15話 眠れる城のファット姫(二)
眠り姫事件。
王国と隣国の和平を阻止すべく、帝国の魔法使いによって引き起こされた悲劇を、人々はそう呼んだ。
姫は、結婚と安産祈願のために呼び寄せた祈祷師に騙されて毒リンゴを食べ、目覚めることのない深い眠りについた。
祈祷師に扮した帝国の魔法使いは、多くの兵士が見ている前で忽然と姿を消したという。覚醒させようと彼女に近づく者には死が訪れる、そう言い残して。
隔離された部屋で、姫は孤独に眠り続けている。
「らしいのよ」
というのが、隣のオバちゃんの話だった。
俺は、ほとぼりが冷めるまではと、一ヶ月ばかり相談屋を臨時休業にした。
城も町も混乱しているだろうし、それに巻き込まれて不審者として捕まりでもすれば、相談屋は廃業である。もっとも、俺とジエリは不審者どころか事件の首謀者だったのだが。
久しぶりに相談屋を開けると、隣のオバちゃんが早速やって来て、ベラベラと事件の概要について語りだしたのである。
「俺がいない間に大変なことが起きていたんですね」
素知らぬ風を装って俺は言った。
「それはもう、町中、国中、大変よ。国だけじゃなく、隣国の王子なんて帝国を倒すって凄い剣幕で怒ったらしくてね。そりゃあ、婚約者があんな目に遭わされたんだから当然よね」
「和平話はどうなりました」
「その王子が近々、勅使として来るらしいから、そこで話がまとまるのかもしれないわね」
「なるほど」
オバちゃんは実に物知りだ。しかし、彼女の情報はどこからもたらされるのだろう。この国には新聞のような情報伝達の媒体があるのか。
「打倒帝国に向けて三十年ぶりに諸王国会議が開かれるかもしれないって、下働きの奥さんが言ってたわ」
奥さん、少し口を慎んだ方がいいですよ。
口は災いの元。
沈黙は金。
「家の息子も帝国と戦うために兵士になるって」
オバちゃんが話している最中、扉が荒々しく開かれる。
俺とオバちゃん、それからジエリの視線が一斉に扉に向けられる。
顧問官がドア枠を片手で掴んで今にも倒れそう体を支え、肩で息をしながら入口に立っていた。全力で走ってきたのか、額には汗が浮かんでいる。
「相談屋、すぐに来てくれ」
「先客がいますので無理です」
「あら、私はいいのよ。ただ暇つぶしに来ているだけだから」
あなたが、それを言ったら駄目でしょう。
「えっ、これ相談じゃなかったんですか」
案の定、ジエリが驚きの声を上げる。このままでは相談料の一万円が……。何とか、彼女にこれが相談だと思わせなくては。
俺の一万円の行方なんぞ知りもしない、知ったところで気にも留めないであろう顧問官は、ズカズカと歩み寄って来る。そして汗でべっとりと塗れた手で俺の腕を取り、引きずるようにして連行した。
俺がいくら抗議しても腕を離そうとはせず、むしろ逃がすまいとして、その手に力を込めた。
着いた先は城にある彼の自室だった。
そこでようやく、顧問官は俺を解放した。
「何があったんですか?」
俺は不機嫌なのを隠さずに言った。無理やり連れてこられた上に、このままだとガチャガチャの資金が絶たれかねない状況なのだ。
「姫を止めて欲しい」
切羽詰った様子で顧問官は言った。
ここまで深刻な表情の彼を俺は始めて見た。
「何があったんです」
「話は後だ」
そう言って、彼は床板を剥がした。床下には穴が掘られていた。
「なんです、この穴?」
「姫の部屋に繋がっている。早く入れ」
顧問官は俺とジエリの背中を押して穴に落とす。それからランタン片手に最後尾についた。
穴は四つんばいでどうにか通れる程度の大きさしかない。
顧問官にケツを叩かれながら前へと進む。
そして俺たちは姫の部屋へと辿り着いた。
眠っているはずの姫。
近づく者を死に至らしめる姫。
そんな彼女は……。
ベッドの上で元気にエクササイズをしていた。
「これはこれは、相談屋殿ではないか」
姫は俺たちに気づいて屈託のない笑顔を見せた。一面に広がる花々の蕾が、朝日を浴びて一斉に音を立てて花咲いたような笑顔だ。
彼女はスッキリと痩せていた。つい一ヶ月前の力士の面影は微塵もない。
その見事な変貌振りを、現代日本でダイエット本として売れ出せば、まあ、それなりに売れるのではないだろうか。
しかし、痩せたからと言って彼女には「美しき姫」という表現は相応しくなかった。
どこぞかの歌劇団の男役と言ったところだ。
ツインテールを綺麗さっぱり切り落とし、耳に少し髪がかかる程度のベリーショート。力士時代は糸のように細かった目もキリッとした切れ長で、描いたのではないかと思うほど眉は眉尻まで真っ直ぐに一本通っている。
その姿を見て、一番驚いたのは顧問官である。
「姫、その髪は」
「これか」と言いながら、姫は自分の髪を撫ぜた。「お前がいるとウルサイからな。いない間に、さっき切ったのだ」
ああ、と脱力した声を口の端からもらして、彼はうな垂れた。しかし、すぐに顔を上げる。
「相談屋からも何とか言ってくれ」
「何を言えばいいんですかね?」
「姫は男になると言っているんだ」
「俺は女を男にする魔法なんて使えませんよ」
「そうだ、相談屋殿は魔法なんぞ使えはせん」姫は、わざわざ声のトーンを低くして言った。「まだ礼を言っていなかったな。作戦は実に上手く行った、感謝している。わらわは結婚せずにすみそうであるし、和平も進んでおる。それにしても、大した筋書きであったな」
「大したものではありません。俺の故郷の昔話に多少のアレンジを加えただけです」
そう、大したものではない。
姫にリンゴを食べさせて眠らす。それを帝国の仕業に見せかける。
ただ、それだけの話なのだ。
肝心なのは魔法の存在を、ここにいる四人以外にどう信じ込ませるか。
そのために、わざわざ兵士を誘き出して目の前で消えて見せたのだ。
「礼なら、こいつに言って下さい。こいつがいなかったら、できない作戦でしたから」
俺はジエリを指差す。
「いやあ、それほどでもありませんよ。でも、そうかも」
ジエリは突然の指名に恥ずかしそうに応じた。
「ふふ、おぬしら二人には、いずれ必ず報いよう」
「その必要はありません。基本無料。看板に偽りは許されません。牢に入れられますからね」
俺は姫の有り難い申し出を断った。そして、俺がここに呼ばれた理由に触れる。
「それで、どうして姫は男になりたいのですか」
「なりたいわけではない。なるしかないのだ。このまま眠った振りをし続けて、歳を取りたくはない。わらわは役に立ちたいのだ。この国のために。それから顧問官、おぬしのために。わらわだとバレないためには、男になるしかなかろう」
姫が熱いまなざしで顧問官を見つめる。
彼は返す言葉を失って沈黙した。言葉の代わりに、俺にも聞こえるぐらいに大きな音を響かせて唾を飲み込んだ。
そして俺に救いを求めるような視線を投げかける。
「諦めた方がいいですよ、顧問官殿。姫の決意は固いですから。貴方の補佐役にでも雇ってあげてください」
「そんな馬鹿なことができるか。姫が男の真似をして、ましてや私の部下にするなんて」
「じゃあ、どうしますか? このまま薄暗い鳥かごに閉じ込めておくんですか」
「作戦を考えたのは、お前ではないか。お前が何とかしろ」
ずいぶんと自分勝手な言い草だな。
それも仕方がないか。姫の事に関しては、この男は冷静ではいられないのだ。
「それでは、俺が雇いましょうか」
俺がチラリと姫に目をくれると、彼女はすぐにこちらの意図を理解して、意地の悪い笑顔を浮かべた。
「そうだな、そうしよう。相談屋殿、お世話になるぞ」
「駄目だ!」顧問官が俺と姫の間に割って入った。「お前に任せるぐらいなら、私が引き受ける」
ちょろい奴だ。
「あなたがそう言うなら、俺は引き下がります」
顧問官は俺があっさり身を引いたのを見て、これがまさに苦虫を噛み潰した顔だ、と言いたくなるような表情をした。
「始めから雇う気などなかったんだな」
「ありましたよ、多少はね。どちらにしろ、顧問官殿以外に姫を守れる人はいません。貴方も俺の毒リンゴを食べたんですよ。毒を食らわば皿まで。こいつは皿です。きちんと食べてもらわないと」
「貴様、何て事を!」
「み、見損なったぞ、相談屋殿!」
顧問官と姫が二人同時に怒りの声を上げた。
どうして怒られているのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
ふと、俺はあることに気づいた。
「なあ、ジエリ、毒を食らわば皿までって、お前の自動翻訳だと、どんな風に訳されているんだ。そのまま通じているのか」
「それですか、この国にはそんなことわざはないので、直訳と言うか何と言うかですね」
ジエリは言い難そうに口ごもる。
姫と顧問官は顔を真っ赤にして怒っている。
「なんだよ、早く言えよ」
「ええと、毒は、毒リンゴ。皿は、姫って訳されました」
ということは、姫を食っちまえと俺は言ったわけだ。確かに間違ってはいないが直接的すぎるだろ。
「解決したようなので俺は帰ります」
俺は逃げるようにして床下の穴に潜り込んだ。