62話 風に揺れるは
“切っ掛け”というのは人各々である。
些細な事から、大事件まで。
文字通り、人生を激変させる事も有る。
勿論、良くも悪くも、である事が大前提だが。
そんな切っ掛けは必ずしも偶発的な事とは限らず、時として他者が意図的に引き起こす事も有る。
また自らが変化を求めて行動するなら、それもまた一つの切っ掛けだと言えるだろう。
切っ掛けは、口にしてしまえば単純であり。
しかし、その作用を論理的に説明しようとしたなら矛盾と破綻を余儀無くされる事だろう。
それ程に、単純ながらも難解な事だと言える。
他者にとっては「……え?、そんな事が?」という意外な感想を懐く様な場合も多々有る事だろう。
それでも、当事者にとっては印象深い出来事。
誰かに優しくされた事も、優しくしてくれた当人は当たり前の事だから忘れていたり。
物凄く傷付いた事を言われても、言った張本人には日常的に言っている言葉・感想に等しい一言だったかもしれなくて、記憶に無くても。
しっかりと受け手は覚えていたりするもの。
恩も、怨も、心が揺れ動いているからこそ。
強く、深く、確と刻み込まれているのだから。
それは他者にとっては些細な事かもしれない。
極限られた一部の人達にとってだけかもしれない。
沢山の人々に影響する事かもしれない。
それは価値観により、内容により、異なる。
当たり前の事なのかもしれない。
誰かが疾うの昔に口にした事かもしれない。
今に始まった事ではないかもしれない。
これからも無くなりはしない事かもしれない。
ただ、それを自分が如何様に受け止めるのか。
拒絶するのか、肯定するのか、改変するのか。
享受するのか、反抗するのか、無視するのか。
関わるのか、関わらないのか、気にもしないのか。
自らの選択で、その有り様は大きく異なる。
数多の人々の、数多の切っ掛け。
その殆んどは自分には無関係だと言える事。
けれど、それを知る事で、学ぶ事で、考える事で。
少なからず、何かを得る事は出来るので有れば。
その誰かの切っ掛けは。
自分の切っ掛けにも成り得る。
そう出来る方が、賢い生き方だと言える。
“人の振り見て、我が振り直せ”と。
昔から有る諺ではあるが。
果たして、世界人口の何れだけが理解するのか。
この諺の共通理解と完全浸透。
それだけで、世界は確実に改善させる事だろう。
「………もう俺も十七歳か…」
「…ぅ~、ぃ?」と空を見上げる俺を見上げながら腕に抱いた義が小首を傾げる。
いや、実際には小首を傾げた様な、だが。
もう十年が経った。
俺が、この世界に徐恕として新しく生を受けて。
…まあ、実父母や血縁者が皆無な身でしたが。
こうして今は自分の血を引く息子達が居ます。
そう思うと、あっと言う間だった様にも思います。
いや、実際には長かったですし、色々有りました。
…良い事ばかりではなく、辛い事も、です。
ただ、その全てが糧となり、今が有りますから。
だから、過去に囚われはしません。
──っと、そろそろ御飯の時間だな。
さあ、梨芹の所に行こうな。
「──という訳で、俺は暫く休みたいです」
「無理です、諦めて下さい、キリキリ働けボケ」
「御前は何時から社畜に為り下がったっ?!」
「此処で働き始めた時からですが、それが何か?」
「我が社の利益の為、繁栄の為、全国展開の為!
その姿勢は献身だと言えるし、模範的だろう!」
「有難う御座います、手を動かせ糞野郎」
「だがしかし!、それで本当に良いのかっ?!
如何に素晴らしい我が社と言えど完璧ではない!
長が代われば方針転換、或いは傾く可能性も!
その時、我々を守ってくれるだろうかっ?!
否っ!、断じて否だっ!
何故ならば、その時には我が社に我々を守るだけの力は残されてはいないのだからっ!
──であればこそっ!、今この時にこそっ!
我々は英気を養い自らを高めて備えるべきだっ!
そうは思わないかねっ?!」
「はいはい、そうですね、いいから仕事しろ屑」
「嗚呼っ、何と嘆かわしい事だろうかっ!
花も咲き誇る甘露で優美な青春時代に何故──」
「────殺しますよ?」
「──ァ、ハイ、調子二乗ッテ済ミマセン…」
──というネタを遣り終え、一息吐く。
あ~…御茶と御茶菓子が美味いなぁ~…。
……え?、「仕事はどうした?」って?。
巫山戯てはいましたが仕事は遣っていましたよ?。
ええ、私は口先だけの無能な上司では有りません。
寧ろ、大抵の事は出来るハイパー上司です!。
…まあ、有能過ぎて嫌われるタイプの、ですが。
「貴男が嫌われるのなら、世の中の上司の殆んどは恨まれて殺されているわよ
──っと、これで此方も終わったわ」
「御疲れさん、ほい」
筆を置いた咲夜を見て、机に近付き手に持っていた茶杯と御茶菓子の乗った小皿を置く。
「有難う、こういう所も含めてよ?」と言いながら笑顔を浮かべ、肩を軽く動かす咲夜。
そういう点で言えば、御互い様だろう。
宅では皆、普通に遣っている事ですからね。
「まあ、その辺りは普通に「有難う」が言える事が大きい要因なんでしょうけどね
自己責任に対する意識が上に居る者程強い事もね
地位や立場が上なだけで威張ってる無能で無責任な連中には下は付いて行かないし従いたくもないわ
でも、貴男が当たり前の様に遣っていて、華琳達も同じ様に遣っている…
その姿勢を、在り方を見て、知っているからこそ、多くの民は貴男に、私達に付いて来てくれている
…まあ、言っても貴男は否定するでしょうけど」
ええ、勿論ですとも。
そんな風な感じで「貴男こそ善政者の鑑です!」と言われそうなフラグは御免蒙ります。
俺は平々凡々な社畜上司なんですから。
…いや、本当に社畜に為る気は有りませんけど。
抑、社畜──会社じゃなく、領主だから…領畜?。
まあ、何でもいいんですけど。
其処まで民に尽くそうという献身な精神は皆無。
息子達が成人したら速攻で引き継いで隠居です。
あとは華琳達とイチャラブして過ごすんです。
自給自足の田舎でスローライフ!。
子沢山のファミリーライフ!。
そう!、その為に今は頑張っているだけです!。
「…果たして、そう上手く行くかしらね~…」
ええ、何も私の耳には聞こえません。
聞こえませんったら、聞こえません。
聞ぃーこぉーえぇーまぁー……………っせんっ!。
ええ、そうなんです。
人間っていう生き物は自分に不都合な事実等が有る場合には都合良く急に耳が遠く為ったり、勘が鈍く為ったり、頭が悪く為ったりしますからね。
抑、“仮病”って概念が有る時点で人間というのが如何に自己本意的な生き物なのかが判るでしょう。
それなのに──社会的協調性?、社会奉仕精神?。
そんな物、身に付く筈無いじゃないですか。
そんな単純な事も解らずに一方的に押し付ける様な遣り方で広く認知・浸透させようとするから不満や反発が生まれ、争乱や抗議活動に繋がるんです。
根底──前提条件が根拠の無い性善説に基づいて、考えている事自体が最大の間違いであるのだと。
それに気付かない限り、同じ事の繰り返しです。
人間は、賢者にはなれても、本質は愚者なのだと。
人の上に立つ者程、理解し自覚しなければ駄目。
そう遣って、己を戒め、律し、成すのですから。
「それが出来無いから、人間は人間なのよ」
「読むな、言うな、頂きますっ!」
「──あっ!?、こらっ、ちょっ、駄──ァアッ!」
──という憩いの時が終了し、積み上がる竹簡山。
こういう書類仕事って、どんなに文明が進もうとも決して無くなりませんよね~。
だって、形は変わっても“証拠”なんです。
先ず性善説が成り立たない社会だからこそ。
絶対的な信頼関係が存在しないからこそ。
書類というのは重要な役割を果たしますからね。
ええ、仕方が無いんですよ。
信頼は眼には見えない物ですから。
「それで、今後の方針は?
今まで通り、動くのを待つのか?」
そう訊くのは山を築いた稀代の才媛──美周嬢。
彼女自身は長椅子──俺特製ソファーに腰を下ろし茶杯を手に優雅に御一服しております。
組んだ脚が然り気無く大胆な深いスリットの奥から零れ落ちる様は何故こんなにも艶かしいのか。
きっと、永遠に解けない神秘の一つでしょう。
うむ、眼福、眼福。
まあ、そんな事ばかり考えていたら気付かれます。
ですから、見るのは一瞬だけです。
…え?、「いつでも好きに見られるだろ?」と?。
いえいえ、それはそれ、これはこれです。
そういうのとは、また違うんですよ。
──さて、真面目な話をしましょうかね。
そうしないと、日の浅い冥琳は兎も角、誰かしらに気付かれますから。
「正直に言えば、動いて欲しい所だけどな」
「その為の仕込みはしている、か…
だが、そう簡単に食い付いてくれるか?」
「其処が問題では有るが…成功すれば、だしな」
「…成る程な、燻っている火種を煽る事が出来れば成果としては十分、か…
ただ、あまり悠長にしては居られないぞ?」
「ああ、それは勿論判っている」
冥琳の言う通り、以前とは状況が変わっている。
楽浪郡を獲た事で宅の領地は幽州を縦断する形に。
ええ、他所様の領地に挟まれる格好で、です。
つまり、宅が幽州を東西に分断している訳です。
まあ、その見方を変えれば東西から挟まれていると言えなくもないんですけどね。
ただまあ、それは些細な事で。
それにより、西と東の流通網は宅が握った訳で。
要するに、経済的な分断、困窮化が起きる訳で。
そう為ったら──当然、動かざるを得ない。
しかし、そう為ってからでは既に疲弊している。
だから、そう為る前に。
先見の明が有るなら動き出す、という話。
「だから、今回は此方から仕掛ける
その上で、攻めるなら何方等が良いと思う?」
「私は西側から攻めるべきだと思う
だが、そうすべき最たる理由は──」
「──“馬一族”か?」
「…やはり、気付いているか」
「当然よ、御兄様だもの」
俺と冥琳のドヤ顔場面を持って行く華琳。
そして、渾身のドヤ顔が兄自慢って。
…くっ…か、可愛いじゃねぇか…。
思わず、首にまで伝い流れた汗を拭い掛ける。
いや、実際には汗なんて全然掻いてませんけどね。
まあ、それはそれで、華琳は後で可愛がるとして。
今の言葉に嘘は無い。
俺は勿論、冥琳も以前は太守という立場だったから周囲の情報は細目に集めていた事だろう。
その中でも無視出来無いのが馬一族。
…まあ、「何故其処に西涼の騎馬民族がっ?!」とか言われても此方も困るんですけどね。
ただ、この世界は原作とは違う世界。
だから、何が違っていても可笑しくはない。
華琳達も極めて似ているというだけだ。
はっきり言ってしまえば、俺は別人だと言える。
だって、原作の彼女達は自我を持たないんだから。
──で、話を戻しますが。
件の馬一族は定住していない完全な騎馬民族だ。
その為、拠点攻め等の手段は使えない。
──と言うか、拠点らしい拠点が無いからね。
うん、当たり前なんですよ、それは。
普通なら、敵陣を見付けても移動はしませんが。
馬一族の場合、それが判りません。
暫し留まる事も有れば、翌日には移動する事も。
それだけに戦り辛い相手なんですよね~。
「…まあ、制圧するだけなら宅なら楽勝だけど…」
「…それでは、馬一族は従いはしないだろうな」
それが判っているから、面倒では有る。
仮にだ、俺と馬一族の代表者とか一騎打ちをして、その結果、俺が勝ったなら馬一族は従うだろう。
だが、いきなり攻撃して制圧しても…ねぇ…。
──というか、普通に考えて、そんな真似されたら従おうなんて絶対に思わないもんなぁ…。
…それでも従う場合は、圧倒的にして一切容赦無く有力者を殺して見せた場合、だろうな。
そういう真似は普通には遣りませんけど。