4.たった1つの目的
<side Clarus>
「クラルス」
自分の実母…自分を産んだ母、隣国の王妃が、目の前に居る。
アイテールの葬儀が、今にも始まる。
「本来でしたら、アイテールと王子の結婚の正式な発表…慶事でしたのに」
「本当に、なんてこと…。私のいとこの娘で、クラルスの義妹ならば、私にとっても大事な子よ…」
口に出しては言えないが、手放さざると得なかったとしても、隣国の王妃にとって自分は息子のままであるようだ。
だが私は…クラルス・アルブスはアルブス家の一員だ。彼女ではなく、アルブス公爵と公爵夫人こそが私の両親なのだ、そこを間違ってもらいたくない。
しかし、彼女は今回の事件で大事な存在である、無下にするのは辞めておこう。
あの事件から、3日が経っていた。胸にナイフを突き立てたアイテールを抱きかかえ、公爵家に戻った自分たちを見て、公爵はすべて悟ったようだ。
「昔に製造を取りやめるように指示をしたはずが、やはり作り続けていたか。国内にケルスが出回っている事は知っていたが、それが他国から入ってきたものと言われれば、それをさらに疑うのは難しかった。製法は違って品質は高くとも、成分は一緒だ、分析を掛けてもニゲルの家の物と断定は出来なかった」
一般市民までには普及しておらず、アンダーグラウンドの一部でのみ出回っている品。それ故に優先度は然程ではないと判断していた。その結果がこれだ。
「アイテール。お前は頑張った。あの王子がおかしくなっていった際に、すぐにお前が私に報告してくれたから、調査は出来た。恋心などは無かったと言っていたが、本当に、お前はきちんと王子を見ていたのだな」
その場に立っていたのは、公爵夫人と、その従姉である隣国の王妃。彼女は、公爵夫妻に請われて、この日…パーティの日、公爵家に来ていた。
「アイテール…綺麗になった貴女を見に来たつもりだったのに」
未だクラルスに抱きかかえられて、その腕の中のアイテール。
そのアイテールに、そっと触れる。まだ温かい彼女に。
「こんな…事に…」
その3日後。アイテールの葬儀が行われた。
元より白い肌は、冷たく青く。銀の髪がその顔に冷たい輝きを添える。棺の中には、アイテールが好きだった赤い薔薇が敷き詰められていた。
「アイテール…」
ふらふらとした足取りで、アイテールの棺に近付くのは…真っ青な顔のクーラ王子だった。
「不敬を承知で申します…何を、しに来なさった」
公爵の冷たく重い言葉。
「…公爵の言葉、尤もです…私はニゲル伯爵家の姦計にまんまと掛かった。その巻き添えにアイテールが亡くなった…謝罪の言葉も無い」
ケルスはまだ身体から抜けきらず、酷い顔色に覚束ない足取り。頭痛も酷いだろう。内臓も具合が悪く熱もあり、手も震える。ケルスが切れつつある禁断症状。今が禁断症状の厳しい時期であると、書物でケルスの事を読んだ公爵も知っている。しかし、それが何だと言うのか。
「娘は。アイテールは。貴殿の正式な婚約者。貴殿があの娘と茶などしなければ、このような事には!ケルスを盛られたことより何より、娘が真っ先に心を痛めたのは、貴殿が他所の娘と、茶会やパーティでも無いのに茶を共にした事」
「……申し開きもありません」
そう、いくらアイテールの事を話したいと言われても、もっと他にやりようはいくらでもあったのだ。それをまんまと、いい様に踊らされ、操られ。
「ですが…せめて…最後に一目、アイテールに…。せめて花を手向けさせては貰えませぬか」
手に赤いバラの花束を携えて。しかし、
「断ります」
公爵が、ずしりと重い威圧を放つ。
「貴殿に娘に触れてなど欲しくありません。貴殿のせいで、娘は死んだ。例え操られていようとも、公衆の面前で婚約破棄。それが貴族の矜持をどれほど傷つけることになるのか、知らぬ貴殿ではありますまい。そして、矜持を折られたアイテールがどうするか…分からぬ貴殿でもなかろうに」
「操られていたのだ、本心ではない…だが…そうだな」
自嘲気味に笑う王子、しかし気の毒とは、この場に居る誰もが思わなかった。アイテールは、皆に…この公爵家の誰もに愛された娘だったのだから。
「そうですな…せっかく来てくださったのならば、この花を差し上げましょう」
公爵は、庭から一輪のバラを摘み、私に差し出した。
「この黒赤色のバラの花は、私の貴殿への思い」
そう告げて、公爵は去って行った。
黒赤色のバラの花言葉は…「死ぬまで憎みます」だと、後に知った。
「その可愛げの無い顔を、私に見せるな!」
かつて…まだアイテールも王子も幼い頃。婚約者になったばかりの、二人が7歳の時分か。
公爵家の庭のガゼボで待っていた王子に、覚えたての貴族の挨拶と、令嬢の笑み。それを王子に披露していた。
そのアイテールに向かって、王子は厳しい口調で言い放った。ショックを受けたアイテールは、挨拶もそこそこに、涙ぐみながら去って行った。
「あんな、貴族の挨拶なんて…令嬢の笑みなんて…大人になったらいくらでも出来るんだ。母上や、母上の取り巻きを散々見てきた。あんな気持ち悪い存在に、アイテールはなって欲しくないんだ」
アイテールが去った後、王子は一人、呟いていた。ガゼボから少し離れた場所で本を読んでいた私、クラルスに聞かれているとも知らずに。
その後も、こうして本人への言葉が足りずに、クーラ王子はアイテールに誤解を与え続けていた。
日々美しくなっていくアイテールに、王子は照れてしまって、本心ではない言葉を吐いてしまう。クールな見た目に反して繊細な娘であるアイテールは、王子の言葉の裏を読むこともせずに、真正面から言葉を受け止めてしまう。透き通り輝く笑顔も、いつしか家の外では浮かべないようになってしまった。王子から「笑うな」と言われた事も、アイテールに深く突き刺さっていた。その言葉も結局は、アイテールの笑顔が眩しくて照れてしまうから。そして自分以外にその笑顔を見せたくないから。しかし、何度も言われてアイテールは、自分が笑うと良くないと思いこむようになってしまったのだ。王子が贈る愛らしいデザインのドレスも、アイテールには似合っていた。しかし照れと、自分以外の男に見せたくない独占欲が、アイテールに暴言を吐いてしまう。愛らしいドレスを嫌がらせと思い、自分にはそのようなドレスが似合わない。そう思い込むようになってしまったアイテールが、慕っていたはずの王子から距離を置きたいと願うようになるのは、仕方のないことだった。
そして次第にアイテールの心は王子から離れていき、公爵に婚約解消を願うようにまで、なってしまう。その隙間に、ニゲル伯爵令嬢が潜り込んだのだ。
愚かな王子。素直になれないせいで、アイテールを失うなんて。
アイテールを絶望に追いやった報いは、これからの人生で払う事だろう…。
やがてアイテールの葬式は恙なく行われた。公爵は真っすぐ前を見ていた。夫人は泣き崩れ、痛ましかった。崩れる夫人を隣国の王妃は支えながら、一緒に泣いていた。使用人たちも、流れる涙を必死で堪えていた。クーラ王子はただでさえ悪い顔色を、さらに悪くさせていた。この惨状を招いた原因として。
私、クラルスは、それを見ていた。光景を、目に焼き付けていた。
アイテール、君は本当にアイテールの周りの優しい世界の中で、愛されていたよと。
そして、葬儀が終わると、隣国の王妃は隣国の王家の馬車で帰って行った。
私は、それを静かに見送る。
近く、また会う事になるだろうと、そう思いながら。
それから4ヶ月ほど月日が流れ、季節が1つ移り変わった頃。王位継承権を剥奪され、単なる第一王子となったクーラ王子は周囲の貴族に老若男女問わず冷たい目で見られ、ファルサが冷たい牢獄から出される事も無く亡くなり、ニゲル伯爵家も王家の手により解体され、ケルスが種も作物も加工品も何もかも、跡形もなく消滅させられた。国に背いてケルスを栽培していたニゲル伯爵と一家は毒杯を授けられた上で、確実に亡くなった事を証明するために心臓までも剣で貫かれた。伯爵家の土地は国の所有物になり、土地は立ち入り禁止となった。間違っても見逃したり隠されたりしていたケルスを、他人が持ち出したりしないようにと。
アルブス公爵家は、何とか毎日を送っていた。
そんな中、届いた一通の手紙。
「来たか」
クラルスは、手紙を手に取った。漂う香りは、隣国の王妃が好む香水の香り。手紙に垂らされた香水が、微かに香るそれはもちろん、隣国の王妃から齎された手紙。
『私の国で、慈善活動に回っている中、一つの教会に立ち寄ったのです。そこで一人のシスターに出会いました。彼女は、穏やかで優しく、温かい笑みを浮かべる慎ましやかな性格の娘で、まだ新人のシスターなんだそうです。あの子の面影を感じてしまってね…』
手紙は2枚目に続いた。
『そのシスターを、私たちの養女として城に迎えました』
クラルスは、その手紙を義父に渡した。
クラルス宛になっていた手紙は、最後にこの文で結ばれていた。
『どうか、その娘に会いに来てみませんか?』
その手紙を携えて、私、クラルスは隣国に旅立った。王妃から支給された通行手形もあって、すんなりと隣国に入国し、登城許可証も一緒に発行されていたので、城にも問題なく入ることが出来た。
「いらっしゃい、クラルス。4ヶ月ぶりね」
「お招きありがとうございます、王妃様」
「…もっと気軽に接してくれても良いのよ?」
「いえ、私はカヌス王国の公爵家の者です。隣国の王妃様に気安い態度など」
「…そう…」
そうこうしているうちに、新たに養女となった娘を紹介された。
「いらっしゃい…マルガリータ」
楚々として現れたその娘。輝く髪と透き通った瞳、浮かべる優しい微笑み。
私はその場で跪き、国王夫婦に彼女との結婚を申し出たのだった。
「派手にやったな、クラルス」
帰国後、義父であるアルブス公爵に呆れた顔で見られた。
「新聞にも書いてある。『浮名一つ流さぬ鉄壁の貴公子、クラルス・アルブス、数多の貴族令嬢の求婚を断り続けた青年が一目で選んだのは、隣国の王家の養女となったシスター・マルガリータ』だとな」
「ええ…。いいんですよ別に」
求婚を断り続けていたのも。今回、突然求婚したのも。
全て、たった一つの目的の為に。
次で最終回です。