その4
続きです
「もちろんですよ。帰りましょう。」
・・・え?
私は思わず彼を見つめた。予想外の返事だったからだ。西村さんも驚いたような顔で、、
「え?本当に帰っていいのか?」
「もちろんです。こんな何もないところに長居したって、しょうがいないですからね。おうちの場所はどこですか?」
西村さんが住所を告げる。
「ああ、そこなら車で20分ぐらいですね。よし、私が送りましょう。」
西村さんの顔が見る見る明るくなり、「ありがとう。ありがとう」と何度も荒木さんの手を握った。
「善は急げです。今から準備しましょう。私も手伝いますから。」
そう言うと、荒木さんは立ち上がり、彼女の部屋に向かおうとした。「ちょ、ちょっと」私も一緒に立ち上がり、彼に真意を問いただすため、肩を掴もうと近寄る。しかし、空振りした。彼が立ち止まったからだ。そして申し分け無さそうに、西村さんに向かっていった。
「ああ、ごめんなさい。そう言えば、お送りするための車が出払っているのを忘れていました。西村さん、もうちょっとだけ待ってもらえますか?戻り次第、お送りしますから。」
「ええ、ええ、それぐらいなら構いませんよ。じゃあ、待っていますから。」
西村さんは笑顔で応える。荒木さんは、こぼれるような笑顔になり、「ありがとうございます。じゃあ、楽しみにしててください。」と言い残して、去っていった。西村さんは席に戻り、隣の方に「私、帰るのよ」と楽しそうに話しているのが見えた。
私のイライラは最高潮になった。たまたま近くを通りかかった杉山さんに食ってかかるように話しかける。彼女は目を丸くして、「いったい、どうしたの?」と聞き返したが、返答も許さない私の言葉の弾丸を受けて内容を理解したようだ。
「…あれはひどくないですか?西村さんに嘘ついているんですよ。騙してるんです。車なんて、来やしないんです。でも、それを信じて西村さんは楽しみに待っているんですよ。信じられない。あんな騙すなんて、私は絶対に許せません。」
「じゃあ…」じっと私の声を聞いていた杉山さんが口を開いた。「あなたはそんなことは言えないというの?騙すことはできないって。」
「もちろん。」
私は力いっぱい言い切った。心底、そう思っていたし、実際、西村さんにそう告げた。正しいことだからだ。
「で、それが何になるの?」
「え?」私は不意打ちを食らった。杉山さんは続ける。
「それで西村さんが救われると思うの?」
「…そりゃあ、救われないと思いますけど。だって、帰れないのは本当じゃないですか。そんな嘘を言ってまで…」
だんだん声が小さくなってくる。正直、うまい言い返しが思いつかなかった。
「本当のことを言ったから、西村さんは不安なまま。だから何度も聞きに来るんじゃないの。」
…もう言葉が出ない。
「でも、あの言葉で西村さんは、いつもよりも楽しみに待っててくれるかもしれないじゃない。まあ、少しの間だと思うけど。」
コテンパンだ。私は杉山さんを恨めしく思った。
「杉山さんて、けっこう荒木さんの肩を持つんですね。」
そう言うのが精一杯。でも嫌味な感じが届いたのだろう。杉山さんは少し自嘲気味に笑って、
「私が西村さんに帰りたいと言われたら、どう言うと思う?」
「そりゃあ、荒木さんみたいに…」
私が言いかけると、杉山さんはその言葉を遮った。
「あなたと同じことを言うと思うわ、岬さん。」
それだけ言うと、杉山さんはキッチンの方に向かった。残っていた洗い物を片づけるつもりなのだろう。私は何も言えず、それを見送るしかなかった。
…こう見えても、私は偽善者じゃないからね。
そうつぶやく声が聞こえた。
続きます