あたしのパパはしょーせつ家
あたしのパパはしょーせつ家なんだって。
しょーせつっていうのはお話が書いてある本のこと。
パパはいつも机に座って、うーんうーん、って言ってる。お仕事に行ってるお母さんの代わりに、あたしを保育園に送り迎えをしてくれるの。いつもご飯を作ってくれて、お母さんの作るご飯の次に、とっても美味しい。
あたしはパパが大好き。
いつかあたしをしょーせつに出してってお願いしたら、いいよ、って言ってくれたの。すごく楽しみ。
わたしのパパは小説家。
小説っていうのは漫画と違って売れるのがすごく難しいんだって。
パパはいつも少しイライラしてて、たまにお母さんと喧嘩をする。だけど最後はいつもパパからごめんなさいをして仲直りをするから、わたしはちっとも怖くない。
授業参観にいつも来てくれるけど、他の子たちの親はみんなママが来るから、わたしはいつも恥ずかしい。
でもわたしはそんなパパが好き。
いつかわたしを小説に出してくれるって約束、憶えていてくれてるのかな。
わたしのお父さんは小説家。
小説っていうのは一回沢山売れないと次が無いんだって。この前重版が掛かったってお祝いしたけど、それっきりお祝いしていない。
お父さんはぼんやりする事が多くて、作ってる最中のご飯を焦がしたり、いつもお母さんと一緒にしてってお願いしてるわたしの下着をお父さんのと一緒に洗ったりする。
作文でお父さんの職業について書かされたとき、『小説家です』と書いたっきり、何を書いていいのか分からなくなった。先生に聞いてみたら、どんな小説を書いてるのか書いたら? って意見をもらったけど、よく分からない。お父さんに聞いてみたけど、色々だ、としか教えてくれなかった。結局作文は発表できなかった。
でもわたしはお父さんが嫌いになれない。
いつかわたしの出る小説が沢山刷られるんだ。
私のお父さんは小説家。
小説っていうのは絵空事が書き並べられた本のこと。そんなもののために私は大学へ行くのを諦めざるを得なくなった。
お父さんはお酒を飲む量がひとより少し多い気がする。暴れたりはしない。ただ黙って安い焼酎をコップに注いでる。私が学校から帰ってきた頃には既に酔っていて、お母さんはくたくたなのに家事を全部任されている。できることなら手伝うよって提案したけれど、就職のための資格試験勉強を頑張りなさいと言い付けられた。
私はお父さんが嫌いだ。
いつか私と約束をしたことなんて、とうに忘れているに決まってる。
私の父さんは小説家。
小説っていうのは夢に縋り付いた人間が書き綴る下らない本のこと。私は働き始めてすぐに家を出る事にした。
父さんは反対した。いつまでも家に居ればいいと言った。だけど私は言った。父さんが家に居る限り一緒に住むのは無理だって。父さんの稼ぎだと私のお給料まで家に吸われてしまう。だから独り立ちするんだ。私は私の人生を生きたい。
私は父さんが心底嫌いだ。
いつか私が父と交わした約束なんて、忘れてしまった。
私の父は小説家。
小説っていうのは家族の負担の上で書かれた本。そう私は結婚したひとに話した。
父とは連絡も取っていない。母とはこまめにメッセージのやり取りをしていて、結婚を祝福してくれた。でも父はおめでとうの一言も言わなかったらしい。きっと私のことを恨めしく思っているんだ。父と離れたことで幸せな人生を歩んでいるから。
私は父をどうでもいいと思っている。
私の父は小説家。
小説っていうのは色んな物語が詰まったご本だよ。生まれてきた息子にそう教えた。
父の顔はおぼろげにしか思い出せなくなっていた。そんな私を見かねてか、それとも祖父母の顔を知らない息子を可哀想と思ったのか、夫に勧められるまま一度息子を連れて帰省する事になった。母はとても歓迎してくれた。父は、よく分からない。私とも夫とも目を合わせようとせず、息子にはおっかなびっくり触ろうとして、手を引っ込めていた。
私は父のことが分からない。
私の父は小説家だった。
小説っていうのは命を削って書く本だ。生前父が口にしていたことらしい。
父は脳溢血で突然亡くなった。棺の中には私の知らない顔があった。
父の遺品整理を手伝うことになった。と言ってもやることはほとんど蔵書の処分だ。高校生になったばかりの息子も付いてくれて、とても速やかにことは進んだ。その途中、父の遺稿が見付かった。いつもはパソコンで執筆していたはずなのに、その原稿だけは四百字詰めの用紙に手書きだった。
書かれていたのは私の幼い頃からのお話だった。小学校に上がったこと、家事を手伝うようになったこと、中学生になって反抗期を迎えたこと、お父さんなんて嫌いと言われたこと。作文の授業で恥ずかしい思いをさせてしまったこと、不甲斐ないばかりに大学へ行かせられなかったこと、お酒を控えるように言われて語気を荒げてしまったこと、勉強に疲れているのに何も声を掛けられなかったこと、出て行くと伝えられて寂しい思いをしたこと、母から娘の暮らしぶりを聞いていたこと。
初めて娘の結婚相手と顔を合わせたこと。娘の居ないところで、どうか幸せにしてやってください、と頭を下げたこと。初孫にどう触れていいのか分からずについ動揺したこと。
娘がずっと冷たい態度を取っていたこと。それでも幸せだと伝わってきたこと。
ずっと幸せでいてほしいと願ったこと。いつか謝りたいと思ったこと。
いつかの約束をずっと果たしてくれていた。
私は父が大好きだったと思い出した。