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その6

続きです。

入浴介助はまず洗髪から始まる。高齢者に椅子に座ってもらい、声をかけてから頭にシャワーをかける。その時、みんなが同様に両手で耳を押さえるのがとてもかわいい。こちらもシャワーの湯を自分の手に当てて直接、頭皮に当たらないようにしている。シャワーの強い水流で肌を痛めないことと、温度が意外に上下するので火傷をしないようにするためだ。シャンプーをかけ、頭皮を擦っていく。もちろんこの時、爪を立ててはいけない。指の腹でマッサージするように洗うのがコツだ。それが終わったら、洗面器にお湯を入れ、顔を洗ってもらう。顔を乾いたタオルで拭いて、そのタオルを新しいお湯で濡らし、液体石鹸をかけて泡立てる。そして背中から洗っていく。背中からお尻、肩に戻ってから首回りと洗った後、そのタオルを高齢者にお渡しする。慣れた方はそのタオルで体の前面、手の届くところを洗ってもらうのだ。もちろん、中には洗うことが難しい方もいて、その場合は私たちが介助を行う。しわの間などはうまく洗えないので汚れが溜まっているから、それらをきれいにしながら、陰部、そして足へとタオルで優しく擦っていく。爪先まで洗ったら、少しぬるめのシャワーで石鹸を落とす。もちろん耳の後ろや足の甲など、いつもはしっかりと洗わないところもしっかり洗う。私たちはプロなのだ。


 入浴も終盤になり、後は比較的、自立できている方が湯舟に浸かって出るだけになったので、残りは荒木さんに任せ、神月さんと浴場の片づけに回った。タイルをデッキブラシで磨き、浴室用の椅子を片づける。浴場には自身では湯舟に浸かれない高齢者のための機械式の入浴システムがあり、割と繊細な機械であるため、これも日々洗浄と調整を行わなければいけない。このように、入浴が終わってもやることはたくさんあり、遅れてしまうと夕食の準備に影響するので、手早くすることが必要だった。


 急に浴槽の方で声が上がったので、私は振り返った。


「あらあ、懐かしいわねえ。」


 高齢者の笑い声が聞こえる。よく見ると、荒木さんが湯舟に何かを浮かべていた。黒っぽく細長い何かの葉っぱのようだった。


…この忙しいのに。


 特に今日は時間が押していたので、私のイライラは最高潮だった。


「荒木さん、何してるんです。まだ終わってませんよ。何ですか、こんな葉っぱを浮かべて。何か意味があるんですか。」


 私の剣幕に驚いたように荒木さんが恐縮したが、その時、


「お嬢さん、これは葉っぱじゃないよ。」


 驚いたことに発言したのは湯舟にいた木村さんだった。


「これは笹舟というんだよ。」


 周りにいた岩崎さん、弓月さん、佐々木さんもうなずく。私は少しばつが悪くなった。


「昔はオモチャなんかなくてね。こうやって笹舟を作って、小川で友だちと競争したもんだ。けっこう楽しかったもんだ。荒木さん、あんたよく笹舟を知ってたねえ。」


 木村さんに言われて、荒木さんはちょっと照れたように頭をかきながら、


「私たちの小さい頃もこうやって笹舟を作ってたんですよ。おじいさんに教わってね。まあ、最近はあまり作らなくなりましたけど。でも、せっかくお風呂にこういうのがあってもいいかなと思いまして。」


 私は彼らの会話のほとんどが分からなかった。笹舟も見たこともない。私は除け者にされたような気がして、さらに苛立ちが増した。しかし、笹舟を中心とした不思議な空間を壊す気にはならず、しばし時が止まったような穏やかな時間が過ぎていった。


「岬さん。」


 神月さんの声で我に返った。時計を見るともうとっくに入湯時間が過ぎている。高齢者はあまり長湯をすると体に悪いので、だいたい5分程度で上がってもらうように決められている。


「さあ、みなさん、お風呂から上がってください。時間ですから。」


 老人たちは少し名残惜しそうな顔をしながら湯舟から上がっていく。私も、荒木さんも、それを手伝った。全員が脱衣所に移った頃、私は気がついた。


「荒木さん、笹舟は?」


「あっ!」


 荒木さんは慌てて湯舟に向かった。しかし笹舟は水流に負け、ボロボロになって排水溝の中に入っていく。自動循環式のこの浴槽は排水溝から取りこんだお湯を再度ろ過、浄化して循環させている。その排水溝に異物が入ると故障する恐れがあった。その排水溝にゆらゆらと笹が入っていく。


「ああ…あ。」


 荒木さんの声が聞こえた途端に、警告音が鳴り、循環システムが緊急停止した。異物を感知したようだ。幸い笹はフィルターの大半に引っかかって大事に至らなかったが、荒木さんは施設長から大目玉を食らった。もちろん、その時、入浴介助のリーダーだった私も、だった。


 私はあのおじさんがますます嫌いになった。

まだ続きます。

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