マルハラ。
「今の若い人は、LINEの文の末尾に句読点の『。』をつけられると怒られていると感じて萎縮する」「これを『マルハラ』と言う」という記事が散見されるようになった。
はあ?
2024年2月19日現在、まさしく、「散見されるようになった」のだ。
前段「句読点の『。』を~」の部分を目にするようになったのは2024年になってからだと思うけど、後段のマルハラは初見だった。マルハラでググると2月6日の記事がヒットした。
文末にマルをつけるつけないは、表現の一手法である。
LINEでは、句読点を使わす、絵文字やビックリマーク『!』や空白やスタンプを使っている人が多くいることは認識している。LINE公式から来る文章なんて、「これは『おじさん構文』だよね」と感じる頻度で色とりどりの絵文字やビックリマークがまぶされている。
サンプル数が少ないが、20代の同僚からのLINEは絵文字は1個2個と少ない。文末はビックリマークのことが多い。インフルエンザによる休みとか交通機関の遅れとかの業務連絡だから、という面もあるのだろう。
それに対して私は、「了解しました。」で終わることが多い。句読点『。』をつけないと気持ち悪いのだ。「この業務連絡はこれで終了」の意味であって、怒っている訳ではない。絵文字を使うキャラじゃない。パソコン通信時代は「バイバイ\(^_^)(^_^)/」なんてのも使ったが、改行にかかるとバカっぽいから今は使えない。
世代ごと個人ごとメディアごとに様々な表現の手法があるだけの話であって、ただ決して一方が押し付けるものではない。伝わらなければ意味がないんだよね。
・・・とまで書いて、句読点をつけない件をググり直したら、ん?困った事態が見つかった。
オリジナルは昨年2023年9月10月あたりだったようだ。その時の論調は、「『。』で切られると話を打ち切られたようで冷たく感じる」みたいなもので、年明けあたりの「怒られている感じ」とは微妙に違う。いくつかのメディアに引用されるうちに新しく意味づけされたのかもしれない。
更に。オリジナルの研究者(55歳)とマルハラの大学教授(61歳)は別人だった。つい先日(年明け?)、件の大学教授が本を出し、その中で「マルハラ」と表現したのがマスコミ的にキャッチーだったらしい。
この事案は、大学教授(文学部中国文学学科、中国文献研究が専門)が専門外(?)の一般向け書籍を上梓し、これを業績として紀要に載せたのではないか?と疑われる可能性がある。たぶん科研費や紐付き研究費で研究した結果ではなく、他の研究者のネタがバズったから「いっちょ噛んだろか」くらいのものだったのかもしれないけど。
「言ったもん勝ち」じゃねえか。
結果としてマスコミが「研究者が書いたから」「大学教授が書いたから」とネタをもっともらしく流布し、それを信じた一般の人の中で常識とされていく、といういつもの構造。次は「世界一受けたい授業」か国会の文教委員会(or 予算委員会)か。
マルハラ、その中身はマル『○』に適当な言葉をいれると完成する、おバカな社会の縮図。