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【短編独立集】闇鍋  作者: トネリコ
コメディー
35/39

とりあえず入籍スタート

 ウチのクッソ親父がまたやらかしやがった。しかも今回は一人娘を一昨日仲良くなっただけのお爺さんに預けて自分はニューヨークだと!? ぼっこぼっこにしてやんよと置き手紙を握り締めていると、男から当面の生活費を条件に1年間の契約結婚を持ち掛けられる。え? 勿論速攻断りましたが? けど結局は小賢しい男との共同生活が始まった。取り敢えず入籍って、はぁ…。

 

あかりちゃんへ✩


 お父さんはいなくなっちゃったゴールドちゃんを捕まえる為にニューヨークへ行ってくるよん✩

 あかりちゃんのことは一昨日仲良くなったお爺ちゃんにお任せしたから、多分大丈夫!

 1年くらいしたら戻ってくるから、それまで元気にしててね!

 グッバイ


ファザーより✩


「ざっけんなああああああああああ!!!!! あんのくっっっっっっっそオヤジィィィィィィ!!!!!」


 グシャアと怒りを煽るしかしない何の価値も無いクソ紙をボロクソに握り締める。大学1年生に慣れ始めた矢先にこの仕打ち。また蒸発したのかー、ほー、へーと思っていたら、あんのクソ野郎なんちゅう置き土産を残して行きやがったんだ!!!


「おい」

「そもそも何がいなくなっちゃっただ!! お、ま、え、が、稼いだお金を不用意に全部財布に入れて置き忘れたり宝くじで7億円だってーとかいいながら全額つぎ込んだりしてるからいつまで経ってもお金が貯まらずに貧乏暮らしなんだろうが!!!」

「話を」

「大体なんだ一昨日仲良くなったお爺ちゃんに仮にも大事な一人娘を任すって。居るのか? そんな馬鹿な奴がこの世に居るのか? ああん? あー、居ましたね、此処に証拠がありましたね、それも実の親父ですねこんちくしょう!! しかも多分ってなんだ、多分って。 大丈夫の前に絶対付けちゃダメな単語やろッ。 もうそのままくたばっちまえや! グッバイとかファザーとかこれまで使ってるっとこ見たことねえしなゴラあ! 既にニューヨークにかぶれやがって我が親父ながらダセエわ! どうせいつもの謎のコミュ力で仲良くなるんだろうが、帰ってきて流暢に話しかけてきたら苛立ちのあまりぶん殴ること決定だか―――」

「少しは聞けやこのメス豚が!! お前はマグロか? 喋らんと死ぬのか!?」

「ああん? 人に向かってメス豚? あんたは一体何様なんですか――」


 って、怒りのあまり親父を脳内でボロ雑巾にしていたが、状況を思い出す。そうだ、花の女子大生への置き土産があったんだった。それもクソ親父と生きてきた19年で培われた私ですら現実逃避したくなるレベルのものが。


「俺は俺だ。それで、もう一度説明するのも面倒だから纏めるぞ。お前はこれにサインする。俺は1年間会長の戯れに付き合う。お前は当面の学費と生活の面倒を見てもらえる。俺は1年後に会長の後押しを得られる。これは正当な取引だ。何か異論は?」

「はあ? いきなり連れられて簡単な説明で納得するとでも? そりゃお爺さんは好々爺然としていい人そうでしたけど――」

「はッ、会長がいい人ねぇ、お前の目は節穴確定だな。じゃあ聞くが、当面の生活資金に宛はあるのか? 住まいも何もかも解約されてるんだろう? 俺のもそうだが、お前の親父も相当なクズ野ろ――」

「うっさいですねぇ。別に野宿生活でも何でも出来ますよ。別にあなたに心配して頂かなくてもね。それから――、ウチの親父がクズなのは広辞苑に乗るぐらい自明の理ですが、それでも一応親父なんで、他人のあなたが貶すのは止めて頂けます?」


 重厚な色合いの品の良い本棚や、黒い革張りのソファ、猫脚のガラス板のテーブルに金縁の繊細な陶器カップ。私とは縁がなさ過ぎて、通されたのは広い私室らしき場所なのに圧迫感を感じるが、それでも私は背筋を伸ばしてキッと睨みつけた。これでも友人からは「お前なら地球が滅んだ後も生きていけそうだよな」と言われたこともあるのだ。勿論「流石に人類じゃなくて地球の時点で無理だと思う」と冷静に返してあげたが。

 睨みつけると同時に観察する。年は23と若いのに既に黒スーツを着こなし、傲慢さと紙一重のカリスマ性を放つ男を。これでもヤーさんに追われたり児童保護施設の人と話し合ったり人さらいに説教したりとそれなりに人を見てきているのだ。あの会長さんとはタイプが違うが、今後も経験を積めば伸し上がるだろうと判断出来る。ピラりと婚姻届けを横目にし、此方を眺める顔は、黒染めのオールバックにした髪型に合う野獣系と言われるような色気ある顔立ちだ。

 そう、私の所に何度か訪れては何だかんだと仲は悪くなかったヤーさん連中が、日本人離れした190程の高身長、大企業の御曹司という高収入、そしてこの顔という神の贔屓の三拍子に思わず男の元へカチコミに行きたいと内心で思っても仕方ない程なのだ。


 まあタイプじゃないというか、私はいけ好かないから勘弁だが


 ばっさり切って話は終わりだと、最後に高級な気がする紅茶を飲んでお菓子も全種類摘んでからソファから立ち上がる。男の横を通ってさっさとお暇してバイトに行くかと考えていると、不意打ち気味に腕を掴まれた。

 高校で習った警察官さんの講習通りに腕を回して反射で外したが。


「おい…」

「…、何ですか、セクハラですか、変態ですか、お金があれば許されるんですか。クズ野郎は悪即斬だとは思いませんか?」

「思考がブッ飛び過ぎだ。誰がお前みたいなちんちくりんに手を出すんだ」

「ほう、さっき手を出していましたよね、もうお忘れになったんですね、神様は性格の悪さで帳尻を合わせてるのかと思っていましたが、記憶力の方で合わせていたようですね。あと、私のはスポーティと言うんですよ、スポーティ」

「手は比喩だ、はん、お前程度の学歴じゃそんなことも分からなくても無理はないがな。一応教えといてやるが俺はT大出身だ、それとお前のはどう言葉を着飾っても絶壁だ」

「はいはい学歴をひけらかしてる時点でやはり性格がアレだったんですね。可哀想に。でもアレなら仕方ないですよね、私も多めに見てあげます、だってアレですし、アレですもん。…殴るぞゴラあ」

「お前の語彙力が残念過ぎて何を言っているのか分からんし、そもそも俺は真実を――って、ッぶな! この暴力女め! 実行するやつがあるか!! ええい、お前に合わせていると話が進まん! 取り敢えずこの婚姻届けにサインしろ。結婚式も行わんし苗字の変更もいらん、親戚のパーティに出席もしなくていい、衣食住も1年間保証してやる」

「チッ! 聞き分けのない人ですね。お爺さんのお遊びであなたに有利に働くのは分かりますが、それよりも自分の力だけで勝ち上がったらどうですか。私はあなたと違って一人で十分ですので、ついでに言うと好きでもないどころかいけ好かない男と軽々しく結婚したいとも思えませんので」

「それが出来たらこんな苦労はしていない。…はぁ。続けるぞ、その減らず口もまぁ…、まあ万歩譲って許してやる。そして追加条件だ、お前は俺から見ると慕うところも無さそうな親父を随分と慕っているようだな。だから、お前の望み通りに親父さんに関する条件をいくつでも付け加えてやる。どうだ、乗るか?」

「…その小賢しい頭を殴りたくなるくらいには、中々賢いやり方と褒めてあげましょう」


 別に随分と慕っているという程依存しているわけでもない。ただ、しっかり者の母が死んでからポンコツなりに私を一番にして頑張って大事にしてくれていたのを知っているだけだ。絵の世界に入ると母以外には連れ出せなかったのに、自分から戻って来てくれてたのも、生活費のために商業用の絵を苦手で嫌に思いつつも高校大学に入るまで描いてくれてたのも知ってるだけだ。

 母との思い出だった絵が売れたからと、久しぶりに遊園地に連れて行ってくれた先で財布を落としやがったのも、テレビのCM見て確率も考えずに世間知らずがお金をつぎ込み、報告されて私がフライパンでぶん殴ろうと磨いていると、のほほんとした声で、これで結婚資金になるね、バイト増やさなくても大丈夫だよとぼけぼけしていたのを思い出しただけだ。

 

「…いいでしょう、父との連絡がつくようにして下さい。あと、死にそうでしたら瀕死程度にまでは援助してやって下さい。それぐらいです」

「なんだ、意外と簡単なものだけなんだな」

「まぁ父はクソ親父スキルがありますので、どうせピンピンしてるから援助はどっちでもいいんです。むしろ死にかけてて欲しいぐらいですが、早くしないと大物に取り入って連絡不可能になる可能性があるので、連絡の方を至急でお願いします」


 多分もう無理だろうなと思いつつ澱んだ目で男を見ると、お、おうと若干引きつつ男は頷いた。クソ親父よ、やることはやった。あとは知らん。


 

「まぁお前の親父はどうでもいい、取り敢えずこれからよろしくな花嫁殿?」

「ええ、仕方ないから相手してあげますよ、花婿殿。…ところで――」

「ああ?」



「お名前伺っても?」





 さて、そんなこんなで初々しい?結婚生活が始まった。いえーいどんどんぱふぱふ、クソ親父はふるぼっこだドン。

 生活道具は全部用意してくれていたし、別段今までの生活に支障が出たわけでもなかった。バイトは辞めさせられたが、クッソ。だが生活水準は上がったので許してやろう。これはお爺さんなりの庶民体験させ期間なのか、こじんまりした一軒家、それでも一軒家用意してる時点で感覚が違うが、メイドさんや執事さんに出迎えられてといったこともなく普通の二人暮らしだ。

 最初はどうなることかと思ったが、お互い様子を伺いつつ何だかんだと3ヶ月目突入である。


「さて、今日はにくじゃがですよ~、どんどんぱふぱふ~」

「効果音が古いな。箸の置き場所を変えたのか? 見当たらんが」

「流石(たつ)さんは目敏いですね。そこの引き出しの中です」

「お前の言動に悪意を感じる」


 片方が何故見つからんと台所で探している男を、おかずを入れた皿を並べながら盗み見た。はらりと落ちた髪のひと房が男の色気を増して見させ、真剣な表情で台所に居る様との違和感を濃くさせる。メリットも多いのに婚約者すら居らず妨害も出ずと、何か恐ろしい裏の面があるんだろう覚悟していたのに、DVクズ野郎でもモラハラクズ野郎でも1年間別居状態でも潔癖症野郎でも女グセが悪いとかでも無く、ただ単に妾だから云々かんぬんというしょうもない理由で売れ残っていたらしい。

 何というか、上の人等は目が肥えてるか濁ってるだけで、庶民からみれば高級マンションレベルだから頑張れよと、少し不憫に思い、そのことを知った日は心なし優しくしてあげた。

 病院行くか?と言われたので速攻元に戻ったが。

 

「「いただきます」」

「…相変わらずマズイな。何故肉じゃがが酸っぱいんだ? 酢豚と間違えたのか?」

「うっさいですね、これが我が家の味なんですよ。高級に慣れたその舌を諦めて味噌汁で流し込んで下さい」

「どっちかというとお前の料理ベタに諦めるという方が正しい気がするな。というか前回の肉じゃがはしょっぱかったと思うが?」

「そうでしたっけ? 家庭の味は日々進歩するんですよ? 良かったですね、新しいことが学べて。お爺さんも本望な筈です」

「会長を出すな、余計にマズくなる。この光景を見たらにんまり狸顔を歪めて嗤うに違いない」

「コツを掴めばいい人ですけどねぇ、この前も囲碁打ちして盛り上がりましたし」

「はあ? 聞いてないぞ!?」

「そりゃ言ってないですもん」


 行儀悪くずぞぞと味噌汁を飲んで煩い言葉をかき消していると、文句言いつつも綺麗に食べ終えた食器をたつさんが流しに持って行って洗っている。

 ほんと、完璧主義らしいというか何というか、知識を仕入れたであろうテレビや本で見たまんま(・・・)だ。 

 口は悪いが育ちからか、ふとした時に紳士的な仕草を無意識にしているし。最初こそプレゼントだと花束やら時計やらと買ってきたが、私がいらんと言うと大人しく欲しい物を尋ねる制にしているし。というかそんなマメにしなくても1年間は大人しくしておくのに。それに此方も踏み込み過ぎないようにしているが、あちらも踏み込んでこないので楽だし。


「あかり、食べ終わったならよこせ」

「ん」


 カウンター越しに渡しながら、私は自分の中で決めたことを辰さんに伝えた。貰ってばかりは癪である。肩ごしに最近伸び始めていた毛先が跳ねる。シャンプー代諸々節約のためばっさりと切っていたのだ。しかも最近は染めてないのにパサパサだった髪が心なしか艶を増している気がするし。お皿を濯ぐ水音が響き、橙色のライトの下で辰さんの黒髪が天使の輪を作った。

 

「辰さんや」

「はいはい、なんだいあかりさん」

「確か重要な客人を招いたパーティーが来週あるんですよね。それに参加しますから」

「…はあ? 何処でって会長か、別に結構だ。毎回パートナーには代理で従姉妹に頼んでる」


 冷たく返しているし、表情も変わらず普通なら見抜けないだろうが、お爺さんから世間話のように既に裏側を語られているのだ。表を取り繕っても無駄である。


「毎回少なくない報酬付きでですよね。しかも今回はその従姉妹さんですら他の予定と被って出席出来ない、と。万事急須じゃないですか」

「はッ、だからと言ってお前の手を借りるとでも? 何故今更取り入る気になったか知らんが無駄だ。パーティに毎回パートナーを連れねばならんという訳ではない。一度くらいなら面目も保つ」

「鬱陶しいですね、心配しなくても別にあなたのお金なんか狙ってないですよ。私はあなたに借りを作るのが癪に障るから此処でまず清算しておきたいだけです。勿論お爺さんから今回のパーティは南方の発展が見込まれる小国が相手で、通訳が付くのが当たり前やら、辰さんの親戚はあまり参加しないというのが知らされてるからでもあります」


 憎いが頭のいい辰さんなら、だから離縁した後にも別段影響は無いと思うよというのが解る筈だ。

 案の定きゅっと蛇口を閉めた辰さんが、すっと皿を眺めていた顔を上げた。

 その顔が予想よりも眉根が寄っていて、何か馬鹿な私が考えているよりもダメな所があったのかとこちらまで眉根が寄る。


「俺はお前に…、いや、何でもない」

「…辰さんらしくないですね」

「お前の酢豚があたったようだな」

「肉じゃがですが?」


 らしくなく弱っている姿に少しペースを崩されそうになったが、なし崩し的に出席を認めさせた。まぁ経営者らしく切り替えたら早いもので、もっと太れ特に胸あたりとセクハラ発言したり、服だ化粧だ要人の名前だとバンバン押し付けて、先程までの自分を後悔させたりと元気な俺様さんにすぐに戻りやがったけど。





「さて、辰さんどうですかね、我ながら馬子にも衣装ですが」

「そうだな、まぁいいんじゃないか、その寄せて上げる形式。デザインは流石俺だな」

「死ね変態」


 桃色のルージュ。短い髪を上手く編み込んで一輪差された向日葵の様な簪。南方に合わせた涼しげな薄手のレースに、手広くやっている事業の一つである刺繍部門の宣伝も兼ねた渾身のドレス。色鮮やかな赤い生地を下地に、素人目だとどこか扇情的に感じる橙や黄色のケープをふんわりと羽織り、こんなんでも一応女なので着飾ってどこか楽しく感じてしまう程だ。

 期間は短かったが、元々出来てた背格好の似た従姉妹さんのものをサイズ調整しただけだったので、無事手元に届いてくれた。それでもぎりぎりだったので辰さんへのお披露目は今回が初なのだが、もっと、それこそボンキュッボンを見慣れている辰さんに褒め言葉を期待しても無駄だったようだ。やはりサイズ調整で一番時間が掛かったという胸が問題か、胸か、胸なのか、このおっぱい魔人野郎め!!

 怒りとがっかりが渦巻いていると、そろそろ行くぞと手を引かれる。

 すると自分でも珍しく緊張からか鼓動が早まるのが分かった。


「なんだ、大人しいな、緊張してるのか?」

「そりゃ緊張しますよ、人間だもの あかを」

「はいはい、会話で分からなけりゃにっこり笑って俺を見ればいいから。説明したが相手国は女は静かにっていうお国柄だから、話をフられることも少ない筈だ。踊りも急ごしらえだが、流石猿並みの運動神経で及第点まで持っていってるし、まぁ気楽に行っても大丈夫だろうよ」

「貶してるのかフォローしてるのかはっきりして下さいな辰さん。取り敢えず殴りますけど」

「っぶな! だからそれは止めろ! お前のは妙にキレがあって食らいたくねーんだよ!」

「そりゃ19年間鍛えてきてますし」


 お互い減らず口を叩き合いながら会場へと入る。明らかに肌が黒い組もいれば、日本人だと分かる組、どこか鋭い視線を彷徨わせているグループもあれば、女性が集まってテーブルを囲んでいるグループもある。


 空気が変わった。それは物語に入ってしまったみたいに。流麗な音楽が耳元を擽る。

 まるで宮殿のようなシャンデリアと磨き抜かれた床、下品過ぎない黄金色を入れた名画が飾られる壁。色鮮やかなドレスと差すような黒いタキシードに、一瞬で別世界のようだと思った。足が止まった私を先導するように、まるで何でもない顔で一歩先から振り向いて手を差し出した辰さんのことも。


「お金の無駄遣いに思えます」

「俺もそう思う時がある」


 肩を竦めるような姿に、いつもの減らず口を返そうとしたが、自分でも元気がないのが分かった。心を浮つかせた筈のドレスが心もとなく感じる。

 それでも、目の端で心配げな顔をされるのは癪に障るので、むしろ辰さんを引っ張り隣に立って入場した。



「おい、今回は特例で一応一歩後ろから」

「すいません」



 まぁ失敗する時もある。





「へぇ、珍しいじゃない、あなたが別の子を連れて来るなんて」

「あいつに予定が入ったからな。臨時だ」

「まぁ、エスコート相手にそんなこと言うなんて、怒ってもいいのよ? お名前を伺っても?」


 ころころと笑いつつ、すっと細められた視線が飛ばされ、私はきゅっと自分に気合を入れ直してから微笑んで答えた。和服は色鮮やかではないが華やかで、帯や小物に上手く南方のものが取り入れられている。乱れなく纏められた綺麗な白髪と芯の通った背筋。この中では異彩の和服姿であるのに、その存在感から圧倒的に場を支配している。こりゃあ大物である。流石はあのお爺さんの奥さんだ。失敗すれば麻酔を掛けられて知らぬ間に頭からばりばり食べられそうである。


「お初お目に掛かります。ふじ あかりと申します。この度は人生でも貴重となる経験をさせて頂き誠に光栄の至りです」


 この手の場合は下手に趣向を凝らすよりも、ミスをしない方がベターだ。会話は短く、出しゃばらず。この機会だけだと理解していますよと伝えておく。


「…、あら可愛らしいわね。どうもありがとう、わたくし龍谷寺りゅうこくじ みぞれですわ。今日は是非楽しんでいって下さいな」

「ありがとうございます」

「んじゃ婆さん行くから」

「ええ、頑張りなさい」


 日本側の一番の頭領へと無事挨拶を終えたわけだが、流石に緊張した。


「婆さん何で来てるんだか。もう一つの会へ行くと思ってたんだが」

「お婆さんは私の偵察に来ていたりとか」

「いや、俺と会長の取引だから知らない筈だが…。まぁいい、さっきのは中々良かったぞ」

「ですか、いつバリバリ食べられるかとドッキドキでしたけどね」

「…若かりし頃は知らぬ間に敵がいない女という通り名だったらしい」

「どかされた石は何処に行ったんでしょうね」


 裾を翻して歩く。今頃少し慣れないヒールで踵が痛いなぁと実感してきたが、まだまだやることはいっぱいだ。申し訳ないがやって来るどれも似た顔に見える黒人さん方へと、彼等の母国語で挨拶し、特徴的な方は名前を呼び、いけ好かないことに少しカタコトでも彼等の国の言葉で喋る辰さんの横でさも分かってますよ顔でにっこり笑う。

 日本人組も頭領へと挨拶したのが効いたのか、思ったようなトラブルは無かった。

 臨時で初めてにしては頑張っているんでなかろうか。

 3時間立ちっぱなし笑顔貼り付けっぱなしで、お腹周りの締めつけが苦しいから泣く泣く辰さんが時折食べるのを横目に、勧められても飲まず食わずで今日だけなんだと自分を奮い立たせて頑張っていると、そうこうしている内に先程から杯を重ねていた辰さんが「ちょっと手洗いに行ってくるから、そこ動くなよ」と立ち去ってしまう。

 

 冒険する気もないので乳酸でパンパンな足をいたわるために見つけた近くの椅子へと腰掛けると、そっと近くに居たウェイターさんが逆三角錐型のおしゃれな入れ物に入った飲み物を持って来てくれた。緊張と疲れから喉が乾いていたので、ありがたく頂いて一気に煽る。水滴が周囲に付く程キンキンに冷えていたので、それはそれは美味しく感じた。もう飲み物ぐらいは頂きたかったのに、中々タイミングが合わなかったのだ。ようやっとの水分補給である。

 高級過ぎて味は分からないがこれが美味しいというものなんだろうと、遠慮なくもう一杯ウェイターから受け取っていると、近くに影がさした。


「初めまして、いい飲みっぷりですねお嬢さん。パートナーに置いていかれまして、どうかこの情けない私のお相手をして頂けませんか?」


 顔を上げると、細長い狐みたいな顔立ちの男であった。要人リストに載っていなかった顔な気がするので、当たり障りなく対応しておけばいいかと決める。


「ええ、どうぞ、私もパートナーが席を外している間に休憩中ですから」


 どっちでもいいという態度で勧めると、男はいそいそと席に座った。そうして始まるわ始まるわ自慢話と自分語りと無駄な薀蓄うんちく。最初は相槌を打つ気でいたが、途中から聞き流してにっこり作戦を決行する。


「これは我が社が直輸入しているものでね、甘いので女性にも人気が高いのですよ」

「へぇ…」


 そうして30分くらい経ったと思う。もはや相槌を打って相手するのも面倒だったので飲んでるフリして無言でいたのだが、既に飲みすぎてお腹いっぱいというか眠いというか、なんかふわふわする。

 というか辰さんいい加減遅いってば。大か、迷子か、どっちでもいいから早く帰りたいんですが。


「おや、私のパートナーはお楽しみのようでしたか」


 まるで大根役者みたいな調子のすっとぼけたセリフに、何の気なしに視線を巡らせて少し驚く。

 え、何いちゃこらした感じでどっかに立ち去ってるんですか。一応大事なパーティじゃないんですか

 目の前では緩くウェーブした明るい茶髪の女性が、日本人顔で白スーツか…という少し残念な感じの男性と何処かへ向かっているところだった。

 …というかパートナーとずっと一緒に居なくてもいいんかい! それならもしかして辰さんもとっくの昔にトイレなんか終わってどっかでいちゃこら……

 ほう?


「舐めとんのかい」

「え?」

「いえ、何でもないです。ちょっと風に当たってきますね」

「! 私もそうしようと思っていたところです。道案内致しましょう」

「ではお願いします」


 思わず地を這う重低音が零れたが、なんとか男に取り繕ってふつふつと腹の底へと押し隠した。だが見つけた瞬間悪即斬は決定である。我が練りに練った究極の急所殺しを発動させねばならない日が来るとは思いもよらなかったわ。まさかの変態用だったが、お披露目が契約とはいえ旦那とは…、急所殺しも報われまい。


 怒りの力からか足の痛みも感じずにバルコニーまで出ると、もう夜も深いのか冷えた夜風が頬を擽った。思いがけず熱くなっていた頬に当たり気持ちが良い。2階だったので、もう少し庭の様子を見たいとバルコニーの柵へと体を近づける。

 すると急に後ろから体が締め付けられた。


「きゃ!?」

「逃げんなよ、あんたもそのつもりで来たんだろ?」


 おめかしして髪を上げていた項に男の息がかかる。状況を理解した瞬間、体中を鳥肌が覆った。


「ば、かなこと言わないで下さい!! ふざけないで!」

 

 今こそ必殺技を!と、思いっきりまずは肘鉄を食らわせようと体に力を込めようと踏ん張るが、何故かふにゃふにゃと体が言うことを聞かない。焦る脳内とは裏腹に、男は息荒く服越しに体を触ってくる。男の手が乱雑に胸元や腹を撫でるだけで嫌悪感から目眩と吐き気がする。

 今までなら何とか出来てたのにッ

 自分でも訳が分からない程の混乱とくらくらした熱っぽさから目元が滲む。


「離してってば!!」

「はッ、無駄無駄、此処は人通りが全く――ガッ」


 ぐらぐらした視界で必死に大声を出して抵抗していた瞬間、虎の様な唸り声が聞こえた。次いで先程よりも力強く抱きしめられる。

 

「あ、かり! あかり! 落ち着け! 俺だ、大丈夫、もう大丈夫だから」


 まさかもう一人!? しかもさっきよりも強いしッ


「ふっざけんじゃないですよこんちくしょう! クソ野郎共め! こうなったら末代まで祟るなんて時間掛かることはしねえ! 社会的に残りの人生全部使ってでも必ずぶっ殺してや…――、って、た、辰さん?」

「おう、辰さんだ。だから社会的にぶっ殺す手伝いもしてやるから、まずは一端落ち着いてくれ」

「た、辰さん…?」


 更なる状況にパニック状態になっていた脳内に、不覚にも誰かを認識した途端すっと安堵が差し込まれる。力が入らないなりにこの力強い腕にも抵抗してた気がするが、声を聞いて駆けつけてくれたのだろうか。安堵の吐息と共に後頭部へと額を押し付けられて抱きしめられていたが、足元からうめき声が聞こえた瞬間にぼうっとした頭が覚醒した。


 こいつもギルティ


「あか――ぐッ、ちょ、ちょっと待て」

「何ですか、ヒーローは遅れてやってくるですか。いっちょ前にヒーロー気取りですかその悪役顔で。ざけんじゃねぇですよ、そもそも辰さんが遅いのが悪いに決まってるじゃないですか。危うく騙されるところでしたよ、そうやって女を落としてきたんですか、グルですか、このクズ野郎共め」

「ああ、俺が悪かった、悪役顔は地味にショッ―、いや、グルじゃない、そんなわけない、遅かったのは本当に悪かった」

「ごめんで済めば警察はいらねーんですよ、小学生ですら言ってるんですよこの野郎。私がピンチだったりこの変態の相手をしている間に辰さんは何してたんですか、ああん? トイレ中ですか、どんだけ長いんですか、言いふらしてやりましょうか、それとも迷子ですか、その年でですか、入場の時に俺に任せろ的な発言しといてそのざまですか、はん! それとも―、いちゃこらしてやがったんですか? ええ? 縁切りは覚悟の上ですよねぇ??」

「説明は必ずするから、一度家に帰ろう! 一端休め、体がふらついて」


 煩い障害物にもう一度エルボーを食らわして黙らす。そう、力がなければ人体の急所、ポイントを絞ればいいのだ。私は最近まで力に頼りすぎていたようだ、また鍛え直さねばならない。柔よく剛をせいすと言うではないか。

 ギラリと本能剥き出しでこの場の3人以外に唯一つっ立っていたウェイターへと視線を飛ばす。

 

「あなたでいいです、今すぐ私の鞄を持ってくるのですよ。近いから30秒で持って来て下さいね。え? 変態の仲間疑惑があるあなたに何か文句言う権利があると思いますか?」

「此処はあまり人が来ない場所で、お前を心配して一応あいつが呼びに来てくれたんだ」

「そうですか、ですが問答無用です。さあゴー!」

「っつう、何だってん…」


 ウェイターを走らせた瞬間、足元で男が起き上がろうとした。コツ、とヒールが堅いバルコニーの床で響く。


「おはようございます、変態さん。何か申し開きもとい謝罪の言葉がありましたら仏の心で聞き流してあげても宜しいですよ?」

「…聞き流すのかよ」

「辰さん? んで、謝罪は?」

「はッ、のこのこ着いてきたお前が悪いに決まって」

「はいギルティ」


 優しく仰向けにしてあげる。最初警戒していた男は、慈悲の微笑みにこの状況ですら呑気に鼻を伸ばした。後ろで辰さんが心配そうに身動ぎする気配がしたが、気にせず私は拳を握る。


「着いていくのが悪いとか、馬鹿は休み休みどころかずっと寝てればいいんですよッ」

「ふごッッっ」


 今日一日で磨かれた微笑みのまま正確に鳩尾へと正拳突き。威力が逃げないよう優しく体を床へと押し付けてあげていたので、男は白目を向いて一発で気絶した。


「よかった、何発もは手が疲れるし。変態の言葉で言うなら会う人会う人変態さんか疑えってことじゃないですかねぇ。でもお陰で経験を得られたし、今後の対策を考えさせたお礼として潰さずに置いといてあげますよ」

「…」

「只今お持ち致しました!」

「よくやったわ」

「ありがとうございます!!」

「…」


 ようやく静かになった辰さんへと鞄を渡し、ふらつく足元を叱咤しながら目当てのものを取り出した。


「うわぁ。別にお前がやらなくても全部俺が片付けるぞ?」

「土壇場しか役に立たなかった辰さんに言われても…」

「ぐ…」

「冗談です。借りは自分の手で返しておかないと気が済まないだけですから」


 パシャシャシャシャ


 ひとまず情けない姿だけでも証拠として撮らせてもらう。

 残すのも腹が立つが、少しは溜飲が下がるだろう。

 手ブレが面倒だったので気分で連写モードにする。



 後の辰は言った。

 あれは逆らう気力を無くすな、恨みを込めて無言無表情でひたすら連写ボタンを押す姿は、と







 それからを簡単に話そう。

 飲酒事件の犯人は辰さんが制裁してくれたらしく、それっきりだ。興味も既に無いからいいが。お酒は…、未成年だから飲酒はダメなのだが、それでも無防備だ考えろなどなどこんこんと説教された。理不尽だと思ったが大人しく反省しといてやった。代わりに遅かったのを責めるのはネチネチとしてあげたが。

 遅かった理由?しょーもないあれだ、予想?が当たったというか肉食おねーさんに捕まってたらしい。後は因縁あるお父さん方と。ほーへーという感じだが。もうお互いお疲れ様でいいよ。

 その後は自分のターンとばかりにマシンガントークを繰り出してたら意識を失い、翌日まで寝込んだ。若干過保護になったのが鬱陶しかったので、いつかの仕返しに病院行く?と言えば元に戻った。


 さて、そんなこんなで共同生活も半年に突入した。


「辰さんや」

「あー、なんだ」

「ウチのクソ親父の件なんですが」


 ガタと椅子が動く。最近気が緩んできてるのか、分かりやすくなっている気がする。まぁ可愛いんじゃないですか?

 お風呂でのぼせたので、だらしなくソファの背もたれにぐでーと頬を押し付けながら仕事中の辰さんを見やる。その反応、もしや既に知ってたんだろうか


「…、すまん、どうしてか居場所が掴めん。あかりが言っていた大物に囲われているのかと思って今はニューヨークの巨匠達に連絡を取っているが、どいつもこいつもネジが一本ズレた奴ばかりで…はぁ」

「そっちですか。大丈夫です、連絡取れたんで」

「は? …お前はどうしていつもいつも」

「向こうから急に来たんで私のせいじゃないですって」


 背もたれに手を掛けて振り向いてくる。すると何故か顔をしかめられた。なんだ、いいじゃないか家の中でぐらいだらしなくたって。辰さんの手が伸びて来て首元に掛けていたタオルが取られた、と思った瞬間犬猫を乾かすみたいにわしゃわしゃとタオルを被せられて拭かれる。


「あー、そこそこ、お上手ですね~」

「ちゃんと乾かせ。それで、お前の親父さんは何と言っていたんだ」

「それがですね、意外と上手くいけてるよん✩ あかりもこっちに来るかい? お話は通すよ✩だそうです」

「…そうか、まぁそういう理由なら会長も納得するだろ。最悪後ろ盾が得られずともなんとかなる、気にせず行けば――」


 意外と太い指の感触を心地よく感じていたが、何だか勘違いしている様子の辰さんの顔をふと見たくなった。

 

「辰さん変な顔ですね」

「お前、普通そこは俺の寛大な心に感謝して泣いて抱きつくところだろ。何処に貶す奴がいるんだ」

「そりゃ辰さんが勘違いしてるからですし」

「勘違い?」

「約束なんですから、1年間は一緒に居ますよ。それに、半年で会ったらクソ親父も反省しないに決まってますし、こうなったら当分顔合わさずにいてやる所存です。…あの辰さん痛いんですが」

「うるさい、乾かさないお前が悪い」


 見上げていた顔にべしりとタオルが当てられ、強制的にまたわしゃわしゃが続行される。乙女の髪は繊細なのだからもう少し丁寧希望なのだが、こりゃ大人しくしていた方が良さそうだ。

 ふむ、暗黙の内に丁寧にやれ!というのを伝えるにはどうすればいいか…


「辰さんの風呂あがりまで私が起きてたら、私もやってあげましょうか?」

「…もうお前ほんとやだ」

「失敬な」


 チッ、これだから敏い男はと思いながら本日も終了である。なんだかんだ毎日楽しいと言わんでもないよクソ親父。





「期末テストなんて滅びればいいと思いませんか」

「もうそんな時期か、一年なら専門はまだだろ? ふん、英語とフランス語の基礎じゃないか」

「おお、そういえばタツエモンが居ましたね」


 我が救世主タツエモンは色々と万能な様である。辞書代わりにもなってくれるので絶賛勉強時間の短縮中だ。


「というか字が小さいな、目が疲れる」

「辰さんその年で老眼ですか」

「パソコン作業で最近目が乾くんだよ」

「完全にブルーライトの魔の手に侵食されてるじゃないですか」

「うっせ」


 ちょうど私も集中力が切れてきていたので、冷蔵庫から自分用のカルピスと辰さん用のコーヒーを持ってくる。私は冬でも氷で冷やしたアイス派だが、辰さんは夏でもホット派だ。お互いに美味しいやらシャッキリするやらと主張を譲らず溝は深い。


「ん、助かる」

「はいはい」


 一服しながらのんびり消しカスを集めていると、辰さんがどこかへと立ち去って戻ってきた。


「片付けといていいですかね」

「いや、もう一杯飲むから置いといてくれ」

「眠れなくなりますよ…って、辰さんの眼鏡姿は初めてみました。老眼用ですか」

「くそ、だから掛けたくなかったのに」


 ひょっこり現れたのは眼鏡バージョンの辰さんである。最近では家の中ではオールバックも止めてラフな無造作ヘアーだったので、野獣系は薄れて切れ者インテリ系に様変わりだ。

 

「ほら、無駄口叩くなら手伝わんぞ」

「冗談です。インテリさんに見えます」

「おーおー」


 今では肩甲骨辺りまで伸びた髪をぐしゃぐしゃにしてくる。一応本心なのだが信じていないようだ。


「格好良いと思いますよ。ギャップ萌でモテモテですね」

「そうか」


 ヤッタネ!とハゲ教授分の媚びを売ったがぺしりと頭をはたかれるだけだった。

 ひどい男である。暴力反対


 結論だけ言うと後日のテストはまあまあ良かった。

 あと辰さんのドヤ顔がウザかった。

 




「辰さん冬ですね、寒いです。こんな日に記念日を持ってきた過去の偉人を恨む人間が居ても仕方がないとは思いませんか」

「過去の偉人もまさかそんな理由で怒られるとは考えなかっただろうよ。寒いならもう少し脂肪を付けろ。マシになったとはいえ微妙だ」

「はい、セクハラ発言頂きましたー、確かにそろそろミートテックを考えなきゃですね、主に辰さんと距離を取るために」


 ジングルベルと鈴が鳴る中、恋人たちの間を契約夫婦が歩いていく。昨日雪が降ったからか、ぎゅっぎゅっとブーツの下で音が聞こえる。

 

「お仕事は大丈夫なんですか、最近引き継ぎ云々で忙しそうですが。お爺さんとも囲碁をやる時間が減っていて少し寂しいですし」

「ああ、山は超えたから後は事後処理だけだ。最近は家に帰れてなかったから寂しい思いをさせて悪かったな。会長も同じことを言ってたぞ」

「そうですか、ちょっと嬉しいです。辰さんのは別に寂しくなかったですが」

「おい」


 これとかどうですかねと言い合いながらケーキを選ぶ。甘くて美味しくてカロリーも取れるというのに、辰さんは甘いのが苦手らしいので、買うのは一番小さいケーキだ。それでもホールサイズな時点で、既に父との5年に一回の誕生日会を超えている。なんてったってスーパーの1切れサイズを主役の私と分け合っていたからな!ドヤァ!クソ親父ドヤァ!


「これでいいのか? こっちのが甘そうだぞ」

「別に甘ければ良いっていうのじゃないんで。抹茶ならギリ大丈夫なんですよね」

「俺は教えてたか?」

「いえ、この前辰さんのお婆ちゃんとお母さんに聞きました」

「はあ!!?? だからお前はいつ!? なんで毎回!??」

「だから私のせいじゃないですって、向こうから乗り込まれたら仕方ないじゃないですか。というか辰さんの結婚話も早い段階からバレてたそうですし、辰さんはやっぱり微妙に役に立たないから自分の身は自分で守るしかないですし。ついでに言うと辰さんが会社とラブラブな時に来られましたよ」

 

 ぱくぱくと金魚みたいだ。試食のケーキを突っ込んであげた。むせた。これは苦手らしい。


「ッげほ、急には止めろこの馬鹿! それで、何かされたりは」

「馬鹿って言った方が以下略。この通りピンピンしてますって」


 そう言ってくるりと回転してみせる。この年で人前で回転させるとは、なんと罪深い男であろう。

 …、だからそんな顔しなさんな、不細工ですがな


「さて不細工な辰さんや」

「…初めて言われたぞ」

「私から言えるとしたら、もっと話し合った方がいいってことですよ。邪魔なもの全部とっぱらって、ね。という訳でもう一つケーキ買いましょう」

「は? いや待て、続きが分かったぞ、おい、今日は夫婦水入らずでと」

「グダグダうっさいです。男は度胸、ドントマインド、レッツゴー」

「…お前がカタコトの英語喋る時は大抵無茶ぶりだよな」


 ケーキを2個受け取ると1個を辰さんに取られる。ライトアップされた大きなクリスマスツリーの横を通り、首に可愛らしいハンカチを巻き付けた犬の像の前を通った。

 

「うわー雪が降って来ましたねぇ、寒いです、雪め!」

「情緒が無い奴だな」


 空を見上げて毒吐いていたら、くいっと右手を引かれた。右隣を見上げるが、態とらしく空を眺めている。


「…セクハラじゃねぇぞ」

「仕方ないですね、びびちゃった辰さんをカイロ代わりにしてあげます」

「…おう」


 ぎゅっと私よりも大きくて硬くて少し汗ばんだ手を握った。


「…月、綺麗だな」

「そんなこと考えたことありませんでした」

「はッ、お前らしい」


 ケーキを握ってる手は動かせないので、ぷらぷらと歩くのに合わせて大きく右手を揺らす。私もそっと月を見上げた。今日はどうやら満月で、兎さんもよく見える。


「まぁでも、私もこうして見る月は綺麗だと思いますよ」


 …はぁーーー


「辰さん? 急にしゃがまれると困るのですが」


 何故か離された左手で頭を抱えている。ケーキを気遣うのはいいが、大の男が道で夜中にしゃがんでいるという不信な状況を気にして欲しい。


「勇ましいのは知ってるが、婉曲でいった俺が女々しく思えるだろうが」

「? 意味は分かりませんが、辰さんがヘタレなのは結構前からバレてると思いますよ」


 なにわともあれ、二人で家に帰り、最終的には和やかにクリスマスパーティは終わった。ま、辰さんがヘタレ頑固だったのも悪いんでお相子なんだと思います。別に奥様ーズから可愛い可愛いと褒められたからじゃないですヨ?

 …これでしこりが取れて前向きに進めるならいいんじゃないですかね

 

 そうして時は過ぎて、この共同生活も残すところあと1日となった。





 ごろごろとソファに横になる。こじんまりした家だが家具はどれも一級品なので、このソファも座り心地転がり心地が最高なのだ。何度か寝てしまって怒られたこともある。

 辰さんは何故か無言だし、時折こちらをチラチラと見ては所在無げにペンを回している。

 仕事さっきから進んでないんじゃないですかね

 私はと言えばいつも通りごろごろだ。だがこれでも今日は誘いも全部キャンセルして、この日一日を開けておいている。

 ふむ、ヘタレさんに口火を切れというのは酷であろうか


「辰さん」

「…なんだ」

「案外地球が明日滅ぶって言われたら、今日と同んなじ行動を取るんだと思いませんか」


 ごろごろに飽き、いつかと同じように背もたれに顎を乗せて辰さんの背中へと声を掛ける。

 多分辰さんはいつも通り仕事して、私もいつも通りごろごろするんだと思います


「そうだな、だが、俺は自分が望んだ日常になるよう足掻くぐらいはするかもな」

「へぇ、意外ですね」


 真面目でヘタレで俺様で仕事人間の辰さんの返答を少し意外に思ったが、にやりと獲物を前にする様な笑みはその顔立ちによく似合っている。手に付かないと切り止めた仕事を置いて、今では癖みたいに頭を撫でてきた辰さんを見上げてそんなことを考えた。

 

 トゥルルルル


「ん、このタイミング的に父な気がします」

「いや、性格の悪い俺の一家かもしれねぇ」


 お互いに肩を竦めつつ、代表で私が先に取った。


「やっほー、お久し! ぼくぼく、ぼく、お父さんだよ!」

「詐欺は間に合ってますので」

「ちょ、待って!」


 どうやら賭けに勝ったのは私で、悲しくも我がクソ親父殿のようだった。


「で、あれ以来絵葉書が届くぐらいでしたが、一応健康ですか」

「大丈夫大丈夫、バリバリ元気✩ そっちは? 楽しかったかい? あかりと会えないのは、中々予想よりもクるもんがあったねぇ」


 いつもみたいに素っ気なく返してやろうと思ったが、思っていたよりも優しい声音にペースが乱された。クソ親父はクソ親父らしく元気にへらへらしてればいいのに。


「そっちが放り出した癖に何言ってんですか、一発は覚悟の上で顔見せに来て下さいよ。迎えに行くんで、場所を早く吐きなさい」

「えー、1年会えてないのに娘が冷たい気がする。そういや言ってなかったけどさぁ――」

「よっ、と」


 途中で相変わらずなクソ親父の声が途切れる。振り向けばぱっと受話器を取った辰さんがいる。


「初めまして、突然ですが、あかりさんと暮らさせて頂いている龍谷寺 辰と申します」

「ああ、こうして話すのは初めてだねぇ。あかりが殴りまくってお世話になってると思うけど、あれも愛情表現だから笑顔で受け止めてあげてね」

「クソ親父覚えてやがれ」


 拡声ボタンを押したのか、父の声がよく聞こえる。取り合えず2発追加な。


「ええ勿論です。可愛らしい愛情表現ですよね。そちらにも事情があったのだとは思いますが、こうして夫婦として彼女と暮らせて、俺は本当に幸せだと思います」

「おお、それは嬉しいねぇ」


 受話器を握ったまま辰さんが何故か射竦めるように私を見た。


「手も出るし口も悪いけど、それだけ自分一人で何でもやろうとする勇ましいところも、料理がマズイけど次からはちょっとずつマシにしてきて、俺の好みを覚えててくれるのも、何でもない顔して俺が長年抱えていた問題を解決するところも、ズケズケ言うところも何でも珍しいと喜ぶところもどれもこれも全部含めてあかりが好きです」


 はっ…と息が漏れた。一歩近づかれる。こんなことは想像していなくて、思わず目を見開いて固まる。だって、こんな可愛げのない貧乳で暴力的で平凡な見た目の女だ。利益がなければ選ぶ筈もなく、それこそ解放された今なら選り取りみどりになれる立場に辰さんは立てる筈で――


「俺は彼女を愛しています。ですから、離婚はしたくありません。お義父さんの所へ帰そうとも思いません」

「へぇ…、言うねえ。でもあかりを助けるどころか救われてる君如きが、あかりを幸せに出来るの?」


 その言葉に、辰さんはじっと私を見た。その目には此方の身を焦がしそうな程の強い意志と熱さが燻っている。

 こくりと喉が一つ鳴った。


「俺は必ずあかりを幸せにしてみせるから、どうかこれからも俺と一緒に暮らしてくれ」


 私は静かに既に辰さんの耳元から下ろされた受話器と辰さんを数度見比べる。そしてあの会場では全然緊張してなかった癖に、私の一挙一動を強ばった顔で見ている辰さんからすっと受話器を受け取った。


「出歯亀とか趣味が悪すぎますよクソ親父」

「んー? テレビでよくある娘は渡さんって、やっぱ一度はやってみたいもんだしねぇ。それで、あかりはどうするの?」

「私は…」


 背の高い辰さんを見上げた。すると腕を上げようとして我慢するみたいに下ろしている。此処で抱きしめでもしたら有利だろうに、フェアにこだわる所もいいんじゃないかと思った時点で私の心は決まっているのだろう。


「そろそろ親離れしようと思うんで」

「ありゃ、振られちゃったか。パパ今日はヤケ酒だなぁ」

「下戸がいっちょ前なこと言わないで下さい」


 減らず口を叩いた瞬間にきつくきつく抱き締められる。けど、あのお酒に酔った日の男とは違う安堵感をその腕に抱く。


「ちょ、何やってんの! 成人するまではまだ許さないからね! もう! これならやっぱり今日帰って連れ帰れば良かったかなぁ、はぁ」

「は?」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたので、ぺしぺしと腕を叩いて解いて貰う。大の男がしょげたドーベルマンみたいな顔しないで下さい。


「すいませんが、もう一回お願いします」

「ええ! 恥ずかしいなぁ、えへん、だから成人するまでは」

「その後です」

「俺にはそっちが大事だが…」

「辰さんうっさい」

「早速尻に敷かれてるねぇ」


「ま、白状しちゃうと元から今は帰る予定ないんだよね。少なくとも後1年はニューヨークに居なきゃいけなくなちゃったからさ、守ってもらえる辰くんの所にもう少し居てね✩って言うつもりで電話したの✩」

「…ふうん、ではさっきのは」

「うん茶番✩」


「先に言えやこんのくっっっっっっっそオヤジィィィィィィ!!!!!」


 アデューという言葉を残して切れた受話器へと吠える。絶対ズタボロのぼろ雑巾にしてやらぁ!

 なんか色々決心したさっきのは何だったんだ!と気炎を上げた私は、その日は口に甘いものを突っ込まれ、どうどうと言いたげな辰さんに大人しくしてろと布団に入れられた。まぁパソコンで飛行機のチケットを半眼で探していたから仕方ないのかもしれない。





 そうして私たちは地球の崩壊ならぬ結婚の破綻?日を無事乗り越えた。

 朝、お互いに挨拶して、ホットコーヒーを飲んだりアイスミルクを飲んだりするいつもの日常がまた続く。


「辰さん、なんと卵を割ったら黄身が二つ出てきました」

「どれ、得したな」

「どうやら辰さんも庶民感覚が身に付いてきているようですね」

「…俺は貧乏感覚に侵されてきているのか…」


 ひょいっと皿に滑らせていると、妙に近かった辰さんが背中から抱きついてくる。


「あの、近いというか邪魔なんですが」

「んー、まぁ両思いの夫婦なんだしいいじゃねぇか。新婚初日みたいなもんだろ?」

「はい?」


 何を言っているのかととんと不思議に思うまま首を傾げると、ピシリと辰さんが固まる。固まるのはいいが離してからにしてくれ。


「き、昨日俺はあかりに告白したよな? まさか夢オチだったか?」

「いえ、確かに聞きましたが…」

「じゃあその後お義父さんじゃなくて俺を選んでくれたと」

「そうですね」

「なら」


 ずいっとフライパンを辰さんに突き付ける。ホールドアップですよ辰さんや。

 父との日々を共に過ごした我が愛用のフライパンは、黒光りした無骨な見掛けが頼もしい。

 そうして私は挑むように笑ってみせた。


「辰さんが家からの圧力で従姉弟さんの手を取ったり、これを擬似的な家族ごっことして真実の愛を拾ってくる可能性もなくはないですよね」

「信じてないと?」

「ええ、正直、私は辰さんをそういう目で見てきてはなかったし、辰さんが私をそういう目で見ていたと知りませんでした。ですから辰さんが言った通り同居初日みたいな気分です」


 ゆらりとフライパンを揺らす。

 ええ、昨日した決心は、辰さんを一人の異性として見ること。そして例え途中で興味を失われたとしても1年間は傍らにいること。

 笑いかける私に合わせ、辰さんも挑み掛かるようににやりと犬歯を見せた。目が爛々と輝いている。


「なら疑う余地も無いくらい愛を示してやろう」

「先に言っときますが、クソ親父だけで暑苦しいのは勘弁ですので」

「ふん、そうすれば逃げる性格なのはもう知っている。だがあかりから溺れてくれる分にはいいんだろう?」

「まぁ期待しないでおきますよ。はい、出来たんで食べましょう」

「ああ、マヨネーズ取ってくれ」

「いい加減醤油味も食べてみて欲しいんですけどねぇ」

「口移ししてくれるならいいぞ?」

「はいはい」



「「いただきます」」



 いつもと同じ様で、いつもと少し違う朝が始まった。 

 さあ、今度はどんな1年となるだろうか、少し楽しみな自分が確かに此処にいる。

 どうやらこの日々はもう少し続くようである。



END





 




 


◆おまけ

「目玉焼きは大丈夫なのに何で卵焼きはダメなんだ」

「素直に美味しいと言った方が好感度が上がるかもですよ」

「…まぁ目玉焼きは上手くなったな」

「チョロインならぬチョーローとか誰得ですか」

「おい」




◆ユニーク200突破御礼

「あかり、ん」

「はい?って、シチュエーションもクソもないですね」

「やったらやったで寒いの一言だろうが」

「その通り…って、指にピッタリなのが怖いんですが」

「大きさぐらい見りゃ分かる」

「うわぁ」

「…チッ、だったら外せよばーか」

「はいはい、スネないで下さい。まぁ…、シンプルだし普段邪魔にはならないんじゃないですかね」


トネコメ「これでもデレてます(`・ω・´)キリッ」





◆ユニーク300突破御礼

「よし、遊園地行くぞ」

「面倒いです。炎天下に外歩きは自殺行為ですよ」

「あー、んじゃ映画でいい。動け、デブるぞ」

「ふはは、もうデブでもいい、このクーラーの下に居られるなら~」

「このアマ開き直りやがって」

「というか辰さん結構ノープランの行き当たりばったりな感じですよね。いつもの嫌味なくらいの計画性はどうしたんです? あれですか、夏休み満喫中の学生たちにあてられましたか。目の下に隈作るくらいなら大人しく寝て下さいな、大人だけに」

「才能皆無だな、逆に褒めてやろう。ほら、今日は一日オフにしたんだ、隈に免じて出るぞ。一応コースは映画で買い物でドライブだ。こういうのがいいんだろ?」

「そこをスルーして下さい。というかどこ情報ですか。さては辰さん女性雑誌から得ましたね。あれは女子力というパワーを武器に闘うリア獣が活用するものですから、私みたいなインドア派には向きませんよ」

「なに? んじゃ何処行きたいんだ」

 そう言いつつ、私が座っていたソファの隣に深く腰を降ろしてきた。背もたれに頭を乗せて疲れた様に目を揉んでいる。最初の贈り物もそうだが、そんなナリの癖に女の扱い方の知識が偏っている気がする。それともそれで喜ぶアクティブな女性が多かったんだろうか、辰さんの女性遍歴など詳しく聞いてないので分からんが。取り敢えずばかだなとは思う。

「ばかですね、辰さん」

「おい、心の声が漏れてるぞ。何故貶されなければならん」

「はいはい、んじゃTATUYA行きましょう。何処でもいいんですよね」

「いいが…、とことん引き籠もりやがって、もう知らん。水着の時に嘆け」

「地味に心にクリティカルヒットしました」

(´∀`)(´∀`)(´∀`)

「辰さんが選んだのクソつまらないんですが。何故3本目の大トリにこのB級ゾンビ映画を持ってきたんですか。主人公開始20分でゾンビキングになって最後宇宙侵略始めてるんですけど-―って、寝てますね」

 隣を見れば、眉間に皺を寄せソファに背を預けて眠っている。ソファで寝るなど珍しいので、よっぽど疲れていたんだろう。

 悪戯心でぐにぐにと眉間の皺を押す。唸っているが、最初は一応怖かったあのB級ゾンビにうなされているのだろうか、だとしたら笑ってしまうが。

「辰さ~ん、今日はまぁ私は楽しかったですよ。別に無理してどっか連れ出すとかしなくてもいいんで」

 聞こえてないだろうと知りつつ続ける。

「こんなんで十分なことも踏まえて、今度の連休の予定一緒に立てましょうや」

 ぐにぐにしていたのが効いたのか、ふっと辰さんが口元を緩める。脳内ゾンビが踊りでも披露しているのだろうかと思いながら、辰さんの隣で私も束の間うたた寝を決行するのだった。




トネコメ「遠まわしに『まぁ一緒なら大抵楽しいかもね、だから辰さんも一緒に楽しめるやつにしよーや』って言ってます。分かりにくいですね!素直じゃねーな、オイ(ノ∀`) 取り敢えず作者は『お前らがリア獣じゃない、だ、と…?』と思ってましたまる_(:3 」∠)_

 こんな感じで二人は続いていけばいいなと思います(*´∀`) 

 ここまでお読み下さりありがとうございました。ではでは(´ー`)/~~」


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