ化している翠達からも思わず、「おぉ~っ」と声が漏れた程。
そして、1分程の攻防は俺が竹簡を掴んで終わる。
終わっ、る……っ、このっ、まだ抵抗するかっ!。
もし、この瞬間が漫画の1シーンなら俺達の頭上や背後に「ふぬぐぐぐぐぐっ!!」という効果音文字が描かれている事だろう。
「…大人しく渡しなさい、華琳」
「断固拒否致します、御兄様」
笑顔で「この兄に逆らう気かな?、ん?」と威圧し手離させようとする。
だが、華琳は微塵も手離そうとはしない。
寧ろ、竹簡が「オイラ耐えられないっスって!」と泣き叫びそうな程に軋んでいますね。
…え?、「壊れたら勝ちだろ」ですと?。
いやいや、それは竹簡が無くなっただけです。
華琳の頭の中には、しっかりと残っていますから。
この勝負は竹簡を巡る戦いでは有りません。
先程の言葉を永闇に葬るか、白日に晒すか。
それを決める戦いなんですよ。
だから、竹簡が砕け様が、灰塵と化そうが。
そんな事は、どうだっていいんです。
たった一つの情報の行方を賭けた戦いなんです。
尚、翠達には読心術は出来ません。
ですから、俺の思考内だけだった筈の言葉は華琳を止める事が出来るか否かで決まります。
ええ、世に出させたりなんかしませんとも。
我が尊厳、男の沽券に関わりますからね。
「──入るわよ──って、何してるのよ?」
「ばっ──」
「──御先に失礼致します、御兄様」
ノックし、扉を開けて部屋に入って来た咲夜。
咲夜と扉の枠との間に僅かに出来た、その隙間に。
小柄な身体を捩じ込んで部屋を去って行った華琳。
しかも、俺が咲夜に意識を向けた一瞬の隙に竹簡を束ねていた麻紐を解き、今まで使用していた分は、きっちりと持って行っている。
そう、完全にして遣られた。
…その無駄に高度な攻防の是非は兎も角。
一連の結末には思わず翠達も拍手をしている。
悔しいが…腕を上げおったな、孟徳よ。
「…はぁ~……で?、何か有ったのか?」
「貴男に御客様よ」
「──っ!、そうか、思ったより早かったな」
「此処は「流石は…」と言うべきかしらね?」
そう言う咲夜だが、苦笑している。
だが、その反応と言葉は別々。
苦笑は彼女の才器に対してではない。
思わず、口角を上げてしまった俺に対してだ。
「貴男って変な所で子供っぽいわよね~」と。
中学生位の馬鹿な弟を見る姉の様な眼差しで。
それでも、其処に愛情が有るから擽ったい。
まだまだ青い思春期の、男子特有の馬鹿なノリ。
馬鹿馬鹿しい様な事が、何故か楽しい御年頃。
──って、まだ俺も十七歳なんですけどね。
何故だが翠達は顔を赤くしていますが。
まあ、今は深くは追及しません。
──さて、それは兎も角として。
今日、俺に来客の予定は有りません。
そうでなければ翠達と将棋をしていたりしないし、華琳と戦り合ってもいませんからね。
家族との時間は有りますが、忙しい身ですから。
だが、それは“待ち人来る”と言うべき吉報。
隠密衆からの連絡が無かったのは不要とした為。
つまり、これは予測していた展開。
──否、そう仕向けた成果だと言える。
翠達と分かれ、咲夜と応接室へと向かう。
謁見の間ではないのは、来客が私的な為。
──と、応接室の手前で待っている華琳の姿が。
完全に仕事モードに切り替わっている華琳を見て、先程までの狂信振りは想像し難い。
ある意味、アレも華琳なりの甘え方だと言える。
──が、それはそれ、これはこれだ。
声に出しはしないが、右手で乱雑に頭を撫でる。
綺麗に整えていた髪が崩れるが、俺は気にしない。
華琳の成長への称賛であり、少々の意趣返し。
尤も、少し頬を膨らませるだけで華琳は嬉し気で。
髪も大して慌てもせずに懐から取り出した櫛を使い手際良く直してしまう。
それを判っているからの意趣返しなんだけどな。
流石に来客が居るのに時間を割かなければ為らない意趣返しなんか遣りませんよ。
応接室には華琳と咲夜が先に入り、それから俺が。
面倒臭いから一緒に入れば良いと思うのが現代人。
しかし、こういった演出も政治には必要な事。
世の中、正論と綺麗事だけでは成り立ちません。
人間という特異な存在の形成する社会生態とは理に反している不可解な部分が多いものですからね。
本当、人間というのは面倒臭い生き物ですよ。
「初めまして、私が大太守・徐子瓏です」
「御初に御目に掛かります、徐子瓏様
私は上谷郡を治めます郭家に連なる者で、顔子義と申します
此の度は急な来訪になり誠に申し訳御座いません
また、その上で御会いして頂けた事に感謝致します
本当に有難う御座います」
そう言って頭を下げているのは“顔良”。
上谷郡の太守・郭栄の姉が家臣の顔家に嫁いでいる事から叔父と姪の関係になる。
ただ、母親である郭佑は郭栄とは不仲。
政敵とまでは行かないが郭栄にしても邪魔な存在。
──とは言え、迂闊に手を出せないのが実情。
まあ、夫であり顔良の父親の顔好が亡くなっている事から顔家の事を第一として動いている為、郭栄に一々構っている暇が無いのだが。
「子義殿、頭を上げて下さい、御話は座ってから」
「はい、宜しく御願い致します」
そう言って、もう一度軽く頭を下げる顔良。
緊張しているのは当然だが…ふむ。
思っていた以上に顔良は意志が強いみたいだな。
原作のイメージだと流され易いが故の苦労人だが、どうやら目の前の顔良には芯が有る様だ。
そして、油断も都合の良い期待もしない。
今の自分に出来る事を、気を緩めずに遣る。
その意識には少々意地悪をしてみたくなる。
勿論、更に高みに至らせる為にだ。
決して、Sっ気による揶揄いの類いではない。
俺と顔良が着席すると咲夜が茶杯と御茶請けを置き事前に顔良に出していた物は下げる。
「それで、御忍びで来られた御用件は?」
「…率直に申し上げます
我が叔父、上谷郡・太守・郭栄を討って下さい」
「「────っっ!!!!」」
顔良の発言に、華琳と咲夜が息を飲んだ。
勿論、顔良には判らない程度の反応だが。
華琳にしても、これは予想外だったらしい。
ただ、俺は予想外とは思わなかった。
先程の遣り取り──何よりも顔良の眼差しが。
その覚悟の程を確と物語っていたからな。
顔良side──
今や政治に携わる身で知らぬ者は居ない大人物。
四郡を治める大太守・徐恕殿。
その人に御伺いも立てず、いきなり押し掛ける。
自殺行為に等しい暴挙ですが、残された時は僅か。
無茶苦茶で無謀過ぎても遣るしか有りません。
そう思いながら、通された部屋で待ちます。
椅子に卓、壁際に置かれた小物等。
何れを見ても素晴らしい逸品で。
上品ながらも、過度に華美ではなく。
それでいて威圧感も感じませんが。
それ故に、主の格を否応無しに理解させられます。
気持ちを落ち着かせ様と出された御茶を頂きます。
馴染みの有る“甘李茶”が緊張を和らげてくれて。
──間を置いて、一気に緊張が高まりました。
それはつまり、私の素性を見抜かれている証拠。
背筋を冷たい嫌な汗が流れます。
それでも何とか落ち着いて──その時が来ました。
一目見た感想は──格好良いです。
…ああいえ、そうで──すけど、違いますよね。
意外、と言うべきなのか。
想像していたよりも優しそうですし、爽やかです。
何より、女性を見下す感じが全くしません。
それだけでも物凄く好感が持てます。
──が、やはり、噂は全くの嘘では有りません。
底の見えない才器の巨影は間違い無く本物です。
下手な駆け引きは下策と考え、率直に言います。
「太守の討伐、ですか…
それはまた随分と物騒で、過激な話ですね」
「唐突な御話なのは判っています
ですが、叔父は民を守る立場に有りながら、領内を荒らし回る黒鬼党という賊徒と手を組み、自分達に歯向かう者を排除しようと動き出しています
…御恥ずかしい事ですが、最早私達には動き出した叔父を止める術は有りません
其処で貴男様に御願いに参った次第で御座います」
「成る程…事情は判りました
ですが、止めるという事だけなら毒殺等の類いなら幾らかは遣り様も有るのでは?」
「叔父は非常に用心深く、私達も近付けません
特に母や叔父や腹違いの妹である“郭嘉”に対して警戒心を強く持っています
彼女が叔父の意識を自分に向けさせている隙に私が密かに此方等に遣って来るのが精一杯…
暗殺も、臣兵を纏めて立ち向かう事も至難…
しかし、叔父を放置すれば苦しむのは民です
私や郭嘉、母や同志の家臣達も既に如何なる処遇も受け入れる覚悟が出来ています
その証として、皆の署名と血印を記した書状を…
どうかっ、どうか上谷郡を、民を救って下さい!」
切り札の書状を差し出し、椅子を降りて土下座。
隠し事も駆け引きもせず、愚直な程に正直に。
私は自分の気持ちを口にする。
稟にも「貴女に演技は似合いませんからね、素直に自分の気持ちを伝える方が良いでしょう」と。
そう言われていますから。
「………頭を上げろ、子義、願いは聞き入れよう」
「──っ!!、それではっ!」
「だが、もう少し駆け引きは学んで貰うからな」
そう仰有って子瓏様は私の頭を撫でられた。
──side out