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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

井戸

作者: mokomari

隣家の赤ん坊は、いつも泣いていた。

昼間は窓を開け放しにしているせいか、泣き声が

とりわけ大きい。

この暑さで冷房を入れていないのは異常だ。

なんて母親だ。

赤ん坊は腹も空かせているだろう。


それに、たまに火がついたように泣くときがある。虐待が疑われる。

通報しようか。何度も迷う。

迷う度に、まるでこちらの心を見透かすように、赤ん坊はさらに狂って泣くのだった。



ところが、あるときから赤ん坊の泣き声が聞こえなくなった。気づいたのは、ふとした瞬間だった。


あれは夜、トイレに起きたときだった。

いつも聞こえる赤ん坊の泣き声が聞こえなかった。でも、電気は点いている。

なぜか奇妙だと思った。なぜかは分からない。



それから数日経った――

状況は同じだった。

水を打ったような静けさだった。


……おかしい。


俺は、赤ん坊の病気を疑った。

しかし、病気でも泣き声は聞こえるはずである。


状況を確認すべく、寂れた柵から半身を乗り出し隣家を覗き込むと、ひらめくカーテンが見えた。

ということは、家に居るんだな。


赤ん坊だけ長い間、病院へ預けることはないだろう。留守にするなら戸締まりをするはず。

いつもそうしているはずだ。


俺は一人暮らしだから、近所付き合いが無い。だから、隣家がどんな性格の人間か、どんな暮らしをしているかなど知る由もない。

しかし、赤ん坊だけを実家や親戚や、または友人に預けたかもという可能性も考えたとき、そんな俺でもなんとなく分かる。

隣家の付き合いのなさを……。

そうだ。そんなやつが赤ん坊を信頼して預けるはずがない。噂話でだが、もともと旦那は居ないと聞いている。



やがて夜半になると、隣家の庭に敷き詰められた玉砂利をゆっくりと踏みしめる音が聞こえた。


こんな夜半に何故―――。


雨が止んだばかりで、濡れて光った玉砂利が湿気を含んだ音を響かせている。


足音がピタッと止んだ。

と思ったら、今度はなにやら不可解な音が聞こえてきた。


ゴリゴリ……ゴリゴリ……

ゴリゴリ……ゴリゴリ……


そう。

コンクリート製の重いものをずらすような…。



――井戸の蓋?


隣家には、いつ作られたのか分からない井戸がある。年季の入った井戸には、蔦が複雑に絡みついている。



井戸の蓋をずらしているのだろう。

そう思いながら、1人晩酌の酔いがまわったせいか、ついうとうとしてしまった。



ーー夢をみた。

井戸の夢だった。

井戸の蓋は、ずらされていた。


隣家の女が、井戸のすぐそばに立っていた。

女の黒髪は長く垂れており、腕に何かを抱いている。

よく目を凝らすと、腕に抱いているのは赤ん坊だ。しかし、赤ん坊の顔は見えない。


女が井戸の中を覗き込む。

なぜだろう。俺も井戸の中をみている。

井戸はかなり深い。底は見えない。



昔から噂されていた。

この井戸の底には、いわゆる()()()()()ではなく、()()()()()()()があるらしい。

なぜ穴が出来たのかは分からない。

ひょっとしたらこの井戸が出来る前からあいていたのかもしれない。



不思議な話だが、その穴はふだん塞がっているらしい。しかし、万が一、井戸に落ちた場合、その穴がぽっかりと開く。そして、落ちた者を吸い込むと言われている。

吸い込まれたら最後。2度と上がってこられない。その穴がどこまで続いているのか。どこまで流されるのか。まさか地底湖に繋がっている?

――それは誰にも分からない。



もう一度、井戸にたたえられた水面をみると、漆黒の底のほうから、コポコポと泡が上がってきている。

ふと、「あなたは、なぜ先ほどから井戸の中ばかり覗いているのか」と尋ねようと女のほうを向いた。


瞬間、女が両腕を高く上げた。



――あ!!


と思ったら、おくるみできつく巻かれた赤ん坊が井戸の中へ放りこまれた。

すぐに手を伸ばして赤ん坊を救い出そうとした。

しかし、それは無駄に終わった。



赤ん坊は音もなく沈んでいく。



井戸の底の、あの穴が口を開けるはず。

早く助けないと吸い込まれてしまう。

あれに吸い込まれてしまえば2度と浮き上がることは無い。



しかし、助けに入れば、赤ん坊もろとも俺も吸い込まれてしまう。

そう躊躇している間にも、赤ん坊はどす黒い水の中に沈んでいく。



白いおくるみが漆黒の闇に小さくなる。

まるで無限の宇宙の中に浮かぶ一点の白のように。


そして、それは見えなくなった。

嗚呼、と思った数秒後、どす黒い水全体が渦を巻いた。



その瞬間、



ズボッ!!!!



耳のそばで、確かに吸い込まれる音を聞いた。



――はっとして目が覚めた。



寝汗をべったりかいている。

ふと見上げると、台所のすりガラス窓に人影がちらついている。


出てみると警察官だった。

「実は、隣で2人亡くなったんですよ」


寝ていたため、警察官が来る前に、救急車が来ていたことなどまるで気づかなかった。


玄関先で事情聴取された。

しかし、隣とはそもそも付き合いが無いし、姿すらほとんど見ることが無かったから、有力情報を提供するまでには至らなかった。

ただ、いつもいつも赤ん坊の泣き声がうるさかったということだけは伝えた。



一通り事情聴取が終わると、警察官が

「……まぁ、なにかありましたらまた連絡しますので」と帰ろうとしたので、俺は呼びとめた。



「井戸……隣家にある井戸の中は見られましたか?」


警察官は訝しげに俺を見た。

そして言った。


「井戸?………なにを言っているんですか、あなたは。そんなもの、隣家には無いですよ。」



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