危険なルームメイトと、サバイバル
私は彼を疑っている。
彼はきっと──いや絶対に、スパイだ。
「あら。今日は早かったのね。おかえりなさい」
男の声に出迎えられ、この生活は一体どれくらい経ったんだろう、と思わず考えた。
兄が突然海外から持って帰ってきた「おみやげ」──タナ子ちゃんは、筋肉質な身体をきゅっと縮めてキュートなポーズで迎えてくれる。長いクルクルの髪は、今日はポニーテールだ。
「ただいま、タナ子ちゃん」
「今日はねー」
「カレーでしょ。匂いでわかる」
「あらあ。金曜まで頑張ったご褒美よん!」
バチンとウィンクを寄越される。
思わず何も言えなくなるほど、完璧に。
私はいつになったら、兄との関係を聞けるのだろう。
所在不明の兄。
怪しすぎる兄。またどこかの国に行っているんだろうけど、タナ子ちゃんなら知っているのだろうか。
「……」
タナ子ちゃんの部屋の前で、足を止める。
この扉の向こうは、黒い配線が床をヘビみたいに覆い尽くし、パソコンがいくつも並んでいて、無線があって、引き出しには銃が──
「手を洗ってらっしゃいよお」
「……はあい」
マッチョなオネエには逆らうべからず。
やたら本格的なカレーを出すのかと思いきや、タナ子ちゃんの作るカレーは庶民的だ。
というか、実家の味だった。
正体不明の男が、私の実家と寸分変わらぬ味を提供する恐怖も、もう慣れた。そんなことよりも尽きない好奇心が私を捕まえるのだ。
ふと、テレビが目に入る。
「タナ子ちゃん」
「んー」
「タナ子ちゃんは、無人島に一つだけ持っていけるなら何を持っていく?」
はあ? と書いた顔が、テレビの話題に気づいて、明るい笑顔に変わる。
「衛星電話よ、もちろん」
普通は一発目で出てこない単語だ。
けれど、タナ子ちゃんは私の顔を見て、にやりと笑う。まるで「ほら、こう答えてほしかったんでしょ」と遊ぶような目だ。
「あんたは? 何を持って行くの? 同じのはダメよお」
「タナ子ちゃん」
「何?」
「だから、タナ子ちゃん持っていく」
タナ子ちゃんは美しい顔をきょとんとさせて、笑い出した。
「あっはっはっは。そうきたか!」
「だってタナ子ちゃんがいてくれたら、サバイバルなんてお手の物でしょ」
「ええ? どうかしらねえ?」
笑っていた顔が、次の瞬間には艷やかな笑みを浮かべる。
「……あんた、男と二人っきりで大丈夫?」
ひくりと喉が締まる。
それをたっぷり見つめて、タナ子ちゃんはおかわりへと向かう。
なるほど。
この暮らしのほうが、よっぽどサバイバルらしい。




