すきです。*養父と義娘
養父:悪い大人で、いい大人。義娘:恋してしまった市松人形。
そんなイメージ。しっとり系。
「すきです」
義娘が伝えると、養父は困った様に眉を下げた。
「それは前から言っているように、家族愛と錯覚しているものだ」
「家族愛であれば、あなたの秘書に嫉妬しますか。あなたの傍に居られないことに胸が痛くなりますか」
「なるよ」
それは柔らかな声音でありながらも断定的だった。
その厳しさに唇を噛みつつ、表情を変えぬままいつものやり取りを続ける。
養父の書斎には、彼自身が手掛けた書籍だけでなく執筆中の原稿もある。
「あなたは義娘の気持ちなど分からないでしょう」
「確実には分からないね。だが、賞を取る程度には人間というものを知っている」
現代日本でありながら趣味である濃緑色の和服を着流す様は、冷たい言葉を放ちながらも憎いほど似合う。数多の賞を取り文豪として名を馳せる自信に満ちた眼差しは、愛情を込めながらも決して義娘の気持ちを受け入れる気はない。
「書籍と現実は違います。私の気持ちを勝手に決め付けないでください」
「そうだね。それは悪かった」
拗ねて横を向いていると、養父は誤魔化す様に引き出しを漁った。
そうして目当てのものを見付けると、手ずから義娘の手の平へところんころんと飴玉を置く。
「ほら、これをやるから機嫌を直しておくれ」
「あなたは…、私をいつまでも子供扱いする」
「私が死ぬまで君は私の娘だよ」
甘やかな視線に、義娘は桜色の唇をへの字に曲げた。
何度か開け閉めし、そうして眉根を寄せる。
「嫌です。子供なら作りたいです」
「つれないなぁ。子供に子供は出来ません」
義娘の唇へころりころりと飴玉を無理矢理押し込まれる。
泣いた時、怒った時、仲直りの時、子供を大人しくさせる合図だ。
「……すきです」
「僕も苺味が一番だねぇ」
「違います。分かっているのに、非道い人ですね」
「だろう。だから早く見限っておくれ」
またいつもの定位置の椅子に座りながら、養父はペンを手に取った。
軽く革が鳴く音がする。
「嫌です」
「反抗期かねぇ」
眼鏡を下げてこちらを呆れた様に見る様は、義娘の目には格好よく見える。
例え養父が全く義娘を相手にしなかろうと。歳の差三十だろうと。不治の病を患っていようと。
容姿も、金銭も、年齢差も余命もただ関係なく、相手を想うことの何が罪か。
「あなたの一番傍に居たいんです」
「心配しなくても、この家に居たいなら好きなだけ居ればいい。財産も何もかもを残すつもりだ」
「違います。そんなものに価値などない。私は、あなたの心の一番傍に居たいんです」
「誰もが君が一番傍に居るというよ。ご近所さんも、私の秘書も、世間も、そして私自身も」
「嘘です」
「何故そう思うんだい」
養父は柔らかな声音で先を促した。
職業柄か、興味深そうに続く言葉を待っている。
「あなたは私の母を今も好いている。引き出しの奥に、あるくせに」
「見たのかい」
「あなたはいつも鍵を枕の下に隠しますから」
言うと、参ったなぁと言わんばかり養父は頭を掻いて笑った。
「こりゃ僕のパソコンのパスワードもばれているに違いない」
「使い回すから悪いんです」
「他のだと忘れてしまうんだよ」
「だったら…、私の誕生日でもいいじゃないですか。母の命日にしなくても」
ぽつりと呟くと、養父はまた困った様に口元に笑い皺を作る。
困らせてばかりだ。
「君のお母さんにはとても世話になったんだ」
「母も喜んでいると思います。娘が結婚して幸せな家庭を作れば益々喜ぶことでしょう」
「僕が天国に行ったら娘をたぶらかしやがってと地獄送りにされてしまうよ」
肩を竦めて、この話はお仕舞いだと合図される。
養父に胸を高鳴らせることに、私が悩んでいないと思ったのか。
私自身、錯覚かと思った。家族愛との混同も。二人きりの家族への依存も。
同級生と無理に付き合おうとしたこともあった。
私は頭が可笑しいのかと苦悩したこともあった。
だが、養父だからいいとなってしまうのだ。
料理が下手なところも。部屋が汚いところも。寝汚いところも。歌が下手なところも。運動音痴なところも。お金使いがずぼら過ぎるところも。お風呂が長いところも。最近お腹を気にしていようが皺が増えたなぁとぼやいていようが、養父が養父であるからこそ好きなのだ。
この気持ちを、私は伝えることしかできない。
諦められたらどれだけ楽か。
でも消せないのだから。この気持ちは根付いてしまっているのだから。
ならば、拒まれようと私はこの気持ちを大事にしたい。
「偶に、あなたを監禁して薬漬けにして婚姻届けに署名させようかと思います」
「僕の過激ファンよりも熱烈なラブコールだねぇ」
「怖いですか」
「君がかい?」
義娘が頷けば、養父は片手肘を付き、その手に顎を置きながら苦笑を零した。
「怖いと思ったことなどないよ」
「何故」
「だって、君は実行に移せないだろうから」
その言葉に、義娘はむっと唇を尖らせる。
相変わらず表情はあまり変わらない。
「舐めてもらっては困ります。私は養父の食事に媚薬を入れようとしたこともあります」
「これは大胆な宣言だなぁ。でも結局は実行しなかった。ならばそこに罪もない。君はやさしい子だからね」
「違います。だって、あなたは籍だけ入れても苦笑して流すだけでしょうから。あなたを無理矢理閉じ込めて薬漬けにしても、虚しさしか得られない」
「君が理性的な賢い子でよかったよ」
面白そうにそう呟く養父は、微塵もそのことを恐れていないように見えた。
そのことに義娘は表情を変えないまま、震える声を紡いだ。
養父の大事な義娘は、表情を補ってあまりある程に雄弁にその感情を声音に乗せる。
こんな老骨に縛られず、未来ある明るい日々を送って欲しい。周囲に笑い声を響かせて過ごして欲しい。そんな願いばかりが過ぎる。
「あなたの病がもっと進行して、目も見えず、口もきけず、手も動かせず、歩くことも出来なくなればいい」
「僕は子育てさえも下手だったらしい」
「そうすれば、あなたに食事を運び、あなたを外に連れ出し、あなたに読み聞かせ、あなたを労わる唯一の存在として傍に居られるでしょう…? そしたら、あなたは私を愛しますか?」
白百合の様な美しいかんばせは、自嘲する養父を濡れた眼差しでそっと仰ぎ見る。
養父は甘やかで優しく、されど鋼の様に答えた。
「もう愛しているよ。だけど君だけのものになることはない」
「……あなたはいけずです」
「時の流れは悲しいものだなぁ」
昔はイケてたのにと態とらしく唇を尖らす様子は、どこか少年らしい。
すぐに絆されてしまい、結局は許す様に見せて降参する。
「嘘です。あなたは今も昔も素敵です」
「そうかい。君にそう言われることが一番嬉しいよ」
そうして、壁時計が朝の七時を示したと同時に玄関口のベルが鳴る。
秘書の来訪の合図だ。
今日も昨日と同じく躱されてしまったことに落ち込むも、こうして言葉を交わす日々を穏やかに楽しむ自分も居る。
でも、この胸の奥を焦がす気持ちは募って溢れてくるので―――
「……すきです」
例え気付かぬフリをされると分かっていつつも、階段を登ってくる足音に紛れて小さく零した。
「ん? 何か言ったかい」
「いえ、何でもありません」
朝日に塗れる養父が眩しくて、義娘はそっと目を細めた。




