第9話 お父さんと熊退治
酒場での一件から、時折女主人ブレンダはユールに魔法を教わるようになった。
といっても最初にやることは瞑想である。
あぐらのようなポーズを取って、体内の魔力を自覚することから魔法の道は始まる。
「いかがですか?」
「うん……分かるよ。体じゅうの管を、今まで感じたことがない力が流れてるのを感じる……」
この基礎固めをするとしないとでは、後々の魔法習得に大きな差が出てくる。
ユールがどんなにマリシャスになじられても、基礎を疎かにしなかったのはそのためだった。
「では今日のところはこれで」
「ありがとう、ユール君」
ブレンダにも酒場の準備などがあるので、去っていく。
ユールもいち早くフラットの町に慣れなければならない。
「散歩でもして、道を覚えようかな」
***
フラットの町は大きく分けて、三つの区域がある。
ユールたちの住所となる東区域、多くの店が立ち並び町役場もある中央通り、やや治安が悪いとされる西区域。
ユールは中央通りを歩いていた。
すると同じく外出していたガイエンと出くわす。
「あ、ガイエンさん」
「む、若造……」
何か目的があって二人で行動している時はいいのだが、こうした日常の場面においてエミリー抜きで二人きりになってしまうと、気まずくなってしまう。
「今日は……いい天気ですね」
「……そうだな」
「ガイエンさんは、どうして町に?」
「ちょっと買い物でな」
内容のない一問一答のような会話が続く。
これといった話題もないが、かといって今さら別行動にもしづらい。
時折一問一答をしつつ、ある令嬢の恋人と父親は町をぶらぶらと歩き続ける。
そんな時だった。
「キャーッ!」
悲鳴が上がった。
こういう時、二人の行動は早い。即座に現場に向かう。
「行きましょう!」
「うむ!」
駆けつけると、そこには巨大な熊がいた。黒い毛を逆立て、かなり興奮している。
フラットの町の近くには山があるので、そこから下りてきたのだろう。
「メス熊だな。冬眠から目覚め、食糧を求めて町に来たか」
ガイエンは熊を分析すると、
「熊よ! 吾輩が相手になってやる!」
堂々と仁王立ちした。
熊はガイエンの宣言に乗るように襲いかかってきた。周囲から悲鳴が湧く。
前脚でガイエンの顔を狙うが――
「ぬうん!!!」
それをかわすと、ガイエンは熊のボディに拳を突き刺した。
「ガフ……!」熊はうめき声を上げる。
ガイエンは実力で騎士団長に上り詰めた男。中年を迎えた今も筋骨は太く、膂力も人間離れしたものを持っている。
さらにボディへ連打をお見舞いし、熊にダメージを蓄積させる。
「グオオオッ……!」
内臓までダメージが届いたのか、熊は前のめりにダウンした。
ガイエンは冷徹な目で、腰の剣を抜く。
「一度人里に下りた熊は危険だ。すまんが、ここで討ち取らせてもらうぞ」
ガイエンは熊にトドメを刺すつもりだ。周囲の町民にも緊張が走り、目を背ける者もいる。
すると――
「待って下さい、ガイエンさん!」とユール。
「なんだ、若造」
「この熊にも町に降りてきた理由があると思うんです。僕はそれを聞いてあげたい」
「そんなことができるのか?」
「魔法を駆使すれば、ある程度の意志疎通は可能です。興奮していない今ならきっと……」
ガイエンは剣を納め、ユールに任せる意志を示す。
ユールは魔力を放出し、テレパシーのような形で熊と意志疎通を図る。
「……どうやら、子供を捜して町に下りてきたようです」
これを聞いたガイエンは周囲に叫ぶ。
「おい誰か、山から子熊を連れてきた者はおらんか!?」
戦場でもよく通るガイエンの声は、町中でもよく響いた。
まもなく一人の少年が名乗り出てきた。
「ご、ごめんなさい。ぼくです……」
彼の手には子熊が抱かれていた。
事情を聞くと、山の近くで遊んでいたら子熊がいたので、つい連れて帰ってきてしまったらしい。
ガイエンはさほど少年を叱ることはせず、子熊を親の元に戻す。
一方、ユールは治癒魔法で熊に治療を施すと、山に帰るように促す。熊は素直に従った。
「ガル……」
去り際に熊が頭を下げるような仕草をしたのが印象的だった。
「あやつ、なんて言っておった?」
「“二度と人里には下りない”という意志は感じられました。あと、ガイエンさんの拳はものすごく効いたみたいです」
「吾輩もまだまだ熊などには負けんわい」
二人は笑い合った。
すると――
「すっげええええええ!!!」
「おっさん、やるなぁ! あんな熊を倒しちゃうなんて!」
「そっちの若いのもすごかった! 血を流さずに事態を収めて……」
ユールとガイエンは二人揃って町民たちから絶賛された。
***
その日の夕食時、エミリーは二人の様子に呆れていた。
「……なんなの。二人揃ってニヤニヤしちゃって」
先ほどの一件でユールとガイエンの機嫌は最高潮に達していた。しまりのない笑みを浮かべている。
「ちょっといいことがあっただけだ。なぁ、若造?」
「ええ、ガイエンさん」
ニコニコ笑顔でパンを頬張る二人に、エミリーは「きもちわる」と言葉を浴びせる。
しかし、内心ではユールとガイエンが少し仲良くなったことを喜んでもいた。