20話 相談屋の長い一日(一)
相談屋の窓から早朝の騒がしい町並みを眺めていた姫、もとい、顧問官の補佐官は俺が顔を見せると、こちらを振り向いてニッコリと微笑んだ。
男役もすっかり板につき、立ち姿も悠然としたもので、それでいながら笑顔は無邪気にして爽やか。
さぞかし町の女たちを騒がしているに違いない。
「呼び立てて申し訳ない」
声を低めて姫は言った。
「構いませんよ、仕事ですから。それで用件はなんです」
「城に来ていただけませんか?」
またかと思ったが口には出さなかった。
あれこれと姫に文句をつけたところで意味はないだろう。
その切り出し方から察するに、客は彼女ではない。
姫は補佐官として使いに出されただけだ。
「相手だけでも教えて貰えますか」
「大王が貴方と話したいと」
「大王?」
王に大が付いたぞ。
「陛下は諸国連合の盟主となられ、大王の称号を冠しました」
姫は大王の娘としてではなく、あくまで臣下の一人として恭しく説明した。
「大王様が俺なんぞに何の用が?」
さあ、と姫は応じた。
「会議で貴方の話でも出たのではないでしょうか。こう言ってはあれですが、城の者に相談できない用件も、無関係の貴方にならできる場合もあるでしょう」
正直、あまり気乗りはしなかった。
可能なら断りたいぐらいだ。
こちらは城の中枢に入り込んで立身出世を目指しているわけではない。
気楽な十分間アルバイトであり、一万円が欲しいだけである。
堅苦しい相手は御免だ。
もちろん、ジエリに俺の気持ちを察するだけの繊細さはない。
「わあ、大王様から指名なんて凄い」
手を顔の前で合わせてはしゃいだジエリは「ほらほら行きますよ」と俺の腕を引いて急かせた。
その様子を姫は苦笑交じりに眺める。それから俺たちの前に進み出て、城へと先導した。
歩みが鈍い俺を、ジエリが両手でその背中を押す。
「顧問官とは上手く行っていますか?」
ジエリに支えられ、後ろに斜め三十度傾いた状態で俺は姫に聞く。
立ち入った内容だったかな、と俺は言ってから思った。以前、意図しなかったとはいえ、不用意な発言で彼女たちを怒らせた手前、もっと慎重になるべきだった。
しかし姫は気にした風もなく「上司としては悪くはない、それだけ」と淡々と述べた。
顧問官が姫に手を出すことはないだろう。むしろ逆の方がありそうだ。
姫はそれっきり口を利かなかった。
俺たちは城に入り、大きな長机が置かれた、謁見の間に食堂、それから会議室を兼用する広間を通り過ぎ、大王の寝室の前に辿り着いた。
姫は扉をノックして中にいるであろう大王に、相談屋殿を連れて参りました、と扉越しに報告した。
大王からの返答を待たずして、役目は終わったと言わんばかりに彼女は足早に立ち去った。
俺は姫の姿を最後まで目で追い、ゆっくりと息を吸って一気に吐いた。
いくらか緊張していた。
大王様だろうがアンゴルモアの大王だろうが沢木だろうが、俺がすべきことは大して変わらない。だったら、いつも通りに気楽に行こうか。
「じゃあ入りましょうか」
ジエリには緊張感の欠片も見受けられず、あっけらかんとしたものだった。
俺たちは大王が鎮座する部屋へと足を踏み入れる。
大王は執務机で椅子にもたれるようにして上半身を起こし、顔を少し斜めに傾けながら俺たちを出迎えた。
わずかに乱れた金髪を前に垂らし、もみ上げまで繋がった、短く切り揃えられた髭を蓄えた初老の大王。
襟や袖のふち回りに金の刺繍が施された白い長衣を身につけ、決して体格的に偉丈夫ではなく、ただの中肉中背だったが威圧的で厳格なオーラが備わっていた。
そして何よりも注目すべきことは……。
大王様は死んでいた。
左胸に肋骨の隙間を通すように差し込まれたナイフから血が滴り、ジワジワとその白い衣装に赤黒い斑点模様を描き出していた。
両腕は力なくぶら下がり、口は半開き。目は驚きに見開かれたままだった。
おお大王よ、死んでしまうとは何事だ。
そんなフレーズが頭に浮かんだ。
はっきり言おう。
俺は少しも動揺しなかったし、それが非人間的だとも思わなかった。
ここは日本ではない。
別世界だ。本質的に俺はこの世界と無関係な存在なのだ。
その認識が、幸か不幸かは知らないが、俺から人の死を真摯に受け止めるだけの現実感を奪っていた。
俺は素早く扉を閉め、ジエリが上げようとした悲鳴を、両手でその口を塞いで無理やり喉の奥に戻した。
「騒ぐな」凄みをきかせて俺は言った。「すぐに顧問官を呼んで来い。いいな、騒ぐなよ。慌てずに今の状況を説明して連れて来るんだ」
ジエリは涙目になりながら、しつこいくらいに何度も頷いた。
俺が手を離すと、彼女は走り出そうとして慌てて思い留まり、ぎこちなく歩いて部屋を出て行った。
彼女がきちんと役目をこなせるか心配だったが、今はどうしてやることもできない。
そう、俺にはどうしようもない。
大王の死が、この国の、果ては歴史にとって一大事だとしても、俺はこの世界にとって部外者に過ぎないのだ。
それでも、俺は証拠を踏んだりしないように注意を払いながら執務机に近づいて、かつて大王だった死体を見分する。
ナイフで一突き。他に外傷らしきものはない。
争った形跡もない。
犯人は身近な人間、あるいは大王はすでに意識を失っていた。
ナイフの突き入れられた方向から利き手は右。
ふと、大王の首に、小さなガラス玉を一つ括っただけのネックレスが、金の刺繍の輝きに紛れて弱々しい光を放っているのに気付いた。
大王様が身につけるには粗末な代物で不相応に思えた。
紐は丁寧だが、相当に不器用な人間か子どもの手によって編まれたらしく、太さに均一性がない。それなりに古いもので薄汚れている。
誰かの贈り物だろうか?
俺が見分を終えて顔を上げた時、不意に背後で扉が開く音がした。
「早かったな」
俺はジエリが帰って来たと思い、振り向きながらそう声をかけた。
しかし、そこにいたのは水差しを片手に持った、従者とおぼしき赤毛の少年だった。
新入学の中学一年生といった感じの年齢で、その服装も今後の成長を見込んでか大きめで、袖に手が半ば隠れている。
「うわああああ」
少年は持っていた水差しを取り落とし、中に入っていた血のように赤い液体を床にぶちまけた。
そしてガタガタと震えながら尻餅をついて、先程よりも一層、大声で叫んだ。
俺にはそれは、あまりにもワザとらしい、白々しいほどに芝居かかったものに思えた。
いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
どう考えてもまず状。
つまりは俺が犯人だと勘違いされてもおかしくない、非常に拙い状態に思えた。
「落ち着け、俺じゃない」
ドラマで冤罪の主人公辺りが言い出しそうなセリフを投げかけて俺が近づくと、少年は四つんばいでこちらに背を向けて逃げ出す。
「誰か、誰か、大王様が殺された! 誰か」
もう少年の姿は確認できなかったが、その喚き散らす声だけは俺の耳に届いた。
これはもう一刻の猶予もない。
人が殺到する前に逃げるに限る。
誤解は後で解けばいい。
「おい、ジエリ、顧問官は後でいい、すぐに戻って来てくれ」
普段であれば、例の穴からヒョッコリ顔を出すジエリは、いつまで経っても現れない。
何度、ジエリの名前を呼んでも結果は同じ。俺の声が悲しく部屋に響くだけだった。
これは本当にヤバイな。
ジエリが捕まったとは思えない。逃げる気になれば簡単にできるはずだ。
だとすれば、もっと別な問題が起きたか?
そうこうしている間に、部屋の前には城の使用人たちが続々と集まり始めた。
それぞれ斧やら包丁を携え、中には洗濯板にタライを持っている下働きもいた。取るものも取りあえず、仕事場にあった道具を手にして駆けつけたのだろう。
彼らは一様に、ぐったりとした大王の無残な姿に耐えられなかったのか、一瞥して目をそらし、嗚咽を漏らして悲嘆にくれた。
そして次の瞬間には怨みと殺気に包まれた視線で俺を射抜いた。
どう好意的に見ても、穏やかに事が済みそうではない。
「落ち着いてくれ。俺じゃない。犯人は俺が見つけるから。絶対に見つける、約束する」
俺は身の危険を感じ、後ずさりする。
弱みを見せると大抵、相手は強気になるものだ。
結果、俺は一斉に飛びかかって来た使用人たちに抗うこともできず、もみくちゃにされた挙句に、床に転がされて後ろ手に縛られた。
殺されなかっただけ幸運だったかもしれないが、この期に及んでも、俺は何かの冗談だと心のどこかで思っていた。
大王が息を吹き返し「所持金が半分になっちまったよ」とでも言ってくれでもすれば最高だったんだが。
もちろん、そんなことは起きるはずもなかった。




