二
「畳が汚れるのはいややし、毒殺がよろしおす」
千がキセルを燻らしながら恐ろしい提案すると、石川は少し考え、腰の刀に問い掛けた。
「んー、どう思う?猩々丸」
千も、この妙な茶番にはウンザリしているようで、顔をしかめて天を仰いだ。
「猩々丸はなんて言うたはんの?」
「まどろっこしい。帰ってきたトコを斬り殺して、押し入れに隠してる金を持ってさっさと逃げよう、とさ」
石川には名刀・猩々丸の声が聴こえているらしい。
「おいおい…」
「押し入れに隠してる金」という言葉を聞いて、瀬山は思わず後退った。
しかし、そこで運悪く膝をついた場所が腐っていたのか、乾いた音がして、
床の羽目板を踏み抜き、胸から下まで、すっぽりと床下へ落ち込んでしまった。
肩が根太につかえて、身動きもできない。
女は押し入れの物音を気取られまいと、わざとらしく大きな咳ばらいを入れてごまかした。
「バレたらどないしはるつもりどす。きっと追手がかかりますえ?」
「おいおい、ナメんなよ。俺ぁ新選組だぜ?奉行所の捕吏なんかモノの数に入らん…」
石川はそう嘯いたが、さすがに今の物音に勘づかぬわけがなかった。
彼はゆっくりと立ち上がると、抜き足差し足で押し入れへと歩み寄る。
その手はすでに、愛刀の柄にかけられている。
口の前に人差し指を立て、千にニヤリと微笑みかけて合図を送ると、押し入れの手を掛かりに指を添わせる。
「…そんなもん、皆殺しにすりゃあいい!」
「あ」
千が止める間もなく、石川はそのまま勢いよく襖を開け放った。
夏の午後の陽光が、暗い押し入れの中に容赦なく差し込む。
奥の暗闇に、男の顔だけがボンヤリ浮き上がっていた。
「ぎゃあああああああああああああ!!!!いやあああああああああ!!!」
石川は悲鳴をあげて飛び退き、それから腰を抜かした。
対する瀬山は開き直って、顔だけで威嚇した。
「ぶ、無礼者お!!」
千は石川に冷ややかな視線をくれた。
「…あんたも気が小そうおすなあ」
石川は、ようやくそれが同期の隊士であることに気づくと、恐々押し入れに這い寄った。
「お、お、おまえ、瀬山か?」
「石川あ!きさま、どういう了見だ!人の女に手を出しやがって」
「どの口が言ってるんだ。てか、おまえこそ、なんでそんなとこから顔出してる」
「なんで?なんでって、これはつまり、おせんの趣味だ」
「嘘つけ!おせん、これはどういうことだ?!」
石川は、千に詰め寄った。
「どういうて、おふたりはご同輩どすやろ?」
千はさらりと答える。
「なんで俺の同輩が此処にいるのかと訊いてるんだ!」
「いややわ。おぼこいこと言いないな。そんなん、石川さまと同じ、おともだちに決まってますがな」
彼女のいう「おともだち」の意味は、推して知るべしである。
「お、おまえには貞操観念というものがないのか」
千は眉間に小さな皺を寄せた。
「あー…石川さまは、そういうアレどすか?」
「ど、どういうアレだというんだ!もういい!…てめえ、瀬山!おせんと寝たのか?」
千があまりに堂々としているので、鼻白んだ石川は、矛先を瀬山に向けた。
瀬山はなぜか妙な余裕を見せて、
「さあな」
とはぐらかした。
「くそお!てめえひとりいい思いしやがって!俺だってまだ…!」
石川が瀬山の総髪をグイグイと引っ張って喚くなか、
千はひとり落ち着き払って、火鉢に掛けた鉄瓶を持ち上げた。
「もうバレてしもたんやさかい、多喜さんもいつまでもそないなとこに居らんと、石川さまとお茶でもどないえ?」
瀬山はひと仕切りもがいてみて、首から下がビクともしないことを確かめた。
「見ての通り…抜けない」
「じゃあ俺がお茶をご馳走してやる」
石川は茶碗を掴むと、瀬山の口に無理やり流し込んだ。
「あぶ、あぢ、あっぶ…!」
「あはははは!!」
「てめえ!なにしやがんだ、この野郎!」
石川は一しきり笑うと、愛刀の柄を撫でながら、千に向き直った。
「浮気のことはひとまず置いといて、こいつに聴かれたんだぞ?さっさと殺しちまおう」
「そうどすなあ」
千は顎に中指の先を添えて、考え込む。
「こらー!勝手に決めるな。こうなったら、正々堂々、剣で決着を付けようじゃないか」
瀬山の必死の抗議にも、石川は取り合う気はなかった。
「バカかおまえ。なんで俺が、わざわざそんな賭けに乗る必要があるんだ」
「き、汚いぞ」
「は?今さらその言い草には無理があるな。おまえだってどうせ京に一山当てにきたクチだろ?あんな禁欲生活にウンザリして人妻に手を出したんじゃねえのか?」
「おれには、尽忠報国の志がある!これはあれだ。英雄色を好むというじゃないか」
苦しい言い訳。
「なにこいつ、暑さで変なこと口走り出したぞ。ヤバいよ猩々丸」
「ヤバいのはオマエだ!!」
「…重症だな。おせん、そこの御膳を持ってきなさい」
「はあ?」
千は怪訝な顔をしながらも、朝食の残り物が載った膳を石川の方へ押しやった。
石川は皿の上のメザシを摘まみあげると、瀬山の両鼻にメザシの頭を突っ込み、下唇で突っ張った。
「その顔でもう一回おんなじこと言ってみろ」
「貴様ー!」
と、その時である。
「ごめん!」
玄関口に第三の訪問者が現れた。
「誰か来はったわ」
千が腰を浮かした瞬間、その来客は間男たちにとって最も聞きたくない名を告げた。
「会津中将お預かり、新選組だ」
沖田総司の一番隊に違いない。
さらに別の声が続く。
「お留守っすかー?」
新選組の中でも特に冷酷な暗殺者として知られる大石鍬次郎だ。
「ヤバい。裏からズラかろう」
石川が真っ青になって出口を探す。
「多喜さんは、どないしはるん?」
「そんなもん、置いていけ!ありゃ人斬り鍬次郎って物騒な男の声だ」
「待へ!待へ待へ待へ!」
「はあ?なんて?」
石川は苛立ちまぎれに瀬山の下唇からメザシを引っこ抜いた。
「お、俺を置いていく気か?」
焦る瀬山を後目に石川は冷たく言い放った。
「なんでお前を助ける義理がある」
「お前はそうかもしれんが、おせん!お前は違うよな?な?な?」
救いを求める瀬山に、千は困ったように小首を傾げてみせた。
「うち、どっちゃでもよろしわ。堪忍え?」
万事休して瀬山はとうとう開き直った。
「この際ハッキリしよう。おせん、どっちか選べ!」
石川は心底あきれたように鼻で笑った。
「いまそれを聞くのか?そんなもん、猩々丸に聞くまでもない。押し入れの穴に嵌ってない方に決まってるだろ」
「そやなあ。ゆっくり構えてる時間もおへんし、ほな、そないしよかしら」
千はあっさり同意した。
「じゃそういうことで」




