その1
趣味で書いているものです。不定期連載。読んでる読者層も違うと思うので、投稿することで少しでも励みになるかなと思っています。
「私は気に入らないわ。」
イカの一夜干しを口に入れ、日本酒を流し込んだ。塩気と日本酒の甘味が絶妙に混ざり合い、口に広がった。お酒は私の唯一の趣味だ。子育てに追われて疲れた夜に飲む一杯は、心も体も癒してくれる最高のひと時だった。しかし今夜はいつもと違う。いつもは家での晩酌だが、今日は居酒屋のカウンターだった。うちの近くの居酒屋で、大将も顔を覚えてくれるぐらいのいきつけ具合だ。
「まあまあ。」
杉山さんが、私をなだめながらコップに日本酒を注ぐ。仕事帰りに食事に行こうと言いだしたのは彼女だった。あんた、最近怖い顔をしてるわよ。たまには楽になりなさいというのが理由だそうだ。
「杉山さんはどう思います?」
酒の勢いもあって、私の告白は核心まで進んでいた。私の心をこれほど荒らしている原因についてだ。そして、それが四十後半のおじさんのことだと思うと、なおのこと、むかっ腹が立ってくる。私はぐい吞みを一気に飲み干し空にした。さきほど大将がおすすめの越後の地酒と語って注いでくれたのだが、私の乱暴な飲み方を見て、少し悲しい顔になった。
「荒木さん?」
「そうですよ。あの人、私の言うことも聞かずに勝手な事ばかりして…」
声が詰まった。それで、怒られるのはいつも私だ。
「大嫌い。」
「あら、はっきり言うのね。」
ニヤニヤしながら杉山さんはジョッキのコーラを飲んだ。私としては意外だけれど、彼女はお酒が飲めない。だからファミレスでの女子会などは率先して幹事を引き受けるほど積極的だが、飲み会に来ることはそれほどない。そんな彼女が酒好きの私に合わせて居酒屋を選んでくれたのは、彼女なりの優しさなのだろう。
「違いますか?」
「…ちょっと待って。」
彼女は店員を呼び、コーンバターを追加注文した。お酒が飲めない杉山さんだが、その分、料理はがっつり食べる。それが今の体型にも如実に出ているのだが、本人は気にしない。「体と同じで舌も肥えている」が、彼女の決まり文句だ。
「そうかもね。私も荒木さんはそんなに好きじゃないけど。」
「ですよね」と私が食いつく。
「でも、仕事は真面目よ。違う?」
私は黙っていた。確かに。彼の介助技術は上手ではない。それがイライラの一因ではある。しかし、一生懸命なのは確かだ。不器用ながらに真剣さは伝わってくる。…でも、杉山さん、だから腹が立つということもあるんですよ。
「それにね。人と違うことをするのって、そんなに悪いことなのかな?」
店員がコーンバターを持ってきた。それをスプーンですくって口に入れる。杉山さんがとろけそうな顔をした。そういえば、持ってきた店員に返す刀で餃子を注文していたっけ。一瞬、私、今日はおごりとか言ってなかったよねと不安になった。それにしても、話が進まない。イライラが増して、さらにぐい吞みを空ける。大将がまた切ない顔をした。
「私たちってさ、毎日毎日お風呂を入れて、トイレに行って、ご飯食べてもらって、その繰り返しじゃない。楽しいと思ったことある?」
私は返事できない。正直、この仕事は先が見えないと何度も思う。今でも、自分はこの世界に向いてないと思っている。
「だからね。たまには変わった人がいてもいいんじゃないかって私は思うのよ。」
いつのまにか届いていた餃子を口にほおばりながら、杉山さんは私を見つめた。開いた手はまたメニューに伸びている。こんなに食べられるのなら、彼女の人生は幸せなんだろうなと何となく思う。でも…でも、よ。私はぐい吞みの中の日本酒を見る。いい酒のせいか、ぞっとするほど澄んでいる。
…そんな人が、この世に本当に必要なのだろうか。
そんな考えにふと怖さを感じた私は、その考えごと日本酒を飲み干した。
ゆっくり書いて、続けます。