女子バレー部主将のスパルタな恋愛事情
「はぁ〜……終わったぁ……。今日のシート練、鬼すぎでしょ……」
ロッカーの扉にぐったりと背中を預けたのは、副主将の美咲だった。タオルで乱暴に汗を拭いながら、長い黒髪をかき上げる。
その隣で、リベロの後輩である莉子が「本当に…。腕、もうパンパンですぅ」と、自分の両腕をさすりながら可愛らしく顔をしかめた。
そんな二人を横目に、主将である私は、冷静に練習着を脱いでいた。
陽菜、大学三年生。この女子バレー部の主将を務めている。今日の練習も、主将としてチーム全体に檄を飛ばし、誰よりも声を出し、最後まで集中力を切らさずにメニューをやり遂げた。その心地よい疲労感が、今は全身の筋肉をじんわりと支配している。
「二人ともお疲れ。でも、あのくらいでへばってたら、秋のリーグ戦は勝ち抜けないわよ」
「うっ…主将の正論パンチが痛い…」
「陽菜さんは全然疲れてないみたいですね。すごい体力…」
莉子が尊敬の眼差しを向けてくる。もちろん、私だって疲れている。けれど、主将という立場は、弱音を吐くことを許してくれない。それに…今の私には、この疲労感すらも心地よいスパイスに感じられていた。
なぜなら、この後に控える『特別な時間』が、私の心と体を奮い立たせているからだ。
(…あの子、ちゃんと反省してるかな。足、痛くなってるだろうな…)
脳裏に浮かぶのは、二つ年下の彼の情けない顔。
私の部屋で、硬いフローリングの上にちょこんと座り、私の帰りを今か今かと待ちわびているであろう姿。そう考えただけで、口元が緩みそうになるのを必死でこらえた。
彼が私の家に着いた、とLINEのメッセージが届いたのは、練習が終わるちょうど一時間前のことだった。
『着きました。ごめんなさい』とだけ書かれた短い文面。私はそれに『わかってるなら、私が帰るまでリビングの中央で正座して、何が悪かったか考えておくこと。約束、破らないでね』とだけ返信し、スマホの電源を切った。今頃、痺れる足を必死で我慢しながら、時計の針の進む音だけを聞いているに違いない。
「…なによ陽菜、ニヤニヤしちゃって。気持ち悪い」
鋭い美咲のツッコミに、ハッと我に返る。いけない、思考が漏れ出ていたようだ。
「別に。今日の練習の反省点でも考えてただけ」
「嘘おっしゃい。ぜーったい彼氏くんのことでしょ。その顔は」
「さあ、なんのことかしら」
しらを切って、スポーツブラのホックに手をかける。鏡に映る自分の背中は、バレーで鍛え上げたしなやかな筋肉が走っている。この体でスパイクを打ち、レシーブをし、そして…悪い子にお仕置きをするのだ。
「陽菜さんの彼氏さんって、どんな人なんですか?私たち、まだちゃんとお会いしたことなくて」
莉子が純粋な好奇心で尋ねてきた。彼女は一年生で、私が彼と付き合い始めた頃にはまだ入部していなかった。
「んー、そうねぇ…」
どんな人か、と問われると少し言葉に詰まる。どう表現するのが正しいのだろうか。
「一言で言うなら、大型犬みたいな感じかな」
「わんちゃん、ですか?」
「そう。人懐っこくて、素直で、ちょっとおバカで。私が『待て』って言ったら、ちゃんとお座りして待ってるような…可愛いわんこ」
私の言葉に、莉子は「わー、素敵です!陽菜さん、愛されてるんですねぇ」と目を輝かせた。純粋な後輩の反応が微笑ましい。しかし、隣の美咲は、私の言葉の裏にある棘を敏感に感じ取っていた。
「…その言い方、なんか引っかかるんだけど。陽菜、アンタまさか…彼氏くんのこと、本当に犬みたいに扱ってないでしょうね?」
「あら、心外ね。ちゃんと愛情は注いでるわよ。ただ…」
言葉を切り、新しい下着を手に取る。昨日、彼が勝手に触ろうとした、黒いレースのそれだ。
「昨日ちょっとね…。いけないことしたから、今お仕置きの最中なの」
「お仕置き!?」
「わ、悪いことしたんですか…?」
莉子が小さな悲鳴を上げた。美咲は「でたよ、陽菜の女王様モード…」と額に手を当てて天を仰いでいる。
そうなのだ。私は、お仕置きが好きだった。特に、悪いことをした彼を、心ゆくまで躾ける時間が、何よりも好きだった。そして彼は、そんな私のお仕置きを、涙目で受け入れるのが常だった。
昨日の事件は、本当に些細なことだった。私がシャワーを浴びている間に、彼が私のクローゼットに忍び込んでいたのだ。それも、少し過激なデザインのブラジャーを手に取って。
シャワーから上がった私と鉢合わせた時の、彼の凍りついた顔。その「やっちゃった」という表情を思い出すと、怒りよりも先に呆れた笑いがこみ上げてくる。
もちろん、ただ笑って許すような私ではない。
『人のものに勝手に触っちゃいけません、って言ったわよね?』
そう言って冷たく微笑むと、彼は子犬のように体を震わせ、顔を真っ青にしていた。そこから、長い長いお説教と、第一ラウンドのお仕置きが始まったのだ。
得意技は、おしりペンペン。
バレーボールで鍛え上げた私の掌は、そこらの男性よりも力強い。その手で、彼の丸いお尻を真っ赤に染め上げていくのが、たまらなく好きだった。泣きながら謝る彼を、さらに追い詰めていく瞬間の高揚感。
…とはいえ、本気で痛めつけたいわけじゃない。これはあくまで、言葉だけじゃ伝わらない時に、体で「これはダメなことなんだ」とわかってもらうための、私たちのコミュニケーションの一つなのだ。
「…で?昨日は一体どんな『しつけ』をしたわけ?彼氏くん、今日ちゃんと大学行けたの?」
美咲がニヤニヤしながら核心を突いてくる。この親友は、私の特殊な性癖をある程度理解している数少ない人間だ。
「さあ、どうかしら。でも、まだお仕置きは終わってないのよ。今日もこれから、続きがあるから」
「はぁ!?まだ終わってないの!?昨日あれだけ絞られたんじゃないの!?」
「当たり前でしょ。昨日はあくまで前哨戦。本番は今日よ」
「陽菜も厳しいわねぇ。もう許してあげればいいじゃない」
「だめよ。約束はちゃんと守らせないと、あの子のためにならないから。それに…私が本気で怒ってるってこと、わかってほしいし」
私が平然と言い放つと、莉子が「ひ、陽菜さん…。彼氏さん、一体どんな悪いことを…?」とおずおずと聞いてきた。
「ん?そうね…『女の子の大事な秘密の場所に、許可なく侵入しようとした罪』、とでも言っておきましょうか」
「ひみつのばしょ…!?」
莉子の顔がみるみる赤くなっていく。純粋な後輩には少し刺激が強すぎたようだ。美咲は腹を抱えて笑っている。
「あんた、言い方!莉子が勘違いするでしょ!」
「勘違い?別に間違ったことは言ってないと思うけど」
クローゼットは、女の聖域だ。それを土足で踏み荒らしたのだから、相応の罰を受けてもらわなければならない。
着替えを終え、制汗スプレーを体に吹きかける。火照った体に、ひんやりとした感触が心地いい。
スマホの電源を入れると、ロック画面に数件の通知が表示されていた。すべて、彼からのものだ。
『まだですか…?』
『足が…もう限界です…』
『本当にごめんなさい。もう二度としません』
メッセージを見るたびに、胸の奥がキュンと高鳴る。可哀想に。でも、自業自得だ。私が許すまで、彼はそこから一歩も動けない。
「…あーあ。こんなメッセージ送ってきて」
思わず声が漏れると、隣の美咲が「なになに?」と画面を覗き込んできた。
「うわ…ガチじゃん…。あんた、ほんと鬼だね…。」
「陽菜さん、もしかして…彼氏さん、今もどこかで待ってたりするんですか…?」
「ええ、そうよ。私の家で、もう一時間以上も前から、ずーっと正座して待ってるわ」
「「い、一時間!?」」
美咲と莉子の声が、更衣室にきれいにハモった。
「正座で!?フローリングの上で!?」
「うそでしょ…足、壊れちゃいますよ!」
二人の驚愕した顔が、なんとも愉快だった。
「年上彼女として、締めるところはきっちり締めないとね。それに、彼は私がどれだけ本気で怒っているか、その時間で身をもって理解するべきなのよ」
そう言うと、私はわざとらしく大きなため息をついてみせた。
「まったく…本当に手のかかる子なんだから。私がいないと、何もできないんだから」
その口調は呆れたものを装いながらも、その実、優越感と支配欲に満ち満ちていた。彼が私に依存し、私の許しがなければ何もできない状態にあること。それが、私にとっては何よりの快感だった。
「陽菜は不器用だからねぇ。愛情表現がスパルタすぎだよ」
「そう見える?」
「見え見えよ。彼氏くん、可哀想に。南無阿弥陀仏」
「莉子も、あんまり陽菜さんの恋愛観、参考にしちゃだめよ。特殊すぎて怪我するから」
美咲の忠告に、莉子は「は、はいぃ…」とこくこくと頷いている。
帰り支度を終え、バッグを肩にかける。
「じゃ、お先に。私はこれから『特別練習』があるから」
「はい、お疲れ様です!特別練習、頑張ってください!」
莉子が元気よく敬礼する。彼女はきっと、自主練か何かだと勘違いしているのだろう。
「彼氏くんによろしくねー。せめて、明日は歩けるようにしてあげなさいよ」
美咲が茶化すように片手を上げた。
更衣室のドアノブに手をかける。
「善処するわ」
そう言い残し、私は一人、仲間たちに背を向けた。
体育館から吹き抜ける涼しい夜風が、火照った頬を撫でていく。空には、細い月が浮かんでいた。
私の頭の中は、これから始まる甘くて厳しい『お仕置き』のことでいっぱいだった。どんな風に泣かせてやろうか。どんな言葉で謝らせようか。そして、真っ赤に腫れ上がったお尻に、最後にどんなご褒美をあげようか。
でも、そんな意地悪なことを考えている一方で、呆れながらも、どうしようもなく愛しい彼のことを思い浮かべている自分もいる。
怒っている気持ちと、会いたい気持ちが混ざり合って、胸がきゅっと苦しくなる。
私は、愛しい彼が待つ家路を、自然と駆け足で急いでいた。