17話 相談屋の相談屋(二)
俺は急いで帰宅し、家の玄関であいつを召喚する。
方法は簡単だ。名前を呼びさえすればいいのだ。
「おい、ジエリ」
「なんですか」
玄関ドアがガラリと開いて、ジエリが現れる。
「お前に相談がある」
「わあ、私にですか」と驚きと喜びの声を上げたが、すぐに何かを思い出す。「って、この前も何か聞いた気がしますけど」
「気のせいだよ」
「そうですよね。で、相談って?」
俺とジエリは部屋に移動して、沢木の相談から村岡との会話に到るまでを簡潔に説明した。
ジエリは「ふふん」と俺を小バカにするように鼻を鳴らし、得意げに顎を上げて見下す。
「そんなことも分からないで、よく相談屋がやっていけますね」
俺を選んだのはお前だろ。
「分からない俺に教えてくれ」
「タダと言う訳にはいきません」
「どら焼きでも欲しいのか」
「どうして急にどら焼きが出てくるんですか。そんなもん、食べたくなったら自分で買って死ぬほど食べますから。そんなことより、私は行きたい所があるんです」
「どこだよ」
金がかかるような場所はよしてくれよ、と願いつつ、ジエリの言葉を待つ。
「動物園です」
なんで?
「なんで?」
頭の中を駆け巡る心の声が口から漏れる。
「いい場所だと思いませんか。安全な場所から檻に囚われた動物たちを見つめる、傲慢で蒙昧な人間たちを観察するの」
どうしようもないくらいに悪趣味だな、それは。
「一人で行けばいいだろ、そんなの」
チッチッ、とジエリが舌を鳴らす。
「一人で行っても楽しめません。共感できる相手がいないと。ほら、あそこに猿みたいな顔をして猿山を眺めている奴がいますよ、あははは、みたいに話せる人がいないと。相手に、ちょっと不満もありますが、まあ、我慢してやりますよ」
ずいぶんと失礼なことを言われているな。
しかし、ここで腹を立てては相談が進まない。
「一緒に行ってやるから、早くお前の意見を聞かせろ」
「せっかちな人ですね。答えは簡単です」立ち上がって、ジエリが俺の眼前に人差し指を突きつける。「ズバリ、マズコイ」
マズコイ?
「魚がどうかしたのか」
「そんな名前の鯉がいますか。まず間違いなく恋。略して、まず恋」
俺には、拙い恋に聞こえるんだが。不倫だと思われるぞ、それ。
しかも断言せずに、微妙に逃げ道を用意しているあたりが卑怯くさい。
「村岡が誰を好きだって言うんだ」
「鈍い奴ですね。あなたですよ、あなた。好きな人に他人を仲介されるほど悲しいことはありません。その子はきっと、部屋の隅で泣いています」
「泣くような奴じゃない」
長いため息を吐いてジエリは呆れた。
「乙女心を理解できない人ですね」
理解できないから聞いているんだが。どちらにしろ、こいつは役に立ちそうもない。
村岡が泣いたりするはずがない。
「為になったよ。その内、動物園に連れて行ってやるから、帰っていいぞ」
「はあ、なんですか、その言い方。私の言ったことを信じていませんね」
ジエリが俺に噛みつかんばかりに顔を寄せてくる。
「いやいや、信じてるよ」
俺はさりげなく彼女を両手で押し返しながら言った。
「嘘です。まず嘘です。こうなったら、私が証明してやります」
「どうやって?」
「学校に行ってですよ」
「だから、どうやって?」
「潜入して、村岡って子の真意を確かめます」
「どうやって?」
「ああもう、ウルサイ人ですね。私が全部、解決してやりますから、あなたは自分の愚かさを、猿山の猿でも眺めながら反省していればいいんです」
こいつは、まず状。つまりは拙い状況になった。
ジエリに相談したのがそもそもの間違いだったと、ようやく気づいた。
彼女が事態を余計にかき乱すのは容易に想像できた。
だが、もう手遅れだった。
俺がいくら止めてくれと懇願しても、ジエリには受け入れるだけの余地はなく、「黙って見てなさい」と捨て台詞を吐いて部屋を出て行った。
そして、俺は不安な夜を過し、絶望の朝を迎える。
一日中、気が気じゃなかった。
朝の沢木の恒例の「困った」も、何をどう答えたのかも覚えていない。
果たして、ジエリは、いつ、どのタイミングで現れるのか。
まさか定番よろしく、転校生として来たりはしないだろう。
常に周囲を警戒し、あいつが姿を見せたらすぐにでも捕まえて、尻を蹴り上げてでも学校から追い出すつもりだった。
村岡は俺なんぞの存在を忘れたように、飴を舌で転がしながら女子の輪の中にいた。
俺の心配をよそに、結局、下校時間が過ぎてもジエリは現れなかった。
安堵して家に帰ってみると、玄関ドアのガラス越しに人影が映っていた。
もしやと思いながら家に入る。
玄関でガタガタと小刻みに体を揺らしながら、膝を抱え込んで体を小さくしてジエリが座り込んでいた。
どこで手に入れたか知らないが、学校の制服を着ている。
「何やってんだ?」
俺が声をかけると、今にも泣きそうな顔をしてジエリが俺にしがみ付いた。
「ヤバイですよ、あの女。本当にヤバイ。私の考えていることを全部、先回りして来るんですよ。超能力とかそんなレベルじゃない。人間じゃないですよ、あれ。あんなのと一秒だって一緒にいたら死にます。私、絶対に死にますよ」
何があったか深くは聞かず、俺はジエリをなだめて帰らせた。
相談屋の相談屋はまるで役に立たず、問題を起こさなかった――と信じたい――だけマシだった。
こうなると自分で解決する他に手段はないが、その方法がまるで思いつかない。
村岡とのことは綺麗さっぱり忘れて投げ出してしまっても、いいかとさえ思え始めた。
俺と彼女の関係が、ほんの一ヶ月前の何の接点もない、ただのクラスメイトに戻るだけだ。
「刮目せよ! そして彼女を解き放て!」
突然、俺の脳裏に三節棍を持った師匠の叫びが響く。
そうだ、俺はメフィストフェレス。
村岡の願いを叶え、その魂を奪うまで諦めるわけにはいかないのだ。
ただ、どうすればいいか皆目見当もつかない。
村岡と話そうにも、明日は土曜日で学校は休みだ。電話番号も知らない。月曜日まで待っていると、俺の決心が揺らぎかねない。
「動物園か」
俺は自分でも意識せずに、一人、玄関に立って呟いていた。