57話 時の波間に
“料理”というのは人類が創造した魔法である。
より正確には錬金術に近いと言えるのだが。
獲物を加工・調理して食べるのは人間だけ。
まあ、実が熟すのを待つ等は有るのだが。
それは加工・調理とは呼ばないので省く。
人類の食に対する追求というのは生物的には異常。
それ故に時として他の生物ならば踏み止まれる所で一線を踏み越えてしまう業の深さも有する。
我欲により他の種を滅ぼすのは人類だけ。
生物としての摂理・秩序を欲望で踏み越え、自然の在り方を破壊し蹂躙するのが人間という罪深き種。
他の生物にも食欲は存在している。
だが、人間の様な異常な執着や欲求は持たない。
そういう意味では、人間とは食欲が異常増大をした哀れで満たされない生物と言えるのだろう。
同じ味では満たされなくなり、飽きるのだから。
食材や商品の無駄使いや大量破棄という社会問題も他の種から見れば、愚かな事でしかない。
それなのに人間は気付いても正せない。
自らの過ちも正せない人間が生物の進化の頂点?。
否、その真逆で、人間は生物の退化の最底辺。
自らの欲求を制御する事すら出来無い欠陥生物。
自然界の中で、唯一存在しなくても構わない種。
寧ろ、存在しない方が自然界の為だと言える。
それなのに、人間は何故生まれ、存在するのか。
完成された自然界に変化を与える為。
そう考える事も出来無くはない。
ただ、それは世界や神といった上位存在の意志下に全てが存在している事が前提の考え方であり。
そういった信仰対象に近い存在を肯定する考え方は人間という種の自己正当化から来る事で。
「人間が最も優れ、君臨する種である」という様な考え方を自己肯定する為の言い訳である。
人間を一生物として自然界に置いた時。
果たして、他の生物は人間を必要とするのか。
人間を中心に置かず、生物の一種としたなら。
世界の学者達は、どの様に答えるのだろうか。
それは、とても興味深い疑問の一つである。
ただ、現実として、人間は存在している。
そして、人間と同等に進化した生物は他に無い。
何故、人間だけが、その進化を成し得たのか。
それは明らかな異常であり、矛盾した進化。
自己と、環境以外の要因。
まるで、第三者の手が加わったかの様な。
だからこそ、人間は他の生物の環からは外れていて他の生物を滅ぼしたりするのだろう。
だとすれば、人間とは何なのか。
自然界に置ける人間の役割とは何なのか。
その答えを、人類が知る日は訪れるのだろうか。
「──カレーの具はゴロゴロが王道だろ?」
「いいえ、野菜は微塵切り、肉のみが正道よ」
そう言って火花を散らすのは俺と咲夜。
カレーのルーの調合が概ね出来たので、華琳達にも振る舞おうと思い、咲夜に手伝いを頼んだら。
──こうして、仁義無き具論争が勃発した訳だ。
尚、肉に関しては食料事情から鶏に決定。
大きさも今の会話で判る様に決まった訳だ。
──が、問題は野菜である。
玉葱・人参に、まだ珍しい馬鈴薯。
つまり、オーソドックスなチキンカレーだ。
「…玉葱は微塵切りで、じっくり飴色に炒めるのは有りだと思うが、馬鈴薯は駄目だ
馬鈴薯は煮崩れし易いから、溶けてドロる」
「それがライスに絡むから良いんじゃないの!
家庭的なカレーって、大体がドロ系でしょ?!」
「確かに、家庭でだと馬鈴薯を入れて煮込む場合は多いとは思うが…それはそれだ
俺はっ…──サラサラ派なんだよっ!」
「──っ!?……そう…まさか、最愛の男がサラ系のシンパだったなんて…皮肉な運命ね…」
「それは御互い様だ、咲夜…
あんなにも昨夜は熱く激しく愛し合っていた女が、まさかのドロ派の手先だったなんてな…
チッ…こんな昼ドラ的な運命、想像も出来無ぇ…」
「………ねぇ、忍、考え直して?
私は貴男を失いたくはないのっ!
本気で貴男を愛しているのよっ!
ドロ派に来て?、一緒に幸せになりましょう?
…ね?、そうしましょう?」
「………悪ぃな、咲夜、馬鹿だと思うだろうけど、男には譲れない世界ってのが有るんだよ
だからよぉ……笑って決めようや」
「………もぉ…本当、男って馬鹿よね…
良いわ、でも、後悔はしないでね?」
「ああ、御互いにな…」
「それじゃあ──」
『──ジャンケンッ、ポンッ!、アイコでしょっ、しょっ、しょっ、しょっ、しょっ、しょおぉっ!!』
「──ァIイィィッ、Wiイィィィィnンンッ!!」
「くぅっ…」
膝から崩れ落ち、敗れた右手のパーを見詰める。
咲夜のチョキが妬ましい。
…え?、愛し合いながらも御互いが敵対する組織のスパイだと気付き、銃を向け合う、っていう感じの緊張感有る展開?。
いやいや、カレーで殺し合いはしませんって。
人間だけど、其処まで愚かじゃないですから。
具論争だけに、愚者には為りません。
「それじゃあ、玉葱は御願いね
仕上げは私が遣るから」
「…はぁ…まあ、負けたしな、今回は譲るよ
俺だって、ドロ系が嫌いな訳じゃないしな」
「私だってサラ系も好きよ
カレーは家庭料理なんだし、多種多様で良いのよ
「これが最高だっ!」って言ってる内は三流ね
そのカレーの素晴らしさを誰にでも伝えられてこそカレーの道は漸く始まるのだから!」
──と、熱弁を振るう咲夜。
バラエティー番組等だと、隅っこに「※飽く迄も、個人的な意見です」って出るんだろうな。
まあ、後半は兎も角、前半には大いに同意するが。
尚、俺達のカレーは大好評でした。
唯一、俺と咲夜の秘密を知る華琳だけは拗ねる様に「二人だけの知識なんて…狡いです…」と言う様な抗議の眼差しを向けていたが。
それは仕方が無いので我慢して下さい。
因みに、カレーの肝たるスパイスは未だ稀少な為、頻繁には作れないのが難点。
それでも俺は氣を駆使し、日々、栽培と品種改良に取り組んでいますので。
数年後には安定供給出来る様になる筈。
…いや、「頑張ってね、ア・ナ・タ♪」じゃなくて作業を手伝いなさい、咲夜。
そんなカレー御披露目大試食会から数日。
俺は“食育”に違う意味を見出だした。
そう、料理と教育は非常に似ている。
素材を如何に理解し、活かし、仕上げるのか。
それは人を育て上げる事と同じだと言える。
…まあ、だからと言って、料理人としては一流でも教育者としても一流という訳ではない。
それはそれ、これはこれだ。
ただ、過程や必要な事の本質が類似している訳だ。
「──出来ましたっ!、御願いします、忍様っ!」
「おぉ~…見た目も大分良くなったな、春蘭
それじゃあ、早速一口…」
「…ドキドキッ…」
息を飲みながら、無意識に緊張を口にする春蘭。
春蘭ってさ、こういう所が可愛いんだよね~。
──とか思いながら、春蘭の作った炒飯を一口。
言葉通り、盛り付け技術は未熟だが、皿に盛られた見た目自体は普通の炒飯。
可笑しな色彩をしてもいないし、不気味な呻き声を上げる怨霊が憑いているという事も無い。
鼻を突き刺す様な異臭がする訳でもない。
極々有り触れた、普通の家庭的な炒飯である。
原作では“料理人死天王”だった関羽──愛紗も、今では何処に嫁に出しても恥ずかしくない腕前。
勿論、俺の嫁ですから誰にも渡しませんが。
出逢った当初は家事スキル0だった春蘭も少しずつ成長し、正面な料理が出来る様に。
──と言うか、あんな、ある意味では錬金術だろう料理は普通に遣ってれば出来る筈が有りません。
あれはネタだからの怪奇現象です。
現実では失敗したら、ただ不味いだけなので。
何より、余程可笑しな材料や調理が加わらない限り食べられない物は滅多に出来ませんから。
そんな事を考えながら咀嚼し、審査してゆく。
二口目、三口目と食べ、全体的に。
春蘭は初心者レベルなので採点は緩めです。
「…んっ……うん、具材の切り方とかは十分だな
ちゃんと火が通ってるし、味付けも適度だ
ただ、炒める時に少し手間取ったんだろ?」
「──っ…わ、判りますか?」
「普通に食べれるから気にする事じゃないけど…
米と卵の絡みにバラつきが有ったからな
でもまあ、最初の事を思えば確実に上達したな
美味しく出来てるよ、春蘭、頑張ったな」
「────っ、はいっ!」
「ふふっ…良かったな、姉者」
「ああっ!、教えてくれて有難う!、秋蘭っ!」
感涙し、抱き付く春蘭を祝福する秋蘭。
何方が姉で妹なのか……いや、母娘みたいだな。
まあ、家事という点に関しては実質、そうだが。
…にしても、うん、普通に美味いな、この炒飯。
何と言うか…俺も含めて他の技量が高い所為か。
こういう“一人暮らしの男の料理”的な味がね。
何だか懐かしいんですよ、マジで。
それはまあ?、俺一人分なら構いませんが。
大抵、俺が作る時は複数名分だし。
抑、一人分なら城の料理人に頼むか、店に行く。
つまり、こういう料理は滅多に食べない訳です。
だから、気付けば完食です、御馳走様でした。
さて、春蘭の料理の腕前が上がったのは喜ばしい。
春蘭自身の自信にも繋がるしな。
他の面子が普通以上に出来るからね。
勿論、白蓮も普通のままじゃ有りません。
流石に華琳達、一部の例外には敵いませんが。
以前よりも格段に腕が上がっているのは確か。
……まあ、それだけに懐かしくも有りますが。
それは贅沢という物ですからね。
リア充な男ならではの悩みですな、ハッハッハッ。
いや、それは兎も角として。
料理というのは武にも通じる部分が多い。
抑、武術は殺人術である。
そして、料理は獲物を仕留める所から始まる。
素材を活かす為には素材の事を知る事が第一歩。
それは生物の、引いては人体の理解にも繋がる。
その理解──知識・経験は殺人術を活殺自在の域に至らせる為の取っ掛かりになる。
現に、春蘭は料理を習う前よりも、武が洗練され、無駄な力みや破壊が格段に減っている。
それだけでも料理を習う価値は有ると言える。
春蘭の正面な手料理が食べられるのも嬉しいしな。
「料理も面白さが判れば遣り甲斐が有るだろ?」
「はい、以前は料理は「食べられれば十分だ」とか「作れる者に任せればいい」と思っていましたが、自分で作れる事が楽しく、嬉しいと思います」
「まあ、その考えも間違いじゃないんだけどな
「美味しい物を食べたい」と思うのは贅沢思考だ
その日の一度の食事すら定かではない状況でなら、味なんて気にもしないからな
それに自分より上手く美味しく作れる者が居るから他の仕事を出来る訳だったりもする
ただ、遣った事も無い者と、経験して知る者とでは何方等の場合にも実感を伴い難いのが実際の所だ
そういう意味でも俺達は料理をする訳だ
勿論、単純に料理が好きなのも理由だけどな」
「成る程…確かに仰有る通りですね
私達は恵まれている方ですから…」
「俺だって本当の飢餓を経験している訳じゃない
宅でだと………恋と流琉・季衣…咲夜もか
人数としては一握りだな
だけど、現実的には単位が数十数百になる
「民の為に」と言ってはいても、手が届かない事も少なくはないのが…もどかしいが現実だ
ただ、だからこそ、少しでも改善していきたい
俺達の代の話だけではなく、未来に繋ぎながらな」
そう言いながら窓の外を見る。
その言葉に嘘偽りは無いのだが。
それだけに言ってる途中で気付くと恥ずかしい。
いや、真面目な話をしてるんだけどね。
何か恥ずかしいんですよ、何でかね。
「………忍様、それは狡いです、我慢出来ません」
「…ず、狡いぞ、秋蘭!、忍様、わ、私にも…」
椅子に座っている俺に近付いて、太股に跨がる様に座った秋蘭は両手で俺の顔を固定し唇を奪う。
出遅れた春蘭は背後から俺の頭を抱き締め、抱いた後頭部を母性に沈める。
そんな事をされ、「何の我慢?」という御間抜けな質問をする様な鈍感さは持ってはいない。
俺は勇者ではないのだ。
だから人らしく、二人の欲望に応える訳ですよ。