アフターエピソード 2
それから、季節はいくつか巡った。
大阪の夏は容赦なくて、
マリーは最初の頃、湿った空気に少し戸惑いながらも、
ベランダに出ては洗濯物を干し、
「今日は雲が低いわね」なんて、ささやくようになっていた。
朝は、約束通り。
「マリー、おはよう」
その声に、
「……おはよう、優」
と答えるのが、毎日の始まりになった。
それだけで、
彼女は今日も“ここにいていい”と確信できた。
ある日の午後。
小さなキッチンで、マリーはマグカップを握ったまま立ち尽くしていた。
「……優」
声が少し、震えている。
「どうした?」
「……病院、行ってきたの」
優は一瞬、言葉を探したが、
マリーの表情を見て、すべてを察した。
「……結果、出た?」
マリーは、ゆっくりとうなずいた。
「……ええ」
胸元の青いペンダントが、わずかに揺れる。
「……わたし、お腹に……命があるって」
部屋の空気が、静かに変わった。
優は、何も言わずに近づき、
マリーの手を両手で包み込んだ。
「……怖い?」
マリーは、少しだけ首を振る。
「不思議なの。
怖いはずなのに……
それ以上に、“帰ってきた”って思えたの」
彼女は、優の胸に額を預けた。
「わたし……もう、ひとりじゃないのね」
優の喉が、かすかに鳴る。
「……ああ。
俺たち、もう三人だ」
マリーの目から、静かに涙が落ちた。
「……ねぇ優。
この子も、きっと……あなたを覚えているわ。
最初から」
優は、そっと彼女の背中を抱いた。
「大丈夫だ。
忘れない。
俺が全部、守る」
夜。
ベッドの上で、マリーは優の手を自分のお腹に導いた。
「……まだ、何も感じないでしょう?」
「ああ。でも……」
優は、確かにそこに“未来”を感じていた。
「ここに、ちゃんといる」
マリーは、安心したように微笑む。
「……ねぇ。
もし、この子が大きくなったら……
大阪の街を、三人で歩きたいわ」
「たこ焼き屋、全部制覇だな」
「ふふ……きっと、幸せね」
消灯後。
マリーは優の腕の中で、静かに目を閉じる。
「……優」
「ん?」
「ありがとう。
わたしを、日常に連れてきてくれて」
優は、彼女の髪に顔を埋めた。
「俺のほうこそ。
帰る場所を、くれた」
窓の外で、遠く電車の音がした。
それはもう、別れの音ではなく――
未来へ向かう、いつもの生活音だった。
マリーは、そっと囁く。
「おやすみなさい……
あなたと、あなたの未来へ」
「おやすみ。
俺たちの家族」
その夜、
青いペンダントは、
新しい命の鼓動と同じリズムで、静かに揺れていた。
――END




