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ヴィシュタイン・コピーライト  作者: トモユキ
第一部 第一章 アドニスの序曲(オバーチュア)
6/100

1-5 ステージの後に

「だいたいねー、なんでそんなに上手なのよ! 調律師の方が副業で、ピアニストが本業なんじゃないの? おっかしい絶対おっかしい」

「そんな事ない。アンジェラの方がピアニストとして実力は上だよ。あのレベルですぐに合わせてくるなんて普通できない。正直、驚いたよ」

「でしょー!? あれは私しかできない芸当よねー! って、おだててごまかす作戦には乗らないわ。私よりあなたの事よ。どこでピアノ習ったの? 趣味のレベルじゃないってのはわかるけど……もしかして、王立音楽院出身?」

 興奮のピアノステージが終わると、超スピードで着替えてきたアンジェラは、激スピードでアドニスの隣を陣取った。さっき披露したアレンジについて根堀葉堀訊かれた後は、アドニス自身についての質問が飛んでくる。

「基本は独学だよ。家族にピアニストがいてね、俺はそのサポートで調律やメンテナンスをするのが仕事だった。だから本業はピアノ調律師。でもそれだけじゃ食っていけないから、こうやってピアノバーで弾けるようには練習した」

「バーで弾いてたから、ああやって皆の前で勝負をけしかけるようなパフォーマンスもできるってわけね……それならどっちも、本業みたいなものじゃない」

「そう言われればそうだけどね。そういうアンジェラだって、本業はジャズじゃないんだろう? マスターから聞いたよ、ほら、あそこのポスター、ロンドンピアノコンペティション。アンジェラも出るんだって?」

「あぁ……そうね。私がここでピアノを弾いているのは……そう。お遊び。実は、気分転換」

 アンジェラは、背の高いコリンズグラスを持って、炭酸水を一口飲んだ。さっきまでのテンションとは違い、少し落ち込んでいるようにも見える。

 更につっこんで訊くべきか迷っていると、アンジェラは静かに切り出した。

「私は孤児院出身で、ミズ・ジャグリーンに拾われて、今は住み込みでピアノのレッスンを受けさせてもらってるの。今度のロンドンコンペで優勝すれば、晴れてアンジェラ・ジャグリーンの出来上がりってわけ」

「えっ!? ならこんなピアノバーで、ジャズなんて弾いてる場合じゃないだろう!?」

「そ。夜な夜な家をこっそり抜け出して、王子様と舞踏会ならぬ、おなかの出てるオジサン達と狂喜乱舞のジャズ三昧よ」

「昼だって弾いてるだろうに……いくらなんでも弾きすぎだ。それじゃ疲れも取れない」

「全然大丈夫! そもそも気分転換なんだし、ずっと弾き通しってわけでもないし」

 そう言ってアンジェラが視線を送ったステージでは、初老のマスター――クレイジールイが、しっとりしたクラシック曲を弾いている。先ほどの盛り上がりとは打って変わって、空間に溶け込んだ味のある音楽。クレイジーとは裏腹だけど、これぞバー・ミュージックってやつだ。

「それにほら、楽譜通りクラシックばかり弾いてると、気が滅入っちゃうじゃない? ミズ・ジャグリーンはお小言が多いし。ここでテキトーにリクエスト曲を弾いて、気分でアレンジ入れて、意地悪したくなったらテンポも変えちゃう。そうやって気分転換してるの。ふざけて弾くと逆に喜ばれるから、不思議なものよね」

「格式ばったクラシックのストレスを、自由なジャズで発散してるってわけか……」

「お小遣い稼ぎにもなるしね。パトロン付きって言っても、今の私はお抱えピアニスト見習い兼使用人扱い。三食レッスン付きだけど、他はお給金の少ないメイドと変わらない。夕方アドニスと会った時も、お夕飯の買い物帰りだったのよ」

 確かに。アンジェラが持ってた大きな紙袋には、たくさんの果物や野菜が顔を覗かせていた。

「でも、すごいチャンスじゃないか。優勝すればお金持ちのご令嬢になれて、ピアニストの道が開ける」

「そ、すごいチャンスなの、ミズ・ジャグリーンとの約束は。一年以内にどこか有名なピアノコンクールで優勝すれば、養女にしてくれて、今後のピアニスト活動の援助もしてくれる」

「……もし一年で、結果が出せなければ?」

「容赦なく家を追い出される。そういう約束」

 あっけらかんと、他人事みたいに笑うアンジェラ。

「簡単……ってわけにはいかないよな。一年間、ありとあらゆるコンクールに出まくるしかない」

「それでこの一年、色んなコンクールに出させてもらって……一度も優勝できなくて。最後に残ったコンクールが、イングレス連合王国で最も権威があって最も格式高い、ロンドンピアノコンペティション。本当に本当の、すっごいラストチャンス」

「えーと……優勝は無理そうって事だよね?」

「当たり前でしょう!? ロンドンコンペで優勝できるなら、他のコンクールも総なめよ! ……でもいいの。ミズ・ジャグリーンの娘になんてなりたくないもん」

「え?」

「さて問題です。私は優勝したい。でも養女にはなりたくない。なんでかわかる?」

「……ミズ・ジャグリーンは、とても意地悪な人だから?」

「ううん、そんなことない。ちょっとヒステリックなのがたまにキズだけど、素敵な未亡人よ。私を孤児院から拾ってくれた人だし、感謝もしてる」

「じゃあ、なんで?」

「うーん……あれ? ちょっとー! いつの間にか私の話ばっかりになってるじゃない。ずるいわよ」

 アンジェラは、アドニスの腕をポカポカ叩いた。

「でも、まぁいっか。一緒にピアノを弾いたんだから、アドニスはもうお友達だし」

 アンジェラは胸元からロケット・ペンダント取り出すと、何も言わずアドニスに渡した。

 可愛らしい花柄の銀製チャームを開くと、小さな白黒写真が入っていた。幼い女の子と、その子の肩を抱く女性のポートレイト。

「これはアンジェラと……お母さん?」

「そ。それは私が持ってるママの、唯一の…………思い出の品」

 アンジェラは少し間を置いて、思い出の品と言った。形見、ではなく。

「私が八歳の頃、ママは突然帰って来なくなっちゃった。それで孤児院に入る事になったんだけど、恨んだりはできなかった。私にピアノを教えてくれた人だし、大好きだったから」

 アンジェラはカウンターに突っ伏すと、二人の間に置かれたコリンズグラスに顔を向けた。長いグラスを不規則に昇る気泡を、なんとはなしに見つめている。

「いなくなってしばらくは、待っていれば帰ってきてくれるって信じてた。でも私は、すぐに知らない親戚の家に行く事になって、そのまた親戚、知り合いをたらい回しにされちゃった。一年かけてやっと孤児院に入ったけど、そこは元々住んでた町から遠く離れてた。これじゃ私がどこにいるかなんて分からないし、だからママに会えないんだって思ってた」

 アドニスは、写真の母に目を落とす。整った顔立ちに細身のドレス。若い頃はアンジェラと瓜二つだったんだろうと、容易に想像できる。

「ううん、思ってたじゃない。今でもそう思ってる。だから大きなコンクールで優勝して有名になれば、気付いてくれるかなって。その時、違う家の子になってたら申し訳ないなって」

 アンジェラは、突っ伏したまま前を向く。アドニスの視線から逃れるように、コリンズグラスの陰に横顔を隠している。表情は分からないが、頬が朱に染まってるのだけは、炭酸越しに透けて見えた。

「理由は、それだけ」

 数秒の沈黙後、アドニスはコリンズグラスの横に、ロケット・ペンダントを置いた。

「お母さんに、会えるといいね」

「……ありがと。でももう子供じゃないから、ちゃんと分かってはいるのよ。どこかで別の家族を作って、幸せに暮らしているんじゃないかって。実はもう、死んじゃったんじゃないかって。もしそうだったら優勝してもママは現れないし、だったら本当に、ミズ・ジャグリーンの家の子になってもいいんじゃないかって。でも――」

 アンジェラはがばっと起き上がり、いじけた空気を笑顔で吹き飛ばす。

「そもそも私、今絶不調なのよねー! 残念ながらこれじゃ、優勝は無理なのよねー!」

「でも優勝できなかったら、家を追い出されるんだろう?」

「そこは抜かりなし。優勝できなかったら、ここで専属ピアニストにしてもらうから。マスターにもオッケーもらってる」

「なるほど……だからここの常連連中は、アンジェラが優勝しない方が嬉しいってわけか……」

「んー、そうね。そうかもしれないわね。私もここで弾いてるのは楽しいし、ママの事諦めるのも、いい区切りにはなるだろうし」

 眉尻を下げて笑うと、アンジェラはロケット・ペンダントを胸の中に仕舞った。

「あーあ。どうしてピアノコンクールって、クラシックばかりなのかしら。ジャズやブルースも立派な音楽だし、劇伴楽曲だって皆大好きで、人気もあるのに」

「クラシックは昔から、絵画や彫刻と並んで貴族の嗜みだからね。庶民相手のコンサートより、お金持ち相手の晩餐会の方が、商売になるってことさ」

「わかってるわよ、そんな事。ママだって、クラシックしか作曲してなかったし」

「……アンジェラのお母さん、作曲家だったんだ?」

「あ、言ってなかったっけ。私の名前は、アンジェラ・グリーンフィールド」

 白金の前髪を指で整えながら、少女は少し照れながら言う。

「私のママは、メルチ・グリーンフィールド。アドニスが好きって言ってくれた『右手のためのピアノ独奏曲』の作曲者、メルチよ」

「……えっ!?」

「あの時アドニスが、いきなり右手の曲の話をするから、恥ずかしくて言い出せなかったの! まさか娘のピアニストが、母親の代表曲を演奏できないなんて、恥ずかしいじゃない」

 照れ笑いで語られた無邪気な告白に、アドニスは驚きのあまり声が出ない。鼓動が激しく脈打って、背中に大量の冷や汗が伝ってくる。

「ねぇ、大丈夫? 少し飲み過ぎた?」

「ああ……そう、みたいだ。でも、大丈夫」

 俯きながら、なんとか言葉を捻り出す。

「私、そろそろ家に帰らなきゃいけない時間なの。今日はありがとね、アドニス。また明日も来てくれる?」

「……もちろん」

「まったく……お酒はほどほどにしなさいね。アル中になったら、お酒飲みながらじゃないと手が震えて弾けなくなるから。マスターみたいに!」

 アンジェラはアドニスの背中をドンと叩くと、ぴょんとスツールから飛び降りた。ステージのマスターに小さく手を振ってから、金髪を翻し店を出ていく。

 無邪気な少女を見送ると、アドニスは残りのウイスキーを一気に喉奥に流し込んだ。

 焼けつくような喉と胸の痛みには、心臓の動悸を収める効果はないようだ。それどころか、アルコールが燃料になったとばかりに鼓動は熱く、うるさいくらいに高鳴ってしまう。

 アンジェラ・グリーンフィールド。

 異才ヴィシュタインの唯一の弟子、メルチ・グリーンフィールドの娘。

 彼女で、間違いない。


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