メイサ大捜査線1
同じ頃、王都ではーーー。
「ヴァン!」
バタバタという足音が聞こえたと同時に、大きな音を立てて扉が開いた。
「……王太子ともあろう御方が騒々しい……。常に冷静を欠かないようお教えしているはずですが? フェリクス殿下。何か御用ですか?」
勢いよく開け放たれた部屋の真ん中に、ヴァンと呼ばれた長い銀髪の男は座っていた。目の前の机には大小の秤や判読不能な文字で書かれた書類の束、数え切れないほどの瓶が雑然と並んでいる。
対するフェリクスは、王太子というだけあって、立っているだけでその場が華やぐような雰囲気を持っている。ふわふわと柔らかそうな黄金の髪も、明るいエメラルドグリーンの瞳も、意志の強さを感じさせる眼差しも、全てが完璧に見える。しかし今は、優雅さなど微塵も感じられないほど焦っていた。ずかずかと部屋を横切り、強く机に手を叩きつける。目の端で書類が何枚か落ちた気がするが、そんなことはどうでも良い。
「ヴァン、メイサが姿を消してもう半年だ! 本当に行き先を知らないのか?」
メイサという名前を出した途端、ヴァンの纏う雰囲気が一変した。規則正しく流れ落ちていた銀髪がざわざわと立ち上がり、いつも細めがちな目が見開かれた。
普段温暖な大賢者からかけ離れたこの様相を見れば、一般人ならばたじろぐだろう。だが、フェリクスはそれどころではない。そんなことはおかまいなしだ。
「メイサがいなくなる直前にこの塔から飛び出した姿を見た者がいるんだ。ヴァン、いや、ヴァリーノ・ディクセントリク、お前が何かしたんじゃないか? メイサにはこの世界に頼れる者がいないんだ……私以外には……。なぜ半年も経つのに、足取り一つつかめないんだ。誰かに攫われたのか? 怪我をして動けないんじゃないか? 考えただけで気が狂いそうだ……」
考えれば考えるほど、どんどんと悪い方に想像が膨らんでいく。最初の勢いも虚しく、最後の方は頭を垂れ、聞こえないほど小さな声になってしまっていた。
「さらっと言い切っちゃってるけど、フェリクス以外にも頼れる人いると思いまーす。俺とかね」
ヴァンが声のする方を見やると、扉の側にもうひとり、エルフ特有の尖った耳と美貌を持った男ーーリアムが腕を組んで壁にもたれ、茶化すように口を挟んだ。
「ついでに言うと、メイサがモンスターと契約してペット化してるのを見ちゃった俺としては、誘拐だったとしたら犯人の方が心配だよ、あはは」
「リアム……何だと……知らない話だな。メイサと2人きりの時間があったということか? いつだ?」
頭を垂れたままの状態でフェリクスがリアムを睨む。
そんな2人を見比べながら、ヴァンはメイサをーー自分が異世界から転移させてしまった少女の姿を思い浮かべていた。
この世界では稀な、夜明け色の髪と琥珀色のきらきらとした瞳を持つ彼女は、転移直後から膨大な魔力を秘めていた。それに加えて、生来の真面目さからか一人前の騎士でも逃げ出すような厳しい修行に耐え抜き、僅か1年半で他の弟子よりも頭一つ二つ抜きん出た存在となっていた。モンスターに悩まされるこの世界では、彼女のような召喚士は重宝される。目には目を、モンスターにはモンスターをぶつける方が効率が良いからだ。しかし、モンスターや精霊と契約し隷属させる召喚士には、当然それらよりも大きな魔力が求められる。そんな魔力も技量も、当然限られた者しか持ち合わせていない。そんな中で、メイサの膨大な魔力は突出していた。しかし、幸か不幸か、本人は出世欲や名誉欲からはかけ離れているごく普通の少女だった。そういえば、シルバーウルフに向かって「もふもふがかわいいから契約して仲良くなりたい!」とかほざいてたな……。
そんな天真爛漫さも彼女の魅力なのだろう。彼女は兄弟子たちの心も捉えたようだった。師匠である自分からは、ありのまま、ただ飄々と生きているだけにも見えたが、特にフェリクスは色々と思うところがあったようだ。すっかり異世界の少女に骨抜きにされている。
何にせよ、彼女が怪我をしたり、事件に巻き込まれるとは考えにくい。召喚魔法以外でも優秀な魔法使いだ。大方、どこぞの田舎に流れ着いて悠々自適に生活しているに違いない。リアムあたりはそう思っているのだが、フェリクスは正常な判断ができていないようだ。メイサがいなくなってから、彼女への執着にも似た感情がさらに大きくなっているのが見て取れて、危うさすら感じる。この調子だと、「光の王太子」と呼ばれるフェリクスへの悪評が立ちかねない。
フェリクスとリアムが不毛な言い争いをしているのをそろそろ静止しようとヴァンが口を開きかけた矢先に、二人の後ろから長身の男が音もなく現れ、開けられたままのドアをノックした。清潔に短く刈った短髪は深緑色で、その肌は日に焼けている。騎士であり、弟子の一人、オリバーだ。
「失礼。定期報告に上がりました。ああ、フェリクスも居たのか。ちょうど良かった。西の湖水地方でまたドラゴンが感知されたようです」
オリバーは騎士らしく、要件のみ簡潔に報告した。
「討伐隊を派遣しよう」まだ暗い顔のままのフェリクスがその準備をするために踵を返すのをオリバーが制止する。通常であれば不敬に当たる行為だが、フェリクスとオリバーは乳母兄弟のためこのような態度も許されていた。
「それは不要だ。誰かが転送術式を使用したようで、既にドラゴンの気配はなくなっている」
「また……? 数日前も同じ報告してなかったか?」
リアムが身を乗り出した。
「ドラゴン相手に転送術式をかけられる術者なんてそうそういないよなぁ。しかも数日の間で何回もだろ?それこそ、ヴァンとかメイサ級の力がなければ…」リアムがそこまで言って、あっと小さく叫ぶ。
「国内はくまなく探している。西方はもう何度も探したんだ。メイサがいるはずはない」フェリクスは自分に言い聞かせるようにひとりごちた。忙しい政務の時間を縫って、自ら王国内をしらみつぶしに探した。姿絵も描かせてばら撒いた。あの美しくたなびく黒髪を、花が綻ぶように笑う少女をーー。しかし、不思議なほどに足取りはつかめない。そして、一つの可能性に思い至った。
「保護魔法か変身魔法を使っているのか……? なんのために……? あれだけ大切に、誰にも傷つけられないように囲っていたはずなのに、なぜ私からも隠れるような真似をするんだ……?」
「フェリクス、口に出ている……」
オリバーが呆れ声でたしなめる。
「そういう激重なのがメイサ的に嫌だったんだと俺は思うわ。まぁ鈍感なメイサは気づいてないかもだけど、本能だな。本能で危険を察知してたんだ。さすがメイサだぜ」
散々な言われようだが、フェリクスは動じない。
「いずれにしろ、西方に行くしかないだろうな。出発は明日だ。オリバー、お前も同行しろよ」
オリバーは少し驚き、くくっと笑った。
「明日とは気が早い。政務の方は大丈夫なのか?」
「メイサより大切な政務などない。それに、ドラゴンが同じ場所に何度も現れるなどと、只事ではないだろうからな」
もっともらしい事を言っているが、前半の本音で台無しだなぁ、とその場の全員が思った。
あの光の王太子が、こうも変わろうとは。
文武に秀で、内政でも外交でも活躍し、民心の信頼も厚い、パーフェクトな王太子、それがフェリクスの世評だ。だが、この半年目立った功績を挙げられていない。メイサが姿を消して以来、フェリクスは常に何かに追い立てられているかのように疲弊し、憔悴しきっていた。ろくに寝られず、食べられない日が続いていたのだ。フェリクスだけではない、オリバーもまた、日頃の彼とは違ってしまっていた。あれだけかわいがっていたメイサが消えたことが、かなりの動揺を与えているのだろう。
こんな急な出立に反対しないのがその証拠だ。以前のオリバーであれば、「あり得ない」と意見を述べたはずだ。それをしないということは、やはりオリバーもメイサに関わる情報を期待しているのだろう。
あの子は隠す気がないのか、ただ抜けてるだけなのか……。ヴァンは思わず西方の空を見やり、ふぅ、と自分にしか聞こえない小さなため息を一つついた。
大捜査線、大好きでした(^^)