5.アイスドールはもう居ない
<side Albus>
「そう、全てはたった一つの目的の為に」
アルブス公爵の目的…それは、『自らの血を公爵家に残すこと』。
公爵夫人はアイテールを産んだ後、体調を崩してしまい、二人目を産む事が難しくなってしまったのだ。その為、アルブス公爵家の直系の血を受け継ぐ子は、アイテールただ一人。
そしてクラルスの『隣国の王家の血』と、本人の素質も、また公爵は気に入っていた。
「どうにかして、この二人を結婚させる事は出来ないものかと」
しかし、元々、家格が高い上に美貌の娘であるアイテールは、教育の賜物もあって、非常に良く出来た娘に育った。案の定、王家に目を付けられ、王太子筆頭候補のクーラ王子の婚約者となった。
王家と縁が出来るのも悪くは無いのだが、公爵家である以上、元々王家とそう遠くない家柄、無理に自国の王家と縁を取り持たなくても困る事は無いのだ。
思い出す。そう、あれは…まだクラルスが幼い頃の事。
「義父上」
「…おお、クラルス。どうした」
「私に、侯爵家や伯爵家から、婚約を希望する声が届いていると、聞き及んでいます」
「耳が早いな」
幼いながらも、聡明なこの義理の息子を、公爵は買っていた。
「わがままを…承知で、宜しいでしょうか」
「何だ」
「私は、私とアイテールが実の兄妹ではないと知っています」
「…ああ」
「いつか…養子縁組を一時解消し…アイテールを私のお嫁さんには出来ないでしょうか」
「ほう」
「あんなに可愛い綺麗な女の子を身近に見ていたら、他所の娘なんてイモです」
「……クラルス…」
義理の息子は聡明だけど、アイテール馬鹿であるとも知った瞬間だった。
その瞬間に、公爵は一つの道筋を描いた。クラルスとアイテールの結婚と言う、一見難しい道筋を。いくら義理とは言えども、一旦兄妹となった二人は、この国では結婚する事は無理なのである。法律でそう決まっているのだ。
「アイテール、お前、クラルスの事はどう思う」
「え…お義兄様…ですか?」
正直、クーラ王子の思春期丸出しの態度に、アイテールが閉口しているのは目に見えていた。いずれは大人になり、アイテールを大事にするようになるかもしれないが、それまでアイテールが見限ったりしなければ良いが…そう思いつつ、まだ幼い二人を見守っていた。そんな中で、優しく思いやりに溢れた態度で接する、優しい顔を湛え自分を真正面から大事にしてくれる義兄を、アイテールは「自分の理想」としていた。それをメイドに話しているのも知っていた。
「…正直申しますと…お義兄様が、義理の兄でなければ…他のお家の方でしたらと、思いますわ…。いえ、貴族でなくとも…あんなに正面から私を大事にしてくださる方が婚約者であったならばと、心底思いますわ。クーラ王子の刺々しい態度を見ていますと、余計にそう思います。いえ、もちろん、婚約者として王子には接しておりますが」
うんざりした表情を浮かべる娘の態度に、公爵は微かな笑みを浮かべる。
「アイテール…。クラルスと…結婚しないか」
「え?」
計画を立てた。それが上手くいくかは根回し次第だとは思っていたが、良い駒が現れた。
それが、ファルサ・ニゲル伯爵令嬢だ。
ニゲル伯爵家が、もう25年も前に製造が禁止された違法植物であるケルスを栽培しているのは情報を掴んでいた。そして、それを秘密裏に加工している事も、その加工品を使って王家を手中に収めようとしている野望も。そして産まれた娘を使って王家に取り入り、乗っ取ろうと画策している事も、情報を集めていた。
この野望を使えば、アイテールと王子の婚約を、こちらの瑕疵無く解消する事も出来るだろう。むしろ、王家に貸しを作る事も可能だ。
ファルサ・ニゲル自身が、王子に懸想している事も、知っていた。
だから、全てが好機だと感じたのだ。
「アイテール…いよいよ、今日だな」
公爵は、緊張に震える娘の肩に手を置く。その後ろには、アイテールを心配な目で見つめるクラルスが居た。その手にアイテールの髪に挿す、アメジストの簪の形をしたナイフを手に持って。
今日は、王子とアイテールの挙式日の発表の日。すっかりファルサ嬢に薬の力で骨抜きにされた王子は、アイテールと婚約破棄を申し出る事だろう。そして、それを国王に止められてはならない。
なので、タイミングが大事。王子が婚約破棄を申し出て、王にそれを止められる前に全てを結着させる。
「アイテール。胸元に、血の入った袋は仕込んでいるか?」
「はい」
アイテールのドレスをボトルネック型にしたのは、胸元に仕込んだ血の袋をカーテシーなどで屈んだりした時に見えないようにする為。白い胸元にしたのも、血を目立たせるため。ドレスの下に着ているビスチェもわざわざ、薄く伸ばした鉄で作らせて、万が一にもアイテールの胸に本当にナイフが刺さらないように。もちろん、アイテールの豊かな胸元に血の袋が潰されないように、胸を固定する役割もある。
そう、作戦は、「王子に婚約破棄を言い渡されたら、簪のナイフを胸に刺して自害したように見せる」事。
事後の為に、アイテールの蝋人形も用意した。葬儀には、これを使う。
現段階では、まだこの計画を知っているのは公爵、アイテール、クラルスの3人のみ。公爵夫人も知らない。アイテールのお祝いの為に、この家に来ている隣国の王妃も、もちろん知らない。
念には念を。計画の綻びは、少ない方が良い。
もしも王子がそれまでに我に返り、アイテールとの婚約を継続するなら、それも良い。
そうして無事にアイテールはミッションをやり遂げた。今後の事を話し合う為に王城に残った公爵とは別に、クラルスがアイテールを家に連れ帰った。話し合いが終わり家に戻った時に聞けば、夫人と王妃は酷く嘆き、その隙にアイテールをクラルスの部屋に残し、アイテールの蝋人形をアイテールの部屋に設置したとの事。この段階で、長く勤め、口が堅く、信頼のおけるメイド長をクラルスの部屋に派遣し、アイテールの世話をさせた。今後の事も考えて、一人で着脱の出来る服を着させた。日程的には僅かではあるが、ある程度、アイテールは一人で色々行う事になるのだ。今まで公爵令嬢で、ドレスが標準装備の娘、服を一人で着脱も考えたことが無いので、何度か練習させたが、ちょっと心配している。
そして3日間、アイテールをクラルスの部屋で過ごさせ、代わりにクラルスがアイテールの部屋で過ごした。亡くなった事を嘆いていると考えれば、然程不自然ではあるまい。夫人と王妃は客室で二人、身を寄せ合って嘆いていると聞く。
そして葬儀の後に全てを打ち明けたので、葬儀の時の嘆きは本物だったのだ。
そうして、王妃にアイテールを託すことになった。王妃の座る席の下には、本来は荷物を入れるスペースがある。そこには小柄な女性なら入れる。アイテールは小柄では無いので、王妃にこの為に、国から一人、一番小柄な女官を連れてきてもらっていた。この家を出る時と、国から出国する際に、その女官に座席の下に隠れてもらい、アイテールを女官の代わりに出国させる。王妃の馬車なら、そこまで厳密に調べられることは無い、大胆な密出入国である。
そうして無事にアイテールは隣国に入国し、女官とアイテールを2日後の公務で訪れる予定になっている教会で密かに降ろした。そこの牧師にアイテールを少しの間預かってもらい、シスターのふりをさせ、2日後に迎えに行った。
そこでアイテールは王妃から新しい名前と、偽造された戸籍を貰った。『国王夫妻の養女となったシスター・マルガリータ』の誕生である。
「ああ、もう。本当に。わたくしの娘になったと言うのに。本当はもっと、色々着飾らせたり、一緒にお茶をしたり、お話ししたりしたかったわ。裏工作を頼まれた時には驚いたのだけれど…まあ、良いわ。『マルガリータ』にとっては、この城が実家なのだもの、時々は夫婦揃って遊びに来るのよ?」
王妃から連絡を受けて、飛ぶようにアイテールを迎えに行ったクラルスは、王妃にそう告げられて、苦笑を浮かべたと言う。
こうして、自国の王家に恩を売り、クラルスもアイテールも手放すことなく、望んだ物を全て手中にした。
今や幸せそうに微笑む娘を見て、公爵も笑うのだった。
かつて、クーラ王子のせいで、「氷の人形」と呼ばれた、我が娘アイテール。戸籍上は亡くなった事になっている娘を、次期公爵の妻として、国王夫妻並びに王子たちに紹介した。居並ぶ人々も、気付いた事だろう。そこに立つのはアイテールである事を。しかし公式に亡くなった事にされたアイテール、「生きていたのか」と誰も言うことは出来なかった。だから、こう名乗らせたのだ。
「初めまして。マルガリータ・アイテール・アルブスでございます」
暖かく、輝いた麗しの微笑みを浮かべる娘を見て、私は思うのだった。
「氷の人形」は、もう、居ない。
簪のナイフは、懐剣のような感じで持たせました。最後の護身用、いざと言う時の自決用とでも言いましょうか…。鍔の無いストレートなナイフの感じです。
血は、クエン酸ナトリウムを添加すれば固まりにくいんだそうです。(某名探偵マンガの知識)何らかの方法で血を凝固させない方法を使ったんだと思ってください。
魔法や魅了を使わない婚約破棄モノを書いてみたいと思って書いてみたら、こうなりました。