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「高嶺の花」は、僕の知らない顔を持っていた。場所は、まさかのコスメ店で

作者: 夕羽 燦

 何度も頭の中でシミュレーションして、ようやく覚悟を決めた僕は、ついにその(化粧品専門店)の扉を開いた。

 ドアを押し開けた瞬間、ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐる。……けれどその香りは、不思議と僕の緊張を和らげるどころか、さらに鼓動を早めさせただけだった。


「いらっしゃいませ」


 笑顔の店員さんが声を掛けてくれる。けれど僕は、この場所に完全に場違いな存在である気がして仕方なかった。だって、十六年間生きてきて、一人でこんなお店に入るのは初めてなんだ。

 以前なら母さんを待ちながら、この店の前でぼんやり時間を潰したことはあった。けれど今回は違う。完全に僕一人で、プレゼントを選ばなきゃいけないのだ。

 贈る相手には(スキンケア用品)を考えていた。ネットで色々と調べてもきた。だけど――目の前に並ぶ何十種類ものブランドや細かな商品説明に、頭がぐるぐるしてきてしまう。


 本当は、店員さんにおすすめを紹介してもらえるのを期待していた。正直、ネットのレビューだけじゃ大切な人に使ってもらうのは心配だから。

 だけど、どうしてだろう。母さんが来た時にはすぐに声を掛けてくれるはずの店員さんたちが、今日は誰も近づいて来ない。視線は感じるのに、まるで「学生の男なんか買うはずない」とでも思われているみたいで。


(……くそっ、やっぱり他人に頼るのは駄目か)


 仕方なく、自分で候補を探すことにした。

 僕はネットで見かけたブランドの商品をいくつか手に取り、裏面の成分や説明を食い入るように読んでいく。


 調べた限りだと、今の彼女への贈り物には(化粧品)、正確には(化粧水)が一番適しているらしい。

 だって、最近彼女が母さんのドレッサーを何度も覗き込んでいたのを僕は見てしまった。特に母さんが出掛ける前に軽くメイクをしている姿を、じっと見つめていたのだ。だからこそ――喜んでもらえると思って、このプレゼントを決めた。

 そうして何本かの化粧水を手に取り、成分や特徴を見比べていた時。ようやく一人の店員さんが僕の前にやってきた。


「お待たせして申し訳ございません、お客様。他のスタッフが対応中でして……。あの、もしよろしければ、どのような商品をお探しか伺っても?」


 声を聞いた瞬間、胸の奥に妙な既視感が広がる。けれど今はそんなことを気にしている場合じゃない。一週間後には誕生日が迫っているのだから。のんびりしている時間なんて、もうない。


「い、いえ、大丈夫です。実はこの化粧水についてお聞きしたくて。ネットで評判を見たんですけど、実際どうなのか……え?」顔を上げた僕は、息を呑んだ。


「もしかして……朝霧……光さん!!」


 よりによって――同じクラスの彼女だった。

 僕はただの男子高校生。見栄だってあるし、クラスの誰にもこんな店に来ている姿なんて知られたくなかった。だからこそ、わざわざ学校から数駅も離れた商店街まで足を運んだのに。

 なのに、よりによってここで!


「……えっと、私たち、知り合いでしたか? あ――あなた、結城悠人君ですよね?同じクラスの。いつも本を読んでいて、この前の中間試験で学年一位を取った、あの結城君で間違いありませんよね?」


「…………っ!」


 やっぱり……間違いなく彼女だった。

 どうしてだ。どうして、こんなに学校から離れた場所で、同じクラスの女子に遭遇するんだ。しかも――クラスで一番綺麗で、一番人気のある朝霧光に。

 それよりも……なんで彼女は僕のことを覚えているんだ!?


 確かに、僕は反射的に名前を呼んでしまったけど。まさか彼女の方まで、僕のことを……?

 クラスで特別目立つわけでもなく、友達も数人程度。外見だって中の上くらい、身長だって平均の一七二センチ程度だ。そんな僕を――どうして朝霧光が覚えているんだよ……!


「……そんなに驚いた顔をして。結城君、もしかして私があなたを覚えていないと思ったのではありませんか?」


「な、なんで僕がそう考えていたって分かるんですか、朝霧さん。」


「結城君は覚えていないかもしれませんけど、念のために確認しますね。今回の中間試験、二位が誰だったか知っていますか?」


「いや、知りませんよ。僕、そんな順位とか全然気にしてないですから。でも……わざわざ二位って言うくらいですし……まさか朝霧さん?」


「ふふん。さすが(全方位の天才)と呼ばれる結城君、正解です。」


(やめてくれぇぇぇぇ!!)

 なんでよりによって、その恥ずかしいあだ名を朝霧さんの口から聞かないといけないんだよ!?あれは僕の友達のバカ共が勝手に言い出しただけなんだってば!!


「い、いやいや!僕は全然天才なんかじゃないですから!誤解しないでください、朝霧さん!」


「ふふっ、ちょっとした冗談です。気にしないでくださいね。それより――結城君が、わざわざこんな遠いところまで化粧品を買いに来るなんて。ふふ〜ん」


 や、やめてください!!そういう目で見ないでください!!僕はただ、その視線が耐えられなくて……だから一人でこんな遠くまで来たんですってば!!


「ち、違いますからね!朝霧さん!この化粧水、ぜっ、絶対に僕のためじゃありません!こ、これは……その……そう!妹にあげるためのプレゼントです!僕が使うものじゃないです!!」


「……ふ〜ん。本当に?」


 その疑い半分、面白がるような目に、僕は思わず冷や汗が滲んだ。だめだ、本気で誤解されたら困る!!


「ほんとですよ!来週は妹の誕生日なんです。今年十三歳になるんですけど、最近やたらと化粧に興味を持ち始めて……だから今年のプレゼントにしようと思っただけです!他に意図なんてありません!!」


 必死に説明したはずなのに、彼女はなおも少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、僕の手にしていた化粧水を指先で示してきた。

 僕が知る限り、朝霧光はクラスの“女神”だ。いつも凛として冷たく、男子には一切の隙を見せない――まるで「鑑賞用にしかできない氷の女王」と呼ばれているくらいなのに。

 なのに今の彼女は、まるで人の反応を楽しむみたいに、僕をからかってくる。


「……まあまあ。そんなに必死に否定しなくてもいいんですよ。今は令和時代ですから。男の子が基礎的なスキンケアをしていても、何もおかしくありません。私はただ驚いただけです。結城君が化粧に興味を持つなんて思いもしなかったので。だって――もう半年近く隣の席なのに、一度も私に話しかけてきたことがありませんでしたから。だから、てっきり女の子に興味がないのだと思っていました。」


「そ、そうですか……。す、すみません。僕、本当に朝霧さんが隣だって気付いていませんでした。」


「ええ、分かっていますよ。だって結城君は、いつも休み時間に本を読むか、宿題をしているだけですから。周りのことに無頓着なのは見ていればすぐ分かります。」


「……朝霧さんって、僕のことよく見ていたんですね?」


「もちろんです。だって、あなたの隣は本当に静かなんですもの。結城君が黙って本を読んでくれているおかげで、他の男子が入れ替わりで座ってきて私を煩わせることもありません。だから……隣が結城君で、私は安心できているんですよ。」


 ……安心。

 その一言が胸の奥に引っかかって、強く締め付けられる。

 さっきまで「バカにされるんじゃないか」と冷や汗をかいていた緊張が、別の意味での緊張に変わっていく。だって――彼女は学校では誰に対しても冷たい“氷の女王”なのに。

 どうして今、僕にだけ、こんなに距離を縮めてくるんだ……?

 頬がじんわり熱くなっていくのを自覚する。……きっと顔まで赤くなっているに違いない。

 朝霧さんにこの気持ちを悟られたくなくて、僕は慌てて首を振り、頭の中の変な考えを振り払った。


「そ、その……お褒めいただいてありがとうございます? でも、あの、この化粧水について少し伺ってもいいですか? 実はちょっと時間がなくて……。二時間後にはアルバイトがあるので、早めにプレゼントを買ってしまいたいんです。」


「――あ、ごめんなさい。今すぐ紹介しますね。何か特別にお探しのものや、ご質問はありますか?」


「えっと……僕の妹はまだ化粧なんて全然したことがないので、シンプルに化粧水だけでいいかなと思ってるんです。調べたら“若い女の子には化粧品を使わせない方がいい”って書いてありましたし……肌の成長に悪影響があるって。」


「そうですね。十三歳の女の子なら、まだ化粧はしない方がいいと思います。若いですし、基本的なスキンケアだけで十分です。ただ――化粧水だけではお手入れとしては不十分なんですよ。」


「えっ、そうなんですか?」


 そこから朝霧さんは、丁寧に化粧水の効果について説明してくれた。

 手にしているこの化粧水は、肌を潤すための保湿が主な役割。

 でもその前に、まずは洗顔料でしっかりと顔の汚れや皮脂を落とさないと意味がないらしい。洗浄後に化粧水を使い、肌を水分で満たす。それを長く続けることで、若々しい状態を維持できるのだとか。

 そして最後に乳液やクリームを重ねて、せっかくの潤いを逃さないようにする。さらに紫外線対策として、日焼け止めクリームまで必要だという。


(……な、なるほど……。こんなに手順があるなんて全然知らなかった……!)


 僕なんて、母さんが買ってくれた洗顔料で顔を洗って、母さんが使わない化粧水を拝借している程度だった。それで十分だと思っていたのに……実はまだ二つも足りてなかったなんて。


「だいたいこの四種類で基礎は十分ですよ。……ところで、妹さんに好きなブランドやこだわりはありますか? あと、ご予算は?」


 思ってもみなかった追質問に、僕は少し驚いた。――まさか朝霧さんがここまで細かく気を配ってくれるなんて。学校での彼女の姿からは想像できない、意外な一面に触れた気がして、妙に親しみを覚える。


「えっと……妹はまだこっそり母さんのドレッサーを覗く程度なんです。だからこそ、プレゼントとして驚かせたいんです。女の子がこういうことに興味を持つのは普通だって伝えてあげたくて。……あ、でも彼女は匂いの強いものが苦手ですね。予算は一万円以内で考えてます。」


 そう答えると、朝霧さんは「ふむ」と小さく頷き、棚から一つの商品を手に取った。


「それでしたら、このブランドがおすすめです。価格も高すぎませんし、香りも控えめなフローラル。――実は、私も今使っているブランドなんですよ。本当に使い心地がよくて、何度もリピートしています。しかも今はキャンペーン中で、さっきお話しした四つの基礎アイテムをまとめて購入すれば七千円なんです。……もし残りの三千円が余っているなら、ついでに口紅もどうですか?」


 ……う、うわぁ。

 確かに値段的にはかなりお得で、妹へのプレゼントとしては悪くない。四つセットを買うのは全然いいんだけど……。

 ――口紅は、さすがに十三歳には早すぎるだろ!?


「口紅? 妹にはまだ早すぎるんじゃないですか? それに学校って、こういう化粧は禁止されているはずですよね?」


「大丈夫ですよ。あまり濃い色でなければ、学校でも問題ないと思います。口紅をひと塗りするだけで、人の印象って大きく変わりますから。もし妹さんが本当に化粧に興味を持っているのなら、口紅が一番の入門になりますよ。派手な色を避ければ、大人びすぎる心配もありませんし。」


 なるほど……本当に僕にとって未知の領域だった。まったく分からないからこそ、朝霧さんのおすすめに従って、僕は淡い赤を二本と、やや深みのある赤を一本購入することにした。

 朝霧さんは丁寧に色番号まで教えてくれたのだけれど……正直、覚えられるはずもない。だって、一瞬で二十種類以上も口にされたんだ。僕に記憶できるはずがない。結局、直感で「これが一番きれいだ」と思えたものを選んだ。


「はい、ご購入ありがとうございます、結城君。妹さんが気に入ってくれるといいですね。」


「そうですね。あの、本当にありがとうございました、朝霧さん。色々と丁寧に教えてくださって。」


「いえいえ、これは私の仕事ですから。では、また明日学校でお会いしましょう。」


「はい、明日お会いしましょう、朝霧さん。」


 深く頭を下げ、店を出る。

 不思議と胸が高鳴っていた。妹への贈り物を無事に買えた安心感だけではない。

 ——明日学校で会いましょう。

 その一言を思い出した瞬間、僕の心臓は大きく跳ねた。

 これが何の気持ちなのか、自分でも分からない。ただ、抑えきれない高揚感に背中を押されながら、僕は家路についた。


 ――――――――――――


 結城が店を出ていったあと、朝霧はひとり、カウンターの裏で小さくつぶやいた。


「……あの人、妹さんがいたんですね。本当に妹思いの優しいお兄さんです。わざわざ一人でプレゼントを買いに来るなんて。」


 言葉にしてみると、自然に口元がほころんだ。

 それは接客用の作り笑いではなく、心の底から湧き出た、柔らかな微笑みだった。


「もし……あの人が女の子にまったく興味がないわけじゃないのなら。私、少しは積極的になってもいいのかしら? ……ふふ、明日、挨拶してみようかな。今度は返事をくれるかしら? それとも、やっぱり勉強に夢中で聞き流されちゃう?」


 胸の奥に芽生えた期待を抱きながら、朝霧は仕事に戻った。

 彼女の気分は明らかに晴れやかで、時間の流れさえも軽やかに感じられるほどだった


皆さま、こんにちは。


今回は現実を題材にした恋愛短編小説を書かせていただきました。どうか楽しんでいただけましたら幸いです。


異世界ものを書き続けてからすでに二か月ほど経ちましたので、今回の短編は気分転換の意味も込めて執筆いたしました。


もしこの短編を気に入っていただけましたら、今後この恋愛物語を連載していく可能性もございます。その場合は、もちろん純愛路線で進めてまいります。


ぜひご感想やご意見を評価やコメントとして残していただけますと、大変励みになります!

これからも応援のほど、よろしくお願い申し上げます。

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